カテゴリー: その他

OAuth

OAuth(オース)ってなんだべ(´・ω・`)?

OAuth は、ブレイン・クックとクリス・メッシーナが始めたオープンプロトコルであり、デスクトップ、モバイル、WebアプリケーションなどにセキュアなAPI認可 (authorization) の標準的手段を提供する。(OAuth

んー、よくわからない(´・ω・`)
余計なところを端折っていくと「セキュアなAPI認可の標準的手段を提供する仕組み」…?
まだあれか。secureが「安全な, 危険のない 」だから「安全なAPI認可をする仕組み」かな?


API認可ってなんだべ(´・ω・`)?
ってぐぐってみたがこれズバリのヒットは見当たらなかった。
OAuthを解説してるページによれば

OAuthは,以下の特徴を持つ「認可情報の委譲」のための仕様です。
・あらかじめ信頼関係を構築したサービス間で
・ユーザの同意のもとに
・セキュアにユーザの権限を受け渡しする(ゼロから学ぶOAuth

そもそもOpenIDはIDの持ち主が本人か確認する「認証(Authentication)」情報をやりとりするためのプロトコルであり、OpenIDプロバイダで認証されたIDがどのリソースにアクセスできるかといった「認可(Authorization)」情報については一切関与しない。(APIアクセス権を委譲するプロトコル、OAuthを知る

認証(Authentication)
そのユーザーが自分の物であると主張するIDに対して、そのIDが確かにそのユーザーの物であるということを保証すること
認可(Authorize)
認証されたIDを受け入れ、サービスに対して適切な権限を与えること
(第1回 仕様から学ぶOpenIDのキホン)

とあった。API認可=APIへのアクセス権の認可ということか。
全然違うけど、OpenIDは入場券でOAuthの方は乗り物券みたいだ(・∀・)


解説ページを読み進めるとこの仕組みは、

OAuthには,大きく分けて3つの登場人物がいます。1つ目はOAuth Service Provider(以下Service Provider)と呼ばれる,ユーザの認可情報を第三者に渡すサービス。2つ目はOAuth Consumer(以下Consumer)と呼ばれる,Service Providerから認可情報を受け取り,ユーザに代っていろいろな情報にアクセスしたり変更/追加を行ったりするサービス。3つめが,Userです。UserはService ProviderがConsumerに認可情報を渡すことを許可したり,すでに受け渡した認可情報を無効にするといったことができます。(ゼロから学ぶOAuth

とある。
Service Providerが「ユーザの認可情報を第三者に渡すサービス」というと何か混乱してくる。
他のサービスを提供せず、"認可情報を第三者に渡す"部分のみに特化して独立的に存在
するのだろうか。
それともあるサービスを提供していてそれと付随または一体化して存在しているのだろうか。
ちょっとわからないけれど実装によるということなんだろうか。


まあ「ユーザーが利用している複数のサービス間で、利用対象サービスのAPIを
他のサービスから安全かつ簡単に利用できるようにするための仕組み
」みたいな感じで
覚えておけばいいかなぁ…(・∀・) 「ユーザーの同意のもと」とか、「サービスプロバイダと
コンシューマの間で事前に信頼関係を構築」というのも厳密には必要なんだろうけれど。
特に自分でOAuth対応プログラムを組まない限りはリクエストトークンとかアクセストークンやら
その辺のことはそんな感じで実現してる程度の知識でいいかな。


でもこれって認可するAPIの設定が甘々だといずれ大変なことになる
んじゃないんだろうか(´・ω・`) 今のところはスパムくらいだけれども…
「OAuth」とは 日本のユーザー襲った“Twitterスパム”の正体 (1/2)
これはどうなんだろうか((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
twitter の OAuth で思ったより豪快に認可してしまっている件

「人」というものについて考えてみる②

正直、あんまりまとまってないけれど、人間は何があるかわからないから書ける時に断片でもいいから書いておこう(・∀・)
「人」と「幸福」について考えてみたい。


幸福って何だべ(´・ω・`)?

幸福(こうふく、Happiness)とは、自ら満ち足りていると感じており、安心している心理的状態のこと。
幸福は極めて主観的なものである。恋愛に例えれば分かりやすいが、個人・個性の数だけ価値観があるが、あくまでも本人の主観的な価値観によって、本人が満ち足りていると感じている心理状態をいう。
客観に外形的様式として所定の状態があるわけではない。また、幸福度を数値化(定量化)することも出来ない。例えば、本人以外の誰かには “幸福ではない”と見える状況にいるとしても、その評価はあくまで観察者の主観におけるものであり、その状況を当人が幸福だと感じていれば、それはまさしく幸福である。(幸福

幸福
現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。しあわせ (Bookshelf)
幸福
不自由や不満もなく、心が満ち足りている・こと(さま)。しあわせ。 (幸福

とある。英語のhappinessだと満足とか喜びの状態だから、意味は大体一緒っぽい。まあhappinessは幸運の概念も含んでいるのかな?



金があったり女の子にもてたり社会的に成功したりか?
まあ取り敢えず、それはある種の幸せな状態かもしれない…
人によってその対象や目的は違うにしても、その望むモノを獲得・達成すること、
個体レベルで利益を得ることが幸せであり、人がその状態に移行する為に
行動するというのは取り敢えず合点がいく。
でも金や名声がある状態以外を目指す行動がある。贖罪や謝罪など。
あれはその個体レベルから見ればマイナスだなぁと。
そうすると「人は幸せになる為に頑張る」という定義が間違っているか
「幸せ」の定義が間違っていることになる。或いは例外条件や限定条件を
付さなければ成立しないなあと。
贖罪や謝罪は何の為に行われるのか?


自分の中の超自我なりルールなりが非・悪とする好ましくない行為をし、それを認めた時に人は罪の意識・超自我・ルールに苛まれる。これを軽減する為に人は贖罪や謝罪を行う。


おじさん、文系だったからあんまり化学とかわからなかった。なんである物質が化学反応を起こしてより強く結合した物質になのかが。電気が流れるのかも。なぜ自由電子が移動して平衡状態になるのかも。
まあでも世界の法則に従って、物質は環境にもよるが、より安定した状態へと移行するものなのだろうと。
なんてことを考えてて閃いた(`・ω・´)
人間の幸せってやつもそんな感じで個体レベルでの正方向・負方向関係なしにその個体の内面においてより安定した状態が幸せなのかと。

スペランカー

現実逃避的にゲームプログラミングをしている今日この頃。
タイトル画面を作ろうとして、ふと気づいた。
タイ…トル…だと( ;・´ω・`)ゴクリッ


8~9年くらいに前にゲームをVB6.0で作ろうとしていた当時も何にしようかと悩んだ記憶がある。
そもそも主人公キャラの名前は何にするかも決まってなかった。

名無しもまずかろうと適当につけた名前がPopo。
そしてタイトルも「Popo's Strange Adventure」とか
「Popo's Adventure」にでもしようかと。
まあなんでそんな名前を仮タイトルをつけたかといえば、
スペランカーちっくな冒険ゲームを作りたい
         ↓
「~の冒険」とか「~・アドベンチャー」ってタイトルでいいか
         ↓
ちょうどその頃にジョジョ三部を読んでいたこともあって、
なんとなく名前も「A~・A~」で通称AAみたいな感じがいいなぁ(・∀・)
         ↓
グラフィック担当の友達と共通の友人の家に遊びに行った時に
二人がDCかなんかのジョジョゲーをやっていて、ホル=ホースのスタンドが
凶悪すぎたのが印象に残った
         +
Popo自体もスペランカーのマシンガンみたいに銃攻撃をつけようと思っていた。
         ↓
ホル=ホースも縮めれば「ホホ」だヽ( ・∀・)ノ
         ↓
でも「ホホ」はなぁ…そうだ、「ボボ」はどうだ(`・ω・´)!!
         ↓
九州の人にはエロゲって思われちゃうよね(*´・ω・)
         ↓
じゃあ「ポポ」だな(・∀・)
名前の方はポール=ポーンとかでいいや
(pawnさんて姓の人はいないかもしれないけど)
というようなことだったなあと思い出した。


さて本題。スペランカーてなんだべ(´・ω・`)?

『スペランカー』 (Spelunker) は1983年にマイクロ・グラフィック・イメージ社よりATARI-8bitプラットホームにて発売されたアクションゲーム。主人公を操り迷宮の最下層を目指すサイドビューのアクションゲーム。日本以外ではATARI-8bitプラットフォームの他、コモドール64にも移植された。
日本ではアイレム(現アイレムソフトウェアエンジニアリング)がライセンス販売を行い、1985年12月7日にファミリーコンピュータ用ソフトとして発売された。(スペランカー

とある。


このゲームはゲームの下手だった自分には余りにも難しく、
余り楽しんだ記憶がないのだが、何故か大好きだった(・∀・)
考えてみれば当時から貧乏だったので友達の家でやらせてもらうしかなく、
それでいて下手という過去の悲しみが強いスペランカー風ゲームを作りたいという
思いにつながったのかもしれない(`・ω・´)
関係ないけれど、ファミコンを初めて友達の家でやらせてもらっていた頃、
スーパーマリオとかで腕とか体が動いていたな(*´・ω・)
パソコン初心者の人達のマウス操作のエピソードとか笑えないじゃん、俺(w


まあそんなことはともかく、

タイトルの「スペランカー」とは「無謀な洞窟探検者」を意味する。なお、十分な知識や装備を持った上で洞窟探検を行う者は「ケイバー」と呼ばれ、特に海外ではスペランカーとは厳密に区別される。(同上)

取り敢えず洞窟探検界ではそのように区別されてるのか。


caver UK
noun [C] (US spelunker)
a person who walks and climbs in caves as a sport (caver

spelunker
☆ spe·lunker
a person who explores caves as a hobby
Etymology: < obs. spelunk, cave (< ME spelunke < L spelunca < Gr spēlynx, akin to spēlaion, cave) + -er (spelunker

ギリシア語で”洞窟”を意味する言葉から来てるのか。

━━ n. 〔米〕 アマチュア洞穴研究家.(Spelunker

オンライン辞書とかを見る限りでは英米の違いだけのような気もしてくる。どっちも趣味やスポーツで洞窟を探検する人と説明されてる。まあ厳密にってあるからやっぱ違うのか。
まあ、あの死亡率はアマチュアだからしょうがないなと納得は出来る(w


もう一つcaver,spelunkerの類義語としてpotholerというのがあるようだ。
potholeってなんだべ(´・ω・`)?

pothole
━ 【名】【C】
Ⅰ (車などによる舗装路面の)くぼみ.
Ⅱ 〔地質〕 甌穴(おうけつ) 《河床の岩石・氷に水が掘ったつぼ状の穴》.
━ 【動】【自】 《英》
甌穴[洞窟]を探検する.                 (BookShelf)

pot·hole [ pót hl ]
1. hole in road: a hole in the surface of a road
2. vertical hole in limestone area: a vertical deep hole or shaft formed naturally in limestone regions by the erosive action of running water
3. hole in river bed: a bowl-shaped hole in the bed of a river or stream, formed by the abrasive action of stone, gravel, or ice being churned in an eddy
4. Western U.S. patch of mud or quicksand: a patch of deep mud or quicksand in which cattle might be bogged down or sink
pothole

limestoneて、石灰岩のことなのかΣ(゚∀゚;)
まあそれは措いておいてpotholeというのは甌穴とかいうものらしい。

甌穴
甌穴(おうけつ、かめあな)とは河底や河岸の岩石面上にできる円形の穴。ポットホール[1](pot hole)、またはかめ穴ともいう。
河底や河岸の表面が硬い場合、表面に割れ目などの弱い部分があるとそこが水流による浸蝕のためにくぼみとなる。このくぼみの中に礫が入ると渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた円形の穴に拡大する。その後川底が侵食の影響で下がり、甌穴のできた場所は水面より高くなる。その結果、甌穴が地表に見られるようになる。
穴の直径、深さとも数cmのものから数mのものまでその姿はさまざまである。底に磨耗した小石が残っているものもある。有名な甌穴として寝覚の床や長瀞渓谷(ながとろけいこく)の岩畳がある。また甌穴は、昔その場所を川が流れていたことを示す、重要な手がかりとなる。
甌穴

甌穴はpotholeの3の意味だけしかカバーしないのかな?


上記3つとは別物のように書かれていたのはspeleologist

speleologist
━━ n. 洞窟探検家(speleologist
speleology
━━ n. 洞窟学; 洞窟探検.

学術的な探検家ということかな?wikipediaにもリンクがある日本洞窟学会みたいなところの人がそうなのか。でも探検家というよりは調査隊的なイメージだな(w


かつてのように世界が分断されたまま、主に西欧社会側から見て未知の領域が多かった時代ならば探検家や冒険家という職業というか英雄は存在し得たのだろうけれども、現代のように大まかに世界というものが分かってしまっていると最早その存在は有り得ない。
太平洋横断やエベレスト登頂は確かに凄いし「冒険・探検」ではあるけれど、やはりかつてのような自分の属する世界にとっての未知を解き明かす・未知の宝物(動植物など)を持ち帰るという「冒険・探検」とは別物である。
今の世界が滅びずに100年後くらいに本当の宇宙時代が来たら、再び冒険家・探検家たちの出番は出てくるだろうか(・∀・)?その時代まで生きていられないのがちょっと残念ではある。


そういえばやったことないけど、似てるような似てないようなゲームとして
スーパーピットフォールってあったな。

探検家のハリーが財宝を求めて地底探索の旅に出るが、さらわれた姪とペットの猫を同時に救出するのがゲームの目的。
画面はサイドビュー4方向任意スクロール。
ハリーは短銃を所持する。弾数に制限があるが、地底内で補充可能。
ハリーはどんなに高いところから落ちてもミスにならない。

( ´・ω・)アレ?
俺が作ろうとしているのって、実はこっち系( ;・´ω・`)ゴクリッ?
ま、ま、ま、まあいいやや(・∀・;)
似てるわけではないけれどホッターマンの地底探検ってのもあったなぁ。
ディグダグとかMr.doみたいな感じなんだろうか?
ディグダグは後にMr.ドリラーと設定がつながったな。どっちも好きだ(・∀・)
なんか地底物が好きな気がする。


大人になってWiiのVCでスペランカーやったら四面までいけるようになった(`・ω・´)
YouTubeの最速スペランカー
( ゚Д゚)ナニコレ…
何、あの薬とか岩登り…
ニコニコ動画の最速スペランカー
( ゜∀゜)アハハハハ

「人」というものについて考えてみる

昔から何度も「人」というものの考察を試みたがすっきりとした答えに到達したことがない(´・ω・`)
浅学非才にも及ばぬ無知非才の徒だからそれは当然のことである。
とはいえ「自己愛」や「人格障害」というものを考えていく上では必要な基盤なので仮でもいいから定義する。
まずは「人」と「世界」の関わりから考えてみたい。


人は感覚器官を利用して<(現実)世界>を収集する。

個々の感覚器官の性能・閾値は異なるものの、それぞれの個体が収集した<(現実)世界>はある一定の精度までは一致する。人は現実世界の物理法則、物質組成に従って存在するからである。
この点から考えると、おそらく感覚器官による収集の段階においては個体にとっての世界にそれほど大きな差異はないだろう。


人はこの収集した<(現実)世界>の断片を脳内で解釈(定義)する。

解釈とは収集した<(現実)世界>の断片を<(脳内)世界>へと取り込むこと、"AはBである"と定義を脳内に記憶することである。
乳幼児段階に始まる最初期のもっともシンプルな解釈は、快不快レベルの記憶である。以前経験した何かに再び遭遇した際に快不快等の反応を示せるのは<(脳内)世界>において<(現実)世界>の事象が定義づけられているからである。
言葉を覚えるあたりから本当の意味での<(脳内)世界>への取り込みが始まる。これは単純に言葉によって<(現実)世界>の事象や物を解釈しやすくなっただけではなく、言葉を利用して他者や社会が定義した概念をインポートできるようになるからである。ここでいう概念とはある事柄を普遍化・抽象化したものである。
ここで述べたのはシンプルな解釈についてであり、より複雑な<(現実)世界>の事象などの解釈についてより深く考える必要があると考える。


人は解釈(定義)した結果を用いて、<(脳内)世界>の構築を行う。

但し幼少期段階において<(脳内)世界>で定義づけられたものの多くは、所属する社会、家庭から継承した概念であり、<(脳内)世界>もまた「家庭」つまりは親などの養育者の世界を骨組みとして継承している。この傾向は通常思春期あたりまで続くと考える。
基本的に構築された<(脳内)世界>は永続不変なものではなく、その個体が新たな<(現実)世界>の事象を経験したり、事柄を知った時に大なり小なり変化する。
ここで「基本的に」とつけたのは、変化を許さない環境が存在すると考えるからである。「権威主義的・支配的・毒になる親・機能不全家族・過保護」などの言葉で表現される家庭環境のことである。この環境と自己愛の絡みこそが認知・解釈の歪みを生じさせ、人格障害やその他の精神疾患へと至らせるのではないかと予測しているが、それはさておき。


以上のような流れで構築された<(脳内)世界>はその人にとっては"世界"そのものであり、全てである。この"世界"は他のどの人の<(脳内)世界>と完全一致することはなく、同時に<(現実)世界>とも完全一致することもない。

現実世界
    ↓
感覚器官による収集
    ↓
その個体による独自の解釈
    ↓
脳内世界(その個体にとっての世界そのもの)

・人はそれぞれの<(脳内)世界>を通じて<(現実)世界>と接している。
・<(現実)世界>がどうであれ、人にとっては<(脳内)世界>が全てである。
・<(脳内)世界>は永続不変ではない。
とりあえずこんな感じかなヽ( ・∀・)ノ
こんなん書くだけで半日以上かかった…orz