「人」というものについて考えてみる②

正直、あんまりまとまってないけれど、人間は何があるかわからないから書ける時に断片でもいいから書いておこう(・∀・)
「人」と「幸福」について考えてみたい。


幸福って何だべ(´・ω・`)?

幸福(こうふく、Happiness)とは、自ら満ち足りていると感じており、安心している心理的状態のこと。
幸福は極めて主観的なものである。恋愛に例えれば分かりやすいが、個人・個性の数だけ価値観があるが、あくまでも本人の主観的な価値観によって、本人が満ち足りていると感じている心理状態をいう。
客観に外形的様式として所定の状態があるわけではない。また、幸福度を数値化(定量化)することも出来ない。例えば、本人以外の誰かには “幸福ではない”と見える状況にいるとしても、その評価はあくまで観察者の主観におけるものであり、その状況を当人が幸福だと感じていれば、それはまさしく幸福である。(幸福

幸福
現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。しあわせ (Bookshelf)
幸福
不自由や不満もなく、心が満ち足りている・こと(さま)。しあわせ。 (幸福

とある。英語のhappinessだと満足とか喜びの状態だから、意味は大体一緒っぽい。まあhappinessは幸運の概念も含んでいるのかな?



金があったり女の子にもてたり社会的に成功したりか?
まあ取り敢えず、それはある種の幸せな状態かもしれない…
人によってその対象や目的は違うにしても、その望むモノを獲得・達成すること、
個体レベルで利益を得ることが幸せであり、人がその状態に移行する為に
行動するというのは取り敢えず合点がいく。
でも金や名声がある状態以外を目指す行動がある。贖罪や謝罪など。
あれはその個体レベルから見ればマイナスだなぁと。
そうすると「人は幸せになる為に頑張る」という定義が間違っているか
「幸せ」の定義が間違っていることになる。或いは例外条件や限定条件を
付さなければ成立しないなあと。
贖罪や謝罪は何の為に行われるのか?


自分の中の超自我なりルールなりが非・悪とする好ましくない行為をし、それを認めた時に人は罪の意識・超自我・ルールに苛まれる。これを軽減する為に人は贖罪や謝罪を行う。


おじさん、文系だったからあんまり化学とかわからなかった。なんである物質が化学反応を起こしてより強く結合した物質になのかが。電気が流れるのかも。なぜ自由電子が移動して平衡状態になるのかも。
まあでも世界の法則に従って、物質は環境にもよるが、より安定した状態へと移行するものなのだろうと。
なんてことを考えてて閃いた(`・ω・´)
人間の幸せってやつもそんな感じで個体レベルでの正方向・負方向関係なしにその個体の内面においてより安定した状態が幸せなのかと。