『ライフ・イズ・ビューティフル』を観た

ライフ・イズ・ビューティフル

収容所に送られたユダヤ人の父親が幼い息子を生きながらえさせるためにとった意外な作戦をぺーソスあふれるタッチで描いた感動作。

( ´・ω・)エ?

って観終わった時に思ったわw

観始めた時も「これ……巷では感動の名作って…言われてる映画だよね……(´・ω・`) アレ?」って首を傾げ、同名の違う映画を観ているのかなぁと思ってぐぐったけど、やっぱりこの映画が聞き及んでいた映画であることに間違いなかった。

結論から言うと合わなかった(・∀・)

もっと率直に言うと、
なんだこの出来の悪い映画は(・∀・)
と思ったw


まず吹き替えで観てしまったのが失敗だったのかもしれない。兎にも角にも
グイドが五月蝿い(´・ω・`)
ひたすらに五月蝿い。

加えてジョシュア(ジョズエ)の声も合ってないというか、なんか高すぎて耳障り…

という声優問題をおいておいても、色々と駄目だった(ノ∀`)

まずグイドの虚言癖的お調子者キャラを全く受け付けなかったw
なんか脳に障害があったり精神的な病を抱えている人なのかなと思った。

次に後半の比較的シリアスな展開との対比の為に前半をコメディータッチにしているようだったがこれが全然面白くない(´・ω・`)
なんか過去にあったような古いコメディー映画の上っ面だけをなぞっている感じがして観ていて辛かった。

多分、キャラ設定についても、キャラの振る舞いが全て上手く行き、基本的に周りから非難されないというのも、チャップリン等のかつての喜劇を踏襲と言うか真似したんだろうけれども、その喜劇としての質というか出来が悪いのが問題のような気がする。

そんな感じだったので、キャラに感情移入出来ないどころか、構築された世界自体が御都合主義過ぎに思えて全く話に入り込めなかった。

その為にドーラとの恋物語を観ていても特に盛り上がることもなく、その子・ジョシュアにも愛着が生まれなかったw

ドーラ役のニコレッタ・ブラスキがあんまり美人と思えなかったのも、ややマイナス点かな。
ニコレッタ・ブラスキはグイド役兼監督であるロベルト・ベニーニと1986年と1991年に共演、1991年に結婚している人なんだな。

話の盛り上がりとラストシーンの必要性からか、ドーラも移送させる展開だったけど、あれもどうかなぁ…(´・ω・`)
この物語においてドーラの扱いは悪いというか存在理由が非常に希薄だったな。


前半の時点で既に見放してしまっていたので、前半よりも雑な展開な後半部分ではまることもなく(ノ∀`)

ホロコーストに対しての知識はあんまりないけれども、さすがに強制収容所はあんなに自由な場所じゃないだろって突っ込みたくなったw

ジョシュアがあんな感じで隠れ続けることが出来るのかなという疑問も残る。
少なからず、誰にも咎められずにグイドが強制労働をさせられている場所まで来れるとは思い難い。監視兵に見つからないように隠れて来られるような注意力やぞ頭脳を持っているのであれば、グイドの継ぎ接ぎだらけの嘘に上手く騙され続けたりもしないだろう。

加えてナチス(ドイツ人なのかオーストリア人なのかはたまた他の国の人間かわからないが)の子供たちに紛れ込めてしまうシーンもあんな風に何も問題なく行くわけないじゃんって思っちゃったねぇ(´・ω・`)

あと周りの人たちが大人しすぎる、というかグイドの嘘に全く反応しないところもおかしい。
グイドが偽通訳をしたシーンもアレで済むわけないし、ジョシュアに言っている嘘を訂正しようとする人間やジョシュアのことを密告する人間も居なければ可愛がる人間も居ないのはやはりおかしい。モブというよりか感情のない、都合よく動く背景でしかない。バルトロメオも何の為に登場させたのかって程度のキャラだったな。

この辺も多分かつての喜劇の模倣から来るんだろうな。
雑な設定、雑なストーリー展開は40~50年前くらいまでのもっと面白い喜劇、或いは違う形態である、初めから制限が厳しく虚構であると認識している舞台劇か読者の想像力に依存し、荒唐無稽でも何とかなる小説ならばまだ許せるけれども、この映画じゃなぁ…(´・ω・`)


グイドの死の原因ってドーラのこともあったけど、不用意に外に出たことだしなぁ。残った人達は生き残ってるわけだし。
全編を通じて不注意で不快な行動を繰り返してる人間にしか見えない(´・ω・`)

息子を絶望させない為に嘘を吐き続けたというけれど、これはただ単純にグイドという人間がそれ以外の方法を持っていなかっただけで、それを愛とかどうとかと過剰に評価出来ないなぁ。グイドが謹厳実直で生まれてこのかた嘘を吐いたこともない男なら、もう少し、その嘘の重さが変わって来ると思うけれど。

こんないい加減な感じで戦争物にするなら、不治の病の子供を看病して嘘を吐き続ける親とかそういう風な話の方がもっと自然だったんじゃないかな。なんかホロコーストネタを利用して高評価を引き出したようにも思えてしまった(ノ∀`) この物語の出来ならドーラは収容させずグイドも殺さずに、ジョシュアを抱えた状態で戦車を見て「ジョシュア、勝ったんだ! 僕達は勝ったんだよ!」と叫ばせた方が短編小説っぽくってまだ良かったような気がする。まあこれだと泣きポイントがなくなるから駄目なんだろうけれどもw

親の愛(嘘)が奇跡を呼んだ物語というよりは、ラストシーンを先に思いついて、その辻褄合わせで御都合主義のこんな変なストーリーになっちゃった物語?


何はともあれ、感動はしなかった(・∀・)

下りのシーンは一部合成?