7.平塚宿 (2007.10下旬)
最寄駅はJR平塚駅。きつねそば。前日の終了地点まで戻っても良かったのだけれども、
折角の天気だったので平塚駅の北のあたりから歩きはじめることにする。
住所で言うと紅谷町あたりを通って市民プラザの方に出る。なんだか風俗街っぽいな、
ここ一帯は(w なんとか学園とかキャバクラらしきものもチラホラと(*´・ω・)
ここにある紅屋町公園にお菊塚があるようだ。「番町皿屋敷」のお菊さんの墓だ。
地図看板、見附の説明、要法寺、道x2
最後の一枚に見えるは高麗山かな。要法寺の近くに平塚の名の由来になった
平塚の塚があるらしい。桓武平氏の人のお墓なのか。
花水川に着き15:00くらいに出発。一号線を歩く。
すぐ右手に見える高麗山。この写真ではいまいちだけれども、
実際に見ると中々立派な山である。湘南平に抜けるハイキングコースが
あるらしいので、いつか歩いてみようと思う(`・ω・´)
ふもとにある高来神社
高来=高麗=コマと渡来人と関係が深いようだ。
高来神社の入口から400mほど行ったところに突然マックがΣ(゚∀゚;)
このマックの横にあるのが化粧坂公園。一応トイレポイントかな。
この公園の前の信号を渡って脇の細い道が旧東海道。
ゆるい勾配の上り坂、化粧坂だ。
化粧井戸 曾我十郎の恋人・虎御前が毎日ここに来て化粧をしてたという。
高知県・一條神社、小野小町化粧井戸、大分県宇佐市・化粧井戸といった感じに
化粧井戸は各地にあるみたい。いつの世も女性は化粧が好きなのか(・∀・)
藤沢辺りまでは源氏にちなんだ史跡が多かったが、この辺りからは曾我兄弟や
虎御前のものが多い。
曾我兄弟って名前は聞いたことあるけど、よぅ知らん(´・ω・`)
曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。(曾我兄弟の仇討ち)
神奈川東部出身なのに習った記憶すらないなあ。