33.二川宿

33.二川宿 (2007.11中旬)
最寄駅はJR二川駅。

7:30頃起床。適当にワイドショー見て8:30くらいにチェックアウトした。
駅に向かう途中にあった看板を見て豊橋はちくわが名産らしいことを知るが、
歯が痛くてどうでもいい感じ(´・ω・`)

第一ホテル、豊橋駅
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二川駅まで190円払って戻る。さっそく旅の続きを再開しようとするも
GPSの調子がおかしくて何回もデータが飛んだヽ(`Д´)ノ
駅前にあった看板

東海道二川宿
古来より交通の要衝であった二川は、慶長六年(一六〇一)、徳川家康による街道整備にともなって宿駅として設置されました。開設当時は二川村と大岩村の二か村で一宿分の業務をおこなっていましたが、正保元年(一六四四)に両村は現在地に移転して、二川村と加宿大岩村となり、東海道五十三次中三十三番目の宿駅として業務をおこなうこととなりました。
 天保十四年(一八四三)には、本陣・脇本陣がそれぞれ一軒、旅籠屋が三十八軒、人口は一,四六八人で、家数は三二八軒でした。
 現在も、、本陣をはじめとして、江戸時代の宿場町としての景観を残しています。

                                  豊橋市二川宿本陣資料館

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駅を出て西へ向かうと「伊良胡阿志両神社道」「右 東海道 豊橋一里半」と
刻まれた道標があった。
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当然のことながら、その時は右の道を行ったわけだが、左の方へ行くと
どこに着くのだろうかと「伊良胡阿志両神社道」でぐぐってみた
( ´・ω・)エ?
ヒットするのはどれも東海道ネタのこの道標のみ。神社自体について書いた記事がない…
「伊良胡阿志」でぐぐってみても同様の結果か、万葉集内の「伊良」がヒットするくらい。
これはなんだろうか?


正直、凄くどうでも良かったのだが、久しぶりに東海道ネタを書くので、もう少し調べて
みようと思い、近くに該当する神社がないかと地図を見た。
一瞬「伊良胡阿志両」神社かと思ったが、おそらくは両方の両だろうと考え直す。
両神社ということは多分二つの神社の名前を合わせて「伊良胡阿志」なのだから
二つに分けることが出来るはずだ。「伊」・「志」の様に1:4、4:1の可能性は低いから
「伊良胡」「阿志」か「伊良」「胡阿志」である。該当するような名前の神社がないか
道標の西側周辺の神社を見てみたが、そんな表記の神社はない。
音ではどうだろうかと考える。万葉仮名なら「イ・ラ・ゴ(コ)・ア・シ」か。
八幡社や神明社はどう考えても違うであろうから除外する。
残るは進雄神社、天伯山神社、天伯神社、高師神社、高師原神社辺り…

どれも該当しないか…待てよ( ・´ω・`)!!
高師(タカシ、コウシ)ならば「胡阿志(ゴアシ、コアシ)」が訛りなどから転じた
可能性もあるかも(`・ω・´)!!!

でも「伊良」に該当しそうな神社がない…_| ̄|○
岩屋観音の「イワヤ」は流石にイラから転ずることはないだろうし…
伊良神社でヒットするのは福井県だし…
近くに火打坂というのがあるので、何か火打ち石やら何やらの絡みでは
とぐぐってみても特にヒットするものもなく。
或いは古墳があったらしいから古語とかで何かあるかとぐぐるも特になし。
火打坂の信号
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いろいろぐぐって行き当たったページで

たしかに二川の山の上から見れば、高くなっているように見えなくもないですが、 まあ、天伯・高師原台地のあたりをさしているのだろうと思います。

 白須賀にも高師山というのがありますね。 お話しのなかで、二川の先の山とおっしゃっていたのと符合します。 高師小学校の高師は、古くは高葦(たかあし)だった、という説もあります。
むかし、昔の「東海道」 - 東海道・鎌倉街道・東海道 -

とあった。
阿志=葦かも(`・ω・´)!!と「阿志」でぐぐる。……あった。
成るほど正確には「伊良・阿志」両神社道か…_| ̄|○
「伊良胡」でぐぐって注意深くみれば、この結論にたどり着けたようだ…
検索文字列は色々試さないと駄目だよね(´・ω・`)

ごせんだらまつり
阿志神社

ちなみに距離はこのくらい離れてる。大山山道とか大井川辺りにあった道標も目的地は
これくらい離れていたな、そういや。 
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火打坂自体は特に大したことなく、ただ、歯痛に悩まされながら進む(´・ω・`)
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火打坂の途中、ガーデンガーデンの所を左折、道なりに。
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この辺は歯痛の所為か余り記憶がないので、また関係ないことを調べてみる。
火打坂の名の由来について

 先ほどお回しした富嶽三十六景の画に、「吉田ほくち」と描かれています。 ほくちというのは、火をつけるための道具のひとつなんですが、 吉田は、そのほくちで有名だったようです。 そのあたりからきているのかもしれません。

 建築では、柱や梁などの隅の部分に斜め45度にいれるすじかいのようなものを、 火打梁といいます。 ちょうど山越えの道に対して、ショートカットする、 斜めにとおっている道だから、火打で、火打坂となった、 という話しを聞いたことがあります。

 あのあたりで、火打ち石になるチャートが採れたから、という説もあります。むかし、昔の「東海道」 - 東海道・鎌倉街道・東海道 -

と上記のページにはあった。
なんとなく後者の方が合点がいくが、実際のところ、どうなのだろうか。
建築用語の「火打ち」や「火打・燧(ひうち)」が着く地名をぐぐってみる。


山だと

燧岳(ひうちだけ) 2356m 福島県
爼(まないだぐら)の東北面に鍛冶鋏みの形の残雪が現れる説、火を吹く山だったことから火打と名付けられ燧の字が当てられた説などがある。
火打山(ひうちさん) 2462m 新潟県
火打ち石が産出されたことによる説があり、燧岳とともに火山に関係すると言われるが不明。
日本百名山 山名の由来

などがあり、火打石、火山、形に関係しているという説があるようだ。


谷だと
京都府南丹市園部町新町火打谷
石川県羽咋郡志賀町火打谷
などがあった。石川県の方は

火打谷から通っていた高校の同級生は「火打石」が採れると言っていました。
火打谷菊桜

という記事がヒットしたのでもしかしたら京都の方も火打石由来かもしれない。

そのうちオバガ谷の奥に「燧谷」があり、そこに「燧岩」という巨岩がある。およそ幅6m×高さ6m×奥行き5mの大きさで、薄い褐色をしている。「燧岩」と呼ばれるのは、これが所謂チャートという石英質の堅い石で、文字通り火打ち石として使われたからである(最近でも、2005年岡山国体の炬火(聖火)の採火にも使われた。)。また、割れるときにはガラスのように鋭い破片になるため、鏃などにも使われた。今も、岩の周囲には細片が散らばっている。
コラム217.金剛童子と燧岩(その2)-岡山市 

などという記事を読むと尚更にそう思えてくる。


火打崎というところでは

 「ひうち」について大言海は二つの定義を示し、まず「(一)火打石ト火打金トヲ打合ハセテ、火ヲ取リ、…」です。このところは柳田著『火の昔』の「火を作る法」の章が適切です。柳田は火打石を稜(かど)石と書いています。カド石は今は方言かもしれませんが、石英の一種で、角を火打金と打ち合わせるわけです。

 次に「(二)三角形ノモノ。(火打袋ノ三角ナルヲ云ウ)」です。古事記の日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征にもあるのですが、昔は火打道具を袋に入れて携帯しました。その袋が三角なので三角形のものを火打というようになったのでしょう。火打崎は「山が平野に突き出した三角形の先端」となります。火打崎(ひうちざき・鶴岡市菱津)-山形県

火打石産出由来と形由来の両方が考えられるようだ。


建築用語では、

2,火打ちは、床組、小屋組などの隅角部に入れる水平補強材で、水平力を軸組に伝えるとともに水平面の変形を防ぐ。図(2)「火打金」というのがある。「三角形の鋼材で、火打石と打ち合わせて発火させるもの」らしい。 火打ちばり、によってコーナーに出来る三角形が火打金の形に似ているから、火打ちということになったのだろう。
(中略)衣服の脇の下にいれる三角布も火打ちというそうである。
役に立たない建築用語辞典

水平の捻れを防ぐ火打ち梁。最近は金物の火打ちも多く使われています。火打ちの語源は火打ち道具(着火具)が三角の形をしており、江戸時代の頃、三角形を火打ちと呼ぶことが多かった。頂上部が三角に尖がった山を火打岳と命名されるのもその所以から。木造家屋の構造

とあり火打道具の三角形の形由来ということのようだ。


建築用語とはちょっと異なるが

「火打」の名称の正確な由来は定かではないが、恐らくは櫓の窓に火打窓(花頭窓:炎のような形状の窓)が用いられたからだろう。

というページがあったので奥が深いなぁと「火打窓」でぐぐったら
「火打窓」ではほとんどヒットしない(´・ω・`)
「火灯窓・花頭窓(かとうまど)」が正しい?これは判断保留


とりあえずこの二つはおそらく関係ない。

上・下火打町(かみ・しもひうちちょう)
町名は、町の山手に火打権現の社があることによる。
大津百町(滋賀県大津市?)

一、当村之中多田院より伊丹・大坂ヘ往来道筋ニ而御座
候、右道筋南山際ニ火打石と申大石有之古跡ニ御座
候、右謂を以火打村と名付申由申伝侯
(原文まま)

続いて、この火打という由来ですが、多田院より伊丹、大阪へ行く街道に火打石という大きな古い石があったのでこの村を火打村と呼ぶようになった・・・と記されています。
街を歩く・・川西市火打(兵庫県)

両者共に他の物に由来した名前と考えられるから。火打権現は愛宕山関係?


ここはストレートに火打石由来らしい。

燧灘(ひうちなだ)は、瀬戸内海中央部、香川県の荘内半島と愛媛県高縄半島の間を占める海域で、四国側を指す。北は備後灘に接する。東西約60 km、南北約40 kmの海域で、一帯はタイ、サワラなどの好漁場として知られる。沿岸地域から火打石が産出したことからこの名がついた。
燧灘


今まで見てきたものはおおまかに言って火打石産出と火打道具の形の
二系統の由来に収められそうだが、ここからはちょっと面白い感じがする由来である。
もう一つの由来系統を連想させる。

飛騨南部の下呂町から東濃北部の白川町、東白川村付近には、焼畑に由来する地名が多く残っています。下呂町に「夏焼」「火打」という集落もあります。
焼畑に由来・捨薙山(岐阜県恵那郡白川町)

火打とは、火打石の山地ではなく吉野川を利用して商売が始まり、その相場とか争いについての様子を火を振って各方面に知らせた。その意味で「火ぶり」から火打野となる。その「のろし」を上げた地点は現在も「火の辻」と云われる地名がある。
火打町 旧跡と伝承(和歌山県)

どちらも煙があがるイメージ。火打=燧であることを考えると

とぶ‐ひ【飛ぶ火/×烽/×
古代、外敵襲来などの異変を知らせるために、火を燃やし、煙を立てた施設
デジタル大辞泉の解説

》sui
(1) 火打ち石:
[~石]同前.
(2) のろしexcite中日辞書

とある。あくまでも想像の範囲を越さないけれども「狼煙・煙火」という第三の由来系統が
「ひうち」にはあるのかもしれない。火山の噴煙、火打櫓、ここにはあげなかった燧ケ城
岐阜の火打坂(火打峠?)もこの第三の系統に入れると合点がいきそうな感じがするけれど
どうだろうか(・∀・)?

まあ、東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1)の注釈に

東海道名所記、
三「燧坂、此坂の内に、火うち石あり」

とあるので、ここは火打石由来だろうけれども(w


最後にこれはさすがに関係ないと思うのだけれども、

中世には岩屋村の全体か一部か(一区画の土地をいうのか、西国街道上の立場茶屋で賑わったことによるのか)が「火打町」と呼ばれていた。火打ち石を産出するところではないかとする推説もあるが、記録はない[2]。川西市の火打、多紀郡火打岩村(現・篠山市)の様に地名に「火打」が付くにもかかわらず火打ち石が出たという記録のない例はここだけではない。
岩屋 (神戸市)

岩屋で火打かぁ…(・∀・)


途中にあった「旧東海道のクロマツ跡」
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その後、道なりに進み、中央分離帯で東海道を分断する31号線を越えて吉田宿側へ。
関係ないことに注力しすぎて疲れた…_| ̄|○ 
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