14.吉原宿(2007.11初旬)
最寄駅はJR吉原駅、岳南鉄道・吉原本町駅とガイドブックにはある。
この日は曇りのち雨だった。
鯛屋旅館の人にカチカチと火打石を打ってもらい、日の出前に出立、
薄明かりの中を22号線を進む。ウォーキング、犬の散歩など、幾ばくか人の姿があった。
四軒橋を越え、道路を横切り脇の小道へ。
道祖神?、四軒橋?、川、道x3
何処かで観た絵柄の看板。うまく写真に撮れてない…orz
SuperMapple上に記されている「石桀八幡宮」でぐぐってもヒットしない(´・ω・`)
住所でぐぐってみるとどうも正式名称が違うようだ。
青嶋八幡宮神社の由緒
この神社は通称磔八幡と呼ばれております。
(中略)
これらの絵は、八幡宮神社中興に際し、富士市吉原出身のマンガ家、望月あきらさんから御寄進いただいた絵馬及び紙芝居の原画から写しました。
望月あきらさんの代表作は、サインはV!、ゆうひが丘の総理大臣、自伝漫画ふきだまりの詩、富士市の歴史マンガ本富士ものがたりがあります。
(気まま歴史散歩‐№113 川口市郎兵衛)
あーゆうひが丘の人の絵か(・∀・)
五叉路を渡ってまたすぐ右の小道に。左折して富安橋を渡り、しばらくは道なりに。
幹線道路ではそこそこ車が走っていた。
県総合庁舎前を通り過ぎ、396号線を横切ってわき道へ。
県総合庁舎、道x2
看板x2、道標 チャレンジャーな看板Σ(゚∀゚;)
王子製紙の前を通り、柚木駅方面へ。
王子製紙、道祖神、?
道標、そんなに古そうには見えない旅館、常夜燈、道祖神
空腹に耐えかねて通り道付近にあったすき屋にて朝食。
お腹を満たした後、徐々に増え始めた登校途中の小中学生に混じりながら先へ進む。
この辺の東海道がよくわからず、諏訪神社の方のルートを歩いた。
まあどっちにしろ396号線に合流するからどうでもいいんだろうけど(w
富士川橋付近で交通量がとても増えた。道の左側をとことこと歩いて行ったら
富士川にかかる富士川橋の左側に歩行者ゾーンがなかったヽ(`Д´)ノ
致し方なくその前の信号まで100mほど戻った。(富士川橋の交通量は多く、
とてもじゃないけど信号なしでは渡れなかった)
この辺りで謎の言語を話す同じユニフォームを着た女性達が多数自転車に乗って
移動しているのに出くわしたが、この近くに工場とか外国人向けの学校でもあったんかな(・∀・)?
水神社やら富士川橋やら富士川
日頃の行いが悪いからであろう…富士山を観ることは出来なかった(´・ω・`)
富士川橋を渡り、ちょっと北側に戻って岩淵への坂を上る。
少しきつかったような。なんか途中でバキュームカーに遭遇した記憶がある。
この辺はまだ下水道完備じゃなかったのかな?
川べりの道標、なんとなく富士山らしきものが見える、一里塚、常夜燈
一里塚付近までは多少、車が走っていたかな。狭い道でもかっとばすから怖かった(w
どの辺からかは忘れたけれど188号線から右折して小道へ。
いたわるのはここまで。・゚・(ノД`)・゚・。
この標識を初めてみたのでちょっと面白かった(w
三田講でぐぐると
【東海道53次-蒲原宿(蒲原町)】高速道路の下を抜けると,東京三田講,野田山と書かれたでっかい石碑があった. 大正の頃,このあたりに修行者が集まる禅寺があって,隨分栄えた場所だったらしい. それでこの辺りを新開四十九と呼んでいたそうだ.新開とは,この先をずっとあがっていっ ...
などというページが引っかかるが、実際にはもうページはないようだ(´・ω・`)
新開四十九でぐぐっても有効なページはヒットしない…
他のページをみると
東京三田講と彫られているので、そう古い物ではなさそうだが。(・・野田山(標高470m)は古来より霊地として知られ、大正15年には真言宗寺院が建立されましたが、昭和28年12月火災により一山ことごとく消失してしまいました。・・・富士川町のHPのより)(東海道歩き旅)
とある。
なるほどそれではと思い富士川町のHPに行くと
富士川町は11月1日に富士市と合併しました。
富士川町は11月1日に富士市と合併しました。
5秒後に自動的に富士市ウェブサイトに移動します。移動しない場合は下記のリンクからお入りください。
なん…だと…( ;・´ω・`)ゴクリッ
これ以上ネットで調べるのは難しいそうだから、もういいや__○_
写真が多いわりに内容が少ないな(´・ω・`)