ダーリンは外国人

ハンガリーとイタリアの血を受けつぎ、アメリカで教育を受け、日本にやってきた男・トニーと
作者・さおりとの出会いから結婚・同居生活において起きたさまざまな出来事を描いた作品。
漫画というよりかはエッセイと漫画の中間の系統に属する。
この作品は2002年のものであり、続編も出ている。
題名通りに外国人としてのトニーと日本人・さおりとの感覚のズレもあるが、
必ずしもそのズレが外国人という部分に起因していない話も多いように感じた。
トニー自身がかなり変わっているように思えるからである。


興味深かったのは笑いの話とトニーが考える時に何語で考えるかというコラム。
・究極的には笑いのツボの差異は個人に依存するのだけれど、
笑いは所属する文化やモラル・思考ルーチンに大きく影響されるので、
日本人と外国人のツボは基本的には一致しないはずである。
日本人で言えば関東・関西などの「地域」や「年代」「知識」によって違うようなものである。
(幾つかの例外として体や表情を駆使したものはあるけれど)
トニーとさおりとの場合は男女の違い、トニーの特殊性もあり、上記のような
文化的差異によるものなのかどうかよくわからないが、なんとなく外国人としての
片鱗が見受けられた話だった。
・トニーは文章を考えている時に何語でもなく概念で考えているというが、これは
ちょっと信じられない。概念そのもの自体を言葉なしで扱うのは無理だからだ。
無意識になんらかの言語を脳内で使用している筈だ。
言葉なしでせいぜい出来るのは絵や図を思い浮かべることくらいだろう。
とはいえこれは想像の範囲なので、多言語を操る人の脳の活動部位を精査したら、
言語野が活動しない結果が出るかもしれない。何処かでそんな研究してないだろうか。


結局のところ、他人と暮らしていくには相手が日本人であれ外国人であれ宇宙人であれ、
互いに相手を理解しようと努め、思いやっていくしかないよねっていう話だと思う。