「人」というものについて考えてみるを書いてから早5ヶ月。
なんで続きを書かないかと言えば……なんかうまく書けないから(´・ω・`)
頭の中にはある程度のモデルみたいなものは出来ているのだけれどもそれを
明確な形で表す文章がどうも出てこない。つまるところ自分の頭の中できちんと
まとまってないということなのだろうけれど。
まあでも無理にでも押し出さないと一生書けない気もするので、無理にでも文章化してみる。
とりあえず要素の羅列でも。正直トンデモ本的論理かな(・∀・)
化学については疎いので、正直、自分でも何言っているのかよくわかってないし、
証明もできないが、人間や生命体云々以前に、
あらゆる物質は環境に対して最適な安定状態への移行を図る
という法則があると考えている。あらゆる物質は環境へ適応すると言い換えてもいい。
具体的には、移行とは結びつきがより強い元素との結合など化学反応などを指す。
生命体の肉体を組成するものは元素であり、当然のことながら元素の法則に縛られる。
一個の塊となった複雑化した元素群である生命体もまた環境に対して内部的に最適な
安定状態への移行をはかる。その仕組みが恒常性(ホメオスタシス)と呼ばれるものと考える。
外部的な環境適応である学習とその応用についてはとりあえずおいておく。
ちなみに肉体の恒常性と元素の法則を結びつけるこの部分の説明は未だに
自分でもしっくりときていない(´・ω・`)
人の心や思考というものは、肉体、つまり物質の上に存在する電気信号的な物ではないかと考える。
正確に言えば変更可能なシナプス結合が本体であり、そこを走る複数の電気信号の演算結果が
人の心であり思考であると考える。
「心」「思考」を主体、あるいは肉体と関わりなきものと考えるからわかりにくくなるのだと思う。「心」や「思考」を算出する大脳などが肉体の一部であると考えれば、心と肉体が相互に影響しあうのも説明がつくようになる。
「心」や「思考」を算出する神経細胞や神経回路は肉体の一部なので心は肉体に依存するとも表現できる。
人の心が移行しようと望む状態は、一見、人によって様々で異なるもののようにも思えるが、
その個体の身体的感覚、記憶、経験、思考ルーチン、状況を展開してみれば、最終的に
導き出される状態はそれほど絶対的な大きな違いはないと考える。
「個体の身体的感覚、記憶、経験、思考ルーチン、状況を展開」などということは現実には
不可能ではあるが、もしも"そのようなことが可能であれば"人の求める状態は常にほぼ一定と予測する。
その、人の求める状態とは環境に対して最適な安定状態であり、そしてその状態に移行しようとする心の動きを精神的恒常性(精神的ホメオスタシス)と考える。ここで言う環境とは肉体的恒常性における現実世界での環境ではなく、「人」というものについて考えてみるで定義した<(脳内)世界>のことを指す。これ即ち「個体の身体的感覚、記憶、経験、思考ルーチン、状況」が展開されたものである。
この最適化された安定状態のことを「幸福」と呼びたいところではあるが、「幸福」という言葉は
さまざまなニュアンスを持ってしまっているので避けたい。「最適化安定状態」とでも呼ぶべきか。
イメージとしては怒り、苦しみ、悲しみのないノーマルポジション、ニュートラルという感じである。
楽しさ、嬉しさは多少含む程度で、歓喜などの過度の興奮状態は最適化安定状態に回帰すべき
異常な状態と考える。
・物質を作り出す元素、それを形成する更に小さい要素(陽子、電子…etc)、
あらゆる物質は環境に対して最適な安定状態への移行を図る
・肉体の恒常性は元素などの法則に由来する動き…かなぁ?
・人の「心」「思考」は電気信号の演算結果であり、肉体に依存する。
・おそらく精神的恒常性は肉体の恒常性に由来する動きである。
・精神的恒常性において対象となる環境とは
「個体の身体的感覚、記憶、経験、思考ルーチン、状況を展開」であり、
その個体の<(脳内)世界>である。
・人の心が求めるものとはその個体の<(脳内)世界>の最適化安定状態と存続である
おそらくこれは人という生き物の中に組み込まれている普遍原則の一つであると考える。
この原則は最終的には物理法則レベルまで遡るんじゃないかと予測するけれど、
その間を説明できないし、トンデモ本的論理になりそうなのでやめておく(w
前回の<(脳内)世界>と今回の結論、これに自己愛の要素を
合わせて考えていくと、人ってなんだろうか、人格障害・快楽殺人犯ってなぜ生まれるのかが
なんとなく説明出来そうな気がするんだけれども、「自己愛」の把握はある種非常に難しい(´・ω・`)
もっとも原始的なレベルでの価値基準の積み重ねのような気もしないこともないのだけれど。
またしても半日くらいかかった…_| ̄|○