29.浜松宿

29.浜松宿の続き(2007.11中旬)

9:30頃出立。TOHOシネマズまで戻る。
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成子辺りで62号線へ右折、子育て地蔵尊のあるデニーズのところで
左斜め前の細い道へ。そのまま進むと再び257号線に合流。
そのまま進み、堀留川にかかる鎧橋を渡る。
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若林一里塚跡を越え、道は大きく右に曲がる。高塚駅過ぎまでそのまままっすぐ進む。
一里塚跡、藤原秀衡と愛妾がそれぞれ建てたという二つ御堂(北側の方かな?)。
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関係ないけど
>都の貴族達は奥州藤原氏の計り知れない財力を認識し、その武力が天下の形勢に
>関わる事を恐れながらも、得体の知れない蛮族と蔑む傾向があった。
こんな感じだったんだねぇ、全然知らなかった


諏訪神社、熊野神社
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途中、高塚駅入り口のマックでクーポンで朝食350ビッグマック+ドリンク。
トイレがぼろかった昨日のとこと違ってうぉしゅれっと(・∀・)
近くのセリアとかいうとこを見るがリュックは売ってなかった。
向いの西友には立ち寄ったような立ち寄らなかったような…。
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ちょっと進んだところで右の細い道に入る。
立場のバス停を越えると道は316号線に。まあ道としては変わらないのだけれど。
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神明宮を過ぎ、愛宕神社。顔がサッカーボール…そういえば静岡はサッカー王国だったか。
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ワックスの自販機に稲荷神社
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篠原一里塚は見逃したか…orz
観音堂?よくわからない。やけに祠が多いなぁ。と思っていたらこれは祠じゃなくて

秋葉山常夜燈を納めた鞘堂です。(道中日記

ということだった。

しょ、しょう…どう(´・ω・`)?

よみ:さやどう
鞘堂とは、本体の建築物を保存するため、それを覆うように建てられた建築物である。したがって、上屋のような仮設物ではなく本建築されたもので、代表的なものでは、平泉の金色堂の鞘堂がある。
鞘堂

さやどうか…orz
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この辺りから舞阪宿、道は49号線になった。

舞阪の方に行くと13:00過ぎくらいで子供たちが下校していたような。
小学校低学年辺りだと5時間目ないんだっけ(´・ω・`)?


30.舞阪宿(2007.11中旬)

最寄駅はJR舞阪宿

ダイソーやらベスト電器やらが入ってるスーパーにてトイレ休憩。
1050のリュックと100円紅茶900mlを購入。意外とリュックがいい感じ。
PHSも胸ぽけに入れて両手を振って歩くと推進力があっていい(・∀・)


春日神社をすぎた後途中の松並木のとこに石の53次があった。
馬鹿みたいに全部撮った。時間をかなり食った。俺の馬鹿馬鹿ちんこヽ(`Д´)ノ
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松並木を抜けると小さい公園みたいなところにトイレと浪小僧の像があった。
ほどよくかわいい(w
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奈良時代の僧・行基が年老いた母の快癒を祈願して2体の藁人形を作り、田植えをさせた。行基は田植えを終えた藁人形に読経を聞かせた後、風雨の災害が起きる時は必ず事前に人々へ知らせるよう言い聞かせて久留女木川(都田川の旧称)へ流した。藁人形のうち1体は海へ流れ着き、漁師が仕掛けておいた網に引っかかる。海から引き上げられた波小僧は漁師に命乞いをし、助けてくれれば波の音で天気を知らせると約束する。漁師は波小僧を網から解放し、波小僧は海の向こうへ姿を消した。こうして遠州灘の波の音は「雷三里、波千里」と呼ばれる地鳴りに似た独特の響きを持つようになり、漁師たちは波の響きが南東から聞こえれば雨、逆に南西から聞こえれば晴れと知ることが出来るようになった。(波小僧)

他にも話のパターンはあるようだが行基と関係してるのか。
でも

河内国大鳥郡(現在の大阪府堺市)の生まれ。(行基

四方浄には、こんな昔話がのこっているが、行基は泉州大烏郡家原の生れの人。生年月日は不詳。(第5話 内波小僧と行基・うちなみこぞうとぎょうき

といことだから別の話が混ざったのだろうか。

そもそもこの藁人形を使うというのがちょっと普通の仏教説話と違うような気がする。
陰陽道・修験道・密教っぽい。安倍晴明、役小角、空海なら有り得そうだけど、
行基ってそんな術をつかえるイメージの人だったろうか。

それはともかくwikipediaに載ってる鳥取県境港市・水木しげるロードの
浪小僧像はかわいくない(w


一号線を横断してそのまま直進。
見付石垣、常夜燈、一里塚跡。変な看板(・∀・)
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本陣跡、北雁木
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鳥やら港やら
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昔は渡し舟で渡ったようだが、当然のことながら現代にそんなものはない。
弁天島経由で新居宿を目指す。


この辺は歯が痛かったのであんまり記憶がない


おそらく弁天橋から撮影した鳥居
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弁天神社
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弁天島と天女
昔、弁天島のこの辺りは砂州が新居の橋本辺りまで続き、白砂青松「天の橋立」のような風景が広がっていました。そんな弁天島の美しさに誘われてか、ある日天女が舞い降りました。村人は大変喜び、社を建てるからここに留まってほしいとお願いしました。ところがどういうわけか、天女は駿河の三保の松原へ立ち去って行きました。それから長い年月がたち、この辺り一体は大きな災害にみまわれ、洲崎の一部であった弁天は湖にとり残されて島となりました。その後、舞阪と新居の間は渡船で行き来するようになりましたが、江戸時代の宝永六年(西暦一七〇九年)今切渡海安全のため、この島に辨天神社が建てられました。人々は天女伝説のこともあり、この神社を大切にお守りしてきました。御祭神は「市杵島姫命」といい、海上・交通・家内安全、商売繁盛などの諸願成就の神として多くの人々に信仰されています。
なお、境内には浜名湖弁天島を詠んだ正岡子規、茅原崋山、松島十湖の文学碑があります。

現地の説明看板を読んだ時は正直吹いた(w
天女、なんも関係ねぇ(・∀・)


金網の向う側に釣り客とタオルをかぶっておそらく新幹線を撮影している人が居た。
新弁天神社ってなんだろうか。
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途中、京都より歩いて来てるであろう人に、
この区間に渡し船はないんですかねと聞かれる。
明確に認識した徒歩での53次旅行者はこの人だけだったかも。
なんか八十八ヶ所巡り?みたいな格好をしてたような…


この辺りから腹痛(´・ω・`)
距離はそこそこあったがとりたてて何もなし。
そういえば犬がいた。
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あらいけいさつってなんで平仮名なんだろうか
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そろそろ新居宿。