18.江尻宿(2007.11初旬)
最寄駅はJR清水駅。
何故かこの日の明確な記録が残ってない。
pwiファイルに手書きでちょこっとしか書かれていない。
いささか怪しいが写真を見ながら記憶を辿るしかない
8:30くらいに出立 だらだらと行く。
清水銀座のくじらやらトトロやら看板やら道
今、清水銀座は清水銀座(巴流:パル商店街)という名前らしい。
清水銀座から左に曲がって…
って、なんぞこのショタコン橋Σ(゚∀゚;)
とよく観たら河童か。でも橋の名前が稚児だしなぁ…。
稚児橋の由来
慶長12年(西暦1607年) 徳川家康の命により、東海道五十三次沿いの巴川に橋が架けられ、江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなり、渡り初めの日とはなった。 さて儀式に先がけて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、川の中から一人の童子が現れたとみるやするすると橋脚を登り忽然と入江方面へ消えさった。渡り初めに集まっていた人たちは、あまりに突然のこととてあっけにとられたが、このことから橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名づけたといわれている。 なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。
いちろんさんのでっころぼう人形の中に河童がいるのは、この伝説による。
なんでまた老夫婦を渡らせようとしたんかとぐぐってみると
橋供養が終わって、橋の渡り初めの儀式が行われるなかで、一家三代
に渡って健在する夫婦による渡り初めがいつ頃から行われていたか?
詳らかではありませんが、江戸時代の絵や書物などにも少なからず確認
できます。一家で3代の夫婦が健在するということは、大変珍しいこと
で、またお目出度いことであった(である)と思います。これに、あや
かりたいという意味があるのではないでしょうか。(三代夫婦の渡り初めリンク切れになってた(´・ω・`))
とある。「三代に渡って健在する夫婦」=老夫婦ということか。
いちろんさんのでっころぼう人形ってなんだべ(´・ω・`)?
古い時代は、親の願いにそむいて若くして死ぬ者を役立たずの「泥像の坊(でくのぼう)」といったらしいが、ちょうど市郎右衛門さんの為朝の似肖像(あやかりく)も土細工の泥像であったことなどもかさなり、江尻近郷の庶民のあいだからは、「市郎右衛門さんとこのでくのぼう」と呼ばれるようになり、郷土なまりも加わって『いちろんさんのデッコロボー』の愛称で親しまれていった。(
いちろんさんのデッコロボー)
■いちろんさん■
「いちろんさん」は店の名前、屋号です。静岡市の隣町、清水市にある有名な店です。
「いちろんさん」の屋号は、初代堀尾市郎右衛門の名からとったもので、現在もその名を継いで、7代目人形師・堀尾市郎右衛門となっていますが、実際は5代目に当たるとのことです。
(【民芸館】......全国郷土玩具の旅 静岡県篇(1)ー2)
なるほどこんなものが。でもちょっと怖い((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
なんでこんなもん作ったんだろう…他にもあるのかぐぐってみる
阿波首人形
首人形はすべて阿波人形芝居に登場する人物の首です。本物は木偶(でこ)、木製ですが、玩具の方は、粘土で手捻りにより作られています。(中略) 阿波人形芝居の最盛期は江戸末期で、この頃、この地方には農村舞台が200棟余も数えられ、職業とした座だけでも70余、その他に素人の座もかなりありました。
そんな座にいた一人が、芝居に使う木偶に似せて粘土で首を作り、子供達に与えたのが始まりといわれ、子供達はそれで人形芝居のまねごとをして遊びました。(徳島県篇(2))
ということは元は人形劇のものなのか。
他にも各地に色々とあるようだ。(→首人形 特集)
微妙に小雨というか霧雨がぱらついてきた。
久能山に向かう追分道標?この近くにあった追分羊羹が名物らしいが買わなかった。
追分羊羹の製法は明の僧が教えてくれたものらしい。
そういや羊羹って元々は羊の羹(あつもの)だもんな。
なんで小豆羹とか豆羹にならなかったんだろうか。
もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)であった。これは羊の肉を煮たスープの類だが、冷めることで肉のゼラチンによって固まり、自然に煮凝りの状態となる。「羹」の通常の音(漢音)は「こう(かう)」で、「かん」は近世中国語に由来する唐音であり、現代中国語音「コン (geng1)」に近い。
鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律(五戒)により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされる。別の説によると、羊の肝臓の形をした菓子である「羊肝こう」が、中国から日本に伝えられた際、「肝」と「羹」が混同され、「羊羹」と呼ばれるようになった(『嬉遊笑覧』)ともされる。(羊羹)
語源は二説あるみたいだ。
清水次郎長ってあんまりよく知らない。森の石松の名前は知ってはいるけども侠客か
道なりに線路越えたり曲がったり進んで行くと結構立派な学校があった。
清水有度一小か。地図で観ると静岡鉄道の御門台駅の真ん前にあるようだ。
地蔵堂が近くにあった。
狸の金玉
( ・∀・)っ< U ) ひっぱれ~ひっぱれ~き~んたま~ひっぱれ~♪
その横に一里塚。庚申塔は何処で撮ったか覚えていない。
この辺で散髪した記憶が。もっと後だったかな?
足の疲れも多少とれた。
この時ポイントカード要りますかと言われたが断った。
だって静岡に散髪になんて中々来ないし。そもそも髪の毛少ないし(´・ω・`)
草薙神社が近いと誤解して行こうとするが、中々つかないので断念。
GPSデータをみてみるとあと1.5kmくらい先にあったようだ。止めて正解だった。
なぜか草薙神社の大鳥居?を撮り逃している…まあいいや(・∀・)
龍勢花火は、火薬を詰めた筒を長い竹の先につけて打ち上げる花火です。現行では、草薙が市内唯一の伝承地です。草薙における龍勢花火の起源は明らかになっていませんが、元禄年間(1688~1704)には草薙神社の祭礼で龍勢の打ち上げがおこなわれたと伝えられています。(草薙神社龍勢花火)
龍勢(りゅうせい)とは筒に黒色火薬を詰め、竹竿を結んだ花火である。上空で傘が開き、様々な仕掛けが作動する。
日本国内で最も有名な埼玉県秩父市吉田久長には龍勢会館があり、各地の龍勢が展示されている。
国内では、
埼玉県秩父市下吉田[旧吉田町、現在秩父市と合併](龍勢祭り)
静岡県静岡市清水区草薙(草薙大龍勢)
静岡県藤枝市岡部町朝比奈(朝比奈大龍勢。二年に一度開催)
滋賀県米原市(米原流星)
滋賀県甲賀市甲南町竜法師瀬古(瀬古の流星)
で伝承されている。 主に地域の神社の祭礼などに関連して行われる。
(龍勢)
日本各地に受け継がれているようだ。
草薙駅を過ぎた辺りで407号から左の細い道へ。
現在、私たちが普段見かける赤くて丸い『だるま』に代表されるように、ダルマ像は、座禅をしている姿をあらわした座像が一般的です。東光寺にこのたび建立された『葦葉達磨大師像』は、ダルマ像としては大変めずらしい立像です。(中略)
足元は、ダルマ様が中国の揚子江を葦の葉っぱに乗って横切った、という言い伝えをもとに、葦の葉と揚子江の波が表現されています。(東光寺坐禅会)
ろよう あしば
芦葉達磨、(葦葉達磨、渡江達磨)と呼ばれるものらしい。(だるま)
この先の東名高速道路を越えた辺りから府中宿側らしい。