カテゴリー: 本・雑誌等

指輪物語 / J・R・R・トールキン 瀬田貞二・田中朋子 訳

瀬田・田中訳の集大成
ファンタジー文学の最高峰『指輪物語』が日本で初刊行された1972年から奇しくも50年目の2022年、訳文と固有名詞を全面的に見直した日本語訳の完成形として、本最新版をお届けします。
遠い昔、魔王サウロンが、悪しき力の限りを注ぎ込んで作った、指輪をめぐる物語。全世界に、一億人を超えるファンを持つ不滅のファンタジーが、ここに幕を開ける。

数十年前から消化しようと思いつつ放置していた『指輪物語』の読破タスクを完了した(`・ω・´)

結論から言えば読んで良かったわ(・∀・)

ただ、俺氏の植物系の知識の無さや地形想像力の乏しさから、読んでて辛いシーンが結構あった(ノ∀`)
会話がなくて情景描写が続くところはほんと読んでて辛かったw

おまけでついてる小さな地図だと位置が中々把握できず、何度も見直したり、Webでぐぐったり。
Webでもあまり詳細な地図を見つけられなかったな、そういや。


それ以外の部分では前作の『ホビット』と同じくらい味方陣営のいざこざ有り、感動的シーン多々有りで十分楽しめた。

『旅の仲間』編に関しては、先に映画の『ロード・オブ・ザ・リング』で或る程度内容を知っていたが、映画は結構端折られてるのね、当たり前だけども。

トム・ボンバディルが登場しなかった。まあ、彼はそれほど大きくストーリーに関わってくるキャラじゃないからね。
謎すぎる魅力的なキャラだったけどw

黒の乗手に追われビクビクもんの逃避行は一旦は落ち着いて、皆揃ってさあこれからって時に次々と不幸と災いが降り掛かって来て、( ´・ω・)エ-っていうところで終わる絶望感と来たら…

『二つの塔』編は様々な危地や困難を乗り越えて、新たな味方が現れたりするけれども、強大な冥王の力はより強大になって、希望の灯もかすかになっていく感じで終わっちゃう(´・ω・`)

『王の帰還』編は終盤なので、当然盛り上がった(`・ω・´)
それまでは余り活躍の場がなかったピピンとメリーにもそれぞれの見せ場があり、そこは良かった。が、しかし、大規模戦闘の絡みか、ギムリとレゴラスの見せ場がやや少なかったかな? この二人は『二つの塔』のヘルム峡谷で奮戦してたから、まあいいのか。


BOOKOFFで買い集めたのは評論社の古いシリーズの物だったので、『旅の仲間』が4冊、『二つの塔』は3冊に分かれていたけれど、最新版はそれぞれ2冊に収められている模様。『王の帰還』は元々2冊だったけど、若干他の巻に比べると厚かったかな。『二つの塔』の最後の巻も厚かったか。

『追補編』である10巻は一回だけ見かけたが、500円だったので、「終盤まで読んでからいいか( ゜σ・゚)ホジホジ」とスルーしてしまったが、それ以降、一切見かけない(ノ∀`) もしかするとあんまり出回っていない巻なのかも。途中で力尽きて読むのをやめてしまう人もそれなりにいるだろうからw

『最新版 指輪物語〈追補編〉』が今春出るらしいから、それの電子書籍版を買えばいいか。
ついでに全巻買っとくか(´・ω・`)オカネアンノカ?

ネタバレ有りの感想
  • やっぱり、一番活躍したのはフロドラブのサムワイズ・ギャムジー氏ことサムではなかろうか。最初の頃は若干愚鈍で頑愚なキャラに思えたけれども、最も愛すべき要素を含んだ存在だったと思う。最後にフロド達を見送った時の彼の心中を推し量ることは難しいね。ローズとエラノールが居るとは言えど、それとこれとは話が別と言うか…
  • ゴクリは最後まで哀れな存在だったような気がする。途中で奸計をしかけていたことがわかった時にはあれだったけど…(´・ω・`)イトシイシト
  • メリアドク・ブランディバック氏ことメリーはセオデン王ともっと一緒にさせてあげたかったぜ…(´・ω・`)
  • ペレグリン・トゥックことピピンはメリーとセオデン王と同じようにデネソール二世と良き関係になるかと思いきや、デネソール二世がアレな人だった為、なんだか微妙な感じになってしまったね。トラブルメーカーであったけれども、それが好機に転じたりで何とも憎めない存在だった。
  • ガンダルフはまさか最後一緒に西方に去るとは思わなかったわw フロドもそうだけど。指輪所持者の運命なのか。
  • フロドに関してはあんまり感想はないw 『旅の仲間』の最後辺りで指輪所持者としての覚悟を決めた後はかなりキャラ変しちゃったので。
  • アラゴルンについてもあんまり感想は出て来ないな。エオウィンを袖にして、ファラミアとくっついちゃった時は「あれ、アラゴルン、相手おらんやん(´・ω・`)」と心配してしまったが、アルウェンの存在を完全に忘れてしまっていたわ(ノ∀`)
  • サウロンは強大な冥王だったけれども、意外と考えすぎてミスをするお茶目なラスボスだったような気がするw その最期もあっけなかったような。それよりも邪悪なのはサルマンの方だったような気がしないでもない。サウロン消滅後の無駄なあがきといい、その小物感は物語の最後を飾るには相応しかったと思う。あの水の辺村の合戦がなければ、フロド一行は叙事詩には残るけれども、故郷で英雄となることは出来なかったから。
  • 何気にアングマールの魔王とのエオウィンとメリーの闘いがベストバウトではなかろうか?

またいつか、改めて読んでみたい(・∀・)
ついでに他のトールキンの本も。

『ねらわれた学園』・『なぞの転校生』/ 眉村卓

映画を観てから、いつかは読もうとずっと思っていた2作品を読了。
2作品共、その執筆された時期等を考慮すれば確かに名作なのだろうけれども、この作品から生まれたであろう、子とも孫とも言える作品群を読んだり観たりしている以上、色々な点で物足りさを感じざるを得なかった。

そもそもこれらは中学生向けに書かれた作品であるがために、最早、髪も希望もない、脂肪ぷくぷくのおっさんが読んでもそれほどは面白くないものなのだろう( ・ ∀ ・ )


『ねらわれた学園』 眉村卓

突如、阿倍野第六中学の生徒会長に立候補し、鮮やかに当選してみせた高見沢みちる。それまで目立たない存在だった彼女は、魅力的な微笑と不思議な力で学園を支配していく。美しい顔に覆い隠された彼女の正体と真の狙いとは? 1970~1980年代に大ブームを巻き起こし、幾度も映像化されてきた日本ジュブナイルSFの金字塔。

なんやこの本、もっとも大事な星の魔王子の腹踊りがないやんけヽ(`Д´)ノ

これ →

まあ、原作の京極少年を映画で謎の"星の魔王子"にしてたから、そんなもんは原作に居なくて当然なんだけどもw

Wikipediaの項目によれば、映画は薬師丸ひろ子をアイドルにする為の手段として作られただけのようなので、原作と全体的に雰囲気が違うのは仕方がないことか。

映画では、原作主人公の関耕児(高柳良一)がサブとなり、サポート役だった楠本和美が三田村由香(薬師丸ひろ子)という名前になって主人公になってたし。大人の事情ですねぇ…( ゜σ・゚)ホジホジ

星の魔王子の峯岸徹を初め、先生陣がいっぱい出てきたのも大人の事情なんかね。
映画だとそれなりの大人の俳優を集めないといけないから。

原作はシンプルに管理社会というか、その忍び寄りに警鐘を鳴らすような感じの内容で、映画は超能力バトル(?)みたいなやつだったか。← もう余り内容を覚えていない模様(ノ∀`)

『なぞの転校生』同様に、父親がやけに理解的で俯瞰した感じなのが気になったw
眉村卓自身の考えをストレートに台詞で言わせられるポジションなのかなw

観たことはないけれども、アニメ版は設定等々がずいぶんと違うんだな…(´・ω・`)カマクラ?


『なぞの転校生』 眉村卓

岩田広一が通う中学に山沢典夫という転校生が入ってきた。典夫はギリシャ彫刻を思わせる美男子であるのに加え、成績優秀でスポーツも万能だったが、なぞめいた雰囲気を持っていた。ある日とんでもない事件を起こした典夫の秘密とは? 1970年代のNHK少年ドラマシリーズシリーズとして映像化され人気を博した眉村卓がおくるSFジュブナイルの傑作。(講談社文庫)

テレ東深夜でやっていた岩井俊二版のドラマが結構好きだったので、「あれ? ずいぶんと原作と違うんだな。」と思った。 ← 映画版『ねらわれた学園』と原作の乖離と比べたら、全然許容できるレベルなんだけどもw

そういや、アスカとかスズシロとか居なかったような…
映像化される時はやっぱり女の子が追加されたり主役になったりするのは今も昔も変わらんのかのぅ…
原作通りだと色々と地味だから。

楽園は彷徨って辿り着くものじゃなくて、自ら踏みとどまると決めて作っていくしかないって感じですかねぇ…( ゜σ・゚)ホジホジ ← 既に内容を余り覚えていない

桜玉吉のかたち/4コマ漫玉日記 桜 玉吉

月刊コミックビーム編集長が責任編集した桜玉吉ファンブック。前代未聞の作者周辺者インタビュー! 桜玉吉は何処から来て何処へ行こうとしているのか? 知りたいけど知りたくない、知っちゃいけないことまでディープに大研究! 圧倒的な文字数! 吹っ飛ぶプライバシー! 玉吉を愛する全ての人々に捧ぐ!

ブックオフで220円くらいで売ってたので、つい買ってしまった(ノ∀`)
amazonのレビューにある通り、桜玉吉ファンにとっては面白いけど、それ以外の人には何のことやらって感じの内容だろうw

かつて通っていた学校やら子供の頃の写真、落書き等(玉吉グラフィティ)とO村による関係者へのインタビューとそれについての玉吉との対談が収録されている。

具体的には、
第一部 幼児期~少年期 (父)
第二部 思春期 (姉、サイバー佐藤、ちょりそのぶ)
第三部 青年期 (竹熊健太郎)
第四部 社会人突入期 (田中パンチ)
第五部 社会人奮戦記 (金田一)、O村回顧録
第六部 中年期 ヒロポン回顧録
という構成。

なんとなく桜玉吉という人間とその作品に出てくるネタの元などを浮き彫りにしてくれる感じかな。基本的につまらなくはなかったけど、正直ヒロポン回顧録は滑っている部分が多く、読んでて辛かった…(ヽ'ω`)
お母さんのインタビューってなんでなかったんだろうか。

まあ桜玉吉ファンなら楽しめるとは思う(・∀・)


4コマ漫玉日記 酸/アルカリ

かつて月刊コミックビーム100号記念で発売された『読もう!コミックビーム』に『御緩漫玉日記(1)~(3)』に掲載された4コマを加え、さらに未掲載のビーム宣伝4コマ(実際はほとんど宣伝になってません)を多数混ぜ倒し、それを無理矢理2冊に分解!! リトマス試験紙を突っ込んだら酸性とアルカリ性に分かれてそうに思えたので、思い切ってタイトルにしました。たぶん業界初!!

kindleで各255円。
これはまあ、まさに読もう!コミックビームである。
なのでこれについても特に言う事はないw


どうでもいいが日々我人間とか伊豆漫玉シリーズの続編はまだか…(´・ω・`)

狐憑 / 中島敦 他

今回も芥川龍之介が多めかな。
ふと気づいたんだけども、なんでAmazonの芥川龍之介作品の紹介文は皆、"芥川之介"になってるんだろうか(´・ω・`)?


猫の広告文 夏目漱石

『吾輩は猫である』の広告文らしく、数行書いてあるだけだった(ノ∀`)


狐憑 中島敦

"後にギリシア人がスキュティア(スキタイ)人と呼んだ未開の部族のネウリ部落のシャクという青年に色々な霊が憑き、不思議な話を語り出したというお話。"

これは自分達文学作家の性分や人生というものをシャクに投影しているというかシャクを仮借として表現した内容と言っていいのかな? 聞き手だった青年や長老は読者やクレーマーなのかな…

その末路は文字通りか。
徹底的に消費され、飽きられ、そして打ち捨てられる(´・ω・`)

旧字体が多くてしばしばぐぐらんと読めなかったわ(ノ∀`)


あばばばば 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の代表的な短編小説。初出は「中央公論」[1923(大正12)年]。初出時は副題に「―保吉の手帳の一部―」とある。初刊は「黄雀風」[新潮社、1924(大正13)年]で、収録時に副題が削除されている。「保吉」がいつも煙草を買いに行く店で若い女が店番をしている話。いわゆる〈保吉もの〉の作品であるが、同時代評は不評であった。

十円札』の主人公の保吉やんけ(・∀・)

今作でも若干クズっぽいが、比較的読後感は爽やかであったので嫌いではない。つーか"保吉もの"なんていうシリーズがあったんだなw


おぎん 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「中央公論」[1922(大正11)年]。短編集「春服」[春陽堂、1923(大正12)年]に収録。元和もしくは寛永、「天主教」が弾圧されていた頃の「おぎん」という童女の話。「おぎん」は隠れ切支丹の養父から洗礼を受け「まりや」という名を与えられていたが、やがて責め苦を受ける運命になる。

切支丹物。最初の方の筆致からしてそういう落ちなのかと思って読んでいたら違った(ノ∀`) 

えらく釈迦をdisる下りがあって、そこに(ジアン・クラッセ)とあってどういうことかと頭をひねったが、フランスのジェスウイット(ジェスイット(イエズス会の修道士))がこんなこと言ってたよとジアン・クラッセ(ジャン・クラッセ)の『日本教会史』の第2版(翻訳版は『日本西教史』?)に書いてあったということなのかな?

ぱぶちずも=バプテスマ(洗礼)
ぜすす=イエス
さがらめんと=サクラメント(秘跡=キリスト教で、神の恩寵を信徒に与える主要な宗教的儀式。)
べれん=ベツレヘム
なたら=降誕祭クリスマス
はらいそ=天国
いんへるの=地獄

"はらいそ"と"いんへるの"はわかるけど、"なたら"とかはわからんなw
"なたら"と"はらいそ"だけ意味というか括弧書きで"降誕祭"や"天国"という日本語が付加されてたけど、"さがらめんと"と"べれん"もわからんがな(ノ∀`)

まあ"べれん"は地名だから別にわからなくても何となく推測出来るからいいのか。
"ぱぶちずも"や"ぜすす"は文脈等でわかった。

まあ何はともあれ嫌いではない展開であった(・∀・)


或旧友へ送る手記 芥川龍之介

大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の遺書。数年は未公開でとの芥川の意思に反して自殺直後の記者会見で公表され、同時に「東京日日新聞」[1927(昭和2)年]、「東京朝日新聞」[1927(昭和2)年]に掲載された。「芥川龍之介全集」第16巻に収録。有名な「唯ぼんやりした不安」という言葉は、大正文学の終焉との関わりで論じられることが多い。

これ一応遺書なんだね。
自殺の原因は何とも言えないけれども、案外、幼少期の母との別れや養子入りとかも遠因だったのかもねぇ。その辺の生育過程での歪みはその後の心の成長に大きな影響を与える、或る種の方程式というか思考パターンを生み出すから。

それ以外に

1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。

やら論争やら病気やら色んなことに疲弊した結果、「唯ぼんやりした不安」につながっていったんかねぇ…

これも結構関係しているのかもねぇ。

青山女学院英文科卒の吉田弥生という女性と親しくなり、結婚を考えるが、芥川家の猛反対で断念する。

本質的に自殺願望は、自分の存在が自分の中の取捨選択基準で捨てるべきものと判断された時、つまりは自分には存在価値がないと認識した時、または将来に明るい希望がなく現在よりも悪くなる、つまり生き続けることに価値がないと認識した時に沸き立つものだから、そういうことなんじゃないかなぁ。

手紙の中で色々と否定というか一部否定はしているものの、やっぱりその流れに陥ったのは極一般的な動機の積み重ねに押しつぶされたんじゃないかなぁと思ったり。

乃木希典の自刃(1912)を「前近代的行為」とした芥川龍之介は、その15年後にどんな気持ちで薬を飲んで命を断ったんだろうね? 1912年というと芥川龍之介がまだ20歳の頃か。そう言えばまだ『将軍』って読んでないな。乃木将軍を題材かなんかにした作品らしいが。

まあ自殺する人の気持ちなんて、正確には人の気持ちなんて他人が解るわけもなく、真相は藪の中なんだけども(´・ω・`)


斗南先生 中島敦

一族の変わり者で古風で狷介な伯父に対する甥・三造の心情の変化を描いた作品。
どうも中島敦の実際の伯父・端蔵をモデルにしているらしい。
(第65回 中島敦(なかじまあつし)の小説「斗南(となん)先生」)

作中に"右の一文は、昭和七年の頃、別に創作のつもりではなく、一つの私記として書かれたものである。"なんてあったりして、中島敦の私小説的な作品なんかなと思ったりもしたが、その辺は正直どうでもよく、ただ、或る青年と扱いが難しい伯父の死という物語として読むだけでも十分面白かった(・∀・)