年: 2013年

『悪名』、『どついたるねん』他 を観た。

悪名

生まれ故郷の河内を追われた着流しヤクザ八尾の朝吉、弟分でハンチング帽にスカジャン、話の節々に英語を挟みインテリぶるチンピラ、清次が放浪先、出所先で暗躍するヤクザ、偽善者、権力者を退治する仁侠映画。

出ている人も勝新太郎や田宮二郎と有名所でつまらなかったわけではなかったが
数日後に映画名と内容を思い出そうとしても全く思い出せず、かろうじて映画名を
思い出した後も内容を思い出せずにぐぐらざるをえなかった、自分にとっては
非常に稀有な作品(ノ∀`)

単純に記憶力の低下だと言われるとそれまでだが、これだけ本当にすっぽりと
記憶が抜け落ちていたのは何がどうしてそうなったのかさっぱりわからない。

内容に関しては、昔の任侠物なので今ひとつ合わなかったがつまらなくはない。

ただ、ハッタリを用いた駆け引き等はある種「カコイイ(・∀・)」部分として認識も
出来るのだが、最終的に飛び道具があってなんぼなのかと考えると何とも
しょっぱいというか寂しい気がしないでもないw
 


どついたるねん

ストーリーをかいつまむと

試合でボクサーとして再起不能→新しいジムを開いて元のジムに不義理かます→
好き勝手する性格故にジムが立ち行かなくなる→元のジムに戻ってボクサー復帰

という感じで赤井英和演じる安達英志がクズ過ぎて感情移入出来んわぁ(´・ω・`)と
思いながら観ていたが、観了後は結構面白かったかなって感じになった(・∀・)

安達のクズっぷりもボクシングしかない男の短絡さ故と捉えれば不問に付せない
こともないし。

素人に近いことを考えると赤井英和の演技も良かったが、原田芳雄演じる左島牧雄が
それを上回る存在感を発揮していた。顔も体も凄い痩せてて最初「本田博太郎?」かと
思ったが違った(ノ∀`)

相楽晴子も若かった。バックショットのオールヌードがあった(・∀・)
但し赤井英和の(´・ω・`)
麿赤児はあんまり変わらなかったような。
清田役の人は大和武士って本当のボクシングチャンピオンだったΣ(゚∀゚;)

ワンシーン見逃したところがあったのでそこがどんな内容だったか気になる( ´・ω・)


ALWAYS 続・三丁目の夕日

無印や'64の茶川パートに比べると押し付け感は少なかったので観やすかった。

原作ファンとしては映写機やトモエのかつての恋人ネタが盛り込まれていたのが良かった。
原作の儚さやホロリと来る部分は完全に除去されてしまっているが仕方がない。
宅間先生が拾った犬って本来は喧嘩で怪我して狂犬病みたいになった狂犬ロボ?
原作ではミスターXに拾われて幸せになったような気がしたが…

小日向文世演じる川渕康成が茶川を追い詰めるシーンで鈴木オート社長達が
逆に詰め寄るところは好き(・∀・)

堀北真希は六さん似合っとるのぅ。幼馴染の中山武雄役は浅利陽介かw
原作やドリフの映画でもサクラを使って物を売るシーンがあったなw
美加が別れ際に一平になんか言うのはなんだかなと思った(´・ω・`)

あまちゃんを観た後だから薬師丸ひろ子に注目しつつみてたが、
演技は勿論きちんとしてるけどこの映画では脇役だったなぁ。
原作でもトモエも鈴木オート社長も脇役って言えば脇役か。
いや、そもそも主人公って一平なのか。三巻の三丁目の夕日が
始まるところで主人公と明記されていたような気がするが
記憶があやふや。最終的には三丁目に住む人達の群像劇みたいに
なっていたような気もする。

関係ないけど

なお、近年発売のコンビニ販売の廉価版シリーズ、傑作集、文庫版、他特別編などは、すべて『三丁目の夕日』からの収録である。
三丁目の夕日

なん…だと…( ;・´ω・`)ゴクリッ
プロフェッショナル列伝とか他の短編あっての夕焼けの詩、
三丁目の夕日じゃろがいヽ(`Д´)ノ ボケーカスー

※個人の感想です


白い巨塔(映画)

(´,_ゝ`)プッ 149分と言えどもあの長い話を
ちゃんと収められるのかよと興味半分で観た。

一審判決のところまでとは言えど、ちゃんと収まってて面白かったΣ(゚∀゚;)
観たことない田宮版も観たくなったし、唐沢版ももう一度観たくなった。

唐沢版も悪くないけど、やっぱり昔の俳優陣の方が凄いような気がする。
特に花森ケイ子役の小川真由美と財前又一役の石山健二郎に関して言えば、
完全にこっちの方が良い。黒木瞳がなんか微妙なのは仕方がないけれども、
西田敏行の又一はちょっとコントっぽすぎるというか大味すぎる感じだったかな。
唐沢版の全体的な軽さに合わせたのかもしれないけど。
 
まあ何にしても観て良かったな(・∀・)


仮面ライダークウガ

まあまあ面白かったかな(・∀・)
平成仮面ライダー第一弾ということで色々実験的だったみたいだ。

ストーリーはまあしっかりしていたような気はする。

ただグロンギ語は折角作ったんだから発音やイントネーションも
もうちょっときちんとして本当の言語っぽくして欲しかったかな。
あれだとあんまり喋ってる感じがしなかった。

グロンギ語の導入は初見者にはグロンギの目的が序盤では分かり難くなっており、
ある種の奥深さを構成する謎として機能しているとは思う。
というより、この仕掛けがなかったらクウガってかなり単純な話のような…
まあ十数年前の作品を今、話が単純だどうだと言うのは阿呆らしいことだが(ノ∀`)

エピソードがちょっと説教臭いのが多いのでなんだかなーと思うこともしばしばあった。
あとジャンと榎田さん、バイトの子の話とかって必要なんだろうかとちょっと疑問に思った。
やっぱりどっちかというと娯楽傾向の強い戦隊物の方が好きな俺氏であった(`・ω・´)
 


オダギリジョーの演じる五代雄介が微妙だったかな(´・ω・`)
なんかわざとらしかったな。

一条さんは良かったねぇ。
一条役の葛山信吾って細川直美の旦那さんなのかΣ(゚∀゚;)
しかも"くずやま"じゃなくて"かつらやま"かよΣ(゚∀゚;)

村田和美七森美江って芸能活動休止状態なのか。
七森美江のことを途中まで杉本彩だと思ってたのは内緒だよ(*´・ω・)

最も微妙に思った人はン・ダグバ・ゼバの人間体をやっていた浦井健治という人。
この人が悪いわけではないんだろうがこれは酷いと思ったw
エヴァンゲリオンの渚カヲルみたいなのを実写化したかったんだろうか。

そういえばジャンって一体何の人なのかと思ったら…色々と面白い人だったんだなw

1973年10月1日生まれ。A型。ルーマニア出身。
1993年4月、19歳の時に文部省国費留学生として来日。東京外語大学留学生日本語教育センターで1年間日本語を勉強した後、1994年、埼玉大学経済学部に入学。

東映ヒーローネット 第3回 セルジュ・ヴァシロフ

 
なんかやけに総集編をやっているなと思ったら…

本来の納品期限に遅れることが度々重なり、制作会社・テレビ局は非常に切迫した状況での制作・放送が続き、スケジュール確保のため、総集編が3回放送されている。

(;^ω^)うーむ…てっきり途中から見始めた子向けの回なのかと思ってたw

取り敢えずクウガはバイクアクションが結構あったからいいけど、
最近の作品はもう"仮面ライダー"を名乗るべきではないような気がしないこともない。

次はアギトか。

賢い犬リリエンタール

少し前の集英社の100円セールでなんだか間抜けっぽいキャラの漫画が面白そうだったので
1巻を買って読み、気に入ったので残りの3巻も買うたった(・∀・)


ストーリーをかいつまむと、

海外で研究活動をする科学者の父母を持つ日野兄妹は日本で二人で暮らしている。
或る日、両親から弟と共に帰るという手紙が送られて来たので、二人は空港に迎えに。
待っていた二人の前に両親の姿は現れず、代わりに現れた助手の早乙女は二人に
大きな箱を渡して去っていく。大きな箱を開けてみると中には人間の言葉を話し、
弟と名乗る犬・リリエンタールが居た。そしてリリエンタールには本人も知らない
不思議な力を持っていた。その不思議な力は日野兄妹やその周辺の人々を巻き込んで
色々な騒動を引き起こすことになっていく。

そんな感じ(・∀・)


個人的には非常に面白く好きになった漫画ではあるが、ジャンプという毎回クライマックスが
デフォのような週刊誌では余り人気が出ず、あえなく打切りになった模様(´・ω・`)

ただ打切りになった割には最終回までしっかりと話は組み立てられており、
多少の物足りなさはあるものの、よくある「俺たちの戦いはこれからだ」とか
坂を登りはじめたばかりのような終わり方をせず、gdgd感は全くないと言っていい。

そしてまた読んだ時に感じた"多少の物足りなさ"は、恐らく打切りにならずに
各キャラクターに対してエピソードが振られることによって肉付けされたであろう
各キャラクターの深みやキャラクター間の絆などがなかったからだろう。
話の骨組み部分はしっかりしていたと言い換えてもいいかもしれない。

最終回近くの盛り上がりはうしおととらや金色のガッシュ的感じで良い(・∀・)


リリエンタールの真っ直ぐさとまつもと剛志のまじかるストロベリィが如き優しき世界が
心地よく、もっと色んなエピソードを読みたかったなとは思うものの、アンケート競争に
敗れたのであらばそれは仕方がないことか(´・ω・`)

どっかの月刊誌に移籍して延命すればアニメ化もあり得たんじゃないかと思うのは
贔屓目過ぎるだろうか。

読了後に「俺、この漫画好きだわ(`・ω・)=3 この漫画の良さがわからない世界なんて
滅んでしまえヽ(`Д´)ノ」といきりたった俺氏はこの漫画の感想をぐぐった。

結構好意的な評価が多かったので
「世の中の諸氏の目も、存外、節穴ではないと見えるな( ・´ω・`)」と
上から目線の感想と共に落ち着いた(・∀・)


一番好きなキャラはやはりリリエンタールかなぁ。真っ直ぐさが眩しいw
二番目は当然のことながら、紳士ウィルバー(`・ω・´)
途中から出てきた割になんか濃いいキャラだなと思ったら読み切り時に
存在していたキャラなのか。描き下ろしエピソードでもなんか一番カッコイイw
ローライズ・ロンリー・ロン毛も合わせて好きだな
三番目はごむぞうとスーパーうちゅうねこ。
次点はコンフォニーw

他の人間キャラも良いけど、何故か人外キャラの方が印象に残っているw


今はもう100円じゃないのか(´・ω・`)

あまでうす あまちゃんです(・∀・) 2

先のエントリは書いているうちに自分でもよく分からなくなってきたので
新たにエントリを起こすことにした(ノ∀`)


まあぱぱっと簡単に感想を述べるならば、枝葉末節はともかくも総合的には良かった(・∀・)

クドカンらしい脇役をも活き活きと描く脚本、
それにアドリブや役の作りこみで応ずる演者と演出、
視聴者の心を自在に明るくも哀しげにもする音楽、
これらの要素がまとめられ完結した作品世界を構築し
視聴者達をその世界へ取り込んでいたと思う。


まあ完全無欠の作品であったかと問われれば、ちょこちょこと不整合があるような
感じはイナメナイヨネー(・∀・)と答えざるを得ない。

特に物語の転換回の前後で春子やアキなどの人格が別人かと見紛うほどの豹変していて
「あれ(´・ω・`)?」と思ったこともしばしば。

しかしながら、15分という短い時間、OPや回想を考慮すると更に短い時間で刻んで
話数を進めなければならないことを踏まえるとそれは仕方のないことかなと思った。
ただ2点だけどうしても承服しかねることがある。
解釈の仕方や勘違いに由来するかもしれないが、なんだかもにょった。


1つ目はアキの上京時に春子が言った言葉。

「変わってないわよアキは。昔のままで地味で暗くて向上心も協調性も
存在感も花も個性もパッとしない娘だったけど、だけどみんなに好かれた。
こっちに来てみんなに好かれた。あんたじゃなくてみんなが変わったんだよ。」

感動的な台詞なんだけど、"アキは変わってないのか"という点でどうも引っかかる。
後にアキが種市に"変わらない"とか"成長"について語った部分と関わってくるのかなと
思うのだけれども、ある人物が環境の違う場所に行って前と変わらないということは
前と同じような環境でない限りは、その人物が環境適応する為に無意識的に何らかの
変化をしてるのではないかと思うのだけどもどうだろう?

まあそんな瑣末な部分での変化の話は措いておいたとしても、物語の構成は
アキが北三陸という環境において触媒的存在である夏ばっぱ、種市、ユイちゃん、
鈴鹿ひろ美と出会って化学変化を起こしたことにより話が展開し、25年前の因縁を解き、
自分を変えた地の復興の為(正確には一番大切なユイの為)に帰ってくる形だから、
DBの悟空やワンピースのルフィのように"アキ=不変的存在"という感じの表現は
あんまり納得が行かない(´・ω・`) テーマとしての"アイドル"の定義をその空間での
太陽のような存在として描こうとしてるのに北三陸に来る前のアキが余りにもパッとしない
存在としている以上、何らかの変化が生じたとしないと話が繋がらないような。

とまあ思ったけどこれは解釈の違いかもしれないので取り敢えず良しとする。


2つ目は震災後のユイの豹変。これは理屈よりも感情的に納得がいかないw

震災後に「もう行けない。怖くて行けない。アキちゃんが来てよ!(´;ω;`)」と
ユイが希求するから、ユイの為に帰ってきたのにヽ(`Д´)ノ

あの回で「あーアキxユイENDっぽいなぁ…(´・ω・`)」とストーブさん派の俺は
最後の望みを諦めたのにヽ(`Д´)ノ

もっと深い意味が込められているのかなぁとも思ったけど、あの後、いきなり
元気になってアイドルに復帰する流れを観て、なんか変だなぁと。
まあ劇中内では何ヶ月も経っているんだろうけどもGMTのサプライズ訪問で
簡単に腹黒毒舌ユイに戻ってしまうのはなんだか御都合主義が過ぎるような気が
しないでもない(´・ω・`)


基本的に最終回がクライマックスであるべきと考えてはいないので
あの終わり方は非常に良かったと思う。まあでも飛び込んでも良かったかな。
いや、飛び込むとあざといか。うーむw

暗い暗いトンネルの先に何があるかわからないけれども、遥か彼方に見える
かすかな光に向かって進まなければ何処にも辿り着かないし、友達と一緒ならば
恐れるものは何もないというアキとユイの未来を暗示するような、なんとも瑞々しい
何かを感じさせるシーンが良かった(・∀・)
俺の人生からは落丁してた青春の一ページや(´・ω・`)


インパクトがあったキャラクターはいっそん。南部ダイバーと切っても切り離せないw
好きなキャラクターは安部ちゃんと勉さんとストーブさんと鈴鹿ひろ美かなぁ(・∀・)
まあ他のキャラクターも皆好きだけどもw

鈴鹿ひろ美に関して言えば、鶴瓶の家族に乾杯?で中の人がとても面白いということが
わかって良かったw 声が綺麗なのは元々食彩の王国等で知ってたけど。
演技も凄くうまかったなぁ(・∀・)

夏ばっぱ役の宮本信子もうまいというか、素と別人過ぎて俳優こええなぁと思った。
役柄的にはちょっとクドカンの言いたいことを代弁し過ぎな感じであったけど。


能年玲奈のキラキラ具合や役へのハマり具合は凄かった。ソリティ馬風に表現するならば、
一      人
  (`・ω・´)
体      役

脚本や濃い脇役陣や音楽の良さも勿論大事だけれども、
なんだかんだ言って主人公が魅力的でないとお話にならないので、
そういった意味ではやっぱりあまちゃんの一番の功労者は能年玲奈と
言うことになるかなぁ(・∀・)

知らない人とのトークや速いやり取りは苦手のようだから、
バラエティやトーク番組への出演はほどほどにしておいて
ドラマとCMに重点を置くのが妥当のような気がするけど。

シリアスなドラマに出ても行けそうな気はするけど、
視聴者はおそらくコメディ系キャラを求めるだろうから
何年かはそういう系統のドラマに出続けるのも手だよねぇ(・∀・)

小泉今日子が昔やってた月曜ドラマランドのあんみつ姫みたいな
お転婆キャラで時代劇とかも合いそうだな。
川原泉の「殿様は空のお城に住んでいる」とか実写化しないかな。
あとはトリックの仲間由紀恵みたいに賢くて可愛いけど口が悪いキャラで
推理物とか観たい。相方は水口とかストーブさんで。


続編やスピンオフはあったら確実に観るだろうけれど、
綺麗に終わってるから、ないならないでもいい。
もう軸となる因縁がないわけだし。

まあ北三陸の愉快な面子が楽しげに毎日を過ごし、
時折発生する珍騒動でドタバタする内容でも十分面白くなりそう。


ごちそうさんは7分くらいで挫折した。子役があれなのは仕方ないとしても
吉行和子のナレがどうもアレで原田泰造と財前直見がアレだったので…
杏が出てきたらもう一度観てみようと思うけど視聴継続するかは微妙。

ちゅらさんとちりとてちんの再放送は観ようかな。

あまでうす あまちゃんです(・∀・)

本当は"人々に愛されし"とか"皆に愛されし"という感じのラテン語を
タイトルに使いたかったがわからんかった(´・ω・`)

"皆から愛される"は「dilecti omnes」という語があるらしいけど、
"あま"とかからないので駄目。「ama omnes」とか「ama populo」は
語形とかが正しいかわからないのでちょっと意味が違うけど「amadeus」で(・∀・)

あまちゃんの物語の内容に関しての感想は世に溢れているだろうから
その辺にあんまり重点を置かず震災関連でふと思いついたことを。


「あまちゃんは朝ドラの金字塔となりうるか?」

これは朝から多くの視聴者に笑顔と元気を与えたことや人気の高さによって関連製品の
売上げがNHK朝ドラ史上ぶっちぎりの一位になったことからなどの表面的な意味合いでの
金字塔のことではない。後世に残る不変のものとして金字塔という語を使ったが正確には
石碑という語で言った方が正しい。

つまり「あまちゃんは石碑となりうるか?」である(・∀・)


震災表現

開始当初からあまちゃんは"震災"をどう扱うかについてweb上で色々な説が囁かれていた。
舞台が東北であり、わざわざ時代設定を震災前まで巻き戻しての開始だったので、
"震災"は不可避であり、視聴者が"震災"がどのように描かれるかについて興味を持つことは
当然のことであった。

まあ北三陸市のモデルである久慈市での人的被害は0ではないものの他所と比べると
圧倒的に少なかったので、多分登場人物は誰も死なないんじゃないかなぁと俺氏は
思っていたけれども震災や津波の被害をどう表現するのかは気にはなっていた。

そしてドラマはあの形で"震災"を表現した。
「なぜ本当の映像を流さないのか」等と訳の分からないことを言う人も居たようだが、
あの手法は正しいというか予想以上に素晴らしいものだったと思う。
出来うる限り被災者へ配慮しながらも、作品世界を壊さない程度の、
それでいて最初から観てきた人には十二分にわかる恐ろしい表現であった。
実況民は自然と自らの"東日本大震災"とその後をレスしあった。

もしも本当の津波映像等を流していたらどうなったか?被災者の受けるショックは
当然あるが、直接的には被災者ではない視聴者達にも大きいショックを与えただろう。
それは楽しげなタイトルバックで始まるにこやかな作品世界を粉々に粉砕するに足る
破壊力を持つ。正直、あの話の後に出てくるウニが浜に打ち上げられている写真二枚
だけでもかなりのインパクトのある"リアル"であり、あれももう少し婉曲的なものに
差し替えることは出来なかったのだろうかと思ったほどである(´・ω・`)

ドキュメンタリーならば、或いは震災をメインテーマにしたドラマならば、"リアル"は
必須ではあるけれども、少なからずこのドラマはそうではないのだから、ギチギチの
"リアル"は不要である。

だからあの表現方法は正しかったと思う。
あまちゃんは作品世界を損なうことなく、あの形で"震災"を内包したのである。


ショア(Shoah)とシンドラーのリスト

かれこれ20年ほど前の頃、俺氏は不真面目な大学生だった。
まだフサフサのガリガリだった。今は見る影もないが…(ヽ'ω`)

それはさておきある一般教養の講義でショアという映画を観て
レポートを出す課題が課せられた。この映画は

『ショア』(Shoah)は、1985年のフランスの映画。クロード・ランズマン監督。上映時間は9時間30分。製作には1974年から11年の歳月を費やした。日本での公開は1995年、東京日仏学院で行われた。
ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)に関わった人々へのインタビュー集であるが、演出もところどころ行われており、全くのドキュメンタリーではない。
インタビューの対象は、被害者たるユダヤ人生還者、加害者たる元ナチス、傍観者たるポーランド人に大別することができる。
クロード・ランズマン監督はこれまでのホロコーストをテーマとした映画にきわめて批判的である。特に『シンドラーのリスト』に対しては、出来事を伝説化するものであるとして舌鋒鋭く批判している。

『ショア』(Shoah)

というものだった。上映時間からして普通の映画館では観られない
ものだったので学内の教室で土日の二日間上映したんだったかな?
不真面目な学生であった俺氏は最初の2時間くらいで飽きて帰っちゃったけどね(ノ∀`)

この講義の教授?が主張するところは監督とほぼ同じで、「シンドラーのリスト」のような
事実ではない作品が評価されて事実のように喧伝されることは問題であり、
「ショア」のような手の入っていないドキュメンタリーを事実として残していかなければならない
とかいう感じだった。(wikipediaでは"全くのドキュメンタリーではない"とあるけど
その辺どうでもいいのでほっとくw)

この時、俺氏は思った。「教授の言うことは理解できるし、そうあるべきだろう」と。
しかしそれと同時に
「この冗長な事実の塊は研究者以外の鑑賞視聴に耐えうるものだろうか」とも思った。

この映画は事実の記録としては貴重であり、残し続けていくべきものではあるが、
これを一般の人たちが気軽に見てその内容を語り合うことが出来るかというと、
それは恐らく不可能であり、その長さにより敬遠されるのではなかろうか?

つまり、「シンドラーのリスト」のように美化捏造された事実ではないことが
蔓延るのは事実の伝承の妨げになるのは当然だが、適切に処理されていない
事実の塊もまた敬遠され忘却されて同じように事実の伝承の妨げになるの
ではなかろうか?


世代交代と震災の風化

ある日、特に観る気もたまたまチャンネルを変えたらBS歴史館がやっていた。
最初は寝ぼけ眼でネットを観ていたのだが、徐々にながら見していた番組の内容に
引きつけられていった。

その回は「関東大震災90年~“防災”に賭けた二人の男~」であった。
細かい内容はあんまり覚えていないが、寺田寅彦の先見の明と防災に人生をかけた
地震学者・今村明恒の生涯は非常に興味深く唸らせるものがあった。

以下は番組内でも紹介されていた寺田寅彦の「津浪と人間」の一部である。

災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。
 さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。
三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。

(中略)

災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすい処に立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われる度にあちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山蔭の竹藪の中に埋もれないとも限らない。そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく云っても、例えば「市会議員」などというようなものは、そんなことは相手にしないであろう。そうしてその碑石が八重葎に埋もれた頃に、時分はよしと次の津浪がそろそろ準備されるであろう。

津浪と人間 寺田寅彦

今でもGoogle等が震災の記憶を風化させまいと頑張っているが実際の所、どうだろうか?
正直な所、俺氏はあまちゃんで"震災"を再体験するまで結構忘れるというか記憶の風化が
かなり進んでいたと思う(´・ω・`)

人間は忘却機能によって哀しみや辛さを乗り越えて行く生き物だけれども
忘れてはいけないこともある。寺田寅彦の文章に( ゚Д゚)ハッとさせられた。


恐らく物理的な石碑は寺田寅彦の言うように動かされ草に埋もれて忘れ去られるだろう。
ドキュメンタリー映像は"リアル"に凄惨さを映し出すが故に敬遠され顧みられなくであろう。
"震災"をテーマにしたドラマは美化捏造された事実が故にそのドラマ的感動のみが強く
記憶され、本質たる事実は多くの人々の頭の中に残らないであろう。

稲むらの火は厳密に言えば美化捏造の類であり、嘘も方便と言えば通らぬこともないが、
やはり防災教材としての側面と五兵衛の犠牲的精神が強調され、事実の伝承が妨げ
られている感はイナメナイヨネー(・∀・)

こう考えていった時に、事実の伝承に必要な物は出来るだけ手を入れていないが利用
しやすい形に整えられた事実の塊と、後世に残り続けて人々の記憶を活性化し注意を
喚起出来る-事実を捻じ曲げず、ありのまま過ぎずに内包しつつ人口に膾炙する-
物の両方なのではなかろうか。


と言ったようなことが頭の中で繋がった時にふと思いついたのが
冒頭の「あまちゃんは石碑となりうるか?」という疑問である。

正確に言えば疑問というよりも、そうなって欲しいという願望か(・∀・)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まだまだあまちゃんブロガーなのでオチは特にない( ・´ω・`)