『復讐するは我にあり』を観た

復讐するは我にあり

昭和38年。当時の日本の人々はたった一人の男に恐怖していた。榎津巌(えのきづ いわお)。キリスト教カトリック信者で「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、78日間もの間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。映画ではこの稀代の犯罪者の犯行の軌跡と人間像に迫る。

実際にあった西口彰事件を元に佐木隆三が書いた小説が原作の映画。
内容が内容だけに重いが見応えはあった。

榎津巌役は緒形拳。巌の父・榎津鎮雄役は「飢餓海峡」の主役を演じた三國連太郎。
鬼気迫る殺人犯役をこなしてない俳優は二流や(・∀・)と偏った意見を言いたい所ではあるが、最近はこういう内容の映画は少ないもんな。つーかやれば良いってものでもないw
ミヤコ蝶々や菅井きん、フランキー堺等々の有名ドコロが脇を演じて雰囲気を引き締める。

そして何よりも倍賞美津子ヽ(`Д´)ノ
 
 
 
 
 
 
  
 
 
  
 
おっぱいでけぇぇぇぇぇ(*´・ω・)

というような話はおいておいても、とにかく見応えはあった。
つーか三國連太郎と倍賞美津子のパートって本当に必要だったんだろうかw?

浅野ひさ乃役の清川虹子は相変わらずの迫力があった。
そういえば火野正平も出てた(・∀・)

「あさの」の客:佐木隆三

あれ佐木隆三なのか(ノ∀`)


タイトルについては

ちなみに、「復讐するは我にあり」という言葉は『新約聖書』に登場する言葉だが、「悪に悪で報いる者は悪となんら変わりなくなってしまう。だから、悪に堪え忍べ。そうすれば神様御自身が必ず悪を裁き、私たちを悪から救って下さる」という教えのことであり、ここでの「我」とは「神」のことを指す。

西口彰連続強盗殺人事件

という意味があり、

タイトルの「復讐するは我にあり」は、新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる言葉で、こういう男がいたことを調査したとして、佐木自身は主人公を肯定も否定もしない気持ちを込めてタイトルに引用したという。

ということらしい。


上記の「無限回廊」のページと西口彰連続殺人事件を読んだけど、今ひとつ西口彰という人物が解りかねる。生い立ちの中で歪みを発するであろうポイントはあるにはあるが、これだけというのもちょっと弱い。

西口は戒律の厳しい全寮制の生活に耐えられず、ミッションスクールは3年の2学期に中途退学してしまった。
西口彰連続強盗殺人事件

家庭環境等でも何かあったのであろうか?
原作の小説等でより詳しく書かれているのかな。
機会があったら読んでみたい。

犯罪傾向の変化についてもちょっと興味深い。

西口は元々、窃盗、詐欺を繰り返した人物であり、それまで殺人を犯したことはなかった。詐欺師と殺人者、つまり知能型と暴力型は両立しないとされるが、この西口事件はそういう意味では犯罪史において貴重なケースとされる。
西口彰連続殺人事件

犯罪傾向の変化のきっかけは明確にはわからないが

西口彰は特異な犯罪者として注目された。それは従来、詐欺などの知能犯と殺人などの強力(ごうりき)犯は、別種の犯罪者と見られていたが、西口は、両方を軽々とやってのけたからだった。(略) 西口は取調室で「詐欺というのはしんどいね。やっぱり殺すのが一番面倒がなくていいよ」と本音をもらしている。
西口彰連続強盗殺人事件

という本音や何度も詐欺に失敗して捕まっていることからだろうか?

ただ、強盗殺人事件以降も詐欺を繰り返しているところを完全に切り替わって快楽殺人犯になっているわけではなさそうだ。うーむ(´・ω・`)


映画の方の榎津巌は父との確執があるように見受けられた。
軍に船か何かの供出を迫られた時に、巌の中で愛すべき、尊敬すべき、恐怖すべき父が失墜し、その変化に対応する為に心の歪みが生じた感じなのかな。
国への反発にしては少しおかしいしな。

何にしても観て良かったかな(・∀・)
まあ内容が内容だけに普通の人にはお勧め出来ない。