『風速40米』を観た

風速40米

いつもの石原裕次郎映画でした。おわり(・∀・)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
というだけの感想で十分なような気がしないでもないがもう少し書くか(´・ω・`)
 


後の裕次郎はともかくも、この頃は本当に下手だなw
後世の人達が今のキムタクや船越英一郎のドラマを観て
同じような感覚に襲われるのだろうか。

その辺はともかく、あらすじというか冒頭は

北アルプスの山小屋で、滝今日子(北原三枝)は滝颯夫(石原裕次郎)と知り合った。不良学生に襲われたのを、彼が救ってくれたのだ。颯夫は工科の大学生で、父は羽根田工務店の技師長だった。彼は父の会社に就職したかったが、父は何故か敵会社の和泉建設をすすめた。羽根田工務店の士門技師が墜落死した。父が結婚し、相手の連れ子が今日子だった。

という感じ。山岳映画かと思ったら関係無かったw 凄いセットだったw
そういえば上半身下着シーンがあったよ(*´・ω・)

この当時も登山ブームとかあったのかなと思ってぐぐったら、

1950年代、ヒマラヤで、1950年(昭和25年)のアンナプルナ、1953年(昭和28年)のエベレスト、1956年(昭和31年)のマナスルの初登頂など、8000メートル峰(14座ある)の初登頂ラッシュ[21]が続き、これを受け再び登山ブームが起きた。このブームの特徴は、大学や高校の山岳部に代わって、社会人山岳会の活動が活発になったことである。

登山-日本

公開年の1958年は昭和33年だから二年後か。
そんなに長くブームが続くものなのかと思ったが、他に娯楽が少なかった所為か、
はたまた社会人山岳会が頑張って色んな山の登頂に成功したからか、少なくとも
昭和35年くらいまではブームが続いていたみたい。見方によって昭和40年以降まで
続いていたようだが、それはもうブームというよりかは趣味の一つとして確立された
と言う感じか。まあ何にしても流行りネタを冒頭に組み込んだんだのかねぇ?

会社員の娯楽シーンとしてハイキングを組み込んでいた小津安二郎の「早春」は
1956年1月29日公開でマナスル初登頂が同年5月初旬ということなので、もしも
「早春」の製作開始時期が6月以降だったら、ハイキングの代わりに低山登山に
なっていたりしたんだろうか。あのシーンは江ノ島から茅ヶ崎方面だったから
山に行くと言ってもせいぜい代替となるのは鎌倉の衣張山か大磯の高麗山辺り
くらいだろうけれども。


宇野重吉演じる、颯夫の父・滝敬次郎のキャラクターが珍しく感じた。
大体主人公の父親って真面目で誠実な感じか、頑固で支配的な感じが多いけれど、
この敬次郎は真面目で誠実そうな感じに見えて、会社の自分に対する評価に
不満を抱き、ライバル会社の和泉建設と通じているという小物っぷりw
ある種リアルなんだろうけどもw

颯夫の友達・根津四郎役の川地民夫ってどっかで名前を観たなと思ったら、
映画版の「必殺仕掛人」の孫八という悪役をやっていた人じゃないか(・∀・)

大学在学中、逗子の家の隣に石原裕次郎が住んでいたのが縁で、日活に入社する。

そんなんでいいのかw

四郎の姉・根津踏絵役の渡辺美佐子って知らんなぁと思ってぐぐったら、
現在81歳で去年もドラマとかに出てたΣ(゚∀゚;) ゲンキダナ

和泉建設の社長・早田勇造を演じているのは金子信雄。
相変わらずの悪役っぷり(・∀・) 渡り鳥シリーズでもそうだっけ?

インターネットTVガイドかなんかの番組表で出演者として
"北原三枝 石原まき子"ってあって「( ´・ω・)エ? 別人なの?」と思って
ぐぐってみたら同一人物…ほわい?


なんやかんやでラストはビル建設を邪魔する為に悪い連中が台風の中、
乗り込んで来て、裕次郎の腕っぷしで勝つという、なんともわかりやすい終わりw