2.川崎宿~

2.川崎というか六郷土手から橋越えて…(2007.10下旬)

京急六郷土手駅より再開。15:45くらいから歩き始めた。
かつての旅人は六郷の渡しで舟に乗って多摩川を越えたようだが、
当然のことながら今はないので六郷橋を歩いて渡る。

六郷土手から川崎に向かう橋の上より撮影。

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JR側じゃなくて京急側に出るのか。最寄駅は京急川崎駅になるのかな。
川崎にはTOHOシネマズの1000円デーにダイスに行くくらいなので
京急川崎駅より東側のこの辺りは全く来たことがない。


旧街道らしい狭い道幅の商店街を歩いていくと、
芭蕉句碑やら八丁畷の由来についての看板があった。

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すぐ先の八丁畷駅を越えて行くと熊野神社?と一里塚
夕方だったからか車も多くて歩きにくかった(´・ω・`)

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鶴見川橋を渡り、図書館前を過ぎ、駅前に。

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旧東海道は京急鶴見駅の下を通ってるのかよくわからずに適当に通過する。
途中、国道駅の下を通る。なんか怖そうな面白そうな雰囲気を持つところだった(w

歩き始めが遅いから日がすぐに沈んでしまう。生麦事件があったとこ。

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生麦事件(なまむぎじけん)は、江戸時代末期の文久2年8月21日(1862年9月14日)に、武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷した事件である。(生麦事件

ふと早口言葉を思い出し、生米とか生卵という地名があるかとぐぐってみたが、どうもないみたいだ(´・ω・`)

江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の行列がここを通る際、道に水が溜まっており、通行ができなかった。そこで、村の人たちが、海道の脇の生麦を刈り取り道に敷き、その上を行列に通らせた。秀忠は感謝として、ここ一帯に生麦という地名を与え、村人に漁業を営むに関して特別な権利を与えた。これはあくまでも言い伝えだが、江戸時代にここ一帯に麦畑が広がっていたことは想像される。(生麦

なぜか道に敷き詰められた卵の上をおっかなびっくりに歩く秀忠一行のビジョンが浮かんだ(・∀・)

キリンビアビレッジ。いつかは来ようと思いつつ…最近はほとんどお酒呑まなくなったな。

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3.よみ神奈川からん神社素通りし…

暗くなった道を進み昔はバイトでよく通ってた神奈川新町駅辺りまで来る。
何も変わってないようで、何もかも変わっているようで…なかなか感慨深いものがある。
色々と昔のことを思い返しつつ、「なんで俺こんなことしてるんだろ(´・ω・`)?」と我に返ったり。

東神奈川、横目に見つつ横浜駅方面に。大学生の頃にこの近くにある反町公園は
ハッテン場であるという噂を耳にしたが、その真偽は如何に(w

神奈川駅を越え、青木橋を渡る。東京からの上りで初めての坂が。
その途上、大綱金比羅神社や神奈川台関門跡の碑の写真を撮る。
スーパーマップル上では大綱金刀比羅神社とあって読み方のわからなかった
     刀
大綱金比羅神社であることがわかった。変換できない字か。

今まで何度も眺めたことはあっても決して渡ったことのない上台橋を渡る。

いささか腹具合が良くなかったのでちょっとルートを外れて沢渡中央公園の公衆トイレへ。
暗くて怖かった。阿部高和でも居たら((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

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浅間神社、橘樹神社を過ぎて天王町駅も越え保土ヶ谷駅付近にて切り上げる。
かつて歩いたり、遊びに行った友達の家の近辺が旧東海道であったというのは
なんか面白いなあ(・∀・)

食事以外休みはほとんどなし。20:00くらいまで。 24500歩くらい 16km強
電車賃                 760
大黒亭 ラーメン+チャーハンセット 750

475-16=459
2097+1510=3607
残り:459km 使ったお金:3607円