「人」というものについて考えてみる

昔から何度も「人」というものの考察を試みたがすっきりとした答えに到達したことがない(´・ω・`)
浅学非才にも及ばぬ無知非才の徒だからそれは当然のことである。
とはいえ「自己愛」や「人格障害」というものを考えていく上では必要な基盤なので仮でもいいから定義する。
まずは「人」と「世界」の関わりから考えてみたい。


人は感覚器官を利用して<(現実)世界>を収集する。

個々の感覚器官の性能・閾値は異なるものの、それぞれの個体が収集した<(現実)世界>はある一定の精度までは一致する。人は現実世界の物理法則、物質組成に従って存在するからである。
この点から考えると、おそらく感覚器官による収集の段階においては個体にとっての世界にそれほど大きな差異はないだろう。


人はこの収集した<(現実)世界>の断片を脳内で解釈(定義)する。

解釈とは収集した<(現実)世界>の断片を<(脳内)世界>へと取り込むこと、”AはBである”と定義を脳内に記憶することである。
乳幼児段階に始まる最初期のもっともシンプルな解釈は、快不快レベルの記憶である。以前経験した何かに再び遭遇した際に快不快等の反応を示せるのは<(脳内)世界>において<(現実)世界>の事象が定義づけられているからである。
言葉を覚えるあたりから本当の意味での<(脳内)世界>への取り込みが始まる。これは単純に言葉によって<(現実)世界>の事象や物を解釈しやすくなっただけではなく、言葉を利用して他者や社会が定義した概念をインポートできるようになるからである。ここでいう概念とはある事柄を普遍化・抽象化したものである。
ここで述べたのはシンプルな解釈についてであり、より複雑な<(現実)世界>の事象などの解釈についてより深く考える必要があると考える。


人は解釈(定義)した結果を用いて、<(脳内)世界>の構築を行う。

但し幼少期段階において<(脳内)世界>で定義づけられたものの多くは、所属する社会、家庭から継承した概念であり、<(脳内)世界>もまた「家庭」つまりは親などの養育者の世界を骨組みとして継承している。この傾向は通常思春期あたりまで続くと考える。
基本的に構築された<(脳内)世界>は永続不変なものではなく、その個体が新たな<(現実)世界>の事象を経験したり、事柄を知った時に大なり小なり変化する。
ここで「基本的に」とつけたのは、変化を許さない環境が存在すると考えるからである。「権威主義的・支配的・毒になる親・機能不全家族・過保護」などの言葉で表現される家庭環境のことである。この環境と自己愛の絡みこそが認知・解釈の歪みを生じさせ、人格障害やその他の精神疾患へと至らせるのではないかと予測しているが、それはさておき。


以上のような流れで構築された<(脳内)世界>はその人にとっては”世界”そのものであり、全てである。この”世界”は他のどの人の<(脳内)世界>と完全一致することはなく、同時に<(現実)世界>とも完全一致することもない。

現実世界
    ↓
感覚器官による収集
    ↓
その個体による独自の解釈
    ↓
脳内世界(その個体にとっての世界そのもの)

・人はそれぞれの<(脳内)世界>を通じて<(現実)世界>と接している。
・<(現実)世界>がどうであれ、人にとっては<(脳内)世界>が全てである。
・<(脳内)世界>は永続不変ではない。
とりあえずこんな感じかなヽ( ・∀・)ノ
こんなん書くだけで半日以上かかった…orz