16.由比宿(2007.11初旬)
ガイドブックによると最寄駅は「JR由比駅・宿場の中心までは、駅をおりて東へ、
徒歩約二五分」とあるから、80m換算で2kmかΣ(゚∀゚;)
地図ソフトで由比本陣公園までの距離を測ってみると100mほど蒲原駅からの方が
近いかも。それでも1.7kmくらいあるけど(w
途中、水神の石碑があった。ちょっと珍しいなと思い写真に収めた。
道祖神と刻まれた石碑は何度か見たような気がするが、水神はここくらいだったかな?
ちょっと思い出せない(´・ω・`)
ここ寺尾には昔、南方寺という真言の寺があり地名の起源となったと伝えられている。昔の家並 みは海沿いにあったが、たびたび津波の被害をうけ、そのため天和2年(1682)高台に新道 を改さくし東海道とした。現在の街道は当時のままの道幅で、所々に格子戸、蔀戸の古い家をみ ることができる。(由比町) (
東海道五十三次の16番目「由比宿2」)
災害事例 津波
★1854/12/23 (安政元年) 安政東海地震津波
静岡県沿岸各地は大津波に襲われた。当地では古記録によると地震直後に津波がおそい、1.5町も潮が引いた。津波の高さは2m程度であった。
(静岡県市町村災害史 由比町)
海岸線に近いところだから、その分水害が多くかったんだろうなぁ。
その結果として普通の神様じゃなくて水神様を祀ってるんだろう。
一里塚跡
一里塚
慶長九年(一六〇四)江戸幕府により、行旅の便をはかるため、東海道・東山道・北陸道に設けられ、一里が三十六町、一町が六十間と定められ、塚には榎や松の木が植えられた。
由比の新町の一里塚は江戸から三十九番目で松が植えられていたが、寛文年間(一六六一-七一)、山側の松が枯れたので、良用軒清心という僧がここに十王堂を建立し、延命寺境外堂とした。十王堂は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、祀られていた閻魔像は延命寺本堂に移されている。平成六年三月
由比町教育委員会
由比本陣公園
足の裏がガチガチになって耐え切れず、由比本陣公園に入って
建物併設のベンチで休んだ。
老人会のバスツアーらしき集団を眺めつつ足をマッサージ。
敷地は狭いけれど整備もされていて綺麗な公園だった。
併設の東海道広重美術館は有料かもしれないけれど、公園自体は無料だった。
由比正雪
由比町(駿府宮ケ崎町との説もある)の紺屋の子として生まれる[1]。
幼い頃より才気煥発で17歳で江戸の親類に奉公へ出たが、楠木正成の子孫の楠木正虎の子という軍学者楠木正辰(楠木不伝)の弟子になるとその才能を発揮し、やがてその娘と結婚し婿養子となった。(中略)
慶安4年(1651年)に、「由井正雪の乱」ともいわれる「慶安の変」を起こし駿府にて自害。享年47
(由比正雪)
慶安の変てこないだ読んだ「保科正之」でちょっと出てきたな。個人的に由比正雪というとパタリロの8巻くらいに出てきた天狗党のボスというイメージしかない(w
そういえば鎌倉にも由比ヶ浜ってあるな( ・´ω・`)
「由比ヶ浜 由来」でぐぐると
「由比ヶ浜海岸」の名からつけられました。「由比ヶ浜」の名のおこりははっきりわかりませんが、由比というのはみんなで助けあう「ゆい」からきているともいわれます。また、むかし由井郷にあったので、その名がついたともいわれています(
Kamakura GreenNet)
今は「由比ガ浜」と書くのが普通になっていますが、むかしは「由井ヶ浜」または「油井ヶ浜」と書いたものが多かったようです。また稀には「湯居」とか「湯井」などとしたのもありますがこれはどちらも誤りだとされています。
江戸時代には「由比」と「由井」が混用されていましたが、次第に「由比」が多くなり、明治になってからは殆ど「由比」に統一されるようになりました。
改めて申すまでもなく、この名称は海岸のもので、現在のように地域の名になったのは正確な年月は不明ですが、大正の頃からからだと思われます。(中略)
結という言葉は、結合とか共同という本来の意味から転じて、労働力の交換を意味する言葉になっています。
元来は一族の間でのことだったのが、後には隣近所での手助け、手伝いにまで拡がっています。つまり、むかしは村人がお互いに手伝い合って漁をする海岸というので「ゆい浜」と呼ばれていたのだと思われます。共存共栄を念願とする町にとって誠にふさわしい名と申すべきでしょう。(歴史でわかる商店街)
とある。
由比町の方も
由比町の由比という文字には『結(ゆい)』という、漁師たちの互いを助け合い、思いやる共同作業に由来するという説もあります。由比町といえば桜えび漁。由比には、由比、蒲原、大井川の3地区で、サクラエビの水揚げ量を全部足して、それを均等に分けるプール制が存在します。プール制があるのは、全国でもここだけ。他を思いやる、由比町民の気質が表れた制度ですね。(
とく報!)
とある。
更にぐぐりざるとを見て行くと
「ゆい」地名は、「たゆい」地名と同じく、民俗学的には漁村に多い共同作業の「結 ゆい」慣行のあった場所につけられたとされるが、地形名の場所も多い。(目からウロコの地名由来)
とあった。 他は「たゆい(田結、手結)」だから今ひとつ決定打にかける説だなぁ(´・ω・`)まあ由比ヶ浜も由比町も長い砂浜を持っているから共同作業とかはやりやすそうだけども。
空腹だったが、由比特産は桜エビということでパスした。
今考えてみたらしらすなんとかでも食べれば良かった。
秋の日差しの割に強く、今日も日焼けした。さった峠へ向かう坂はきつかった。
看板とちょっとかっこいい清水銀行、道、記念碑、由比川、由比川橋
桜エビ料理の店に並ぶ観光客らしきカップルを横目に370号を汗だくでひたすら進み、
由比漁港の終わり辺り(今宿?)で右折。
由比駅を300mほど過ぎた後、右折して左折。
その途中に小池邸という休憩できそうな場所があったけど、立ち寄らなかった。
[国の登録有形文化財]
小池邸
小池家は昔、甲州武田氏家臣が当地に移住し、江戸時代には代々小池文右衛門を名のり寺尾村の名主を務めました。この建物は、明治期に建てられ、大戸・くぐり戸・ナマコ壁・石垣等に江戸時代の名主宅の面影を残しています。町では東海道を行き交う人に休息の場として使っていただくために、購入して修復工事を行い東海道名主の館「小池邸」として蘇らせました。
平成十年三月 由比町