月別: 2009年5月

16.由比宿

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16.由比宿(2007.11初旬)

ガイドブックによると最寄駅は「JR由比駅・宿場の中心までは、駅をおりて東へ、
徒歩約二五分」とあるから、80m換算で2kmかΣ(゚∀゚;)
地図ソフトで由比本陣公園までの距離を測ってみると100mほど蒲原駅からの方が
近いかも。それでも1.7kmくらいあるけど(w

途中、水神の石碑があった。ちょっと珍しいなと思い写真に収めた。
道祖神と刻まれた石碑は何度か見たような気がするが、水神はここくらいだったかな?
ちょっと思い出せない(´・ω・`)

ここ寺尾には昔、南方寺という真言の寺があり地名の起源となったと伝えられている。昔の家並 みは海沿いにあったが、たびたび津波の被害をうけ、そのため天和2年(1682)高台に新道 を改さくし東海道とした。現在の街道は当時のままの道幅で、所々に格子戸、蔀戸の古い家をみ ることができる。(由比町) (東海道五十三次の16番目「由比宿2」

災害事例 津波
★1854/12/23 (安政元年) 安政東海地震津波
 静岡県沿岸各地は大津波に襲われた。当地では古記録によると地震直後に津波がおそい、1.5町も潮が引いた。津波の高さは2m程度であった。
静岡県市町村災害史 由比町

海岸線に近いところだから、その分水害が多くかったんだろうなぁ。
その結果として普通の神様じゃなくて水神様を祀ってるんだろう。

神沢川酒造場、神沢川、神沢川橋?、看板、水神、道祖神?
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一里塚跡

一里塚
慶長九年(一六〇四)江戸幕府により、行旅の便をはかるため、東海道・東山道・北陸道に設けられ、一里が三十六町、一町が六十間と定められ、塚には榎や松の木が植えられた。
由比の新町の一里塚は江戸から三十九番目で松が植えられていたが、寛文年間(一六六一-七一)、山側の松が枯れたので、良用軒清心という僧がここに十王堂を建立し、延命寺境外堂とした。十王堂は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、祀られていた閻魔像は延命寺本堂に移されている。

平成六年三月
由比町教育委員会

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古風で立派な木造住宅x2、お七里役所之跡。
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由比本陣公園
足の裏がガチガチになって耐え切れず、由比本陣公園に入って
建物併設のベンチで休んだ。
老人会のバスツアーらしき集団を眺めつつ足をマッサージ。
敷地は狭いけれど整備もされていて綺麗な公園だった。
併設の東海道広重美術館は有料かもしれないけれど、公園自体は無料だった。
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由比正雪の生家、本陣公園入り口、おもしろ宿場館
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由比正雪
由比町(駿府宮ケ崎町との説もある)の紺屋の子として生まれる[1]。
幼い頃より才気煥発で17歳で江戸の親類に奉公へ出たが、楠木正成の子孫の楠木正虎の子という軍学者楠木正辰(楠木不伝)の弟子になるとその才能を発揮し、やがてその娘と結婚し婿養子となった。(中略)
慶安4年(1651年)に、「由井正雪の乱」ともいわれる「慶安の変」を起こし駿府にて自害。享年47
由比正雪

慶安の変てこないだ読んだ「保科正之」でちょっと出てきたな。個人的に由比正雪というとパタリロの8巻くらいに出てきた天狗党のボスというイメージしかない(w


そういえば鎌倉にも由比ヶ浜ってあるな( ・´ω・`)
「由比ヶ浜 由来」でぐぐると

「由比ヶ浜海岸」の名からつけられました。「由比ヶ浜」の名のおこりははっきりわかりませんが、由比というのはみんなで助けあう「ゆい」からきているともいわれます。また、むかし由井郷にあったので、その名がついたともいわれています(Kamakura GreenNet

今は「由比ガ浜」と書くのが普通になっていますが、むかしは「由井ヶ浜」または「油井ヶ浜」と書いたものが多かったようです。また稀には「湯居」とか「湯井」などとしたのもありますがこれはどちらも誤りだとされています。
江戸時代には「由比」と「由井」が混用されていましたが、次第に「由比」が多くなり、明治になってからは殆ど「由比」に統一されるようになりました。
 改めて申すまでもなく、この名称は海岸のもので、現在のように地域の名になったのは正確な年月は不明ですが、大正の頃からからだと思われます。(中略)
  結という言葉は、結合とか共同という本来の意味から転じて、労働力の交換を意味する言葉になっています。
 元来は一族の間でのことだったのが、後には隣近所での手助け、手伝いにまで拡がっています。つまり、むかしは村人がお互いに手伝い合って漁をする海岸というので「ゆい浜」と呼ばれていたのだと思われます。共存共栄を念願とする町にとって誠にふさわしい名と申すべきでしょう。(歴史でわかる商店街

とある。
由比町の方も

由比町の由比という文字には『結(ゆい)』という、漁師たちの互いを助け合い、思いやる共同作業に由来するという説もあります。由比町といえば桜えび漁。由比には、由比、蒲原、大井川の3地区で、サクラエビの水揚げ量を全部足して、それを均等に分けるプール制が存在します。プール制があるのは、全国でもここだけ。他を思いやる、由比町民の気質が表れた制度ですね。(とく報!

とある。
更にぐぐりざるとを見て行くと

「ゆい」地名は、「たゆい」地名と同じく、民俗学的には漁村に多い共同作業の「結 ゆい」慣行のあった場所につけられたとされるが、地形名の場所も多い。(目からウロコの地名由来

とあった。 他は「たゆい(田結、手結)」だから今ひとつ決定打にかける説だなぁ(´・ω・`)まあ由比ヶ浜も由比町も長い砂浜を持っているから共同作業とかはやりやすそうだけども。


空腹だったが、由比特産は桜エビということでパスした。
今考えてみたらしらすなんとかでも食べれば良かった。
秋の日差しの割に強く、今日も日焼けした。さった峠へ向かう坂はきつかった。

看板とちょっとかっこいい清水銀行、道、記念碑、由比川、由比川橋
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桜エビ料理の店に並ぶ観光客らしきカップルを横目に370号を汗だくでひたすら進み、
由比漁港の終わり辺り(今宿?)で右折。

道、天満大自在天神(秋葉山の常夜灯)、祠、道x3
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由比駅を300mほど過ぎた後、右折して左折。
その途中に小池邸という休憩できそうな場所があったけど、立ち寄らなかった。

[国の登録有形文化財]
小池邸
小池家は昔、甲州武田氏家臣が当地に移住し、江戸時代には代々小池文右衛門を名のり寺尾村の名主を務めました。この建物は、明治期に建てられ、大戸・くぐり戸・ナマコ壁・石垣等に江戸時代の名主宅の面影を残しています。町では東海道を行き交う人に休息の場として使っていただくために、購入して修復工事を行い東海道名主の館「小池邸」として蘇らせました。
平成十年三月 由比町

中の沢二号橋、看板x、小池邸
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一号線と東名高速道路x3
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定数の共有

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インターフェイスに書いておいて各クラスにimplementsする(・∀・)
こんなことも知らなかったよ…orz
まあこれで少しコードがすっきりしたからいいか。
最近はJavaそのものの勉強をおろそかにしてるのでそろそろやらないとなぁ(´・ω・`)

※20131121追記
JAVA PRESS Vol.38によると「Effective Java」の項目17で定数インターフェイスは
使っちゃ駄目ヽ(`Д´)ノって書いてあるらしいw

public class Hage(){
    private Hage(){}//インスタンス化を防ぐ
   
    public static final double DEBURU = 9.10938188e-31;
}

って感じにしてクラス側でstaticインポートしなさいだって。

import static Hage.*;
class Test{
    public static void main(String[] args){
        double testvalue=DEBURU;
    }
}

って感じが正しいらしい。

つーか誰が禿げでデブじゃヽ(`Д´)ノ

14.吉原宿~蒲原宿(2)

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14.蒲原宿(2007.11初旬)

東海道新幹線の下を通ってちんたら歩く。のどかというかほとんど人影がなかったかな?
道が東名高速と平行し始めたあたりから上り坂になっていてちょっと疲れた記憶がある。

ついに静岡市に突入(・∀・)
新坂橋跨道橋で東名高速の上を渡る。

なんかこの跨道橋から左富士が見れるらしい。
ぜーはー言ってて全く気づかなかったなぁ。

道x3、お地蔵さんじゃなくて観音様?、道、看板x2、新坂橋
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ガイドブックによれば

そのむかしは七難坂を通っていたが、富士川のたびかさなる氾濫で道が流され、天保一四年(一八四三)に、この新坂が開削された。

とある。七難坂の位置はぐぐっても今ひとつはっきりしないが、他のページの話を総合すると、新坂よりも東南、日本軽金属という会社の辺りみたい。

七難坂でぐぐってたら国文学研究資料館のページになんかあった。

驛路に三つの峻嶺あり、宇津谷坂薩埵坂、七難坂なり、三の大河あり、大河川、阿倍川、富士川なり、是皆天然の要障なり、(古事類苑>地部一>駿河國>地勢

宇津谷坂薩埵坂と並ぶ峻嶺だったようだから、昔はもっときつい道だったのかな。
(セキュリティ的に問題ないんだろうけれど、「インストール時のテストページ」は見えちゃってもいいんだろうか。あまりかこよくない。)
※久しぶりに見たらちゃんとなってたw 

古事類苑てなんだべ(´・ω・`)?

古事類苑(こじるいえん)は明治時代に編纂された類書(一種の百科事典)で、各項目について明治時代前の諸文献を引用するもの。(古事類苑

習った記憶がないな。

渡った後の下り坂、看板x2
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脚が疲れて来たので諏訪神社にて一休み。と言って下の方で。上まで上る気力などなく。ここに来る途中に「北条新三郎の墓」という看板があった。誰だべ(´・ω・`)とぐぐると、

この戦いで蒲原城の重要性を認識した北条は、北条幻庵長綱の子、北条新三郎氏信(綱重)、箱根少将長順兄弟を蒲原城に派遣、城郭を改修させた。子を失った幻庵の悲しみ 蒲原城

あの北条幻庵の息子かΣ(゚∀゚;)
まあ幻庵自体、信長の野望の内政キャラというイメージしかないけど(w

一里塚、看板、諏訪神社x3、道標x2
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蒲原宿はかなり整備がされていた記憶がある。看板なども綺麗だった。途中で変なパイプラインを見かける。日本軽金属 富士川第二水力発電所のものらしい。

日本軽金属株式会社(にっぽんけいきんぞく、英称:Nippon Light Metal Company, Ltd.)は、日本で唯一アルミニウムの製錬工場を国内に持つ、アルミニウムの一貫生産のメーカーである。アルミニウムの加工品の他、製錬過程で発生する酸化アルミニウム(アルミナ)や水酸化アルミニウムなどの化成品の製造を行っている。(日本軽金属

なんか凄い会社だな(・∀・)

看板x3、常夜灯、パイプライン
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てけてけ歩いていくと道は左折し、396号線に合流。
お地蔵さんでも道祖神でもなさそうな新しい石像を見かける。
野仏の会なる団体が新規に作ったもののようだ。

なまこ壁、八坂神社、塗り壁、道祖神?、かんばら野仏の会?
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向田川橋を渡り道なりにだらだらと進む。特に何もなく。

文化センター、蒲原駅
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と、後で気づくが文化センターの辺りで「蒲原ガム」と呼ばれるイルカの
加工品を買おうと思っていたのを思い出すヽ(`Д´)ノ

更に先に進み、この道標の辺りから由比宿へ(・∀・)
でもこの道標が微妙にトラップだったような。確か車は右で歩行者は左だったかな?
柱の下の方になんか書いてあるようだけれども、完全には読み取れない。
「歩行~~ガイド」?歩行者用ガイドかな?
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「人」というものについて考えてみる

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昔から何度も「人」というものの考察を試みたがすっきりとした答えに到達したことがない(´・ω・`)
浅学非才にも及ばぬ無知非才の徒だからそれは当然のことである。
とはいえ「自己愛」や「人格障害」というものを考えていく上では必要な基盤なので仮でもいいから定義する。
まずは「人」と「世界」の関わりから考えてみたい。


人は感覚器官を利用して<(現実)世界>を収集する。

個々の感覚器官の性能・閾値は異なるものの、それぞれの個体が収集した<(現実)世界>はある一定の精度までは一致する。人は現実世界の物理法則、物質組成に従って存在するからである。
この点から考えると、おそらく感覚器官による収集の段階においては個体にとっての世界にそれほど大きな差異はないだろう。


人はこの収集した<(現実)世界>の断片を脳内で解釈(定義)する。

解釈とは収集した<(現実)世界>の断片を<(脳内)世界>へと取り込むこと、”AはBである”と定義を脳内に記憶することである。
乳幼児段階に始まる最初期のもっともシンプルな解釈は、快不快レベルの記憶である。以前経験した何かに再び遭遇した際に快不快等の反応を示せるのは<(脳内)世界>において<(現実)世界>の事象が定義づけられているからである。
言葉を覚えるあたりから本当の意味での<(脳内)世界>への取り込みが始まる。これは単純に言葉によって<(現実)世界>の事象や物を解釈しやすくなっただけではなく、言葉を利用して他者や社会が定義した概念をインポートできるようになるからである。ここでいう概念とはある事柄を普遍化・抽象化したものである。
ここで述べたのはシンプルな解釈についてであり、より複雑な<(現実)世界>の事象などの解釈についてより深く考える必要があると考える。


人は解釈(定義)した結果を用いて、<(脳内)世界>の構築を行う。

但し幼少期段階において<(脳内)世界>で定義づけられたものの多くは、所属する社会、家庭から継承した概念であり、<(脳内)世界>もまた「家庭」つまりは親などの養育者の世界を骨組みとして継承している。この傾向は通常思春期あたりまで続くと考える。
基本的に構築された<(脳内)世界>は永続不変なものではなく、その個体が新たな<(現実)世界>の事象を経験したり、事柄を知った時に大なり小なり変化する。
ここで「基本的に」とつけたのは、変化を許さない環境が存在すると考えるからである。「権威主義的・支配的・毒になる親・機能不全家族・過保護」などの言葉で表現される家庭環境のことである。この環境と自己愛の絡みこそが認知・解釈の歪みを生じさせ、人格障害やその他の精神疾患へと至らせるのではないかと予測しているが、それはさておき。


以上のような流れで構築された<(脳内)世界>はその人にとっては”世界”そのものであり、全てである。この”世界”は他のどの人の<(脳内)世界>と完全一致することはなく、同時に<(現実)世界>とも完全一致することもない。

現実世界
    ↓
感覚器官による収集
    ↓
その個体による独自の解釈
    ↓
脳内世界(その個体にとっての世界そのもの)

・人はそれぞれの<(脳内)世界>を通じて<(現実)世界>と接している。
・<(現実)世界>がどうであれ、人にとっては<(脳内)世界>が全てである。
・<(脳内)世界>は永続不変ではない。
とりあえずこんな感じかなヽ( ・∀・)ノ
こんなん書くだけで半日以上かかった…orz