カテゴリー: ドラマ

『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』の第一話を観たけれど…他

SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜

ケイゾク」を観たので、その辺も続編も観てみるかと思い、一話だけ観てみたが、
なんかクォリティが低くね(´・ω・`)?前シリーズは数分観ただけでドラマ世界に
引き込まれるというか、あたかもずっと前から存在していたかのようなドラマの
ように感じられたのにこれにはそれがない。


主演である戸田恵梨香は比較的上手い方だと思っていたがこのドラマだといまいち(´・ω・`)
戸田恵梨香が演じている当麻紗綾のキャラ設定が変なのと、微妙に柴田をなぞろうと
しているのかなぞらせようとされているような感じが原因かと思ったが、それだけ
じゃないことに思い当たった。そういえば戸田恵梨香って「コード・ブルー」の緋山や
「BOSS」の鑑識みたいなクールキャラはイマイチだったような記憶がw 

そもそも観たことのある戸田恵梨香出演作で良かったのって「ライアーゲーム」と
「流星の絆」で、後者はクドカン脚本に依存する部分が大きく、「ライアーゲーム」も
瑕疵なき演技であったかといえばそうでもないなという気がしてきて、なんだか
俺氏の中で戸田恵梨香株が大暴落(ノ∀`)
「書店員ミチル身の上話」の時は普通だったかな。でもあれは話が酷かったなw

瀬文役は誰だか分からなかったが、結構役になりきっているというか、存在を受容出来た。
って、これ加瀬亮なのかw 「ありふれた奇跡」や「永遠の僕たち」くらいでしか
観たことなかったので俳優としての力量はあまり良くわからなかったけど、結構良さ気。
加瀬亮って「ハチミツとクローバー」映画版の真山役だったのか…覚えてない…
あれは堺雅人が煙草持って(・∀・)ニヤニヤしてたのしか覚えてないw
オム先生/ノーコン・キッドの浜野謙太も出てたのか。

竜雷太の野々村光太郎は相変わらず。雅と結婚したけど、別の雅と不倫中?
ただのJKマニアなのか(・∀・) 今回の雅って若春子こと有村架純か。


第一話の被害者が五木谷春樹という名前で実在の色んな人を混ぜあわせたように
匂わせてるけど、どう考えても楽天の三木谷を馬鹿にする為の設定だろうな。
TBSの買収で対立してたし。楽天とか三木谷は嫌いだけど、テレビ局がこういう形で
個人を攻撃するのはどうなんだろうか?TBSは坂本堤弁護士一家殺害事件を
引き起こしたり、不二家を捏造情報で叩いたりするような企業だから平然と私怨で
こんな設定をドラマでやっちゃうんだろうな(・∀・)


不必要なまでに時事ネタというかその当時の流行ったフレーズや一発ギャグを
入れてて観ていて寒いのも入り込めない原因かもしれない。

能力者の話自体は面白そうだし回が進めばもう少しマシになるかもしれないから
続きを観てみてもいいかなぁとも思ったが、根本的に堤幸彦演出に飽きてるのと
ドラマ全体から漂う微妙感から、取り敢えず他のを優先して観ようという結論に(ノ∀`)


「風雲!たけし城スペシャル たけし軍世界最強の総攻撃」

たけし城が谷隼人に落とされてそれを奪還する体の回。肖像権とかの問題で
一般人回は出せないのかな?でも海外では放映とかしてるんだよな、確か。

挑戦者はお化けや三銃士に扮装した芸能人や怪獣の着ぐるみ達が各ステージに
挑戦するんだけれども、これはクリアとか関係なくて各ステージをみんなで
チャレンジして面白かったものだけを編集で集めたような感じ。

ビートたけしが無茶苦茶若い。事故前か。爆笑問題の太田光のトークや芸風は
事故前のたけしの劣化コピーなんだなとふと思った。そのまんま東時代の東国原や
4人時代のダチョウ倶楽部や大川興業が出てた。江頭2:50も居たような気がするが
確証はないな。清水クーコという人が出ていて、知らない人だなと思って
ぐぐってみたら、清水国明の元嫁で38歳で亡くなってたわ…(´・ω・`)
豚の格好をしていた女の子は誰だったんだろう?
そういえばストロング金剛が出てた(・∀・)

懐かしくもあり、まぁまぁ面白かった。


「TRICK 新作スペシャル3」

つまらなくはなかったけど、薄味で何か凄い違和感を覚えながら観てた。
物語自体や堤幸彦演出に飽きているからかと思っていたが、実況のあるレスの
指摘を見て本当の理由を理解した。

これTRICKなのに霊能者が出てきていない…( ;・´ω・`)ゴクリッ

だからなんかライトな感じで物足りなかったんだな(ノ∀`)
或る意味でこれTRICKじゃなかったなw ストーリーの骨格は犬神家のパロディだし。

まあでもこのくらいのクォリティで土ワイ落ちして続けて行っても良さそうだけどな。
上田教授役の阿部寛は忙しいだろうから仲間由紀恵と生瀬勝久のコンビで
普通の事件を解決していく形で。矢部謙三の一期をもうちょい2サス寄りの
真面目な感じにして。

ずぶん先輩こと福士蒼汰が今でしょポーズで頑張っていたが、役としては藤崎千佳子
を演じていた朝倉あきの方が美味しかったな(・∀・) 色々と笑ったw
飯島直子を久しぶりに観た気がする。

映画は水原希子なんか出さなかったら観に行ったんだけども、テレビ放映まで
観なくていいや(ノ∀`) 基本的に俺氏の中では「しすらな」の下り坂でTRICKは
完結してるし(・∀・)

『ケイゾク』を観た

ケイゾク

『ケイゾク』は、TBS系列で1999年1月8日から3月19日まで、金曜ドラマ枠(毎週金曜日22:00 - 22:54、JST)で放送された日本のテレビドラマ(全11話・特別編1話)。2000年には劇場版作品『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』が公開されている。

(中略)

“ケイゾク”と呼ばれる、迷宮入りした事件を担当する警視庁捜査一課弐係(架空の部署)に配属された、東大卒のキャリア警察官僚・柴田純と、元公安の叩き上げ刑事・真山徹が難事件を解決していくミステリードラマ。

いつかは観ようと思っていたが、TBSの作品だし、そんなに無理して観たくもないなと
放置してきたが、huluで配信されていたので観てみた。


中谷美紀や松嶋菜々子、松たか子のように頬骨が突き出ているようなホンコン顔は
好きではないので中谷美紀がキレイだと言われても、んー(´・ω・`)?という反応
しか出来なかったが、このドラマでの中谷美紀は可愛いと思う。まあそれでも
やっぱりちょっと頬骨が残念だったなぁ。

顔云々の話はおいておいて、演技力は申し分ない。天然キャラの柴田を演じきって
いたからか、観ていて開始数分で話に入り込めた。まあこれは鈴木紗理奈以外は
きちんとした俳優陣だったからというのもあるだろうけれども、何にしてもうまかった。

渡部篤郎というと「幸福の王子」の糞野郎役か「白夜行」の糞野郎役しか知らないので
その辺と比べると真山は随分とまともなキャラに見えた。十分病んではいたけれどもw

この柴田と真山のコンビが後の「TRICK」シリーズの山田と上田へと発展したんだろうか。

中谷美紀と渡部篤郎って確か不倫関係でどうとか騒がれたんじゃなかったっけと
ぐぐったら、リカコとは離婚して未だに付き合ってるけど結婚してないというか
事実婚状態なのか。10年もそんな状態ならずっとそのままかね。


同僚役の近藤昭男(徳井優)と谷口剛(長江英和)を観て、( ゚Д゚)ハッとなる。
TRICK2のエピソード1「六墓村」に出てくる議員とその秘書やないか(・∀・)
あれはこのドラマからの流れでのキャスティングだったのか。

鈴木紗理奈はたまにとちりそうになっていて危うかったけど許容範囲内か。
竜雷太や野口五郎はまあ普通。泉谷しげるもいつもの"泉谷しげる"的キャラ設定で普通。
ポジション的には美味しい役だったな。

斑目役の村井克行という人はそれなりに出演ドラマがあるのに全く観たことがない人だな。
榎木孝明の「密命 寒月霞斬り」の第一話に出ていたらしいが全く覚えてないw


主題歌の「クロニック・ラヴ」は

坂本龍一プロデュース。楽曲自体は坂本のアルバム『未来派野郎』に収録されている「Ballet Mechanique」を改作したもの。岡田有希子の「WONDER TRIP LOVER」のカバー曲でもある。英詞であったものに中谷美紀が日本語詞を書いた。

ということらしい。中々いい感じはあるけど、この頃はまだ女優のマルチタレント化を
推し進めようとしていたのだろうか。そもそも中谷美紀って何の出身なんだろう?

TRICKと比べると話の構成はこちらの方がきちんとしていてドラマとしての体は
整っている感じ。但し、その所為なのか、登場キャラクターにそれ程インパクトが
あるわけでもなく、個々の事件の犯人やその使用したトリックが結構平凡だったり
無理があったりする感じなのであんまり引き込まれる感じはしない。
これはこのドラマが十数年前のものであり、このドラマを参考にしたりした、TRICKの
ような他のより新しいドラマを観ているが故の物足りなさに起因するのかもしれない。

個々の話のパターンは、
出勤途中の柴田が受験生等の問題に首を突っ込んでバスを降り損ねたりする→
2係の面々が暇そうにしていて、木戸(鈴木紗理奈)が「柴田どうしたー」→
柴田来る→婦警さんが今日の相談者→なんやかんやで「犯人わかっちゃったんですけど」→
もっともらしそうなことを犯人が言う→真山が「本当は~なんじゃねぇか」と罵る→
犯人、捨て台詞→おしまい(´・ω・`) ナンカ、アトアジワルイ

これに真山の妹ネタというか朝倉ネタが挿入される感じ。8話までは一応個別案件で
上記のようなパターン。9話からは朝倉絡みだったかな。厳密に言うと8話からか?

この朝倉裕人というキャラが問題があるというかスーパーチート過ぎて、比較的
リアル路線系のこのドラマでは浮いてしまっているような気がしないでもない。
続編であるSPECやTRICKのように能力者の存在を明示的また暗黙的に認めている
ドラマならば朝倉という存在は問題ないのだけれども、このドラマの中では
ちょっと無理があるかなぁと言った感じ。これが更に映画になると何がなんだか
という感じになってくるw 自分は難しく考えるのが面倒くさいので、この
連続ドラマ版では話を成立させるための悪の超人的快楽殺人者として受け入れたw

朝倉を演じていた高木将大って人はwikipediaに項目がないので他に何やってんだろと
ぐぐってみた。取り敢えずウィーズカンパニーという事務所には今は居ないのかな?
高木将大 | ORICON STYLE
http://tvtopic.goo.ne.jp/cast/cid/18880/0/0/4.html

一昨年、去年と土ワイには出ているので引退はしてないんだな。

脚本の西荻弓絵という人は他に何を書いてるのかなと思ったら、「SPEC」もこの人なのか。
「安堂ロイド」もかw 観てないけどどうだったんだろうか、アレは。


連続ドラマ版の「ケイゾク」に対して言えることは、スーパーチートな朝倉の存在を
受け入れられるかどうかにかかってくるだろうw それさえ受け入れられるならば、
普通のちょっと易しい推理物ドラマという感覚で楽しめると思う(・∀・)

あまでうす あまちゃんです(・∀・) 2

先のエントリは書いているうちに自分でもよく分からなくなってきたので
新たにエントリを起こすことにした(ノ∀`)


まあぱぱっと簡単に感想を述べるならば、枝葉末節はともかくも総合的には良かった(・∀・)

クドカンらしい脇役をも活き活きと描く脚本、
それにアドリブや役の作りこみで応ずる演者と演出、
視聴者の心を自在に明るくも哀しげにもする音楽、
これらの要素がまとめられ完結した作品世界を構築し
視聴者達をその世界へ取り込んでいたと思う。


まあ完全無欠の作品であったかと問われれば、ちょこちょこと不整合があるような
感じはイナメナイヨネー(・∀・)と答えざるを得ない。

特に物語の転換回の前後で春子やアキなどの人格が別人かと見紛うほどの豹変していて
「あれ(´・ω・`)?」と思ったこともしばしば。

しかしながら、15分という短い時間、OPや回想を考慮すると更に短い時間で刻んで
話数を進めなければならないことを踏まえるとそれは仕方のないことかなと思った。
ただ2点だけどうしても承服しかねることがある。
解釈の仕方や勘違いに由来するかもしれないが、なんだかもにょった。


1つ目はアキの上京時に春子が言った言葉。

「変わってないわよアキは。昔のままで地味で暗くて向上心も協調性も
存在感も花も個性もパッとしない娘だったけど、だけどみんなに好かれた。
こっちに来てみんなに好かれた。あんたじゃなくてみんなが変わったんだよ。」

感動的な台詞なんだけど、"アキは変わってないのか"という点でどうも引っかかる。
後にアキが種市に"変わらない"とか"成長"について語った部分と関わってくるのかなと
思うのだけれども、ある人物が環境の違う場所に行って前と変わらないということは
前と同じような環境でない限りは、その人物が環境適応する為に無意識的に何らかの
変化をしてるのではないかと思うのだけどもどうだろう?

まあそんな瑣末な部分での変化の話は措いておいたとしても、物語の構成は
アキが北三陸という環境において触媒的存在である夏ばっぱ、種市、ユイちゃん、
鈴鹿ひろ美と出会って化学変化を起こしたことにより話が展開し、25年前の因縁を解き、
自分を変えた地の復興の為(正確には一番大切なユイの為)に帰ってくる形だから、
DBの悟空やワンピースのルフィのように"アキ=不変的存在"という感じの表現は
あんまり納得が行かない(´・ω・`) テーマとしての"アイドル"の定義をその空間での
太陽のような存在として描こうとしてるのに北三陸に来る前のアキが余りにもパッとしない
存在としている以上、何らかの変化が生じたとしないと話が繋がらないような。

とまあ思ったけどこれは解釈の違いかもしれないので取り敢えず良しとする。


2つ目は震災後のユイの豹変。これは理屈よりも感情的に納得がいかないw

震災後に「もう行けない。怖くて行けない。アキちゃんが来てよ!(´;ω;`)」と
ユイが希求するから、ユイの為に帰ってきたのにヽ(`Д´)ノ

あの回で「あーアキxユイENDっぽいなぁ…(´・ω・`)」とストーブさん派の俺は
最後の望みを諦めたのにヽ(`Д´)ノ

もっと深い意味が込められているのかなぁとも思ったけど、あの後、いきなり
元気になってアイドルに復帰する流れを観て、なんか変だなぁと。
まあ劇中内では何ヶ月も経っているんだろうけどもGMTのサプライズ訪問で
簡単に腹黒毒舌ユイに戻ってしまうのはなんだか御都合主義が過ぎるような気が
しないでもない(´・ω・`)


基本的に最終回がクライマックスであるべきと考えてはいないので
あの終わり方は非常に良かったと思う。まあでも飛び込んでも良かったかな。
いや、飛び込むとあざといか。うーむw

暗い暗いトンネルの先に何があるかわからないけれども、遥か彼方に見える
かすかな光に向かって進まなければ何処にも辿り着かないし、友達と一緒ならば
恐れるものは何もないというアキとユイの未来を暗示するような、なんとも瑞々しい
何かを感じさせるシーンが良かった(・∀・)
俺の人生からは落丁してた青春の一ページや(´・ω・`)


インパクトがあったキャラクターはいっそん。南部ダイバーと切っても切り離せないw
好きなキャラクターは安部ちゃんと勉さんとストーブさんと鈴鹿ひろ美かなぁ(・∀・)
まあ他のキャラクターも皆好きだけどもw

鈴鹿ひろ美に関して言えば、鶴瓶の家族に乾杯?で中の人がとても面白いということが
わかって良かったw 声が綺麗なのは元々食彩の王国等で知ってたけど。
演技も凄くうまかったなぁ(・∀・)

夏ばっぱ役の宮本信子もうまいというか、素と別人過ぎて俳優こええなぁと思った。
役柄的にはちょっとクドカンの言いたいことを代弁し過ぎな感じであったけど。


能年玲奈のキラキラ具合や役へのハマり具合は凄かった。ソリティ馬風に表現するならば、
一      人
  (`・ω・´)
体      役

脚本や濃い脇役陣や音楽の良さも勿論大事だけれども、
なんだかんだ言って主人公が魅力的でないとお話にならないので、
そういった意味ではやっぱりあまちゃんの一番の功労者は能年玲奈と
言うことになるかなぁ(・∀・)

知らない人とのトークや速いやり取りは苦手のようだから、
バラエティやトーク番組への出演はほどほどにしておいて
ドラマとCMに重点を置くのが妥当のような気がするけど。

シリアスなドラマに出ても行けそうな気はするけど、
視聴者はおそらくコメディ系キャラを求めるだろうから
何年かはそういう系統のドラマに出続けるのも手だよねぇ(・∀・)

小泉今日子が昔やってた月曜ドラマランドのあんみつ姫みたいな
お転婆キャラで時代劇とかも合いそうだな。
川原泉の「殿様は空のお城に住んでいる」とか実写化しないかな。
あとはトリックの仲間由紀恵みたいに賢くて可愛いけど口が悪いキャラで
推理物とか観たい。相方は水口とかストーブさんで。


続編やスピンオフはあったら確実に観るだろうけれど、
綺麗に終わってるから、ないならないでもいい。
もう軸となる因縁がないわけだし。

まあ北三陸の愉快な面子が楽しげに毎日を過ごし、
時折発生する珍騒動でドタバタする内容でも十分面白くなりそう。


ごちそうさんは7分くらいで挫折した。子役があれなのは仕方ないとしても
吉行和子のナレがどうもアレで原田泰造と財前直見がアレだったので…
杏が出てきたらもう一度観てみようと思うけど視聴継続するかは微妙。

ちゅらさんとちりとてちんの再放送は観ようかな。

あまでうす あまちゃんです(・∀・)

本当は"人々に愛されし"とか"皆に愛されし"という感じのラテン語を
タイトルに使いたかったがわからんかった(´・ω・`)

"皆から愛される"は「dilecti omnes」という語があるらしいけど、
"あま"とかからないので駄目。「ama omnes」とか「ama populo」は
語形とかが正しいかわからないのでちょっと意味が違うけど「amadeus」で(・∀・)

あまちゃんの物語の内容に関しての感想は世に溢れているだろうから
その辺にあんまり重点を置かず震災関連でふと思いついたことを。


「あまちゃんは朝ドラの金字塔となりうるか?」

これは朝から多くの視聴者に笑顔と元気を与えたことや人気の高さによって関連製品の
売上げがNHK朝ドラ史上ぶっちぎりの一位になったことからなどの表面的な意味合いでの
金字塔のことではない。後世に残る不変のものとして金字塔という語を使ったが正確には
石碑という語で言った方が正しい。

つまり「あまちゃんは石碑となりうるか?」である(・∀・)


震災表現

開始当初からあまちゃんは"震災"をどう扱うかについてweb上で色々な説が囁かれていた。
舞台が東北であり、わざわざ時代設定を震災前まで巻き戻しての開始だったので、
"震災"は不可避であり、視聴者が"震災"がどのように描かれるかについて興味を持つことは
当然のことであった。

まあ北三陸市のモデルである久慈市での人的被害は0ではないものの他所と比べると
圧倒的に少なかったので、多分登場人物は誰も死なないんじゃないかなぁと俺氏は
思っていたけれども震災や津波の被害をどう表現するのかは気にはなっていた。

そしてドラマはあの形で"震災"を表現した。
「なぜ本当の映像を流さないのか」等と訳の分からないことを言う人も居たようだが、
あの手法は正しいというか予想以上に素晴らしいものだったと思う。
出来うる限り被災者へ配慮しながらも、作品世界を壊さない程度の、
それでいて最初から観てきた人には十二分にわかる恐ろしい表現であった。
実況民は自然と自らの"東日本大震災"とその後をレスしあった。

もしも本当の津波映像等を流していたらどうなったか?被災者の受けるショックは
当然あるが、直接的には被災者ではない視聴者達にも大きいショックを与えただろう。
それは楽しげなタイトルバックで始まるにこやかな作品世界を粉々に粉砕するに足る
破壊力を持つ。正直、あの話の後に出てくるウニが浜に打ち上げられている写真二枚
だけでもかなりのインパクトのある"リアル"であり、あれももう少し婉曲的なものに
差し替えることは出来なかったのだろうかと思ったほどである(´・ω・`)

ドキュメンタリーならば、或いは震災をメインテーマにしたドラマならば、"リアル"は
必須ではあるけれども、少なからずこのドラマはそうではないのだから、ギチギチの
"リアル"は不要である。

だからあの表現方法は正しかったと思う。
あまちゃんは作品世界を損なうことなく、あの形で"震災"を内包したのである。


ショア(Shoah)とシンドラーのリスト

かれこれ20年ほど前の頃、俺氏は不真面目な大学生だった。
まだフサフサのガリガリだった。今は見る影もないが…(ヽ'ω`)

それはさておきある一般教養の講義でショアという映画を観て
レポートを出す課題が課せられた。この映画は

『ショア』(Shoah)は、1985年のフランスの映画。クロード・ランズマン監督。上映時間は9時間30分。製作には1974年から11年の歳月を費やした。日本での公開は1995年、東京日仏学院で行われた。
ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)に関わった人々へのインタビュー集であるが、演出もところどころ行われており、全くのドキュメンタリーではない。
インタビューの対象は、被害者たるユダヤ人生還者、加害者たる元ナチス、傍観者たるポーランド人に大別することができる。
クロード・ランズマン監督はこれまでのホロコーストをテーマとした映画にきわめて批判的である。特に『シンドラーのリスト』に対しては、出来事を伝説化するものであるとして舌鋒鋭く批判している。

『ショア』(Shoah)

というものだった。上映時間からして普通の映画館では観られない
ものだったので学内の教室で土日の二日間上映したんだったかな?
不真面目な学生であった俺氏は最初の2時間くらいで飽きて帰っちゃったけどね(ノ∀`)

この講義の教授?が主張するところは監督とほぼ同じで、「シンドラーのリスト」のような
事実ではない作品が評価されて事実のように喧伝されることは問題であり、
「ショア」のような手の入っていないドキュメンタリーを事実として残していかなければならない
とかいう感じだった。(wikipediaでは"全くのドキュメンタリーではない"とあるけど
その辺どうでもいいのでほっとくw)

この時、俺氏は思った。「教授の言うことは理解できるし、そうあるべきだろう」と。
しかしそれと同時に
「この冗長な事実の塊は研究者以外の鑑賞視聴に耐えうるものだろうか」とも思った。

この映画は事実の記録としては貴重であり、残し続けていくべきものではあるが、
これを一般の人たちが気軽に見てその内容を語り合うことが出来るかというと、
それは恐らく不可能であり、その長さにより敬遠されるのではなかろうか?

つまり、「シンドラーのリスト」のように美化捏造された事実ではないことが
蔓延るのは事実の伝承の妨げになるのは当然だが、適切に処理されていない
事実の塊もまた敬遠され忘却されて同じように事実の伝承の妨げになるの
ではなかろうか?


世代交代と震災の風化

ある日、特に観る気もたまたまチャンネルを変えたらBS歴史館がやっていた。
最初は寝ぼけ眼でネットを観ていたのだが、徐々にながら見していた番組の内容に
引きつけられていった。

その回は「関東大震災90年~“防災”に賭けた二人の男~」であった。
細かい内容はあんまり覚えていないが、寺田寅彦の先見の明と防災に人生をかけた
地震学者・今村明恒の生涯は非常に興味深く唸らせるものがあった。

以下は番組内でも紹介されていた寺田寅彦の「津浪と人間」の一部である。

災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。
 さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。
三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。

(中略)

災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすい処に立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われる度にあちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山蔭の竹藪の中に埋もれないとも限らない。そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく云っても、例えば「市会議員」などというようなものは、そんなことは相手にしないであろう。そうしてその碑石が八重葎に埋もれた頃に、時分はよしと次の津浪がそろそろ準備されるであろう。

津浪と人間 寺田寅彦

今でもGoogle等が震災の記憶を風化させまいと頑張っているが実際の所、どうだろうか?
正直な所、俺氏はあまちゃんで"震災"を再体験するまで結構忘れるというか記憶の風化が
かなり進んでいたと思う(´・ω・`)

人間は忘却機能によって哀しみや辛さを乗り越えて行く生き物だけれども
忘れてはいけないこともある。寺田寅彦の文章に( ゚Д゚)ハッとさせられた。


恐らく物理的な石碑は寺田寅彦の言うように動かされ草に埋もれて忘れ去られるだろう。
ドキュメンタリー映像は"リアル"に凄惨さを映し出すが故に敬遠され顧みられなくであろう。
"震災"をテーマにしたドラマは美化捏造された事実が故にそのドラマ的感動のみが強く
記憶され、本質たる事実は多くの人々の頭の中に残らないであろう。

稲むらの火は厳密に言えば美化捏造の類であり、嘘も方便と言えば通らぬこともないが、
やはり防災教材としての側面と五兵衛の犠牲的精神が強調され、事実の伝承が妨げ
られている感はイナメナイヨネー(・∀・)

こう考えていった時に、事実の伝承に必要な物は出来るだけ手を入れていないが利用
しやすい形に整えられた事実の塊と、後世に残り続けて人々の記憶を活性化し注意を
喚起出来る-事実を捻じ曲げず、ありのまま過ぎずに内包しつつ人口に膾炙する-
物の両方なのではなかろうか。


と言ったようなことが頭の中で繋がった時にふと思いついたのが
冒頭の「あまちゃんは石碑となりうるか?」という疑問である。

正確に言えば疑問というよりも、そうなって欲しいという願望か(・∀・)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まだまだあまちゃんブロガーなのでオチは特にない( ・´ω・`)