12.沼津宿(2007.11初旬)
最寄駅はJR沼津駅。街道よりちょっと北にあるので寄らずに通過した。
かつては三枚橋城・沼津城の城内であったらしい川廓町を抜け、159-160-163号線へ。
今川以降に武田勝頼が沼津を治めていたとは知らなかったなあ(・∀・)
箱根の早川にも三枚橋という地名があったからなんか関係あるのかなと
思いぐぐったが、さしたるつながりも見つけられず(´・ω・`)
箱根の早川に関しては
小田原北条氏時代、早川の川幅は今よりずっと広く、中州が2つあって、三枚の橋が架かっていました。山に向かって地獄橋・極楽橋・三昧(さんまい)橋と呼ばれました。(
橋は一つでも三枚橋)
ということらしい。
さらに「枚橋 由来」でぐぐる。
かなわぬ恋のすえ、庄屋の息子と山守の娘が野川に身を投げ、その霊が大蛇に化けて幻の橋となって、人々を惑わした。これを哀れんだ庄屋が、大木を挽き割り、二枚並んだ立派な橋を造って、供養したといわれている。(
1.二枚橋の坂)
大根塚の町名の由来
昔はこの川には橋がかがっていながった。皆不便で仕方がねえがら、五軒の人達が一枚ずつ板を持ち寄って橋をかげだ。だあがら、この橋を「五枚橋」と呼んでなあ。(大根塚の町名の由来)
六枚橋(ろくまいばし)
石の橋を横並びに6枚渡していたことが名の由来とされており、現在もバス停の名称にその名を残している。(岡山市立中央公民館ホームページ)
という類似の地名やその由来から考えると川の近くにはありがちな
命名なんじゃなかろうかという気がしてきた(w
※ほとんどデッドリンクになってた。公共機関のWebサイトって一般人のサイトよりも永続性というか信頼性が低いなw
街道沿いよりもうちょっと南に行けば千本松原があったようだけどもスルー。
道x2、銅像
厚見~という会社やら商店をよく見かけたので沼津市には厚見姓が多いのかと
日本の苗字7000傑で調べてみたが、
6823 厚見 約1,300 河内発祥、厚見連の裔。美濃、筑前にも存す
という結果だったので、あんまり沼津とは関係ないのかな?
道は東田子浦手前あたりまでひたすらにまっすぐで飽きた。
途中で家の前に腰掛けてたお婆ちゃんと言葉を二、三交わしたような…。
なぜか南側に自販機が少なかった記憶がある。
脚疲れ腹減れども飯屋はほとんど見当たらず。
「このままじゃ死んじゃう(´・ω・`)」と当時は思って歩いていたが、
今地図ソフトでルートを確認してみると、コンビニや
片浜駅近くの西友などの休憩ポイントは一応あったようだ。
脚を休ませたくてコンビニでの食事を避けたんだったかな?
北側の工場地帯と山裾を見てこの辺は何もないんだなと早合点してたのもある。
三島-沼津-原間はそれぞれ6km弱なのでお昼過ぎくらいには原宿に到達した。