2004年のアテネと1950年代の古都コンスタンチノーブルを舞台に、ひとりの少年の成長とトルコギリシャの現代史を絡めて描くノスタルジックで心温まる人間ドラマ。あらゆるシーンで登場するギリシャ料理の数々が大きな見どころで、色々な種類のスパイスの調理法が登場する。本国ギリシャでは、観客動員数の記録を塗り替えて国民的映画となった。
開始当初からおっぱいが出てきたので(※但し授乳シーン)、色めき立って拳を振った俺氏
( ゚∀゚)o彡゜おっぱい!おっぱい!
だがしかし、これは別にエッチな映画じゃなかったよ…_| ̄|○
これはまあ、ブンガクの香りのする作品ですな。
正直なところ、ギリシャとトルコの歴史的関係等の教養というか知識がないと、表面上でしか理解できない部分もあると思った。
軽めに調べたので、間違ってるかもしれないギリシアやらイスタンブールの概略
- 古代ギリシア
- ローマ帝国統治 → ローマ帝国分裂(分割統治?)
- 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)統治
- なんやかんやでギリシア化進む(ローマ・西欧文化から古代ギリシア文化への回帰? ギリシア正教の浸透?)
- オスマン帝国統治 → 1821年からの独立戦争を経て1829年独立。
- ギリシャ第一共和政(独立戦争時からギリシア王国までの体制?)
- → ギリシャ王国
- クレタ島奪取を目論んで希土戦争(1897)を起こすが負ける。
- バルカン戦争(1912-1913)でクレタ島を奪取。
- 第一次世界大戦(1914-1918)で三国同盟国側についたオスマン帝国からイスタンブールとその近辺地域を除く東トラキアを割譲させ、アナトリアのスミルナ地方を行政権下に。(セーヴル条約)
- 希土戦争(1919-1922)で敗北して、セーブル条約で得た領土を全て失う。
- 1923年 革命によってトルコ共和国成立。オスマン帝国の時よりもナショナリズムが強くなる?
- ローザンヌ条約で"ギリシャとトルコ間での住民交換が決定した。約100万人のギリシャ正教徒がトルコからギリシャへ、50万のイスラム教徒がギリシャからトルコへと移住した。"
- 但しこの交換には例外規定があり、1918/10/30以前に1912年の法で登録されているギリシア人は除外。1923年段階のトルコ在住のギリシア系住民は25万人強。このうち20万人がトルコ市民権、残りの4万5000人がギリシア市民権を所有。イスタンブールに居住していたギリシア人は24万5000人。
- 第二次世界大戦時は枢軸国に占領され、傀儡国家に。戦後、内線。
- 1955年 イスタンブールで反ギリシア人暴動(イスタンブル・ポグロム?)
- 1963年末に始まったキプロス紛争の影響から、1964/3/16にギリシア国籍を持つギリシア人全員の国外退去処分が決定。
より詳しい内容はぐぐってヒットした
一橋大学機関リポジトリにあった文書を参照のこと。全部は読んでない(ノ∀`)
※P690で"租述"とあったが祖述(?) ← 意味が分からなくてぐぐったら、後者が正しいようだが、前者でも引っかかるな…どっちなんだろうか(´・ω・`)
希土関連の文書を読めば読むほど根が深い…_| ̄|○ イマダニモメテルノカ
ナショナリズムの時代だったからとはいえ、汎ギリシャ主義(メガリ・イデア)的な動きに問題があったんじゃないかと思ったり思わなかったり。背後にブリカスの影が見えるところが何とも言えんな(´・ω・`)イスラエルパレスチナトイッショカ
まあ国家間の対立に翻弄された人々の話だねぇ…
映画としてはそこにファニスの恋愛を混ぜ合わせた感じで風味をつけてるけど。いや、そっちがメインか( ・´ω・`)
この作品は監督と脚本を担ったタソス・ブルメティスの体験をベースにしているらしい。
タソスは1957年生まれた人のようなので、6~7歳の頃に国外退去の憂き目にあったのかな。
作中のファニスもそんくらいだっけか? ※全然関係ないが、なぜかWikipediaの項目で監督の名が"タンス"になっているw 脚本はちゃんとタソスなのにw
画像ペタペタ
作中は微妙にコミカルな感じのシーンもあるけど、パーキンソン病ネタは今だと怒られそうな気がしないでもないw
おじいさんは料理には美味しい隠し味が必要で、それは塩だとかなんとか言ってたような気がしたけど、良き人生の隠し味は悲しい涙のしょっぱさなのだろうか(´・ω・`)
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