月: 2009年10月

テレビドラマ 10月4週

サムライハイスクール 第二話を観た。
今回も楽しく観れた(・∀・) サムライ小太郎も良かったがヘタレ小太郎も意地を見せた感がある。
やはりサムライ小太郎とデカ杏、家臣・中村の絡みが面白い。騎馬戦の場外も笑ったが、
なり振り構わない校長の選手交代やマイムマイムで思わず声が漏れた(w


第三話を観た。
仁感染、ツンデレ母△、山田ちょっとだけデレ、枝豆小僧母結局死亡と相変わらずの
盛り沢山の内容だった(・∀・) 尺の関係上、点滴用具絡みなどの部分が足早なところは
残念ではあるけれど仕方が無い。 個人的にはコロリ編までをSPでやって、それ以降を
数クールでじっくりとやってくれればいいのになぁと思った。


東京DOGSはまぁなんというか…水嶋が演じる役がねぇ…あれがドラマをぶち壊してるなぁ。


MADMENもまあMADMENらしい盛り上がるような盛り上がらないような展開。
なんとなく飛行機墜落や複写機と不毛地帯を連想した。


ドクターハウスは相変わらず面白い(w
シーズン2になっても、あの人格障害は健在(・∀・)


不毛地帯 第三話を観た。
阿部サダオの演技が仰々しいステレオタイプ過ぎる芝居だったが、設楽に比べたらまだマシだから
いいかと思い直す。バナナマンは好きだが、芸人はドラマには出てこないで欲しいところだ。コメディ
タッチのものならフィットしていいんだけれどもシリアス物はなぁ(´・ω・`)
会社での緊急事態よりも壱岐家内の不協和音の方が緊迫したシーンに思えて見入ってしまった。


今期は国内ドラマで三本も面白いのがあるから退屈しないですむなぁ(・∀・)

不毛地帯

不毛地帯の第一話と第二話を観た。

良い感じに重厚な内容のドラマだとは思ったが、そんなに高い視聴率はとれないかも。
実況しながらだと、ちょっと内容においていかれる可能性がある。
特に第一話の太平洋戦争、シベリア抑留の辺りは祖父母あたりから話を聞いていたり、
元々の知識がないと若い人には難しいかも。
自分は今は亡き祖母より満州からの引揚げ話を聞く機会があったので、なんとなくその話を
思い出しながら観た。
主人公・壱岐がどのような人物でどのような想い・過去を抱えて生きていくのかを示す大事な回で
あったけれども、おそらくCMをはさんで観ていた人は結構脱落しちゃったりしたんではなかろうか。
なんとなく一話ラストの川又の「日本を守るために」という言葉に違和感を覚えたけれど、
1958年というと戦後13年しか経っておらず、1950年代はまだまだ動乱の時代だったことを
踏まえると全然おかしくないな(・∀・)


二話は一話に比べたら観やすいんではなかろうか。まあ実況しながらだとやっぱり内容に
追いつけなくなりそうだけれども。パン屋が顔に似合った役をやっていて笑った(w
梶原善も完全にオーラが消えてて一瞬、梶原善っぽいけど違う人かと思った。
竹野内豊は山岡士郎みたいになっていて、天海は実況でオカマ呼ばわりされていた。
阿部サダヲと松重?がちょっと顔芸過剰な感じがするけれど、基本的には役者さんを揃えていて
今のところは文句ない感じ。袴田は一生袴田臭が消えそうにない。ラクダも最近なんか変だ。
CGとか合成はまあ…しょうがないのかな?この先は現代に近づくから減っていくだろうし。
なんかCMの多くに出ているのが宮崎あおいというなんか変な裏があるのではないかと思いつつ、
真矢みきのCMを観るよりはまあいいかと思う(´・ω・`)


川又がなんか室井っぽかったり、一話ラスト辺りがなんとなく白い巨塔のアウシュビッツロケや
財前教授の総回診、貝塚が東教授っぽいなぁとなんか勝手に他のフジドラマを連想してしまった(w
大河内教授も出てるし。
白い巨塔+離婚弁護士(BOSS)+鹿男辺りが出てるからテコ入れ再放送すんのかな?
小早川伸木はやらないだろうなぁ(w

東京DOGS

東京DOGSを観た。
えー、んー、あーどうだろう(´・ω・`)

妙に張り切りすぎてやっちまった感がなくもない。
なんかこう詰め込みすぎでメリハリがないというか間がないというか。
テンポが良いのと詰め込みすぎは似て非なるものだと思った。


二点ほど明確に駄目な感じがした。
一点目は水嶋ヒロの役。そもそものキャラ全員の設定がいまいちな気もするんだけれども、
とりわけ水嶋ヒロはおちゃらけキャラを演じようとする余り、芸人がドラマに出てドラマ世界を
ぶち壊しにしてしまう表層的なコント演技になってしまっているように思えた。デフォルメが過ぎたり、
誰かをうまく物真似しているような感じのアレである。コメディにならいいんだろうけれど。
ここまで酷い演技をするような人ではなかったような記憶があるが…。
二点目は脇役の多さ。脇役が多いというよりも、その時間の割き方に問題があるのかな。
初回のみならばいいのだけれども、非常に多くて鬱陶しい。大塚寧々の絡みは要らない
んじゃないかなぁと思った。ともさかとどっちかにすべきだったんじゃ…。主役達の部分を
削ってまで押し出すほどの脇役達とも思えない。
なんとなく華麗なるスパイ的失敗の匂いもするけれど、あそこまでは酷くないか


拳銃の殺陣やらアクションシーンとかはあまり気にしない性質なので、
別にどーでもいーかなーと思った。あーいう部分はファンの女の子達を
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n ・∀・)n(・∀・ n)゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!と喜ばすためのシーンだと思ってる(w
嬢王のせっくるシーンで「いや、あの体勢だとちんちん入ってないんじゃね?」とかいうようなものだ(*´・ω・)
ああでも時代劇の剣術の殺陣は余りに酷いと気になることはあるか。


吉高は喜多善男の宵町しのぶっぽいキャラでまあいいか。小栗のキャラもまあいいというか
きちんと演じきってる感はある。両者の演技に違和感を覚えるというよりは設定の問題や間がない
詰め込みすぎな展開に問題を感じた。勝地涼は意外と良い感じであった。その恋人役はあんまり…
東幹久や志賀廣太郎は出てきたけど、ノイズみたいな感じだったなぁ…。
押尾学が捕まってなければ、テコ入れ再放送で「やまとなでしこ」「恋ノチカラ」コンボが炸裂したん
だろうけれども、それは無理だな(w
まあところどころ笑えるところはあったので、もうちょいチューニングされれば面白くなりそうな気が
しないこともないけど…どうだろうか


MADMENシーズン2を観た。フジテレビのサイトがシーズン1の時と比べてかなり手抜きのように
思えるのは気の所為だろうか(w
ペギーが痩せて性格がきつくなっていたり、ドンがちょっと前シーズンラストから
マイホームパパっぽくなっていたり、ジョーンのおっぱおが相変わらず凄かったり、
前シーズン同様、色々とドロドロしていて面白そうな感じだった(・∀・)
まあでもこのドラマ、好き嫌いが分かれるだろうな(w

「人」というものについて考えてみる-2

「人」というものについて考えてみるを書いてから早5ヶ月。
なんで続きを書かないかと言えば……なんかうまく書けないから(´・ω・`)

頭の中にはある程度のモデルみたいなものは出来ているのだけれどもそれを
明確な形で表す文章がどうも出てこない。つまるところ自分の頭の中できちんと
まとまってないということなのだろうけれど。
まあでも無理にでも押し出さないと一生書けない気もするので、無理にでも文章化してみる。
とりあえず要素の羅列でも。正直トンデモ本的論理かな(・∀・)


化学については疎いので、正直、自分でも何言っているのかよくわかってないし、
証明もできないが、人間や生命体云々以前に、
あらゆる物質は環境に対して最適な安定状態への移行を図る
という法則があると考えている。あらゆる物質は環境へ適応すると言い換えてもいい。
具体的には、移行とは結びつきがより強い元素との結合など化学反応などを指す。


生命体の肉体を組成するものは元素であり、当然のことながら元素の法則に縛られる。
一個の塊となった複雑化した元素群である生命体もまた環境に対して内部的に最適な
安定状態への移行をはかる。その仕組みが恒常性(ホメオスタシス)と呼ばれるものと考える。
外部的な環境適応である学習とその応用についてはとりあえずおいておく。
ちなみに肉体の恒常性と元素の法則を結びつけるこの部分の説明は未だに
自分でもしっくりときていない(´・ω・`)


人の心や思考というものは、肉体、つまり物質の上に存在する電気信号的な物ではないかと考える。
正確に言えば変更可能なシナプス結合が本体であり、そこを走る複数の電気信号の演算結果が
人の心であり思考である
と考える。
「心」「思考」を主体、あるいは肉体と関わりなきものと考えるからわかりにくくなるのだと思う。「心」や「思考」を算出する大脳などが肉体の一部であると考えれば、心と肉体が相互に影響しあうのも説明がつくようになる。
「心」や「思考」を算出する神経細胞や神経回路は肉体の一部なので心は肉体に依存するとも表現できる。


人の心が移行しようと望む状態は、一見、人によって様々で異なるもののようにも思えるが、
その個体の身体的感覚、記憶、経験、思考ルーチン、状況を展開してみれば、最終的に
導き出される状態はそれほど絶対的な大きな違いはないと考える。
「個体の身体的感覚、記憶、経験、思考ルーチン、状況を展開」などということは現実には
不可能ではあるが、もしも"そのようなことが可能であれば"人の求める状態は常にほぼ一定と予測する。
その、人の求める状態とは環境に対して最適な安定状態であり、そしてその状態に移行しようとする心の動きを精神的恒常性(精神的ホメオスタシス)と考える。ここで言う環境とは肉体的恒常性における現実世界での環境ではなく、「人」というものについて考えてみるで定義した<(脳内)世界>のことを指す。これ即ち「個体の身体的感覚、記憶、経験、思考ルーチン、状況」が展開されたものである。
この最適化された安定状態のことを「幸福」と呼びたいところではあるが、「幸福」という言葉は
さまざまなニュアンスを持ってしまっているので避けたい。「最適化安定状態」とでも呼ぶべきか。
イメージとしては怒り、苦しみ、悲しみのないノーマルポジション、ニュートラルという感じである。
楽しさ、嬉しさは多少含む程度で、歓喜などの過度の興奮状態は最適化安定状態に回帰すべき
異常な状態と考える。


・物質を作り出す元素、それを形成する更に小さい要素(陽子、電子…etc)、
 あらゆる物質は環境に対して最適な安定状態への移行を図る
・肉体の恒常性は元素などの法則に由来する動き…かなぁ?
・人の「心」「思考」は電気信号の演算結果であり、肉体に依存する。
・おそらく精神的恒常性は肉体の恒常性に由来する動きである。
・精神的恒常性において対象となる環境とは
 「個体の身体的感覚、記憶、経験、思考ルーチン、状況を展開」であり、
 その個体の<(脳内)世界>である。
人の心が求めるものとはその個体の<(脳内)世界>の最適化安定状態と存続である
 おそらくこれは人という生き物の中に組み込まれている普遍原則の一つであると考える。
この原則は最終的には物理法則レベルまで遡るんじゃないかと予測するけれど、
その間を説明できないし、トンデモ本的論理になりそうなのでやめておく(w
前回の<(脳内)世界>と今回の結論、これに自己愛の要素を
合わせて考えていくと、人ってなんだろうか、人格障害・快楽殺人犯ってなぜ生まれるのかが
なんとなく説明出来そうな気がするんだけれども、「自己愛」の把握はある種非常に難しい(´・ω・`)
もっとも原始的なレベルでの価値基準の積み重ねのような気もしないこともないのだけれど。
またしても半日くらいかかった…_| ̄|○