年: 2009年

22.藤枝宿

22.藤枝宿(2007.11中旬)
最寄駅はガイドブックによればJR藤枝駅、静岡側にバスで戻る。

1号線を横断した後、葉梨川沿いを歩き208号へ。
地図でみるとこの辺りは家具工業団地のようだ。

葉梨川にかかる八幡橋を渡り右折
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お地蔵さん、道標、秋葉神社
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バスはほとんど来ないのか
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須賀神社のクス。でかい。
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ルート上にすきやや7-11を発見。
空腹ではあったが「またすきやか(´・ω・`)」「また7-11か(´・ω・`)」と思い、スルー。
バーミヤンも向いにあり、一瞬そちらの方に行きかけたが、ルートと違ったので引き返した。

工事の関係で回り道。1号がなんか渡りにくかった記憶。
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卵の自動販売機があるなんてΣ(゚∀゚;)
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商店街を進んでいくと大きく「成田山」という文字が。
千葉のと関係はないのかなと思ってぐぐったら、

●千葉県成田市の「大本山成田山新勝寺」の直末寺院
成田山不動明王のご分霊をおまつりする当山は、志太地域はもとより、県内外から多くの参詣者で賑わいます。一年を通じて、お車の交通安全祈願をはじめ、家内安全・商売繁昌・開運厄除・安産・合格などの請願成就をご祈念いたします。(藤枝成田山

とあった。分院なのか。
成田山新勝寺の起源が平将門の乱絡みだとは知らなかった(´・ω・`)

布袋和尚、腹の辺りに親近感を覚える。
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商店街がつづく。さわやか通りの途中で、東海堂というお店でとろろそば700円。
おばーさん二人で切盛りしてるのかな?にしては内装がちょっと凝ってるような。
おいしゅうございました(・∀・)
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足の疲れも多少とれ、腹も膨らみややおねむ(´-ω・`)
ゆったりまったり歩を進め。


大黒天、長楽寺商店街?
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長楽寺の起源は

 駿河国、益頭郡長楽寺村の言い伝えによれば、はるか昔の仁安年間ごろ、この里に粉川長楽斎という郷士がいた。妻は伊勢神戸の住人 神戸蔵人某の娘であった。 祖先より代々豊かに暮らし、夫婦ともども仏法に深く帰依していたので、世の人は粉川長者と呼び、また仏心長者とも称した。
 長楽斎夫妻には、賀姫という女子があった。齢十六、まことに美しい面立ちで、父母の寵愛を一身に受けていた。 賀姫もまた仏を深く信仰し、父が近くの山の麓に安置した薬師仏に毎朝詣でることが、もう何年もの習いであった。

 里の東の山を越えたところに、真池という周囲一里ばかりの池があって、池中には大蛇が棲んでいた。 その大蛇が美少年に化して、薬師仏に通うようになった。日を重ねてとうとう賀姫と深い仲になり、姫を誘って池に引き入れた。
 父母が限りなく悲しみ嘆いたのは言うまでもない。
 長楽斎は怒りに堪えず、砂石を焼いて炎火となし、鋼鉄を溶かして灼熱の湯とし、これでもか、これでもか、とばかりに池に投げ込んだ。 大蛇に逃れるすべはなかった。沸騰する池水の中で焼け爛れて死んだ。長楽斎は亡き賀姫の冥福を祈るために、おのれの屋敷を寺院とし、かの薬師仏とともに阿弥陀仏を本尊としてまつった。今の青龍山長楽寺がそれである。(略)(大蛇を殺した長者

という話らしい。ガイドブックだと青島池の竜となっている。
まあかつての民話における竜と大蛇はそう大差ないからなあ。

しかしこの話、考えてみると全然仏教らしくないな(w
何か違う民話を無理矢理変えたか混ぜた感じだ。


道なりにひたすら進んで瀬戸川にかかる勝草橋を渡る。
川幅は広いけどあんまり水量はないのか。田沼意次絡みの田沼街道の起点らしい。
地図で見ると藤枝駅の南側に田沼という地名があるが、関係あるのかないのかは不明。
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一里塚跡、為善館
道の向こう側だったので渡らず。

看板の説明文によると寺子屋の学校化したものらしい。
水害で流出してしまって今では正確な位置が不明とのこと。
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五叉路を越して道なりに。途中に西友があった…かな?
356号を横断して鏡池堂六地蔵尊のところで222号に合流。

看板によれば神龍が棲んでいる鏡ヶ池から六地蔵尊が出現したから
鏡池堂六地蔵尊と称するとあるけれど、

鏡ヶ池に棲んで旅人を悩ませていた龍を、鬼岩寺二世静照上人が修法で退治し、その際鏡池堂が建てられた。六地蔵尊は智証大師の作とされ、高さ30cmほどで金色に彩色された木仏であるという。(藤枝宿

と書いている人もいる。ソースが何か分からないものの、おそらくそういう説もあるのだろう。

この手の話はどちらが本当かという性質のものではないのでどーでもいいが、
多分、古き信仰(龍)が新しき信仰(仏教)に制圧される話も六地蔵尊出現も
後付けなんだろうなあ。

ただ周辺の人間にとって重要な鏡ヶ池と呼ばれる池が存在していたのだろうけれど。
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東海道追分

こヽには瀬戸山を越える中世の古東海道と、山裾に沿う旧東海道がある。瀬戸新屋や水上は池や湿地が多い所だったので、東海道が六地蔵の所を通るようになったのは、開拓が進んでからである。当時、東海道はこの碑の所から、東へ竜太寺山をまわり、前島境で初倉からの道と合して南新屋(五又路)へ通っていた。東海道が瀬戸新屋を通るようになって、東海道とこの古道と分かれる所を追分と呼んだ。古道はその後も、主要道路として、青島村当初の学校や役場が沿道に置かれた。
平成十年五月 青島史跡保存会

この看板ではこの一帯に池や湿地が多かったとあるが、おそらく岡部宿以南から
この藤枝宿全域で池沼湿地が多かったのだと思う。昔の地形はわからないが、
朝比奈川・葉梨川・瀬戸川・大井川とこの地を流れる大小複数の川、為善館の水害流出、
鏡ヶ池や長楽寺の池と大蛇(龍)の話などを併せて考えるとおそらくそうであろう。

静岡県市町村災害史 藤枝市などを見ると1980年代までは台風による堤防決壊なども発生しており、
その昔はもっと水害が多かったであろうと考えられるが、水神社らしきものが見当たらない。
ぐぐってみると藤枝駅南西2km辺りにある八幡宮内に水神社はあるらしい。
しかし昔の人間の領域感覚?から言うとかなり離れている。
なんか他に水属性の神社があるのかなとぐぐってみると

飽波神社は仁徳天皇6年の創建と伝えられる志太平野最古の社です。藤枝市内を流れる瀬戸川の水害から人々を守る神様としてうやまわれ、湧波(わくなみ)神社、川関(かわせぎ)神社とも呼ばれていました。(飽波神社

社伝によると、
仁徳天皇六年(316)の創祀。
飽波郷に鎮座していることから、飽波神社と称し、式内社・飽波神社に比定されている古社。
飽波の地名は、瀬戸川の伏流水が泉として沸く「沸波」によるものだとする説がある。
当社の伝承として、病気に霊験のある泉の話がある。古来、川関大明神とも称されており、
この社の土をいただくと洪水を免れるという信仰があった。(飽波神社

と「あくなみさん」と親しまれている神社があった。

話が関係ないほうに脱線しすぎた…orz

追分やらなにやら。
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卵自動販売機はいちごも売ってたりするのか。
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千貫堤

市指定文化財 千貫堤
寛永十二(一六三五)年田中城主となった水野監物忠善は領内を大井川の洪水から守るため、ここ下青島の無縁寺の山裾から南方藤五郎山(今はない)をはさみ本宮山(正泉寺裏山)まで約三百六十米にわたり、高さ三.六米、巾二十九米の大堤防を一千貫もの労銀を投じて造築したのでこの名がある。
昭和三十一年一月二十一日指 藤枝市教育委員会

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田中藩領傍示石蹟やら松並木らしきもの
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東光寺谷川にかかる瀬戸橋を渡る。やがて一号と合流。
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一里塚跡…跡形もない…(´・ω・`)
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この辺りから島田宿側かな?
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23.島田宿(2007.11中旬)
最寄り駅はJR島田駅。

島田市に突入。
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六合駅辺りで右の細い道へ入るも、すぐに1号に再合流。
六合駅南側の地名は道悦( ・´ω・`)

( ・∀・)っ~~~---------→手鎖御免

伊太谷川にかかる栃山橋を渡る。鳥発見。
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島田はほとんど街道。駅まで近いのかとおもたらかなり遠かった。


監物川と監物橋
寛永十二(一六三五)年、島田宿は田中藩の預所となり、田中城主であった水野監物忠善の支配下に入りました。志太郡一帯を支配するこになった(原文ママ)監物は、水不足に悩む栃山川以東の村々のために、灌漑用の水路を作ることを計画しました。そして島田宿の南(横井)に水門を設けて大井川の水を取り込み、そこから栃山川まで水路を開削して大井川の水を引き入れました。感謝した農民たちは、その名前を後世に残そうと、この水路を「監物川」と呼び、東海道に架けた幅三間、長さ二間の短い土橋を「監物橋」と呼んだものと思われます。 島田宿史跡保存会

またしても監物さん登場。
考えてみると近くに川や池沼があっても水を引っ張ってこれなければ意味がないんだな。
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 駿河国(するがのくに)の農地面積の推移をみると、室町時代の9,150町歩に対し、江戸時代中期は26,626町歩と、三倍近い増加を見せています(※)。江戸時代は、全国各地で新田開発が進んだ時期であり、大井川平野が位置する駿河国でも大きく開墾が進んだことが分かります。
 この時代の新田開発は、土地条件が厳しく、それまであまり手の付けられなかったところ、つまり大河川下流の洪水地帯や湖や海の干拓などが主な対象でした。洪水常襲地帯の大井川平野も無論、条件の厳しい土地。駿河国で開墾された新田のうち、大井川平野が多くを占めたことは間違いのないところでしょう。
 大幅な新田開発を進めるため、大井川には江戸時代を通して、数多くの水門や取水口が築かれ、用水路が引かれます。代表的なものでは、田中藩主・水野監物忠善(みずのけんもつただよし)が開削した「監物川」(1604年)、島田三代目代官・長谷川籐兵衛が完成させた「向谷用水」(1645年)があります。
3.新田開発とため池【「農」と歴史】

「大井川の賜物」を授かる為にも色んな苦労があったようで(´・ω・`)


島田は刀鍛治の町だったのか。
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問屋場、枡形跡
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17:00辺りで断念。本当は金谷まで行って電車で戻ってくるつもりであったが、
大井川を見ないのもつまらないのでホテルへ。
島田ホテル4980円 ティーパックx3 まぁまぁ良かった。ここは前日に調べておいたんだったかな?
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この日もバスタブでうたた寝。自分のいびきで起きる。
島田駅前は特に何もなし。居酒屋が多かった。
あとは服の店と和菓子の店・甘味処が多かったような。
そういえば静岡近くに多かった布団屋はいつからか余り見ない。

中国料理屋さんで麻婆豆腐定食 700円。
孫らしき幼女x2がお店やさんごっこらしきことをしている。
多少うるさきもあり微笑ましきもあり。
味はまぁ…なんというか…700円ですし、えーと普通ということで(・∀・)
サラダもスープもついてたし。

入った時に居た祖母と孫らしき二人のテーブルの上には何皿もの料理がΣ(゚∀゚;)
灰色の青春時代を送った脳細胞の俺が
祖母か少年のどちらかが大食い、或はその両方に違いあるまいと名推理( ・´ω・`)!!

…帰る時にパックに詰めてもらってました(´・ω・`)

その後もお客さん一人、中年夫婦一組と、そこそこお客さんは来てました。


ホテルに戻りコインランドリー。
10円玉オンリーの洗剤販売機というあこぎな価格設定ヽ(`Д´)ノ
10円玉1枚しかなく致し方なくコーラゼロを買って調達。
下まで行って両替という手もあるが、それが面倒くさいので。
200円入れて洗濯開始。ソフト剤はないのか。
清水ホテルのは洗剤も柔軟剤も込みで200円だったのに…(´・ω・`)
でもこっちの乾燥機は30分100円か。でも柔軟剤入れてないとどうかなぁ…。

結局300円分払わないとうまくかわかなかった。・゚・(ノД`)・゚・。
よくよく考えてみると清水ホテルの30分300円のやつはガス乾燥機だったから火力が違ったんだな。

約25km

307-25=282km

品目 金額 備考
バス代 340
とろろそば 700
麻婆豆腐定食 700
150
ビール 250
ビール 350
柿の種 200
島田ホテル 4980
洗濯乾燥 530
コーラゼロ 120
累積使用金額 54,475円 残り: 282km

カラスの早起き、スズメの寝坊 / 柴田敏隆

著者は横須賀市博物館学芸員、(財)山階鳥類研究所資料室長を勤めた柴田敏隆氏。
肩書きはコンサーベイショニスト(自然保護に、話のわかるプロとして携わる人、の意)。
コンサーベイショニスト、柴田敏隆先生の文化鳥類学

単純に鳥の説明に終始するような内容ではなく、さまざまな分野と
鳥を絡めた楽しく読めるエッセイでした。
自然保護を強調している部分も多々ありますが、盲目的自然原理主義的な
薄っぺらい主張とは異なるので、余り気にはならないと思います。

寺田寅彦の「とんびと油揚」について触れた「鵜の目鷹の目」、
思春期の自己愛とその行動について理解を示しているとも言える「ツッパリの原点」、
現代日本の自然史的常識の欠如を憂う「卵歯」「フクロウの足」、
そのほか、「一富士二鷹」「リンの運び戻し屋」「海水を飲んではいけない?」など、
興味深い話が多数収録されてました。

21.岡部宿

21.岡部宿(2007.11中旬)

最寄駅は…JR静岡駅かJR藤枝駅よりバスとガイドブックにはある。
岡部宿は距離が比較的短いこともあり、さらっと通過してしまった。

岡部宿は交通手段が徒歩だった頃に要衝として栄えていたらしい。
交通・輸送手段の変遷によって町が盛衰するのはいつの世も変わらないようだ。
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なんでこの写真を撮ったのかなと思ったけど、よく見ると「亀あります」の張り紙。
蒲原宿の「イルカあります」みたいなやつか( ・´ω・`)!!
ここら辺の人は亀食うのか。
まあすっぽんを食うくらいだしなぁ…
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と思ってぐぐってみると、そういうことではなく、
初亀醸造株式会社のお酒の銘柄のようだ…orz

祠、道、岡部橋、岡部川x2
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208号から右の道へ入り岡部橋を渡り、
また208号へ合流かと思うとまた左の道へ行ったり。
ちょうどその前辺りに初亀醸造があるようだ。

この辺りでは五智如来、次は大黒天、恵比寿と色んなのぼりが立っていた。

途中、内野本陣跡の公園で休む。トイレもあり、小休止にはほどよい。
今、マップルで見てもこの公園の場所がわからない。どーいうこっちゃ。
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小野小町の姿見の橋があった。正直言ってしょぼかった(´・ω・`)

そのむかし、岡部の町がさびしい村だった頃のことじゃ。小野の小町という世界三大美人の一人といわれた美しい人がいたそうな。歌にも優れ、しかも美人だったので毎日を楽しく過ごしていたそうな。
 その小町も年を取り、ある時、京都から東の国へ行く途中、岡部の地に泊まることになったのじゃ。長旅と病気がちのため、すっかりやつれてしまった小町は、この宿場の橋の上に立ち止まり、岡部の山々を眺めていたのじゃ。が、ふと橋の下を見ると自分の姿が映っている。あの美しかった小町もすっかり姿が変わり、やつれた姿を見て悲しみながら岡部の宿をたったそうな。(岡部町商工会)※姿見の橋に関する記述はなくなっていた

卒塔婆小町を思い出す。才色兼備の美女も若いうちが華なのか(´・ω・`)
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高札場、問屋場跡、弘法大師堂、木喰仏、お地蔵さんと不動明王?、
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町役場の辺りでまた208号に合流、途中で81号になる。道なり。枡形跡、五智如来公園
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カゴメがこんなところに。マップルで見るとこの辺は工場が一杯あるみたいだ。
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岡部宿の松並木?
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1号と合流するけれども81号は右に分かれる。オリエント工業なるものがΣ(゚∀゚;)
ってぐぐってみたら、あの会社とは関係なかった…
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岩村藩領傍示杭、
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ここら辺は横内というのか。朝比奈川にかかる横内橋をわたる。
後は道なり、長い道。
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悪書追放白ポスト発見。
エロ本の処理に困った人はここに入れておけば良かったのにな(´・ω・`)
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またしても藩領を示す石碑が。
この辺はこの手ものが多かったような。
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この辺はもう藤枝宿側かな?
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20.丸子宿(2)

20.丸子宿の続き(2007.11中旬)

最寄り駅はJR静岡駅で、あとはバスで。

晴れ 7:00起床 ホテルの一階にてパン2枚(4か6枚切くらい)にマーガリンをつけ、
コーヒー一杯で平らげる。他のお客さんたちも結構居た。


リュックの代わりが欲しいので、そーいうのが売ってる店をフロントに聞いたが、
ちょっと離れたところにイトーヨーカドーがあるとのこと。
調べてみたら結構離れていたので先を急ぐことに。

8:30くらいに出立したので店はほとんど開いてない。静岡駅のバス乗り場6番へ。

静岡駅前
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新丸子橋までバスで340円。

丁字屋でとろろ汁を食べるか悩んだが、腹が減ってないのでやめる。

丸子宿の高札場? デプリカ…( ・´ω・`)?
レプリカの間違いか…。
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内容を読んでみると、人身売買や毒薬偽薬、贋金の禁止などについても言及されている。
いつの時代でも横行する犯罪は大して変わらないようだ。


真っ直ぐな道の向こうに見えるは宇津ノ谷峠?。
途中にラブホが何軒かあった。モーテルみたいなのもあった。
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208号を1kmほど行くと1号に合流。
蛙死んでた(´・ω・`)
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えらく天気が良い。写真の空がちょっと不自然に見える(w
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一号から左の細い道に
なんか怪しい工事現場のようなものが道の傍らに。砕石場か。
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1号合流後、歩道橋を渡り右の細い道へ。ん?
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なんぞこの黄金観音Σ(゚∀゚;)
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怪しい宗教施設でもあるのかとおもたらただの工芸企業だったようだ。


丸子川沿いをつかず離れず歩いていって再び一号へ。
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歩道橋を渡って道の駅宇津ノ谷峠でちょっと休憩。
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とろろ汁売ってたけど、食べず。
なんか里のミニチュアがあった。東海道ルネサンスの顔出し看板。
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宇津ノ谷の里は立派な日本家屋が立ち並んでいた。
十団子というものが名物らしいが食べなかった。

宇津の谷の北にあった梅林院の住職が難病にかかり、小僧に膿血を吸わせるうち、
その小僧は人肉の味を覚えてしまい、ついに人喰い鬼となり、峠に棲みついてしまう。
旅人は鬼を恐れ、峠に人気の絶えた860年頃、東国下向途中それを知った藤原業平が、
野州素麺谷の地蔵尊に鬼神降伏を祈願したところ、忽ち地蔵尊は遊歴の僧となり、この地に出現。
鬼神との問答の末、極小の形となり掌に乗ってみせよと言うと、鬼は忽ち小さな玉となって僧の掌に乗ったので、すかさず僧が杖で打つと、十粒にくだけ、僧は一口に呑み込んで化度してしまった。
これ以後菩薩はこの地に留まって峠を守り、十団子を道中安全だけでなくすべての厄除けとした。(宇津ノ谷の十団子

実際の食べ物としての十団子とお守りとしての十団子があるのかな? 
春秋戦国時代の呉起みたい。なんかミックスしてお話が一本出来そうな感じだな。
日本の戦国時代に舞台を移して。

この日は日曜ということもあり、中年夫婦、団体客が結構居た。
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石畳の坂を上っていくと普通の山道へと変わる。
峠はそこそこきつく、舗装されていないため、雨天時は行くのはやめたほうがいいかも。
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十団子の話に出てくる観音菩薩かな?それはお寺の方にあるのかな。
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しばらく山道を進むと途中で休憩できる場所についた。
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峠の途中から見下ろした宇津ノ谷の集落
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昔とは道がちょっと違うらしい。
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甘く見ていたが結構長いので汗だく息切れでかなりきつかった。
地蔵堂の石垣跡
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谷川岳Σ(゚∀゚;)?
とおもたら谷川峠だった。マップルには載ってないが、
西又峠の東、野田沢峠の北辺りの小瀬戸谷川の辺り?
谷川集落が廃村になったから載ってないのかな?(兵藤庄左衛門
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髭題目碑やらなにやらあった。
東海道中膝栗毛の時代では蔦の細道の方を通っているようだ。
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結局ナイロンバッグで峠を突破してしまった。
場違い極まりない(w

なんやかんやいいつつ宇津ノ谷峠もそこそこきつかったかな。
まあ平坦な、どストレートの街道をひたすら歩き続けるよりは
ぜーぜー言いながら峠を越すのが楽しいんだけれども(w

坂下地蔵堂を過ぎ、しばらくすると一号に合流。
反対側にも道の駅があった。
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歩道橋を渡って右の細い道へ。
岡部川沿いを付かず離れず、やがて208号に合流。
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なんでこんな写真を撮ったのだろうと考えた。
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「カリモク家具販売株式会社 静岡営業所」
カリモク…カリモクカリモク…( ・´ω・`)カリモクケントウモツカナイ

( ゚Д゚)ハッ
「ツルモク独身寮」のモデルになった会社だ(・∀・)
本社は愛知県にあるのか


この辺りから岡部宿側らしい。