月: 2011年6月

中山道をちょっと歩いた

埼玉の方で夜間の作業があり、徹夜明けの状態で中山道をちょっと歩いてみた(ノ∀`)


今までの人生において埼玉の方に行ったことは数回もなかったので、こういった機会を利用して徒歩範囲や駅周辺の把握をしようと思い、出かける前に色々と調べておいた。

本当はさいたま新都心?あたりでも眺めようかと思っていたが、どうやらオフィス街やらスーパーアリーナくらいしかないと聞いたので、次善の策として中山道の南下をしてみた。まあ全然次善の策じゃなかったのだけれども、東海道を歩いた身としては"中山道"という名前の魅力には勝てなかった(ノ∀`)


夢たまとかいう謎のオブジェクト。ろうきんの前にあったんだったかな?
スライムに見えないこともない。


徹夜明けで27kmは無理だろ(´・ω・`)
取り敢えず東京都まで行ければいいかな。


二度栗下って変な地名だと思ってたら、二度栗山というのがあって、それにちなんだ地名なのか。また(√‐|‐)コーホー大師の仕業か( ・´ω・`)

1200年ほど前、弘法大師空海さんが関東を行脚中にこの地に立ち寄り、子ども達に栗を所望したところ、子ども達が手のひらいっぱいに栗を差し出し、これを喜んだ弘法大師が栗の木に祈りを捧げると毎年ニ度、栗が実をつけるようになった事から二度栗山と呼ばれるようになったそうです。
(弘法尊院(二度栗山大師)「弁財天」)


浦和合同庁舎とえらくレトロというか昭和な駅舎な北浦和駅。


浦和宿石橋と供養仏

常盤9丁目の交差点の三角地点に高さ95.5センチメートルの小さな石造物があります。これは、江戸時代の宝暦12年(1762)、新しく造った石橋と、修理を行った道路が、末永く守護されることを願って立てられた供養塔です。
文化財紹介 浦和宿石橋と供養仏

供養塔って何だべ(´・ω・`)? とぐぐってみると、石橋供養塔やらの単語でヒットする。

石橋を造るには費用も嵩んだと思われるが、その石橋が長く無事であることを祈願して石橋供養塔が建てられた。 庚申講が石橋を架けるのを助力した場合もあって、庚申塔に石橋供養の銘を刻むものがみられる。 多摩地方の場合、以下のように、参考の塔を含めて8基ある。
(石橋供養と庚申塔)

そして石橋供養塔ってあちこちで見ますが石橋の安泰と、通行人の安全を願ったものなんですって。
(石橋供養塔って)

右側面に「小沢忠右衛門」や「講中」などの文字を刻むこの供養塔は、橋の安全や道を行き交う人々の無事を祈って建てられたものです。石橋をかけるには大変な資金と労力を必要としましたが、それにもかかわらず進んで供養塔を建てたのは、仏教でいう作善
さぜん、つまり善を施すことが仏の道に適うと考えられていたためです。
(石橋供養塔)

石橋の安泰や旅行者の安全の祈願、架橋時の労災等の犠牲者の鎮魂などが目的らしい。


なるほどと思うも、ここで一つの疑問が。東海道中に石橋供養塔なんてあったっけ?
ぐぐってもヒットしない。上記ブログ等も含め埼玉・多摩の武蔵野辺りと
 2007/10 石橋供養塔と橋供養塔(岩手県宮古市)
 橋供養石について(岡山・群馬)
 備中原の橋供養塔(長野)
 知原橋供養塔(岐阜県)
 広瀬橋 (仙台市)
辺りにあるらしい。中山道や東山道の方に存在するものなんだろうか?

第8回 埼玉県の橋供養碑 ~ 分布一覧と考察の説明を見ると、

埼玉県の石橋供養塔は、利根川や荒川などの大河川の近傍ではなく、その周辺の川幅10m以下の中小河川や農業用水路の付近に分布している。

自然条件(地形や地質)が、アーチ橋の架橋に適すると思われる秩父郡や児玉郡などの山地・丘陵地帯での石橋供養塔の分布数は極めて少ない。つまり、埼玉県の石橋は九州地方の 石橋とは架橋地点が明らかに異なり、低平地の小河川(用水路)に建設されている。
さらに筆者が武蔵国郡村誌から集計した約1700基の石橋(明治9年の時点で埼玉県域に存在したと記録されている橋のみ)の平均規模は、長さ2.7m、幅1.9mであった(注4)。
 これらのことから、江戸時代に埼玉県に建設された石橋は、そのほとんどが極めて小型(1スパン又は2スパン)であり、形式は桁橋だったと推定される。

とあるように、小さい石橋がほとんどだったらしい。

東海道でも大きい川以外だったら石橋が普及しても良さそうな気がするけれども、どうだったんだろうか。石橋自体はあったけれども石橋供養塔というものは流行しなかったということか。

その地方に定着していた宗派や作善思想が関係しているのか、それとも石橋が禁じられていたりしたんだろうか。色々と謎だ。


埼玉りそな本部らしい。

近くの歩道橋がなぜ鉄網で…((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル


NHKさいたま放送局。

周りにさいたま市役所、消防署、警察署、税務署などがあった。
さいたま市の中心なのか。でも前に行った大宮と比べると都会感が薄い。
パルコとか伊勢丹があるんだけれど、なんか都市の規模が小さく感じる。
浦和がつく駅は沢山あるから面積では浦和の方が上っぽいけれど、どうなんだろう。
商業施設が各駅に分散してるのかな。

100円ローソンで飲料水とTシャツをゲット。
17号沿いに100円ローソンが3、4軒あった。埼玉には沢山あるんだな。


蕨市突入。この辺りからWX340Kで撮影したので写真が小さい。

※以降の画像データは喪失した(ノ∀`)

見たことないレストランがあったので撮影。ちょっと不気味やで(・∀・)


東海道では弥次喜多だったけど、中山道では旅烏なのか


北町交番から旧中山道に入った。
交番の後ろのふれあい広場にはからくり時計などがあった。


景観建造物など


板橋までまだ8km以上あるのか_| ̄|○


民俗資料館や里程標


ついに戸田橋の途中で東京に突入(`・ω・´)
足が痛くて小休止しながら進むようになる。


志村坂下辺り。埼玉は何処まで行っても平地だったのに、
足が疲れてきたこの頃になって上り坂だと( ;・´ω・`)ゴクリッ
まあゆるやかな傾斜だったけれども。変な銅像やらキリンやら。
途中のオリンピックで飲料水を補充してTシャツを着替えた。


この辺りでぽんぽんぺいんにてゆっくり進む。旧中山道に入りそこねて、
板橋を見逃す。これは新板橋らしい。


コンビニでトイレを借りてすっきりする(・∀・)
先へ進むと一本奥の道に銭湯らしきものを発見。お金ないけど入っていくかと
そちらに向かったが定休日らしかった…_| ̄|○

仕方なく左手の広場らしきところのベンチにて休憩。よくよく見ると板橋宿を
説明する看板が。ここが板橋宿かΣ(゚∀゚;)

ベンチに座ってウトウトしたり。雨が降って来たけれども傘を差してウトウト…。


雨が降ったり止んだりする中、出発。一里塚発見! なぜか興奮したw
巣鴨信用金庫の志村支店だったかな?妙にカラフルだったw

西巣鴨辺りでニュー椿という銭湯に入る。
入浴料450円、お風呂セット230円だった。
湯船も5種類くらいあったので、前に行ったスーパー銭湯よりはるかに安い(・∀・)
まあ、あれはお風呂セット付きで最寄り駅まで送迎バスあり
だから単純比較すべきではないけども。シャンプーとかも備え付けだったし、
ドライヤー3分20円とかなかったし。

眼鏡を外すと全く見えなくなるので確証はないが、
刺青を彫っている人がいたような気がしたw 

すっきりしたが、すぐに汗だらだら(・∀・;) マアショウガナイ


これどこで撮ったか正確には覚えていないが、
なんか表情にイラッときたので撮影しておいたw


なんか観音様があった。とげ抜き地蔵が道の向こうに。JR巣鴨駅前の石碑。

日本橋までの8kmは無理でも秋葉原までは行こうかと思っていたけれど、
体力の限界を感じ、ここで終了した。すごく疲れた。


家に帰った後、マップルで調べてみたら総距離約21kmだった(ノ∀`)
そりゃ疲れるはずだ。まあでも徹夜明けということを抜きにしても、
異様に歩く速度が落ちている。運動不足を解消しなければ…。

埼玉西部に山岳地帯はあるんだろうけれども、今回の踏破行では
イメージ的に平地という印象がついた。また機会があれば、ちょっと歩いてみようかな。