『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』を観た

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

1975年に日本で放送され、1979年にはイタリアでも放送された永井豪原作のSFロボットアニメ「鋼鉄ジーグ」をモチーフにしたSFアクション映画。

wikipediaのあらすじを引用しようと思ったが、なんとなく合っていて、それでいてぜんぜん違う感じがするw
仕方がないので微かな記憶を頼りにネタバレ有りで登場人物を紹介してからあらすじというか冒頭シーンを記す(`・ω・´)

※2017/6/10追記
wikipediaのあらすじが大修正されてる気がするw
前はこんな詳細な内容じゃなかったw
前のあらすじというか修正前の内容
でも今度はほぼ完全に最初から最後までの内容を記しちゃってるから、リンクは消しておこうw

配給会社か熱心なファンが気付いて直したんだろうかw

エンツォ(クラウディオ・サンタマリア Claudio Santamaria)
人間嫌いのチンピラ。窃盗などの犯罪に手を染め、生計を立てている。物語はエンツォが警察に追われ逃げ惑う所から始まる。その途中、図らずも謎の放射性物質に全身を浸し、超人的な力を手に入れる(但し筋力、耐久力、回復能力くらい)。
自分の身体の異変に気づいてから、その力を悪用し、犯罪を繰り返すがアレッシアとの生活によって徐々に変化し始める。
アレッシア(イレニア・パストレッリ Ilenia Pastorelli)
セルジョの娘。母の死後辺りからおかしくなり、現実の世界と大好きなアニメ・鋼鉄ジーグの世界を混同するようになった。 精神年齢も低い? 継続的な幼児退行?
エンツォを鋼鉄ジーグの主人公・司馬 宙(しば ひろし)と同一視し、つきまとう。完全におかしいわけではないのか、時折まともなことも言う。
ファビオ カニッツァーロ(通称・ジンガロ)(ルカ・マリネッリ Luca Marinelli)
小規模なヤングギャング団のリーダー。歌好きで目立ちたがりのナルシストでイカれてる。それでいて小者感に溢れていて、非常に現実味があるキャラ。
ヌンツィアの組織から仕事を回してもらい、媚びへつらっているが、内心ではヌンツィアへの怒りを抱いている。YouTubeで有名になったスーパークリミナル(エンツォ)に嫉妬しつつも、その力を羨望する。
セルジョ(ステファノ・アンブロジ Stefano Ambrogi)
ジンガログループの一員。エンツォの盗品の買い取り等をしていた。エンツォを仕事に誘う。見た目は優しそうだが…
リッカ:マウリツィオ・テゼイ
ジンガログループの一員。冷静でジンガロの暴走を抑えている。ジンガロをリーダーと認めているわけではない。
ヌンツィア(アントニア・トルッポ Antonia Truppo)
カモッラの下部組織の女ボス。小柄な普通のおばさんだが、結構残酷な人。

話の冒頭は

ローマのチンピラ・エンツォは今日も警察に追われていた。必死で逃げるエンツォであったが、ついにテヴェレ川の川辺に追い詰められ、水中に身を隠す。警察の追跡をやり過ごしたエンツォは川から上がろうとし、踏み台にした錆びて脆くなっていたドラム缶を踏み抜いてしまう。ドラム缶の中に落ちたエンツォは中を満たしていたタールのような黒い物質に身を包まれ、飲み込んでしまう。一時的に体調を崩すエンツォであったが、すぐに復調し、盗品を売る為にセルジョを訪ねる。足元を見られて盗品を安く買い叩かれたエンツォであったが、セルジョから仕事の手伝いを紹介され、受けることに。この仕事で起きた出来事と苛立ちから出た行動から、自分の超人化に気づいたエンツォは力を悪用し、大きな犯罪に手を染める。

てな感じ。


おっさんである俺氏でもほとんど鋼鉄ジーグを観た記憶がない。
再放送で観たことがあるくらいかな?
本放送時を観た記憶がある人は多分、もっと上の世代の人達だろうなぁ。
取り敢えず超合金は欲しかった…(´・ω・`) スナバニイクトサテツガトレマス
エンツォに同情したりはしなかったけれども、「最強伝説 黒沢」の黒沢に通ずる中年男性の孤独というものをちょっと我が身を重ねてみたりもした("・ω・゙)
ジンガロことファビオ カニッツァーロ(wikipediaのイタリア語版のこの映画の項目・Lo chiamavano Jeeg Robotには"Fabio Cannizzaro detto Zingaro"と表記されていて、dettoは別名とか~ことということみたいなので、日本語訳するならこうなる?)は最高にイカれ過ぎてて、なんか気に入ってしまったw
ストーリー的には最低のクズ野郎で普通に観てたら最高にムカつく野郎なんだけどねぇ(・∀・)

かなり生々しい感じの暴力・殺人シーンがあるので、そういうのに耐性がない人向けでない映画だった。まあでも話の内容的にはこれはこれで有りかなぁと思った(・∀・) オッパイモアッタヨ


以下はネタバレを含むヽ(`Д´)ノ</summary class="spoiler">

放射性物質の不法投棄はいいとして、いや、良くないが、いちいち言ってると話が進まないのでいいとして、それを摂取し全身に浴びたら超人化するってどうなんw?
ドラム缶に記されていたマークはバイオハザードマークじゃなくて放射能標識だったから、謎の化学薬品とかではないであろう……まあ放射性物質を含む謎の薬だったのかもしれないが。何にしてもゴジラ的な超人化だったので、ちょっと雑だなと思ったw
ジンガロも簡単に超人化してしまったのと、最後の方の戦闘シーンも結構雑だと思ったw
それ以外の部分は丁寧な作りな感じがしたので、尚更にこの辺りはちょっと浮いているような気がしたw
アレッシアは可哀想だったねぇ(´・ω・`)
直接的に表現はされていないけれども、明らかにセルジョに性的虐待を受けておかしくなったんだなということは観ていてわかるように要素が散りばめられていた。
エンツォに出来上がった編み物を渡す時に柄が判るんだけども、あの瞬間に観てる人は皆「あ、この子死ぬんだな…(´・ω・`)」と思うに違いないw
死亡フラグばりばり立ちましたよ、ええ(´・ω・`) 
最後の最後で何の柄かはっきりするけども、この映画のタイトルからすれば何の柄かはすぐ判ってしまう(ノ∀`)

アレッシア役のイレニア・パストレッリは、なんか最初の頃は若い娘のように思えたのに最後の方ではなんかちょっと歳いった人に見えていたが、あれは演出なんだろうか? セルジョと暮らしていた時は幼児退行によりアマソの剣を回避しようとしていたけれども、セルジョの死によって少しずつ正常に戻りつつあったのかな?
まあ歳がいっているとは言っても、1985年生まれで2015年公開の映画とすれば、撮影時は29~30歳だから年相応と言えば年相応だったけれども。

あの二度出て来る風船は何を表していたんだろうねぇ(´・ω・`)?
風船は力を表し、自らの欲望や個人の殻を破って、世界のために使えということとかなんだろうか?

ジンガロの火傷とかラストシーンに編み物を被って飛び降りるシーンはバットマンのパクリなのかしらと思ったり…( ・´ω・`)

結局のところ、この映画のタイトル、劇中に出て来る「鋼鉄ジーグ」は似たような別の大人気熱血勧善懲悪アニメでも良かったんだろうなと思った。作品のテーマの一つとして、超人的な力を持っていたならば、より正確に言うならばそういった力はなくとも弱き女子供を守り、人々の為に働くようなヒーローに成れ、なれなくても心の中に居るヒーローに恥ずかしくないように生きよというようなメッセージがあって、イタリアでのヒーローの代名詞であり、監督も大好きだった「鋼鉄ジーグ」がそのシンボルとして採用されただけなんじゃないかなぁと。
俺氏は常々、子供にはヒーローが必要だと思っている(`・ω・´)
そのヒーローとは映画やアニメや漫画のキャラクターでもいいし、野球やサッカーなどのスポーツ選手でもいいし、祖父祖母父母兄姉でもいい。
とにかく人生をより良く生きていくために、人にはヒーロー、より正確に言うとモデルが必要なんだと思っている。
そのモデルが間違っていたり歪んでいたり、或いは居なかったりすると、その人は多分苦労する(´・ω・`) <- 実感がこもっているのは、まぁそういうことです(ヽ'ω`)

そんな感じに考えているので、この映画には何か共感とは違うが、何かしら、引っ掛かるモノを感じた(・∀・)

この映画の評価みたいなのをぐぐった時に、映画評論家・町山智浩がラジオで言っていた内容を書き起こしたエントリがあったのだけれど、

でもね、やっぱりある程度好きなヒーローとかいた方がいいと思うんですよ。なんかやっぱり困っている人とかがいたり、男気を見せなきゃいけない時ってあるじゃないですか。
(中略)
やっぱり常に、ヒーローを持っているとそこで、なんかやっぱり違うことができるんじゃないかなと。

というようなことを言っていて、似たようなことを想起しているところをみると、やっぱりこの映画はそういったことを考えさせたり、思い出させたりする作品なのかなぁと思った。関係ないけど、福山雅治の「明日のSHOW」も連想したり(・∀・)


暴力表現等々が駄目じゃなければ、観てみたらええんじゃないかくらいで(・∀・)
色々とチープで雑なところがあって暗い話ではあるけれども。