年: 2009年

テレビドラマ 12月2週

仁 10話を観た。今回は咲の仁への思慕がメインの回だったので、
個人的にはあんまり面白くなかった(´・ω・`)

なんか音楽も変だったり、画面が明るすぎたり。
綾瀬はるかは熱演していたんだけれども。

終盤の竜馬暗殺辺りから盛り上がってきたけれど
最終回はどうなるんだろうか(・∀・)


不毛地帯 9話を観た。
おんぶシーンは良かったけれど、前半、話が飛びすぎて、ちょっといまいち。
鮫島の子供と結婚するから一悶着あると思ったのに、なんにもなかった。
ミラクルは話にもうちょい関わってくるのか、それともチョイ役なのか気になる。

里井(岸部一徳)と大門(原田芳雄)の最後のやりとりや紅子と鮫島のシーンは
面白かったけど、紅子の壱岐への色恋沙汰はちょっと…
やっぱり天海祐希は男っぽい女の方が似合ってるな(w

遠藤憲一は来期の日9にも出るのか。


坂の上の雲 第三話を観た。一時間だけ観た(´・ω・`)
残り30分は再放送まで待たねば

やはり本木雅弘、香川照之、菅野美穂三人のシーンが一番ほのぼのしてて好きだ(・∀・)
貴重な伊東四朗が死亡。・゚・(ノД`)・゚・。

途中、汚いケツ見せんなヽ(`Д´)ノってシーンがあったがよくよく考えてみれば
NHKは相撲でケツを中継するのには慣れてるな(w


ドクターハウスは今回も面白かった。
ステイシーとヨリ戻すのかと思った。
ハウス、ボールを返せヽ(`Д´)ノ

鼻兎

今は亡き、ヤングマガジンアッパーズにて連載されていた不条理系漫画。
作者・小林賢太郎氏が組んでいるラーメンズのコントについてはよく知らないが、
この漫画は気に入って購読していた。


優しいんだか酷いやつなんだかよくわからない鼻兎、
鼻兎の意地悪されるもなんだかんだでいつも一緒に居る犬の「いぬ」、
元はお金持ちに飼われていた物売りの猫の「ニニコ」、
その他の鼻兎を取り巻く人々の日常が描かれている。

正直、凄く笑えて面白いかと言えば、そうでもない。
お誕生日の話とかニニコの過去の話などなんかもの哀しいような回が好きだった。

ヤングマガジンアッパーズ休刊に伴ない、終わってしまった。また何処かでやりそうな感じの
最終回だったので期待して待っていたが、未だに再開はしていないようだ。

35.御油宿

35.御油宿 (2007.11中旬)
最寄り駅は『新版・完全 「東海道五十三次」 ガイド』によれば
名鉄名古屋本線・国府駅。国府津と一緒で"こう"と呼ぶのか。
wikiで国府を見てみると、"こくふ"と呼ぶ地名もかなりあるみたいだ。


速須佐之男神社
本当にスサノオ絡みの神社は多いなぁ(・∀・)
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豊川市に突入ばんじゃーい∩(・∀・)∩
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放し飼いの鶏に遭遇。
庭には四羽の鶏が…あれ(・∀・)?
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白川に架かる五六橋を渡る。
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む( ・´ω・`)!! 何か居る!!
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逃げられた(ノ∀`)白鳥ではないけれど、この近くの地名が白鳥だったので
なんだか白鳥を撮り逃した気分(w

  何かしら とり逃したる あの鳥は 口調が なぜか女言葉に
東海道中膝栗毛を読んでるとつまらなくてもいいから言葉遊びしたくなる(・∀・)フシギ


五六橋の南の方にも裏五六橋という橋もあり、面白そうなのでぐぐってみたが、
地名の由来はヒットしなかった。豊川市の地誌とかを当たらないと駄目なのだろう。
岐阜の五六川橋の名は五六川に架かっているからであり、その五六川の名の由来は

河川名は中山道で川を渡ったところに美江寺宿があり、日本橋から56番目の宿場であることが由来となっている。

ということらしい。

三重県松阪市の五六橋は

この大日如来の霊験に感謝し、斎藤五六兄弟が架けたという五六橋が門前に(忘れ井の里を旅する
平維盛の子六代は日川に隠れ住んでいました。六代が病にかかり家来の斎藤五、六兄弟は、清流寺(現在の西方寺)に祈願をしました。その後六代の病は完治し、五六橋と名付けられ、西方寺に残る欄干は、五六橋の欄干であると伝えられています。
西方寺の五六橋

ということらしい。六代……逗子に墓がある六代御前絡みかΣ(゚∀゚;)

愛知県豊田市の東海自然歩道にも五六橋はあるらしいが由来は不明。
寧比曽岳(1121m)~富士見峠~五六橋~段戸原生林~段戸裏谷

兵庫県芦屋にあるゴロゴロ橋は

「ゴロゴロ(五六五六)橋」であろう。
 なお、付近には「ゴロゴロ岳」といった山があり、標高が565.6mであるから語呂合わせでこのような名称になったらしい。(1240 ゴロゴロ橋(ごろごろばし) ※なんか色々あったみたいで、ページ閲覧が出来なくなっていた(´・ω・`)

とある。これは非常に新しい地名のようだ。

案外、

ご‐ろく【五六】

1 双六(すごろく)やさいころばくちなどで、2個のさいの目が五と六と出ること。
2 5寸角、6寸角のような、太くしっかりした材木。
3 縦が六幅(むの)、横が五幅(いつの)の、三畳間につる蚊帳。

材料由来や流されないように願掛けとしての2.かも。
或いは3.みたいな感じで長さと幅由来もあり得るか。
まあ寄り道はこれくらいにして(・∀・)


この辺は特に何もなし。工業地帯なのかな?
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GPSの軌跡を見ると31号線はそのまま渡れずに一度、
1号線の方に行ってから渡ったようだ。

あきば書店(´・ω・`)?
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白鳥5丁目西のところで1号線に合流。名古屋まで62…kmだと…( ;・´ω・`)ゴクリッ
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白鳥5丁目を通過、国府町藪下で374号に。
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半僧坊大権現、秋葉山常夜燈
半僧坊って鎌倉にもあったな。えらい高いところにあって息があがった(´・ω・`)
そのまま天園ハイキングコースに行った記憶がある。
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道やら観音様?やら
良く見ると右のお坊さんらしき人は独鈷杵(三鈷杵?)みたいなのを持ってるな
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八平次……誰だろうか(´・ω・`)?

豊川市国府町では「はっぺい様」と呼ばれていた方の記念館です。(八平次記念館八の蔵

ふーむ、なんかそういう人がいたんだな。


大社神社、一里塚跡、常夜灯
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姫街道(ひめかいどう)とは、江戸時代以前の徒歩時代における、主要街道の別ルートの一部に対する呼び名。(姫街道

姫街道ってここだけの名前じゃないんだ。へー(・∀・)


368号を横断し、音羽川に架かる御油橋を渡る。
ちょっといい感じの場所だった。
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そういえば途中の川原や松並木のとこで女の人が歩くシーンを撮影していたが、
あれはなんだったんだろうか(´・ω・`)?
AVではなさそうだが、カラオケの意味不明映像だろうか?
撮影スタッフの中に業界人ぽいセーターの羽織り方をしている人が居てわらた(w
あれは目の前で見ると凄くダサイ
やっぱり何ごとも※ただしイケメンにかぎる だな(´・ω・`)
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道は狭かったけれど、それほど車は走っていなかった。
まあ時間帯の問題かもしれないけれど。
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ベルツ花夫人ゆかりの地
ベルツ花夫人は、東京の神田で一八六四年に荒井熊吉とそでとの間に生まれ、江戸・明治・昭和の時代を生きた、御油とはゆかりの深い女性です。
 明治新政府がドイツから招いた日本近代医学の祖と言われるベルツ博士と結婚し、日本とドイツで暮らしました。
 一九〇五年に任期を終えた博士とドイツに渡りましたが、博士が亡くなったため一九二二年に帰国し、一九三六年七四歳で亡くなりました。父親の熊吉の生家が御油宿で戸田屋という旅篭を営んでいたのがこの場所です。

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旅先でちょっと見した時は唐人お吉のような悲しいお話かと思ったけれど、
普通に幸せに一生を送ったみたいだ。

ベルツ花(ベルツはな)とは
エルヴィン・フォン・ベルツ


問屋場跡やら本陣跡
いがやの中に弥次喜多人形らしきものが見える
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御油の松並木。中々立派な感じだった。
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御油児童遊園でしばし休憩した。
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東海道中膝栗毛での御油赤坂のくだりを書いた看板、
赤坂宿側から撮った御油の松並木
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この松並木を抜けると赤坂宿らしい。

34.吉田宿

34.吉田宿 (2007.11中旬)
ガイドブックによると最寄り駅はJR豊橋駅東口から市電に乗り、
二つめの停留所「札木」とある。

一里塚跡を華麗にスルーしてしまった模様。
1号沿いを道なりに北上。正確には北西方面か。

東八町交差点にて市電に遭遇。なんか新鮮(・∀・)
まあよくよく考えてみると江ノ電も街中を走ってるから、
それほど珍しい光景ではないのだけれども、
なんだかこちらのほうが周りが広々としてて見てて気持ちがいい。
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東惣門跡
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交差点から左折右折左折を繰り返し、鍛冶町から曲尺手町へ
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左折右折で札木町
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問屋場跡、本陣跡
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ここは江戸時代、清須屋東隣に江戸屋の二軒の本陣がありました。本陣とは各宿駅に置かれ、街道を往来する大名・幕府役人・宮家・公卿など身分の高かった人達が宿泊したところです。享和二年(一八〇二年)の書上によると東海道吉田宿には、本陣二軒・脇本陣一軒・旅篭六十五軒があり、ここ札木町あたりは宿の中心部として最もにぎわったところでした。


なんじゃわれぇ(#Φ∀Φ) って顔してた。
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札木通りをそのまま西進。松葉公園にてしばし休憩
トイレもあったような気がする。子供を遊ばせる奥様方やら高齢者が日向ぼっこしてた。
いつの間にか東海道ルネッサンスの絵が呑気そうな家康になってた。
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松葉公園から道を北上。湊町で左折。
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496号を右折して、神明社を過ぎる。
神明社は湊町公園とつながってるのか。
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豊川にかかる豊橋を渡る。
豊橋市の地名の由来となった豊橋ということらしいが、これも豊川に架かっているから
豊橋なのであろうことを考えると全ての始まりはこの川なのか。
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豊橋を渡ってすぐ左折して387号を進む。
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豊川稲荷遥拝所…あ、豊川って豊川稲荷の豊川か( ゚Д゚)ハッ
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稲荷神社としては京都の伏見稲荷大社を総本山としているが、豊川稲荷は神社ではなく寺であり、上述したように、信仰対象は稲荷である部分もあるものの、伏見稲荷とは同一ではなく、別格本山である。(豊川稲荷

なんか面白そうな話がありそうだなぁ(・∀・)
遥拝所で検索してもヒットしない。遥拝の意味が

遥拝 (名)スル
遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと。
「畝傍山右手に見ゆ車上ながらも―し奉りて/千山万水(乙羽)」

ということなので、そういう為に設けられていた場所ということか。


いつの間にかに387号から496号に。
途中、道をちょっと離れたところに水神社があったようだ。
やっぱり水害が多かったんだろうなぁ。
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江川に架かる鹿管橋を渡る。
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懐かしのテレホンカードの看板、祠、なんかの碑?
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豊橋魚市場
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豊川放水路に架かる高橋を渡り、小坂井町へ。
この橋の辺りは道が狭いわりに車が多く、凄く危険ヽ(`Д´)ノ
まあ、こんなところ徒歩で歩くな、ばーやばーやヽ(`Д´)ノってことなんだけども
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ここは兎にも角にも道が狭いイメージだけが残った。
箱根宿、二川宿と並ぶ歩行が大変なところだった。
思い切り1号線と平行してるからか。
常夜灯やら祠やら観音様やら?
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伊奈村の立場、迦具土神社、伊奈一里塚跡

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迦具土神社って前にも見かけたような、見かけてないような…("・ω・゙)

火之迦具土神(ひのかぐつち)
迦具(かぐ)は、「かか」と同様「輝く」の意であり「かぐや姫」などにその用法が残っている。また、現代語の「(においを)かぐ」や「かぐわしい」に通じる言葉であり、ここでは「ものが燃えているにおいがする」といった意味とする説もある。土(つち)は、「つ」と「ち」に分けられる。「つ」は現代語で「私の本」と言う時の「の」に相当する古語である。また、「ち」は、神などの超自然的なものをあらわす言葉である。
まとめると、火之迦具土神とは、「輝く火の神」一部の可能性として「ものが燃えているにおいのする火の神」といった意味がある。
信仰
火の神、鍛冶の神として信仰されており、秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市)を始めとする全国の秋葉神社、愛宕神社、野々宮神社(京都市右京区、東京都港区、大阪府堺市ほか全国)などで祀られている。また島根県安来市の意多伎神社(おだきじんじゃ)もこの神との関連の指摘がある。
カグツチ

秋葉神社も愛宕神社も一緒なのか。
なんか調べれば調べるほど面白いな、地名や宗教は(・∀・)
Webでは限界があるけれども。


この辺りから御油宿らしい。