46.亀山宿 (2007.11中旬)
最寄り駅はガイドブックによればJR関西本線・亀山駅。
8:00くらいに起床。
ここの朝食はパンも食パンだけじゃなくクロワッサンとかもあった。
おにぎり、キャベツとオレンジのサラダ、牛乳の縦長パック、ヨーグルト、
オレンジジュースと壮健美茶、お湯溶き味噌汁3種、コーンスープなどがあった。
ホテル側の費用としては当然500円に行かないにしても、泊まり客からすれば
そのくらいの支払いになるので、実質6000円くらいじゃなかろうか、ここは。
9:30過ぎに出立。すんげぇ寒いヽ(`Д´)ノ
さっそく昨日買ったカイロを腹と手用に使う(`・ω・´)
でもさみーヽ(`Д´)ノ
昨日の西町問屋場跡からスタート。
天気はいいようだが行く手にはなにやら厚い雲が(´・ω・`)
スムーズに道道行くも寒くて寒くてたまらない。
なにやら道路工事が多かった。ここいらは取り立てて何もない住宅街だった。
なんか観音像がいっぱい。梅厳寺?
京口門跡
亀山宿の西端、竜川左岸崖上に東海道の番所として寛文一二年(一六七二)当時の
亀山藩主であった板倉重常によって築かれた。石垣に冠木門・棟門・白壁の番所を構え、
亀山城の一部としての機能を充分備えていた。崖を登る坂道の両側にカラタチが植えられ、
下から見上げると、門・番所のそびえる姿は壮麗を極め「亀山に過ぎたるものの二つあり、
伊勢屋蘇鉄に京口御門」と謡われた。この様な門は他の宿場に見られず、
安藤広重「東海道五十三次」のうち『雪晴』をはじめとする風景画の舞台となった。
亀山市教育委員会
布気辺りで曲がって線路を高架で渡る。渡った先は関宿側らしい。
47.関宿 (2007.11中旬)
最寄り駅はガイドブックによればJR関西本線・関駅らしい。
鈴鹿の関があったところらしい
関宿はなんか保護区域になっていて、街中が全部?昔の建物だった。
公衆トイレとかもちゃんとある。素晴らしい(・∀・)
だけれども、つまるところ建物が昔のものであるだけの普通の商店街のようであった。
すなわち今までの東海道沿いの商店街同様、車が結構行き交う。
せっかくの建物を見るのに中々危険だったりする。
勿論、そこに住む人たちが居てその人たちの生活があるのだろうけども、
あれじゃあちょっと台無しな感じもした(´・ω・`)
もしかしたら観光客が多い季節や土日は交通規制してるのかな?
観光とそこに住む人たちの生活のバランスを取るのは難しい。
良い観光スポットだからこそ産まれる問題か。ただのビルや商店街なら
立ち止まらずに通過するだけだから特にこんな風に思わないし。
地図で見るとよくわからないけれど道路の下で桜川と鈴鹿川が合流してる。
何橋かは読めない大岡寺畷?
関宿に至るところで左側からは行けない為に、ちょっと戻って歩道橋を。
関の小万のもたれ松
なんか仇討ちの話が関宿でもあったんだねぇ。
まったく知らずに通過したぜ(・∀・)
(関の小万と鈴鹿馬子唄)
途中までは普通っぽい家々が並ぶ。
東の追分を越えた辺りから昔の建物が(・∀・)