カテゴリー: 文学系

友と友の間 / 菊池寛

久米正雄、松岡譲と夏目漱石の娘・筆子の恋愛事件について、菊池寛の視点から書かれた作品。

序盤は菊池寛の分身たる木村雄吉の、松本藻石(夏目漱石)と京都帝国大学時代の恩師である中田博士(上田敏)に対しての思いが綴られ、藻石の死去から物語は本編(?)へと突入する。

終盤以外では基本的に情報ソースはほぼ久野(久米正雄)であり、そういった点で恋愛事件に関しては若干久米視点に偏っているものの、久米正雄の『破船』とはベクトルが異なり、終盤での杉村(松岡譲)との会話により事件の立体化がなされ、また、ある種辟易している久米の弱さに対する菊池寛の冷徹な思いがしばしば吐露されており、『破船』を読んだ後に読むと非常に面白いw

より一歩踏み込んで言えば、『破船』の後にこの『友と友の間』を読むことによって、読者の中で二つの作品は一つの名作へと昇華すると思うw

松岡譲の『憂鬱な愛人』は未読なので何とも言えないが、少なくともこの二作品を併せて読むだけで味わい深い何かを感じられた。


尚、菊池寛は『神の如く弱し』においてもこの事件のことを扱っているが、これは短編で、この事件のごく一部分の切り取りであり、久米正雄の弱さをフィーチャーした作品であった。これは青空文庫で読めるが、『友と友の間』の後に読むほうがいいかなぁ?

『破船』を読む限りでは、久米正雄の分身たる小野は若干迂闊なところがあるが、誠実なまともな青年に思えるのだが、今作品と『神の如く弱し』に目を通した後に思い返すと、
正雄さん、ちょっと自分を美化しすぎか、自己認識が弱くございませんか(・∀・)?と思わぬこともないw


木村雄吉、つまりは菊池寛のこの事件に関する最終的な結論は、
「誰も悪くない」
であり、その結論に至る過程の思考についてはほぼ首肯できるものであるが、この事件に関しての俺氏の見解は、

→ (ネタバレを含む)
みんなそれぞれちょっとずつ悪い(・∀・)

まあでも現実の人間社会って往々にして、そんなもんだしね(´・ω・`)ニンゲンダモノ

※作品内の名称と本名が入り混じってしまったがキニシナイ( ゚ 3゚)♪~

  • 久米正雄に関しては、色々と軽佻浮薄であり、少しが間が抜けすぎてて、感情の制御能力が乏しく、人に依存しすぎである。
     
    7歳の時に父が割腹自殺し、その後、移住した先で姉も肺患いで失ってしまっているらしいが、久米がやけに女性や恋に依存的であったり、色々と不安定であったのは、そういったことも関係あるのだろうか。 筆子が年下なれど長姉であったことも惚れて執着する要素の一つだったのかもしれない。
  • 松岡譲は、『破船』で記載されている鳩の拉致が創作だったとしても、写真の受け渡しや偽手紙などの悪戯を鑑みると、頭が良い所為なのか性格的にちょっと人や物を軽んずる部分が強いように思える。
     
    久米正雄との友情は確かにあったのであろうけれど、それは若干、久米正雄を下に見て、"いじり"の対象と認識しているようにも思えた。故に、本人(杉浦、杉村)が否定しつつも、作中内における行動に嫉妬の影、下剋上的力関係の逆転への動揺を感じられた。
     
    また、作中内では雄吉に妙子との結婚に及び腰な発言の中で故郷云々に触れているが、実際のところは両親との義絶甚だしく、寺の継承などは頭の中には毛頭もなく、寄る辺なき身の不安さを松本家の女婿になることで解消しようという考えも確かにあったのではなかろうか。

    まあ、それ自体はある種、下衆な考えに思えるが、それほど絶対的なものではなく、選択肢の一つ、未来の一つとしてぼんやり思っていたところに、妙子と長く触れ合ううちに愛着が生まれ、更に妙子から恋心を打ち明けられ、総合的に妥当な判断、行動をしたのかもしれない。

    あと、久野に妙子のことをどう思ってるかと聞かれて、何とも思ってないと話していたが、これも本当にどうだったのかはわからないw
    意識はしていなかったが、憎からず思っていたとしても、杉村の性格上、スカしていた可能性も否定できないw
    あるいは杉村の友情上でそう言っていた部分もあるのかもしれない。

    まあ、久野の執拗な質問や前述の嫉妬的な部分によって、妙子が杉村の意識上に上がり、それが誘導、"地馴らし"へとつながったとも言えそうではある。

  • 夏目筆子は、うーん、まあ、まだ若い女学生で、父の死間もないこともあり、色々情緒不安であった部分もあるのかな。加えて言えば女傑っぽい夏目鏡子という母親の影響力も強かったみたいだからねぇ…
     
    作中で杉村が認めている通り、久野に対しての好意は皆無だったわけではないだろう。
    ただ、杉村と近づく為に久野に優しくしたとか、杉村とは結婚出来そうにないから、せめて友達の久野と結婚しようとしたという言質は後付っぽい気がしないでもない。

    だってそうじゃないと
    久野が可哀そすぎるじゃん(´・ω・`)

    まあでも年齢的なことを考えれば、娘18、箸が転がっても秋の空ですよ(・∀・) ←自分で言っててよくわからない

    炬燵内お手々ニギニギ事件については良く判らないw
    後に筆子は否定しているらしいが、実際のところはどうだろうか。
    久米松岡筆子に限らず、人間は自分の現在を肯定するために記憶の改竄や理由付けをする生き物だから、何とも言えない。もっと言えば人間は脳内世界で本当に思っていることをそのまま外世界に出せるのだろうかという疑問もあるので。

    いつだって真相は炬燵の中(´・ω・`)よ…

    まあドジっ子の久米正雄だから、何か違うモノを誤認してそう思った可能性も否定できない(・∀・)

  • 夏目鏡子…実はこの恋愛事件の黒幕というか、最も大きい原因存在なのではなかろうかと思ってるw
     
    鏡子が漱石亡き後の男手不在の夏目家において、長男・純一が継ぐまでの繋ぎとしての番頭を求めたことが全ての発端のように思えてしょうがないw
     
    初めは御しやすい久米正雄を、本人の希望も取り入れて選んだが、失点も多かったのだろうか、才気煥発な松岡譲を頼りになる男と認識した後、筆子の希望も汲んで、最終的に久米正雄の放逐へと流れてしまったように思えてしまったのだけれども、実際のところはどうなんだろうかw

    まあ、こう書くと、夏目鏡子が凄く悪辣非道な人のように思えるが、夏目家という文学界の大きい王国の王が崩御し、跡継ぎは幼く、周りにいる重臣・貴族(古き門下生達)はうるさ型のくせに頼りにならず、信用もできない状況下で、忠誠心強く、王室を支えてくれる騎士を求めることは、残された女王の選択としてあながち間違いとは言えないと思えた。少なからず強く責め立てられるものでもない。つーか、久米正雄がもっとしっかりさんだったら…(´・ω・`)

    そういえば、罪悪感や慰藉のつもりかわからないか、『神の如く弱し』では、病に倒れた河野(久米正雄)に対して、夏目家が人を通じて金銭的援助を申し出ていたりもしている話が出ている。まあ、この出来事が実際にあったことなのか、フィクションなのかは判らないのだけれどもw

    一応、1919年2月下旬頃にこういったことはあったようではあるが。
    久米は流行性感冒から肺炎まで行った感じだったのかな?

まあそういうことですので、この恋愛事件の登場人物で咎なき人は菊池寛とカメオ出演レベルの芥川龍之介と成瀬正一だけになりますかねぇ(・∀・)
 
 
 
ん…ちょっと待てよ……(´・ω・`)
筆子が松岡譲を意識したのは漱石の通夜だか葬式で松岡が受付を一人ぼっちでやってた時のことだよなぁ…
 
 
 
あれ?
まだまだ夏目家と親しくなく、その危篤の時に行って良いものかどうかと逡巡していた松岡を、自分の社命のために背中を押した新聞記者が確かおったよなぁ……

あいつが余計なことしなければ、筆子と松岡の恋愛的邂逅は発生せず、久米ルートエンドの可能性もあったよなぁ…
 
 
 
まあ、いいか(・∀・)
葬式時から参加していても、受付やってたかもしれないしな…

である。


→ お金をかけずに『友と友の間』を読むには
尚、『友と友の間』は国立国会図書館デジタルコレクションの菊池寛全集 第三巻、または友と友の間 (金星堂名作叢書 ; 第5)で読むことが出来る。

俺氏は後者の方を選択してしまったが故に若干苦労した(ヽ'ω`)
何故なら後者のバージョンは文字の消失や補修とその当時の読者の書き込み等で読みにくくなっていたからであるw

後に前者の存在に気づき、消失部分を確認することが出来た(・∀・)
少なくとも一箇所、文言が違うところがあったな、そういや。


で、まあ古い本なので旧字体である。青空文庫にもなかったので、
「ずっと無職でタイピング能力も落ちてるから、その練習がてら、
ついでにテキスト化しとくか(・∀・)」と思い立ち、読み取ることの出来たかつての読者の書き込み含みでテキスト化した。

一応出来るだけ、底本(?)の仮名遣いや旧字体で入力したが漏れ等々があるかもしれない。
尚、ベースは金星堂版であるが、読解不能な部分、明らかな誤植等は全集三巻の内容に従っている。

当初、それをそのまま公開しようと思っていたが、
「これこのままじゃ読みにきぃなぁ、もっとこの作品を広めるためには適当に現代文っぽくしちゃうか(・∀・)」と送り仮名の追加や漢字の平仮名化を施してHTML化した。

具体的には、
積り→つもり
貰う→もらう
居→い
一寸→ちょっと
就いて→ついて
等々。

意図的に平仮名化していない部分もある。
筆致そのものや文章から受ける印象はおそらく変わっていないと思う。
つーか元々、菊池寛の漢字使いも必ずしも一定ではないので、それほど問題はないかと思ったのでやってやった(・∀・)ヤッテヤリマシタトモ

あと、ルビを振ってるが、本当にその読みが正しいかどうかは知らないw
何となくで振った(・∀・)

注釈は無駄に多くの単語につけてしまった…
暑さとこの作業のために2週間以上公開が遅れた(ヽ'ω`)

注釈をつけた単語(8-9割付いてるかも)は若干、色が薄い(#404040)かルビが振ってあるので、それをクリックorタップすれば、上の部分に表示される。この辺の仕組み等々、改良しなければならないところが多々ある。詳しくは下記にて。尚、ルビを振っていても注釈がないものも幾つかある。

注釈に利用したのはずっと前に買って、使い勝手が悪いというか、PCユーザーからすると操作体系が合わずに放置していたカシオ XD-SX6500GDに収録されていた『広辞苑 七版』。広辞苑でカバーしていなかった、或いは説明がそぐわなかった数単語を『明鏡国語辞典 第二版』『新漢語林 第二版』『ジーニアス英和辞典 第5版』から取った。つーか、XD-SX6500GD、生産終了後の絡みか、amazonで33000円強するんやな…俺氏は2万弱で買ったみたいだが。


菊池寛の著作権は切れているので、この改変、公開等について権利的な問題はないと思われるが、何か寡聞ゆえの未知の問題が存在して怒られたり、夜中、寝苦しくてうなされて目覚めたら、胸の上に菊池寛の胸像がのしかかっていて、怖い形相でこちらを睨みつけてる等の怪異現象が起きた場合には公開を中止する(´・ω・`)ソンナン、コワイモノ

現代文に寄せてHTML化したもの。
菊池寛 『友と友の間』

こちらは旧字体のテキスト。ルビや傍点は"<<>>"で対象部分の後に追記している。

非営利ならば、このテキストは自由に扱ってもらいたい。 ← 元々、原文は俺氏が書いた文章じゃないしね…( ゜σ・゚)ホジホジ

何故ならもっと色んな人に破船事件について知って欲しいからw
同時に古い文学小説の全てをお堅い、小難しいものと思って敬遠しがちな人々にも、必ずしもそんなことはないぜと伝えたいので。


底本を金星堂版にしたが為に読解に苦労し、「書き込みなんてすんじゃねーよ、バーヤバーヤヽ(`Д´)ノ」とか思ったものの、最後までテキスト化した今では、ちょっとだけ、この書き込みのある方に最初に行き着いて良かったと思ってるw

尚、書き込みについては一応"*"として載せているので、注釈同様にクリックorタップをしてもらえば読むことが出来る。
但し全体的にくずし字等や重ね書きが多く判読不能なもの等が多く、もしかすると間違えて記載してるものもあると思われる。
完全に判読不能なもの、注釈へ統合したもの、意味不明なものについては割愛した。

おそらく大正~昭和初期に読んでいたであろう人達の赤裸々な感想が読めたからである。(もっと時代が進んだ人の書き込みも混じっているかもしれないが、いずれにしても今ではない、それなりに昔の人達だと思われる)

この作品内で書き込まれた内容は現代でも繰り返される、久米派vs松岡派(夏目家派)の互いへの中傷となんら変わりがなかったw

最終的に久米と松岡は仲直りして、旧交を温めた後に二人とも旅立って行ったのだから(若干、なんか後を引いていたようだけどw)、少なくとも、当事者関係者でもない、当時の読者でもない、外野も外野、球場でのライブコンサートに入れず、漏れて来る音楽を微かに盗み聴いているだけような我々現代の読者は、もうそういうのはやめとこうぜとちょっとだけ思ったw

→ 技術的或いはもっと大きな枠組みでの課題について
  • 注釈表示の仕組みを、JQueryを使わないで、Javascriptで書き直したい。これはhtml単体かつオフラインで利用出来る完結した形態にしたいということ。今時オンラインじゃない環境なんてないけれど、オフラインで利用できるようにしときたい。まあ、そのうちね(´・ω・`)
  • 当初、PCでの利用しか想定していなかったので、えらく適当に作ってしまったが、スマホとかiPadで読もうとすると、かなりユーザー体験が悪いw 拡大表示した時とか。これもまあ、そのうちね(´・ω・`)
  • ユーザーが文字色や背景も変更できるようにはしたい。出来そうな気はするが、面倒くさそう(´・ω・`)
  • ページネーションの問題。今の絵巻物状態だとどうもよろしくない。スマホやiPadでの画面拡大を利用すると色々と期待通りにならないのもあるし、一般的な紙本読者の感覚では、表示部分を読み終えたら、ワンタッチで次ページに進む方が感覚的には馴れているはず。せめて章単位での表示にすべきか…うーん(´・ω・`)
  • 当初は注釈はhoverで表示させていた為、一回注釈を仕込んだ単語にはルビも注釈表示もつけないようにしていたが、clickに変更したので、全てにつけてもいいのかなと思いつつ、取り敢えずそのままにした。尚、なぜhoverからclickに変更したかというと、PCでそれをやってしまうと、注釈表示する単語が多数あるページで、文量の多い注釈を縦スクロールするためにカーソルを移動させるのに、電流イライラ棒並みの細かいマウス操作が必要になってしまうことに気づいたから(ノ∀`)
  • ルビの表示もオンオフできればいいなと思うが、Javascriptでrubyタグ等を除去するのも力技すぎる感じ。文字のカラーを背景のカラーと一緒にすればいいかとこれまた小手先の技でなんとかしようと思いつつ、まあ、そのうちね(´・ω・`)
  • 注釈付けにVCSを使ってやったが、やっぱり辛かった(ヽ'ω`) どうにか良いツールを探さねば…そもそも適当に後から注釈をつけていく手法に問題があった。途中で方針変更を繰り返したのが原因である。最初に単語の洗い出しをするべきであった。専用のツールでも作れればいいのだが…
  • 上記の点の改良等をしたいところではあるが、俺氏にはこれ以外に3Dプリンタで遊びたかったり、国会図書館デジタルコレクションで発見してしまった『破船』と『憂鬱な愛人』の文字起こしがしたかったり、100本近く溜まってしまった映画の視聴記録エントリを作成したいので、今は着手できない(ノ∀`) 尚、本当は先に未読の『憂鬱な愛人』の文字起こしをしたいが、『友と友の間』の前に『破船』を読んでもらいたいこともあり、『破船』の作業をしばらくしたら開始する予定(`・ω・´)マア100エンデカエルサクヒンダケドネ
  • 文字起こしは画像OCRでもっと簡単に出来るのだろうか? 金星堂版は余りにも状態が酷すぎてあれだったがw

何はともあれ、読んで良かったです(・∀・)(小並感)

破船 / 久米正雄

破船

敬愛していた先生が亡くなり、弟子の小野は残された長女・冬子への恋心を次第に募らせていく。我慢できず婚姻を申し込むが、先輩弟子から反対され、小野を中傷する匿名の手紙が届けられたことで婚姻は一度白紙に。さらに親友である杉浦へのある疑念が次第に強まっていき……。
夏目漱石の弟子である久米正雄が、漱石の長女・筆子と親友・松岡譲との間に起こった実際の恋愛事件を元に描いた自伝的小説。

ドリヤス工場の文豪春秋で知った破船事件について興味を持ち、Kindleでないかなと探してみたら100円で売っていたので購入し、ちょっと前に読み終えた。

中々面白かったわ(・∀・)


失恋した久米正雄側の作品ではあるが、夏目家に気を使ってるか、そうすることによって自らに利する展開を目論んでいたかは定かではないが、それほど夏目家や松岡譲を正面から非難するような感じでない。

そういった書き方であった為か、世間の同情を大いに集め、夏目家というか松岡譲は逆に非難を受けてしまったらしい。

確かにこの作品を読む分には、久米正雄の分身である小野が余りにも迂闊で軽佻浮薄ではあるものの、勝見家の未亡人である磬子けいこ夫人(夏目鏡子)がこの失恋事件の原因の一つであり、杉浦(松岡譲)の振る舞いもどうかなと思うはずである。

この作品のみを読んだ分には(・∀・)

この後、国会図書館コレクションで菊池寛の『友と友の間』を頑張って読んだので、より詳しい感想はそちらのエントリで書きたい。

松岡譲の『憂鬱な愛人』は復刊されているものの、お値段が高く、上下巻なので、ちょっと今のところはすぐに手は出せない。
つーか、そこまでお金を出したくないというのもあるw

尚、俺氏は読書開始当初、「ああ、この柳井って人に取られちゃうのか、なんか頭良さそうだし、美形っぽいしなぁ(・∀・)」と思って読んでいたが、柳井は芥川龍之介の分身でほぼほぼ話には関わって来なかった(ノ∀`)

だって、奇行したり軽口ばかり叩いてる杉浦が恋敵なんて思わないじゃーん、思わないじゃーん(・∀・)

まあこの杉浦についての描写は久米正雄の精一杯の悪意なのか、単純に久米正雄から見た松岡譲そのものなのかは判別しがたかったw


古い表現や知らない単語も多く、KindleからWeb検索に飛んでの読み進めで少し時間がかかったが、筆致は小難しい感じでもなく、読みやすい方なのではないだろうか。文明が進歩してその時代時代に生きる人間の懊悩や起きる事件は変わらんもんだなぁといういつもの結論に辿りついたけれども、まあ読んで良かったわ(・∀・)

狐憑 / 中島敦 他

今回も芥川龍之介が多めかな。
ふと気づいたんだけども、なんでAmazonの芥川龍之介作品の紹介文は皆、"芥川之介"になってるんだろうか(´・ω・`)?


猫の広告文 夏目漱石

『吾輩は猫である』の広告文らしく、数行書いてあるだけだった(ノ∀`)


狐憑 中島敦

"後にギリシア人がスキュティア(スキタイ)人と呼んだ未開の部族のネウリ部落のシャクという青年に色々な霊が憑き、不思議な話を語り出したというお話。"

これは自分達文学作家の性分や人生というものをシャクに投影しているというかシャクを仮借として表現した内容と言っていいのかな? 聞き手だった青年や長老は読者やクレーマーなのかな…

その末路は文字通りか。
徹底的に消費され、飽きられ、そして打ち捨てられる(´・ω・`)

旧字体が多くてしばしばぐぐらんと読めなかったわ(ノ∀`)


あばばばば 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の代表的な短編小説。初出は「中央公論」[1923(大正12)年]。初出時は副題に「―保吉の手帳の一部―」とある。初刊は「黄雀風」[新潮社、1924(大正13)年]で、収録時に副題が削除されている。「保吉」がいつも煙草を買いに行く店で若い女が店番をしている話。いわゆる〈保吉もの〉の作品であるが、同時代評は不評であった。

十円札』の主人公の保吉やんけ(・∀・)

今作でも若干クズっぽいが、比較的読後感は爽やかであったので嫌いではない。つーか"保吉もの"なんていうシリーズがあったんだなw


おぎん 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「中央公論」[1922(大正11)年]。短編集「春服」[春陽堂、1923(大正12)年]に収録。元和もしくは寛永、「天主教」が弾圧されていた頃の「おぎん」という童女の話。「おぎん」は隠れ切支丹の養父から洗礼を受け「まりや」という名を与えられていたが、やがて責め苦を受ける運命になる。

切支丹物。最初の方の筆致からしてそういう落ちなのかと思って読んでいたら違った(ノ∀`) 

えらく釈迦をdisる下りがあって、そこに(ジアン・クラッセ)とあってどういうことかと頭をひねったが、フランスのジェスウイット(ジェスイット(イエズス会の修道士))がこんなこと言ってたよとジアン・クラッセ(ジャン・クラッセ)の『日本教会史』の第2版(翻訳版は『日本西教史』?)に書いてあったということなのかな?

ぱぶちずも=バプテスマ(洗礼)
ぜすす=イエス
さがらめんと=サクラメント(秘跡=キリスト教で、神の恩寵を信徒に与える主要な宗教的儀式。)
べれん=ベツレヘム
なたら=降誕祭クリスマス
はらいそ=天国
いんへるの=地獄

"はらいそ"と"いんへるの"はわかるけど、"なたら"とかはわからんなw
"なたら"と"はらいそ"だけ意味というか括弧書きで"降誕祭"や"天国"という日本語が付加されてたけど、"さがらめんと"と"べれん"もわからんがな(ノ∀`)

まあ"べれん"は地名だから別にわからなくても何となく推測出来るからいいのか。
"ぱぶちずも"や"ぜすす"は文脈等でわかった。

まあ何はともあれ嫌いではない展開であった(・∀・)


或旧友へ送る手記 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の遺書。数年は未公開でとの芥川の意思に反して自殺直後の記者会見で公表され、同時に「東京日日新聞」[1927(昭和2)年]、「東京朝日新聞」[1927(昭和2)年]に掲載された。「芥川龍之介全集」第16巻に収録。有名な「唯ぼんやりした不安」という言葉は、大正文学の終焉との関わりで論じられることが多い。

これ一応遺書なんだね。
自殺の原因は何とも言えないけれども、案外、幼少期の母との別れや養子入りとかも遠因だったのかもねぇ。その辺の生育過程での歪みはその後の心の成長に大きな影響を与える、或る種の方程式というか思考パターンを生み出すから。

それ以外に

1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。

やら論争やら病気やら色んなことに疲弊した結果、「唯ぼんやりした不安」につながっていったんかねぇ…

これも結構関係しているのかもねぇ。

青山女学院英文科卒の吉田弥生という女性と親しくなり、結婚を考えるが、芥川家の猛反対で断念する。

本質的に自殺願望は、自分の存在が自分の中の取捨選択基準で捨てるべきものと判断された時、つまりは自分には存在価値がないと認識した時、または将来に明るい希望がなく現在よりも悪くなる、つまり生き続けることに価値がないと認識した時に沸き立つものだから、そういうことなんじゃないかなぁ。

手紙の中で色々と否定というか一部否定はしているものの、やっぱりその流れに陥ったのは極一般的な動機の積み重ねに押しつぶされたんじゃないかなぁと思ったり。

乃木希典の自刃(1912)を「前近代的行為」とした芥川龍之介は、その15年後にどんな気持ちで薬を飲んで命を断ったんだろうね? 1912年というと芥川龍之介がまだ20歳の頃か。そう言えばまだ『将軍』って読んでないな。乃木将軍を題材かなんかにした作品らしいが。

まあ自殺する人の気持ちなんて、正確には人の気持ちなんて他人が解るわけもなく、真相は藪の中なんだけども(´・ω・`)


斗南先生 中島敦

一族の変わり者で古風で狷介な伯父に対する甥・三造の心情の変化を描いた作品。
どうも中島敦の実際の伯父・端蔵をモデルにしているらしい。
(第65回 中島敦(なかじまあつし)の小説「斗南(となん)先生」)

作中に"右の一文は、昭和七年の頃、別に創作のつもりではなく、一つの私記として書かれたものである。"なんてあったりして、中島敦の私小説的な作品なんかなと思ったりもしたが、その辺は正直どうでもよく、ただ、或る青年と扱いが難しい伯父の死という物語として読むだけでも十分面白かった(・∀・)

煙草と悪魔 / 芥川龍之介 他

ほぼほぼ芥川龍之介の短編のみ。
大して感想らしい感想でもない(ノ∀`)


鴨猟 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短い随筆。初出は「桂月」[1926(大正15)年]。単行本未収録であり、「芥川龍之介全集」第13巻に収録された。大町桂月と最後に会った、鴨猟の時の話。芥川にとって大町は少年時代の愛読作家の一人であり、その文章を高く評価している。

よくわからん(´・ω・`)
ただのエッセイ?
というか日記か?


芥川龍之介
うーん(´・ω・`)
願掛けも考えもの…って、これもなんだろうなぁw

出典は『今昔物語』巻十六「貧女清水観音値盗人夫語第三十三」である。目先の変わった物語であるが、原作の筋をほぼそのまま踏襲している。芥川は、物質的な幸福だけを真の幸福と考える若侍と、精神の内部における幸福を最大視する翁と、この相対する二つの型の人間の会話を最後において、種類の異なった幸福感を示し、原作に多少の綾を付与した。

ふーむ、そういうことかぁ…


煙草と悪魔 芥川龍之介
若干、『運』と似たような読後感のある作品。

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「新思潮」[1916(大正5)年]初出時の表題は「煙草 西川英次郎氏に献ず」。短編集「煙草と悪魔」[新潮社、1917(大正6)年]に収録。フランシス・ザヴィエルについてきた悪魔は、布教が進まず切支丹の信者のいない日本ですることがなく「伊留満」に化けて、煙草畑の園芸をして暇を潰す。結果、日本で煙草が普及する。

冒頭は、

煙草は、本来、日本になかつた植物である。では、何時いつ頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。
煙草と悪魔

であり、"きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者"って何かなと思ったら、

「きかぬもの~」の落書ですが、
効果の無い物は、タバコ禁止令、撰銭令(質の悪いお金は使っちゃ駄目)、天皇の言葉、威張って嫌な感じの医者(のする治療)
という感じの意味です。
磔(くるす)ってどういう意味ですか?

とあった。


でも"げんたく"の意味がわからない(´・ω・`)
この落首は文禄年間(1593~96年)の物らしいので、1590年に生誕した江戸時代初期の医師、儒学者である野間玄琢は関係ないのかな?

後にタバコの研究書『蔫録』の編者である大槻玄沢は蘭学者であり医者でもあったようだが、1757年の生誕なのでこれまた関係なさそう。

つーか、そもそも年号的に言うと、

年号(元号)一覧表
天文 てんぶん 1532~1555
文禄 ぶんろく 1592~1596
慶長 けいちょう 1596~1615

の順なので、なんか記述がおかしいような…

"慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。"

この書き方だと慶長十年(1605)頃に栽培が広く行われ、文禄年間(1593~96年)に喫煙が一般的になったと取れ、時系列的におかしい。喫煙が一般的になるためには先に栽培が広く行われ、庶民でも安価で入手できるようになっていないとおかしいから。

JTのページには、

しかし、幕府による度重なる禁令にも関わらず、「たばこ」を楽しむ人々は増え続け、徳川3代将軍・家光の代となる寛永年間(1624〜1645年)に入ると、「たばこ」に課税して収入を得る藩も現れ、「たばこ」の耕作は日本各地へ広まっていきます。やがて、禁令は形骸化し、徳川綱吉が5代将軍を務めた元禄年間(1688〜1703年)頃を境に、新たなお触れは出されなくなりました。

とある。

もしかしてこれ文禄じゃなくて元禄の間違いなのか…( ・´ω・`)?
原稿から活字にする時に誤植が発生したりしたとか?
この辺、芥川龍之介研究者の人に尋ねてみたいわ…


つーか、ぐぐっても全然引っかからないから、そもそもこの落首、芥川龍之介の創作なんじゃね(・∀・)?って疑ったが
同志社大学学術リポジトリから落としたpdf『近世におけるタバコ作の展開』(岡光夫)の14ページ目に

"正徳四年(一七一四)成立の『嬉遊笑覧』に次のような落首が記されている。
きかぬものたばこの法度銭はつと
玉の(玉音)みこえにげんたくのいしゃ
同書では、これを秀吉の頃の落首とし、八十二歳になる鎮目正順なる人物を登場して、彼が語っているように書いているがそれはあやしい。本書の執筆当時は厳しい出版統制があり、公然と幕府を諷刺すると弾圧されるので、秀吉の頃としたのであろう。"

とあり、落首自体はあるらしい。同時に文禄年間にした理由にも首肯出来たわ(・∀・)

誤植でなかったら、芥川龍之介がその辺の裏事情を考えずにそのまま、秀吉の頃=文禄年間にしてしまったのかな?

嬉遊笑覧は国会図書館デジタルコレクションにあるようだけど、何処に記載されているかわからんので、これくらいにしとこう(ノ∀`) もしも更に掘るとしても岩波の注解書を当たった方が早そうだしね。


何にしても"げんたく"の謎が解けなかった…_| ̄|○
風月玄度の玄度のように久しく会っていない医者ってのは無理があるし、大槻玄沢なら蘭方医不信かと思えなくもないが『嬉遊笑覧』の成立後40年くらいして生まれた人だし…

知恵袋で回答した人のデータソースはなんだろう…
芥川龍之介の創作なら漢語とかに由来してそうだけど、江戸時代の人の言葉だからな…失われた単語なのか方言なのか?

何はともあれ、これは芥川龍之介の切支丹物の嚆矢だったとかどうとか。


十円札 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の後期の小説。初出は「改造」[1924(大正13)年]。単行本未収録であり、後に「芥川龍之介全集」第11巻に収録された。いわゆる〈保吉もの〉のひとつ。海軍学校の英語教師と小説家を兼業している「堀川保吉」が困窮し、週末東京に出るために十円札を借りる話。

なんかこう親近感が湧いてしまうクズ主人公だったw
欲やらプライドやら色々と絡みあった葛藤が面白かったかなw

「ヤスケニシヨウカ」ってなんじゃらほいと思ったが、「寿司にしようか」ってことか。

弥助鮨の名は、竹田出雲の歌舞伎狂言『義経千本桜』に由来する。
平維盛が吉野のすし屋「弥助」で雇人となるが、弥助は維盛の父重盛の世話になった人物でもあったため、敵を欺くために「弥助」の名を維盛に譲り、自身は「弥左衛門」と称した。
このすし屋ガ釣瓶鮨を作っていたことから、「釣瓶鮨」は「弥助鮨」と呼ばれるようになった。
花柳界などで「すし」を「弥助」と呼ぶのも、このすし屋の名からである。
現在の奈良県下市町にある鮎鮨の老舗「つるべすし 弥助」は、『義経千本桜』の舞台となった店として知られる。
電話にて、① 「やすけずし」、② 「すけろくずし」の意味・由来を知りたい。

これに限らないが、amazonで無料の文学小説に星5と内容がそぐわない英語コメントをつけているボットらしき連中はなんだろうか? テストとして利用したのかな?


妙な話 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「現代」[大日本雄弁会、1921(大正10)年]。「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]に収録された。「私」が旧友の「村上」から、村上の妹の「千枝子」にまつわる怪談じみた妙な話を聞かせられる話。兄妹のやりとりと手紙との比較から、「千枝子」という女の強かさも見出せる作品。

大正時代に読んでいたら面白かったかもしれないが、現代に生きる人間としてはまあそれほど目新しさを感じることは出来なかったわ(ノ∀`)

ラストの落ちはまあ面白いっちゃ面白いけれども、あんまり俺氏が芥川龍之介に求めてる話ではないかなと思った。そんなに痛快というわけでもないし…


二銭銅貨 黒島伝治

作者は、プロレタリア文学作家の黒島伝治です。
とある貧しい家の兄弟のお話です。
弟の藤二は兄の健吉が使っていた独楽を見つけて、
母親に独楽を回すための緒をねだります。
使い古しの緒も見当たらなかったので、
藤二は結局、独楽の緒を買ってもらえたのですが...
第94回~二銭銅貨/黒島伝治~

なんじゃこりゃあ感が酷い短編w
あープロレタリア文学ってこういうのなのか…

最初、なんで能登麻美子のブログみたいなのがヒットしたんだろうかと思ったら、昔文化放送で朗読番組みたいなのをやっていたのか。

しかしまあなんつーか、後味が悪いというか救いがないというか…
そんなお話(´・ω・`)