月: 2011年2月

中世都市鎌倉を歩く

山形大学教授である松尾剛次氏によって著された中世の鎌倉について紹介した一冊です。
従来の研究においては放置され歴史と土砂に埋れていた時期の鎌倉を文字通り掘り起こした内容です。

歴史好きな人は言うまでもありませんが、鎌倉のハイキングコースや切通しを歩いたことがある人にお勧めです。
「ああ、なるほどあそこはそういうところだったのか」と散策時の体験と知識がリンクする喜びを味わえると思います。
章立ては源氏、北条氏、足利氏、上杉氏という主の変遷で分けられており、
時代背景とその時代における"鎌倉"が解説されています。


・高時腹切りやぐら~八雲神社をつなぐ祇園山ハイキングコースがありますが、その祇園山の名前の由来

・和賀江島と極楽寺、光明寺の関係
・頼朝の墓と大倉御所(西御門)

・建長寺や巨福呂坂切通し周辺の成立

・源氏山公園(化粧坂)~高徳院(大仏)をつなぐ大仏ハイキングコース、極楽寺辺りの過去

・カヤックのボウルズや清川病院付近が鎌倉御所跡らしい

・六浦道~朝比奈切通し~金沢称名寺や鎌倉公方屋敷

・由比ガ浜の人骨
・鶴ヶ岡八幡宮の各時代での存在意義
・古河公方(鎌倉公方)/関東管領と戦国大名とのつながり

などなど、自分には列挙すればきりがないくらい興味深い要素満載の一冊でした。

鎌倉・江ノ島に行った

先日、後輩二人と後輩の子供と遊びに行った。

後輩の子は男の子で電車好き。
江ノ電に乗りたいということだったので鎌倉駅に集合。
長谷と江ノ島で降りた。

長谷大仏と長谷観音をまた見てきた。
江ノ島の上の方まで行ったのはもしかすると物心ついてからは初めてか。
自力で登ったけど、エスカーは乗るほどでもないと思った。


子供とは全く関わりがない人生を送っているので初めて知ったが、
三歳児の猛ダッシュこええ_| ̄|○
手をしっかりつないでいないと急に走り出したりするのでハラハラドキドキである。
やはりこのくらいの子は常に手をつないだり注意を払ってあげていないといけないと
いうことを学習したφ(・ω・` )メモメモ…


江ノ電に乗った時も大仏見た時もそれほどはしゃがなかったのでいささか拍子抜けした。
逆にみんなで歩いてる時に抱っこをねだってきたり、寝っ転がったりと構ってもらえる時に
思いっきりはしゃいでいたので、単純に公園で遊んであげたほうが良かったのかなぁ…
名所巡りより公園で遊んであげることφ(・ω・` )メモメモ…


半日だけだけれども眺めていて思ったが、やはり子供は大人の行動・言動をかなり真似してる感じだ。
本質的に意味がわからなくても、適合すると判断したシチュエーションで反応を実行してるのだろうか。
はしゃいでる時はテレビアニメとかの歌とか台詞を真似してたようだけど、あんまりよく聞き取れなかったw


全く流行らなかった逆チョコとかいうやつでもないが後輩x2+後輩の子用に持参していったビッグサンダーとちびサンダーをあげた。(ブラックサンダーは売り切れだった__○_)
自分自身は割って食べるビッグサンダーを丸かじりするさまを見てカルチャーショックΣ(゚∀゚;)
でも考えてみたら自分も子供の頃はそうだったかw
無表情に近い感じで黙々と食べていたので、それほど気に入らなかったのかと思ったが、その後、ママの分もねだっていたから、それなりに気にいったのかな?
布教完了( ・´ω・`) デモアレ1マイ207キロカロリーアルゼ クイスギチャダメダゾ…


今度会った時にもっと遊んであげられるように運動不足を解消しておくべきか。
筋トレはたまにやっているので抱っこ自体は問題なかったが、坂道を登った時にすぐに
息切れしちゃったからな(ノ∀`)

なんやかんやで子供と遊ぶのは面白いなぁ(・∀・)

東海道中膝栗毛

十返舎一九作の戯作本です。
内容は弥次郎兵衛と喜多八の江戸~伊勢~京都・大阪間の道中記です。

現代語訳ではないので多少ハードルは高いですが古典というほど難しくありません。
脚注等も多く二人のやり取りがメインなので慣れれば何とか読み進められると思います。
時間はかかるとは思いますが随所に現代にも残る表現や方言を見ることが出来るので、
現代語訳では味わえない知識のリンクによる喜びを得られると思います。


基本的な構成要素は弥次喜多のやり取り、狂言や笑い話をベースにした事件、
その事件を詠んだ川柳、各宿道中での名所名物の記述、出会った人々の方言や
衣装の記述といった感じです。


てっきり最後まで東海道を旅するのかと思って読み進めていくと、下巻に入って間もない
五編下から伊勢参宮道へ行ってしまいます。まあ二人の旅の目的は伊勢参りなので
それは当然なのですが、近江辺りの話も読んでみたかったのでちょっと残念です。
そういった点から言うと上巻は東海道旅、下巻は伊勢・京都・大阪編と言えます。


下巻を読み終えてから上巻の発端などを読んでいてふと思い出したのが、
喜多八は元は鼻之助という弥次郎兵衛の若衆だったはずなのに旅の途中では
特にそういったこともなく女を取り合ったりしていてなんか変だなということ。
まあ歳が長じてそういう関係ではなくなったのかと勝手に解釈して読み進めていましたが、
よくよく考えてみると発端は八編の後に出されたものなので後付け設定なのかもしれません。
現代で人気が出た漫画やドラマでよくある外伝とかスピンアウトみたいな感じで。


ちなみに初編での弥次郎兵衛は一人住みの能楽者(怠け者)、喜多八は食客(いそうろう)とありますが、
発端では

弥次郎兵衛
元は駿州府中(今の静岡市)の商人。遊郭や衆道にはまって身代を潰す。
若衆である鼻之助(喜多八)と夜逃げして神田八丁堀へ。
周りの勧めで御末奉公上がりの女・おふつと結婚していたが……

喜多八(鼻之助)
駿州江尻(今の静岡市清水区?)の人。
旅役者の花水多羅四郎(はなみづたらしろう)の弟子で陰間。
江戸に来て元服、喜多八と名乗る。奉公先の商人に気に入られ、
それなりに金に融通が利く状態になるものの……

というような感じになっています。大分受ける印象が異なります。
現代のモラル、思考をもって過去を、しかも戯作本の内容をはかるべきではありませんが、
発端の内容は結構酷いです(ノ∀`) おつぼもおふつも不憫でなりません。
もしも発端が最初に書かれていたのならば、旅の途中で触れられたりしたのでしょうが。


八編の最後で弥次喜多は河内屋四郎兵衛に路銀を用立ててもらい木曽路経由で"めでたく帰国したりける"とあり、東海道膝栗毛は終了します。
この後の二人の道中を描いた続膝栗毛があるようですが岩波文庫では出ておらず、
静岡出版で出されていたものも今は入手困難のようです。

いつか機会があったら続編を読んでみたいものです。