あまでうす あまちゃんです(・∀・)

本当は"人々に愛されし"とか"皆に愛されし"という感じのラテン語を
タイトルに使いたかったがわからんかった(´・ω・`)

"皆から愛される"は「dilecti omnes」という語があるらしいけど、
"あま"とかからないので駄目。「ama omnes」とか「ama populo」は
語形とかが正しいかわからないのでちょっと意味が違うけど「amadeus」で(・∀・)

あまちゃんの物語の内容に関しての感想は世に溢れているだろうから
その辺にあんまり重点を置かず震災関連でふと思いついたことを。


「あまちゃんは朝ドラの金字塔となりうるか?」

これは朝から多くの視聴者に笑顔と元気を与えたことや人気の高さによって関連製品の
売上げがNHK朝ドラ史上ぶっちぎりの一位になったことからなどの表面的な意味合いでの
金字塔のことではない。後世に残る不変のものとして金字塔という語を使ったが正確には
石碑という語で言った方が正しい。

つまり「あまちゃんは石碑となりうるか?」である(・∀・)


震災表現

開始当初からあまちゃんは"震災"をどう扱うかについてweb上で色々な説が囁かれていた。
舞台が東北であり、わざわざ時代設定を震災前まで巻き戻しての開始だったので、
"震災"は不可避であり、視聴者が"震災"がどのように描かれるかについて興味を持つことは
当然のことであった。

まあ北三陸市のモデルである久慈市での人的被害は0ではないものの他所と比べると
圧倒的に少なかったので、多分登場人物は誰も死なないんじゃないかなぁと俺氏は
思っていたけれども震災や津波の被害をどう表現するのかは気にはなっていた。

そしてドラマはあの形で"震災"を表現した。
「なぜ本当の映像を流さないのか」等と訳の分からないことを言う人も居たようだが、
あの手法は正しいというか予想以上に素晴らしいものだったと思う。
出来うる限り被災者へ配慮しながらも、作品世界を壊さない程度の、
それでいて最初から観てきた人には十二分にわかる恐ろしい表現であった。
実況民は自然と自らの"東日本大震災"とその後をレスしあった。

もしも本当の津波映像等を流していたらどうなったか?被災者の受けるショックは
当然あるが、直接的には被災者ではない視聴者達にも大きいショックを与えただろう。
それは楽しげなタイトルバックで始まるにこやかな作品世界を粉々に粉砕するに足る
破壊力を持つ。正直、あの話の後に出てくるウニが浜に打ち上げられている写真二枚
だけでもかなりのインパクトのある"リアル"であり、あれももう少し婉曲的なものに
差し替えることは出来なかったのだろうかと思ったほどである(´・ω・`)

ドキュメンタリーならば、或いは震災をメインテーマにしたドラマならば、"リアル"は
必須ではあるけれども、少なからずこのドラマはそうではないのだから、ギチギチの
"リアル"は不要である。

だからあの表現方法は正しかったと思う。
あまちゃんは作品世界を損なうことなく、あの形で"震災"を内包したのである。


ショア(Shoah)とシンドラーのリスト

かれこれ20年ほど前の頃、俺氏は不真面目な大学生だった。
まだフサフサのガリガリだった。今は見る影もないが…(ヽ'ω`)

それはさておきある一般教養の講義でショアという映画を観て
レポートを出す課題が課せられた。この映画は

『ショア』(Shoah)は、1985年のフランスの映画。クロード・ランズマン監督。上映時間は9時間30分。製作には1974年から11年の歳月を費やした。日本での公開は1995年、東京日仏学院で行われた。
ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)に関わった人々へのインタビュー集であるが、演出もところどころ行われており、全くのドキュメンタリーではない。
インタビューの対象は、被害者たるユダヤ人生還者、加害者たる元ナチス、傍観者たるポーランド人に大別することができる。
クロード・ランズマン監督はこれまでのホロコーストをテーマとした映画にきわめて批判的である。特に『シンドラーのリスト』に対しては、出来事を伝説化するものであるとして舌鋒鋭く批判している。

『ショア』(Shoah)

というものだった。上映時間からして普通の映画館では観られない
ものだったので学内の教室で土日の二日間上映したんだったかな?
不真面目な学生であった俺氏は最初の2時間くらいで飽きて帰っちゃったけどね(ノ∀`)

この講義の教授?が主張するところは監督とほぼ同じで、「シンドラーのリスト」のような
事実ではない作品が評価されて事実のように喧伝されることは問題であり、
「ショア」のような手の入っていないドキュメンタリーを事実として残していかなければならない
とかいう感じだった。(wikipediaでは"全くのドキュメンタリーではない"とあるけど
その辺どうでもいいのでほっとくw)

この時、俺氏は思った。「教授の言うことは理解できるし、そうあるべきだろう」と。
しかしそれと同時に
「この冗長な事実の塊は研究者以外の鑑賞視聴に耐えうるものだろうか」とも思った。

この映画は事実の記録としては貴重であり、残し続けていくべきものではあるが、
これを一般の人たちが気軽に見てその内容を語り合うことが出来るかというと、
それは恐らく不可能であり、その長さにより敬遠されるのではなかろうか?

つまり、「シンドラーのリスト」のように美化捏造された事実ではないことが
蔓延るのは事実の伝承の妨げになるのは当然だが、適切に処理されていない
事実の塊もまた敬遠され忘却されて同じように事実の伝承の妨げになるの
ではなかろうか?


世代交代と震災の風化

ある日、特に観る気もたまたまチャンネルを変えたらBS歴史館がやっていた。
最初は寝ぼけ眼でネットを観ていたのだが、徐々にながら見していた番組の内容に
引きつけられていった。

その回は「関東大震災90年~“防災”に賭けた二人の男~」であった。
細かい内容はあんまり覚えていないが、寺田寅彦の先見の明と防災に人生をかけた
地震学者・今村明恒の生涯は非常に興味深く唸らせるものがあった。

以下は番組内でも紹介されていた寺田寅彦の「津浪と人間」の一部である。

災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。
 さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。
三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。

(中略)

災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすい処に立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われる度にあちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山蔭の竹藪の中に埋もれないとも限らない。そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく云っても、例えば「市会議員」などというようなものは、そんなことは相手にしないであろう。そうしてその碑石が八重葎に埋もれた頃に、時分はよしと次の津浪がそろそろ準備されるであろう。

津浪と人間 寺田寅彦

今でもGoogle等が震災の記憶を風化させまいと頑張っているが実際の所、どうだろうか?
正直な所、俺氏はあまちゃんで"震災"を再体験するまで結構忘れるというか記憶の風化が
かなり進んでいたと思う(´・ω・`)

人間は忘却機能によって哀しみや辛さを乗り越えて行く生き物だけれども
忘れてはいけないこともある。寺田寅彦の文章に( ゚Д゚)ハッとさせられた。


恐らく物理的な石碑は寺田寅彦の言うように動かされ草に埋もれて忘れ去られるだろう。
ドキュメンタリー映像は"リアル"に凄惨さを映し出すが故に敬遠され顧みられなくであろう。
"震災"をテーマにしたドラマは美化捏造された事実が故にそのドラマ的感動のみが強く
記憶され、本質たる事実は多くの人々の頭の中に残らないであろう。

稲むらの火は厳密に言えば美化捏造の類であり、嘘も方便と言えば通らぬこともないが、
やはり防災教材としての側面と五兵衛の犠牲的精神が強調され、事実の伝承が妨げ
られている感はイナメナイヨネー(・∀・)

こう考えていった時に、事実の伝承に必要な物は出来るだけ手を入れていないが利用
しやすい形に整えられた事実の塊と、後世に残り続けて人々の記憶を活性化し注意を
喚起出来る-事実を捻じ曲げず、ありのまま過ぎずに内包しつつ人口に膾炙する-
物の両方なのではなかろうか。


と言ったようなことが頭の中で繋がった時にふと思いついたのが
冒頭の「あまちゃんは石碑となりうるか?」という疑問である。

正確に言えば疑問というよりも、そうなって欲しいという願望か(・∀・)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まだまだあまちゃんブロガーなのでオチは特にない( ・´ω・`)