28.見付宿(2007.11中旬)
最寄駅は…どこだ。ガイドブックによるとJR磐田駅からバスで「加茂川」下車とある。
特になにもなく。
と思ってガイドブックを観てたら、どうやら一号線に合流する辺りに
遠州鈴ヶ森なるものがあり、日本左衛門の供養塔があったらしい。
名前からすると品川の鈴ヶ森刑場の名をもらった刑場か。
一号線を横断後、腹が減ったので、マックで朝マック食べた。
再び道に戻り、先に進む。ドヤ街の入り口にあるというなみだ橋( ・´ω・`)!!
とは違うらしく、品川の鈴ヶ森処刑場付近にある泪橋と同じで、処刑される罪人の
近親者達が最後の別れをしたところのようだ。まあ遠州鈴ヶ森というネーミングから
考えても品川の泪橋から継承してる名前なのだろう。
ツンツンツノダノテイユウゴウ(・∀・)、常夜燈、木戸跡
む、ガイドブックによると木戸跡の近くにある見付天神に霊犬悉平太郎の像があるらしい。
「しっぺーたろう」は「うしおととら」のキリオの話でも出てきたなぁ(・∀・)
愛宕神社のところで右折。裸祭…だと…( ;・´ω・`)ゴクリッ
100円ショップでジュースやらお茶を購入。
途中にバッグセンターとかゲームセンターとかレストランが固まっていたので、
バッグを見たが高そうなのでやめた。ゲーセンでトイレを借り、ルパン三世の
ガンシューティングをする。宝石吸い取るのが難しかった。
この日というかこの数日は歯が痛みに気を取られていたので余り記憶がない(´・ω・`)
看板やらなにやら。
とぐぐってみると、
浮田幸吉(うきた こうきち、1757年(宝暦7年)- 1847年(弘化4年)?)は、日本で初めて空を飛んだとされる人物。鳥人幸吉、表具師幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸吉、備考斎(びんこうさい)とも呼ばれる。(浮田幸吉)
それから100年以上が経ち、ドイツ人のオットー・リリエンタールが1891年に同じような飛行装置で、初飛行に成功していますが、この初飛行より100年以上も前に幸吉は飛行を成し遂げたと伝えられています(
浮田 幸吉)
だそうだがほんとかね(´・ω・`)? 漫画があった。岡山の先駆者たち←※今は公開されてない模様。
旧見付学校やら休憩所。現存する日本最古の洋風木造小学校校舎らしい。
なんか和風でも現代建築でもない雰囲気がいい感じ。
44号に突き当たったら左折。ここのストレートはちょっと長かったかな。
さわやかハウスとはなんぞ?
府八幡宮
府八幡宮は、奈良時代に桜井王が遠江国司として赴任したとき、国内がよく治まるようにと、建立したと伝えられています。
天武天皇の曽孫の桜井王…天武天皇…天武天皇…壬申の乱(´・ω・`)?
一号を横断したら44号が56号に変わっていた。ひたすら南下した。
磐田駅前あたりで道がわからなくなる。もう少し整備してあってもいいんじゃないかと
思った記憶がある。
くろん坊様
黒坊大権現は、旧東海道筋で、現在地の西約百米(現 磐田化学正門)の田んぼの中にあった祠を移したもので、咳や熱病の神様とされています。インド人の旅僧が手にかけられて金品を奪われてしまったので、土地の人々が手厚く葬ったものといわれており、毎年十一月三日が縁日とされています。
磐田化学工業㈱
大松の会
一瞬、織田信長の家臣に居たヤスケみたいなのかと想像したが、ちょっと違うようだ。
他の昔話では、なんかただの良い話っぽくなってる(w
磐田市の豊田地区東部に、「海老塚」という所がある。今はもう、住宅と工場が並んでいるが、そこに、「黒坊大明神」という小さな祠(ほこら)がある。何百年か昔のことだった。東海道を旅して来た品のいい一人の老人は、このあたりに来た時、ひどい咳で、座り込んでしまった。
「おお、可哀そうに・・・・・・」
それを見つけた近くの大乗院(だいじょういん)の角念和尚(かくねんおしょう)は、親切に介抱してやった。しかし、その老人の咳はとまらなかった。そして苦しい咳の中で、「有難い。皆さんには、この思いはさせたくない」と言ったまま遂に息を絶えてしまった。
「まあ、気の毒に・・・・・・・」
角念和尚は、親切にそこに葬って、小さな塚を建ててやった。そして老人の持っていた黒布をまいておいた。すると村の人達が、咳で困るときや熱があって困るときなど、この塚に祈ると、不思議に直るのである。それで誰言うともなく、黒布のある事から、「黒坊大明神」として信仰されるようになった。
今は、ある工場の敷地内になっている。(「続々遠州伝説集」より)
第83話 黒坊大明神(磐田市)
くろん坊 全然関係ない話だけれども最後まで読んでしまった orz
やはりサンカと呼ばれるような人たちはいたんだろうか、ちょっと考えてしまう。
一号線を横断すると252号線から262号線へ
常夜燈やら地蔵やら。五叉路で262号線とはさようなら。
進んでいくと天竜川に。
渡し舟はないので池田の渡し公園から再び南下。
考えてみたらそこまで行かなくても良かったかな。
サッカー場などがあるくらい広い。
北側から新天竜橋に行こうとしたら止められる。南からまわって行く。
道路一車線分くらいの歩道。橋は長かった。天竜橋からの鳥
天竜川を渡ると浜松宿側だ。
29.浜松宿(2007.11中旬)
最寄駅はJR浜松駅。
橋を渡ったあと、道路が工事していて遠回りする。
川べりや六所神社。
金原明善(きんぱらめいぜん、1832年 - 1923年)は、明治時代の実業家。1832年6月7日(天保3年)遠江国長上郡安間村(現浜松市東区安間町)出身。天竜川の治水事業・北海道の開拓・植林事業など近代日本の発展に活躍した。(金原明善)
天竜に挑んだドラゴンバスターか(・∀・) やはり治水は重要課題なんだな。
人間が一番影響を受ける自然要素は水なんだなぁ。
安間川に架かる安間橋をわたる。312号線に。
旅を始めて十数日も経ってようやくあることに気づいたが、
西に向かって旅するにはサングラスが必要だ(´・ω・`)
まぶしすぎる。あと日焼け止め。
虎の信号スイッチとか変な店名とかってこの絵は((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
バザールでござーるではござらーぬ(・∀・)
芳川にかかる琵琶橋を渡る。
うなぎパイ。一里塚跡。東鎧橋?
狸のきんたまないな…雌なのか( ・´ω・`)?おっぱおあるし。
馬込川にかかる馬込橋を渡る。
眼鏡屋かなんかの前で宿泊ホテルを調べていたら今日も完全電池切れに(´・ω・`)
斜め向いのファミマでパンやら電池を買う。
なんとかそれでトーホーなんとかのところまで行くが結局電池切れ。
安いはずの辻梅を探しさまよう。南口に行き旧館を発見するもシングルなし。
新館にいくと5500(´・ω・`) 致し方なく借りる。うぉしゅれっとなしヽ(`Д´)ノ
風呂も狭い。
コインランドリーに行き洗濯300、その時間中にエイデンに行き必要なもの購入。
充電池やら充電用タップなど。高かった_| ̄|○
大幅に遅れて戻り乾燥100円12分。そこそこ乾いたのでよしとする。
約25km
253-25=228km
品目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
前回までの累積使用金額 | 62,508 | |
ソーセージマフィンセット | 380 | |
麦茶1L | 100 | |
専ソフトなチーズパ共D | 105 | |
スーパージャンプ | 300 | |
サンドR小倉&ネオ共D | 92 | |
アルカリ金 単4 4P | 490 | |
PC電源タップ バファローコクヨ | 3980 | |
アセンブリパーツ(MicroSD) | 3980 | |
PC電源タップ サンワサプライ | 240 | |
デジカメアクセサリー(保護シート) | 300 | |
鶏唐揚げ弁当 | 430 | |
サントリー モルツ | 270 | |
サントリー 金麦 | 190 | |
チョコチップスナック | 178 | |
糸ようじ 20本入 | 352 | |
ビジネスホテル辻梅新館 | 5500 | |
洗濯乾燥 | 400 | |
累積使用金額 | 79,795円 | 残り: 228km |