カテゴリー: 文学系

破船 / 久米正雄

破船

敬愛していた先生が亡くなり、弟子の小野は残された長女・冬子への恋心を次第に募らせていく。我慢できず婚姻を申し込むが、先輩弟子から反対され、小野を中傷する匿名の手紙が届けられたことで婚姻は一度白紙に。さらに親友である杉浦へのある疑念が次第に強まっていき……。
夏目漱石の弟子である久米正雄が、漱石の長女・筆子と親友・松岡譲との間に起こった実際の恋愛事件を元に描いた自伝的小説。

ドリヤス工場の文豪春秋で知った破船事件について興味を持ち、Kindleでないかなと探してみたら100円で売っていたので購入し、ちょっと前に読み終えた。

中々面白かったわ(・∀・)


失恋した久米正雄側の作品ではあるが、夏目家に気を使ってるか、そうすることによって自らに利する展開を目論んでいたかは定かではないが、それほど夏目家や松岡譲を正面から非難するような感じでない。

そういった書き方であった為か、世間の同情を大いに集め、夏目家というか松岡譲は逆に非難を受けてしまったらしい。

確かにこの作品を読む分には、久米正雄の分身である小野が余りにも迂闊で軽佻浮薄ではあるものの、勝見家の未亡人である磬子けいこ夫人(夏目鏡子)がこの失恋事件の原因の一つであり、杉浦(松岡譲)の振る舞いもどうかなと思うはずである。

この作品のみを読んだ分には(・∀・)

この後、国会図書館コレクションで菊池寛の『友と友の間』を頑張って読んだので、より詳しい感想はそちらのエントリで書きたい。

松岡譲の『憂鬱な愛人』は復刊されているものの、お値段が高く、上下巻なので、ちょっと今のところはすぐに手は出せない。
つーか、そこまでお金を出したくないというのもあるw

尚、俺氏は読書開始当初、「ああ、この柳井って人に取られちゃうのか、なんか頭良さそうだし、美形っぽいしなぁ(・∀・)」と思って読んでいたが、柳井は芥川龍之介の分身でほぼほぼ話には関わって来なかった(ノ∀`)

だって、奇行したり軽口ばかり叩いてる杉浦が恋敵なんて思わないじゃーん、思わないじゃーん(・∀・)

まあこの杉浦についての描写は久米正雄の精一杯の悪意なのか、単純に久米正雄から見た松岡譲そのものなのかは判別しがたかったw


古い表現や知らない単語も多く、KindleからWeb検索に飛んでの読み進めで少し時間がかかったが、筆致は小難しい感じでもなく、読みやすい方なのではないだろうか。文明が進歩してその時代時代に生きる人間の懊悩や起きる事件は変わらんもんだなぁといういつもの結論に辿りついたけれども、まあ読んで良かったわ(・∀・)

狐憑 / 中島敦 他

今回も芥川龍之介が多めかな。
ふと気づいたんだけども、なんでAmazonの芥川龍之介作品の紹介文は皆、"芥川之介"になってるんだろうか(´・ω・`)?


猫の広告文 夏目漱石

『吾輩は猫である』の広告文らしく、数行書いてあるだけだった(ノ∀`)


狐憑 中島敦

"後にギリシア人がスキュティア(スキタイ)人と呼んだ未開の部族のネウリ部落のシャクという青年に色々な霊が憑き、不思議な話を語り出したというお話。"

これは自分達文学作家の性分や人生というものをシャクに投影しているというかシャクを仮借として表現した内容と言っていいのかな? 聞き手だった青年や長老は読者やクレーマーなのかな…

その末路は文字通りか。
徹底的に消費され、飽きられ、そして打ち捨てられる(´・ω・`)

旧字体が多くてしばしばぐぐらんと読めなかったわ(ノ∀`)


あばばばば 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の代表的な短編小説。初出は「中央公論」[1923(大正12)年]。初出時は副題に「―保吉の手帳の一部―」とある。初刊は「黄雀風」[新潮社、1924(大正13)年]で、収録時に副題が削除されている。「保吉」がいつも煙草を買いに行く店で若い女が店番をしている話。いわゆる〈保吉もの〉の作品であるが、同時代評は不評であった。

十円札』の主人公の保吉やんけ(・∀・)

今作でも若干クズっぽいが、比較的読後感は爽やかであったので嫌いではない。つーか"保吉もの"なんていうシリーズがあったんだなw


おぎん 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「中央公論」[1922(大正11)年]。短編集「春服」[春陽堂、1923(大正12)年]に収録。元和もしくは寛永、「天主教」が弾圧されていた頃の「おぎん」という童女の話。「おぎん」は隠れ切支丹の養父から洗礼を受け「まりや」という名を与えられていたが、やがて責め苦を受ける運命になる。

切支丹物。最初の方の筆致からしてそういう落ちなのかと思って読んでいたら違った(ノ∀`) 

えらく釈迦をdisる下りがあって、そこに(ジアン・クラッセ)とあってどういうことかと頭をひねったが、フランスのジェスウイット(ジェスイット(イエズス会の修道士))がこんなこと言ってたよとジアン・クラッセ(ジャン・クラッセ)の『日本教会史』の第2版(翻訳版は『日本西教史』?)に書いてあったということなのかな?

ぱぶちずも=バプテスマ(洗礼)
ぜすす=イエス
さがらめんと=サクラメント(秘跡=キリスト教で、神の恩寵を信徒に与える主要な宗教的儀式。)
べれん=ベツレヘム
なたら=降誕祭クリスマス
はらいそ=天国
いんへるの=地獄

"はらいそ"と"いんへるの"はわかるけど、"なたら"とかはわからんなw
"なたら"と"はらいそ"だけ意味というか括弧書きで"降誕祭"や"天国"という日本語が付加されてたけど、"さがらめんと"と"べれん"もわからんがな(ノ∀`)

まあ"べれん"は地名だから別にわからなくても何となく推測出来るからいいのか。
"ぱぶちずも"や"ぜすす"は文脈等でわかった。

まあ何はともあれ嫌いではない展開であった(・∀・)


或旧友へ送る手記 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の遺書。数年は未公開でとの芥川の意思に反して自殺直後の記者会見で公表され、同時に「東京日日新聞」[1927(昭和2)年]、「東京朝日新聞」[1927(昭和2)年]に掲載された。「芥川龍之介全集」第16巻に収録。有名な「唯ぼんやりした不安」という言葉は、大正文学の終焉との関わりで論じられることが多い。

これ一応遺書なんだね。
自殺の原因は何とも言えないけれども、案外、幼少期の母との別れや養子入りとかも遠因だったのかもねぇ。その辺の生育過程での歪みはその後の心の成長に大きな影響を与える、或る種の方程式というか思考パターンを生み出すから。

それ以外に

1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。

やら論争やら病気やら色んなことに疲弊した結果、「唯ぼんやりした不安」につながっていったんかねぇ…

これも結構関係しているのかもねぇ。

青山女学院英文科卒の吉田弥生という女性と親しくなり、結婚を考えるが、芥川家の猛反対で断念する。

本質的に自殺願望は、自分の存在が自分の中の取捨選択基準で捨てるべきものと判断された時、つまりは自分には存在価値がないと認識した時、または将来に明るい希望がなく現在よりも悪くなる、つまり生き続けることに価値がないと認識した時に沸き立つものだから、そういうことなんじゃないかなぁ。

手紙の中で色々と否定というか一部否定はしているものの、やっぱりその流れに陥ったのは極一般的な動機の積み重ねに押しつぶされたんじゃないかなぁと思ったり。

乃木希典の自刃(1912)を「前近代的行為」とした芥川龍之介は、その15年後にどんな気持ちで薬を飲んで命を断ったんだろうね? 1912年というと芥川龍之介がまだ20歳の頃か。そう言えばまだ『将軍』って読んでないな。乃木将軍を題材かなんかにした作品らしいが。

まあ自殺する人の気持ちなんて、正確には人の気持ちなんて他人が解るわけもなく、真相は藪の中なんだけども(´・ω・`)


斗南先生 中島敦

一族の変わり者で古風で狷介な伯父に対する甥・三造の心情の変化を描いた作品。
どうも中島敦の実際の伯父・端蔵をモデルにしているらしい。
(第65回 中島敦(なかじまあつし)の小説「斗南(となん)先生」)

作中に"右の一文は、昭和七年の頃、別に創作のつもりではなく、一つの私記として書かれたものである。"なんてあったりして、中島敦の私小説的な作品なんかなと思ったりもしたが、その辺は正直どうでもよく、ただ、或る青年と扱いが難しい伯父の死という物語として読むだけでも十分面白かった(・∀・)

煙草と悪魔 / 芥川龍之介 他

ほぼほぼ芥川龍之介の短編のみ。
大して感想らしい感想でもない(ノ∀`)


鴨猟 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短い随筆。初出は「桂月」[1926(大正15)年]。単行本未収録であり、「芥川龍之介全集」第13巻に収録された。大町桂月と最後に会った、鴨猟の時の話。芥川にとって大町は少年時代の愛読作家の一人であり、その文章を高く評価している。

よくわからん(´・ω・`)
ただのエッセイ?
というか日記か?


芥川龍之介
うーん(´・ω・`)
願掛けも考えもの…って、これもなんだろうなぁw

出典は『今昔物語』巻十六「貧女清水観音値盗人夫語第三十三」である。目先の変わった物語であるが、原作の筋をほぼそのまま踏襲している。芥川は、物質的な幸福だけを真の幸福と考える若侍と、精神の内部における幸福を最大視する翁と、この相対する二つの型の人間の会話を最後において、種類の異なった幸福感を示し、原作に多少の綾を付与した。

ふーむ、そういうことかぁ…


煙草と悪魔 芥川龍之介
若干、『運』と似たような読後感のある作品。

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「新思潮」[1916(大正5)年]初出時の表題は「煙草 西川英次郎氏に献ず」。短編集「煙草と悪魔」[新潮社、1917(大正6)年]に収録。フランシス・ザヴィエルについてきた悪魔は、布教が進まず切支丹の信者のいない日本ですることがなく「伊留満」に化けて、煙草畑の園芸をして暇を潰す。結果、日本で煙草が普及する。

冒頭は、

煙草は、本来、日本になかつた植物である。では、何時いつ頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。
煙草と悪魔

であり、"きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者"って何かなと思ったら、

「きかぬもの~」の落書ですが、
効果の無い物は、タバコ禁止令、撰銭令(質の悪いお金は使っちゃ駄目)、天皇の言葉、威張って嫌な感じの医者(のする治療)
という感じの意味です。
磔(くるす)ってどういう意味ですか?

とあった。


でも"げんたく"の意味がわからない(´・ω・`)
この落首は文禄年間(1593~96年)の物らしいので、1590年に生誕した江戸時代初期の医師、儒学者である野間玄琢は関係ないのかな?

後にタバコの研究書『蔫録』の編者である大槻玄沢は蘭学者であり医者でもあったようだが、1757年の生誕なのでこれまた関係なさそう。

つーか、そもそも年号的に言うと、

年号(元号)一覧表
天文 てんぶん 1532~1555
文禄 ぶんろく 1592~1596
慶長 けいちょう 1596~1615

の順なので、なんか記述がおかしいような…

"慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。"

この書き方だと慶長十年(1605)頃に栽培が広く行われ、文禄年間(1593~96年)に喫煙が一般的になったと取れ、時系列的におかしい。喫煙が一般的になるためには先に栽培が広く行われ、庶民でも安価で入手できるようになっていないとおかしいから。

JTのページには、

しかし、幕府による度重なる禁令にも関わらず、「たばこ」を楽しむ人々は増え続け、徳川3代将軍・家光の代となる寛永年間(1624〜1645年)に入ると、「たばこ」に課税して収入を得る藩も現れ、「たばこ」の耕作は日本各地へ広まっていきます。やがて、禁令は形骸化し、徳川綱吉が5代将軍を務めた元禄年間(1688〜1703年)頃を境に、新たなお触れは出されなくなりました。

とある。

もしかしてこれ文禄じゃなくて元禄の間違いなのか…( ・´ω・`)?
原稿から活字にする時に誤植が発生したりしたとか?
この辺、芥川龍之介研究者の人に尋ねてみたいわ…


つーか、ぐぐっても全然引っかからないから、そもそもこの落首、芥川龍之介の創作なんじゃね(・∀・)?って疑ったが
同志社大学学術リポジトリから落としたpdf『近世におけるタバコ作の展開』(岡光夫)の14ページ目に

"正徳四年(一七一四)成立の『嬉遊笑覧』に次のような落首が記されている。
きかぬものたばこの法度銭はつと
玉の(玉音)みこえにげんたくのいしゃ
同書では、これを秀吉の頃の落首とし、八十二歳になる鎮目正順なる人物を登場して、彼が語っているように書いているがそれはあやしい。本書の執筆当時は厳しい出版統制があり、公然と幕府を諷刺すると弾圧されるので、秀吉の頃としたのであろう。"

とあり、落首自体はあるらしい。同時に文禄年間にした理由にも首肯出来たわ(・∀・)

誤植でなかったら、芥川龍之介がその辺の裏事情を考えずにそのまま、秀吉の頃=文禄年間にしてしまったのかな?

嬉遊笑覧は国会図書館デジタルコレクションにあるようだけど、何処に記載されているかわからんので、これくらいにしとこう(ノ∀`) もしも更に掘るとしても岩波の注解書を当たった方が早そうだしね。


何にしても"げんたく"の謎が解けなかった…_| ̄|○
風月玄度の玄度のように久しく会っていない医者ってのは無理があるし、大槻玄沢なら蘭方医不信かと思えなくもないが『嬉遊笑覧』の成立後40年くらいして生まれた人だし…

知恵袋で回答した人のデータソースはなんだろう…
芥川龍之介の創作なら漢語とかに由来してそうだけど、江戸時代の人の言葉だからな…失われた単語なのか方言なのか?

何はともあれ、これは芥川龍之介の切支丹物の嚆矢だったとかどうとか。


十円札 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の後期の小説。初出は「改造」[1924(大正13)年]。単行本未収録であり、後に「芥川龍之介全集」第11巻に収録された。いわゆる〈保吉もの〉のひとつ。海軍学校の英語教師と小説家を兼業している「堀川保吉」が困窮し、週末東京に出るために十円札を借りる話。

なんかこう親近感が湧いてしまうクズ主人公だったw
欲やらプライドやら色々と絡みあった葛藤が面白かったかなw

「ヤスケニシヨウカ」ってなんじゃらほいと思ったが、「寿司にしようか」ってことか。

弥助鮨の名は、竹田出雲の歌舞伎狂言『義経千本桜』に由来する。
平維盛が吉野のすし屋「弥助」で雇人となるが、弥助は維盛の父重盛の世話になった人物でもあったため、敵を欺くために「弥助」の名を維盛に譲り、自身は「弥左衛門」と称した。
このすし屋ガ釣瓶鮨を作っていたことから、「釣瓶鮨」は「弥助鮨」と呼ばれるようになった。
花柳界などで「すし」を「弥助」と呼ぶのも、このすし屋の名からである。
現在の奈良県下市町にある鮎鮨の老舗「つるべすし 弥助」は、『義経千本桜』の舞台となった店として知られる。
電話にて、① 「やすけずし」、② 「すけろくずし」の意味・由来を知りたい。

これに限らないが、amazonで無料の文学小説に星5と内容がそぐわない英語コメントをつけているボットらしき連中はなんだろうか? テストとして利用したのかな?


妙な話 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「現代」[大日本雄弁会、1921(大正10)年]。「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]に収録された。「私」が旧友の「村上」から、村上の妹の「千枝子」にまつわる怪談じみた妙な話を聞かせられる話。兄妹のやりとりと手紙との比較から、「千枝子」という女の強かさも見出せる作品。

大正時代に読んでいたら面白かったかもしれないが、現代に生きる人間としてはまあそれほど目新しさを感じることは出来なかったわ(ノ∀`)

ラストの落ちはまあ面白いっちゃ面白いけれども、あんまり俺氏が芥川龍之介に求めてる話ではないかなと思った。そんなに痛快というわけでもないし…


二銭銅貨 黒島伝治

作者は、プロレタリア文学作家の黒島伝治です。
とある貧しい家の兄弟のお話です。
弟の藤二は兄の健吉が使っていた独楽を見つけて、
母親に独楽を回すための緒をねだります。
使い古しの緒も見当たらなかったので、
藤二は結局、独楽の緒を買ってもらえたのですが...
第94回~二銭銅貨/黒島伝治~

なんじゃこりゃあ感が酷い短編w
あープロレタリア文学ってこういうのなのか…

最初、なんで能登麻美子のブログみたいなのがヒットしたんだろうかと思ったら、昔文化放送で朗読番組みたいなのをやっていたのか。

しかしまあなんつーか、後味が悪いというか救いがないというか…
そんなお話(´・ω・`)

赤毛のアン / 松本 侑子(訳) L・M・モンゴメリ(著)

美しいプリンス・エドワード島で愛されて成長していく少女アン。幸福感あふれる名作の日本初の全文訳。

訳文は、お茶会のラズベリー水とカシス酒、アンの民族衣裳、スコットランドから来たマシューの母など、モンゴメリの原作に忠実に、全文を、みずみずしく夢のある文章で訳した真実の物語。

読んだのはBOOKOFFで210円で購入した集英社版。
なにはともあれ

読んで良かった(・∀・)

アニメ版『赤毛のアン』に涙した人ならば、是非とも手に取るべき。
いつでもアンやマシューやマリラとまた会えるから。
キャラのセリフはそれぞれの声優さん、情景描写も羽佐間道夫で脳内再生余裕(`・ω・´)

この愛情溢れる物語はいいねぇ(・∀・)
マシュー、マリラ、ダイアナ、リンドCIA長官、ジョゼフィーンおばさん、アラン夫人、ステイシー先生といった良き人々に囲まれ、アンは感化され、そしてまた周りを感化していくところが良い。
読んでて優しい気持ちになれる。

なるだけで優しい人にはならないけどもw

ジョーシー・パイは原作でも酷いというか、より可愛げがなくてワラタw
ギルバート・ブライスはアニメ版より良さげな感じだったかな。


モンゴメリは新聞記事で読んだ、「男の子と間違えて女の子を引き取った夫婦の話」に着想を得て、この作品を書いた。彼女はプリンス・エドワード島の田舎で育った自身の少女時代も作品に投影した。孤児院暮らしだったアン・シャーリー(英語版)が、11歳でアヴォンリーのカスバート家に引き取られてからクィーン学院を卒業するまでの少女時代5年間を描いた『赤毛のアン』は人気作となり、モンゴメリーはアンを主人公とする続編や周辺人物にまつわる作品を多数著している。モンゴメリーはイヴリン・ネスビットの写真を雑誌から切り取り、書き物机の上に貼り、主人公アン・シャーリーのモデルにした。また、モンゴメリー自身、早くに両親と離れて祖父母に育てられたため、アン同様、孤独で理解されない子供として育った経験を持つ[6]。

第1作『赤毛のアン』ほか、シリーズ全作には、ウィリアム・シェイクスピアやイギリス、アメリカの詩、『聖書』の句が多数引用されている。『赤毛のアン』を読んだマーク・トウェインはモンゴメリに、1908年10月3日付けで「the dearest and most moving and most delightful child since the immortal Alice」(直訳すると「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子」)と絶賛の手紙を送った。これはその後のアンの宣伝コピーとして使われることになった。

なお、『赤毛のアン』は最初にモンゴメリーが複数の出版社に原稿を持ち込んだときは、すべての出版社で出版を断られたので、自宅の屋根裏部屋に“お蔵入り”していた時期が数年ある。年月を経て、モンゴメリーが本作を読み返し、面白いのでやはり出版すべきであると思い直し、出版社に再度交渉すると、今度はトントン拍子に進展したという。 
赤毛のアン#概説

マーク・トウェインも絶賛したんか。
関係ないが世界名作劇場で『赤毛のアン』の次は『トム・ソーヤーの冒険』だったんだな。

マーク・トウェインの手紙に「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子」とあるが、この後に読んだ『オズの魔法使い』(1900年)も『不思議の国のアリス』(1865年)の影響を色濃く受けているようで、童話界(?)におけるアリスの影響力、存在感は凄かったんだな。いずれあの辺も読んでみるか…


正直なところ、あんまり書くことがない。
自分が読んで、ただただ面白く楽しかったから(ノ∀`)

後続刊を読むかどうか不明。
だってマシューが…(´・ω・`)

そういえばkindleで全シリーズが入ってる英語版は買ったような記憶があるな、100円くらいで。 でも英語読めないからなぁ(ノ∀`)