カテゴリー: 本・雑誌等

赤毛のアン / 松本 侑子(訳) L・M・モンゴメリ(著)

美しいプリンス・エドワード島で愛されて成長していく少女アン。幸福感あふれる名作の日本初の全文訳。

訳文は、お茶会のラズベリー水とカシス酒、アンの民族衣裳、スコットランドから来たマシューの母など、モンゴメリの原作に忠実に、全文を、みずみずしく夢のある文章で訳した真実の物語。

読んだのはBOOKOFFで210円で購入した集英社版。
なにはともあれ

読んで良かった(・∀・)

アニメ版『赤毛のアン』に涙した人ならば、是非とも手に取るべき。
いつでもアンやマシューやマリラとまた会えるから。
キャラのセリフはそれぞれの声優さん、情景描写も羽佐間道夫で脳内再生余裕(`・ω・´)

この愛情溢れる物語はいいねぇ(・∀・)
マシュー、マリラ、ダイアナ、リンドCIA長官、ジョゼフィーンおばさん、アラン夫人、ステイシー先生といった良き人々に囲まれ、アンは感化され、そしてまた周りを感化していくところが良い。
読んでて優しい気持ちになれる。

なるだけで優しい人にはならないけどもw

ジョーシー・パイは原作でも酷いというか、より可愛げがなくてワラタw
ギルバート・ブライスはアニメ版より良さげな感じだったかな。


モンゴメリは新聞記事で読んだ、「男の子と間違えて女の子を引き取った夫婦の話」に着想を得て、この作品を書いた。彼女はプリンス・エドワード島の田舎で育った自身の少女時代も作品に投影した。孤児院暮らしだったアン・シャーリー(英語版)が、11歳でアヴォンリーのカスバート家に引き取られてからクィーン学院を卒業するまでの少女時代5年間を描いた『赤毛のアン』は人気作となり、モンゴメリーはアンを主人公とする続編や周辺人物にまつわる作品を多数著している。モンゴメリーはイヴリン・ネスビットの写真を雑誌から切り取り、書き物机の上に貼り、主人公アン・シャーリーのモデルにした。また、モンゴメリー自身、早くに両親と離れて祖父母に育てられたため、アン同様、孤独で理解されない子供として育った経験を持つ[6]。

第1作『赤毛のアン』ほか、シリーズ全作には、ウィリアム・シェイクスピアやイギリス、アメリカの詩、『聖書』の句が多数引用されている。『赤毛のアン』を読んだマーク・トウェインはモンゴメリに、1908年10月3日付けで「the dearest and most moving and most delightful child since the immortal Alice」(直訳すると「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子」)と絶賛の手紙を送った。これはその後のアンの宣伝コピーとして使われることになった。

なお、『赤毛のアン』は最初にモンゴメリーが複数の出版社に原稿を持ち込んだときは、すべての出版社で出版を断られたので、自宅の屋根裏部屋に“お蔵入り”していた時期が数年ある。年月を経て、モンゴメリーが本作を読み返し、面白いのでやはり出版すべきであると思い直し、出版社に再度交渉すると、今度はトントン拍子に進展したという。 
赤毛のアン#概説

マーク・トウェインも絶賛したんか。
関係ないが世界名作劇場で『赤毛のアン』の次は『トム・ソーヤーの冒険』だったんだな。

マーク・トウェインの手紙に「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子」とあるが、この後に読んだ『オズの魔法使い』(1900年)も『不思議の国のアリス』(1865年)の影響を色濃く受けているようで、童話界(?)におけるアリスの影響力、存在感は凄かったんだな。いずれあの辺も読んでみるか…


正直なところ、あんまり書くことがない。
自分が読んで、ただただ面白く楽しかったから(ノ∀`)

後続刊を読むかどうか不明。
だってマシューが…(´・ω・`)

そういえばkindleで全シリーズが入ってる英語版は買ったような記憶があるな、100円くらいで。 でも英語読めないからなぁ(ノ∀`)

スタンド・バイ・ミー -恐怖の四季 秋冬編- / スティーヴン・キング

森の奥に子供の死体がある──噂を聞いた4人は死体探しの旅に出た。もう子供ではない、でもまだ大人にも成りきれない少年たちの冒険が終ったとき、彼らの無邪気な時代も終ったのだった……。誰もが経験する少年期特有の純粋な友情と涙を描く表題作は、作家になった仲間の一人が書くという形をとった著者の半自伝的作品である。他に英国奇譚クラブの雰囲気をよく写した1編を収録。

春夏編の『刑務所のリタ・ヘイワース『ショーシャンクの空に』の原作』と『ゴールデンボーイ』が中々良かったのと、「そういや『スタンド・バイ・ミー』の映画をきちんと観たことないし、細かいストーリーを知らないな(´・ω・`)」ということで読んでみた。

収録作である『スタンド・バイ・ミー』と『マンハッタンの奇譚クラブ』はどちらもまあまあ良かったかな。


スタンド・バイ・ミー

原題は"The Body"。 死体として登場するレイ・ブラワー少年を指している?
何か他の意味も含んでいるのかな?

翻訳が『ゴールデンボーイ』の浅倉久志ではない所為ではないのだろうけれども、スティーヴン・キングの原文が悪いのか、序盤は読んでていまいちわかりにくかったり、読みづらいところがあった。

ゴーディ達の冒険と小説内小説やゴーディの作り話という入れ子構造的な部分がある構成だった。小説内小説の内容はなんだかな感が多少あったw スティーヴン・キング自身の習作なのか、あれ。

『スタンド・バイ・ミー』は洋楽やこの時代の空気や知識がないと完全には楽しめない感じなのかもと思った。知らない歌手や曲名の羅列が多くて、その辺を読むのは若干苦行に近かった(ノ∀`)

泥濘とも言える少年たちの家庭環境でのもがき、そこから一時的に逃げるための退避場所とも取れなくもない"友人関係"などが何とも言えない悲哀を感じさせて悪くなかったが、正直、ゴーディのパイの作り話とかはそんなにはまらなかった。

テディとバーンはどうでも良かったが、ちょっとクリスが可哀想な気がした(´・ω・`)

なぜに作者は中年になったエースを最後の方で登場させたのだろうか?
皆何もなかったら、クリスは努力してなかったら、エースのようになっていただろうという示唆なんだろうか?

若干の改変があるらしいが、いつかきちんと映画版も観てみるか(´・ω・`)


マンハッタンの奇譚クラブ

中年のマンハッタンの弁護士デイビッドがナレーターである。シニアパートナーの招待で、ニューヨーク、35ストリートにあるクリスマスに会員達が持ち回りで語り聞かせあう奇妙なクラブに参加する。そこでは読書、おしゃべり、ビリヤードとチェスなどが行われていた。

原題は"The Breathing Method"。
内容的には、まんまと言えばまんまだなw

こちらも入れ子構造な感じの構成で、謎のクラブに関する記述とそのクラブメンバー達が話す奇譚とに分かれる。

と言っても、マッキャロン以外の話は概略のみなので、読み手の消化不良感を倍増させるw

マッキャンの"呼吸法"の話はなんだかんだで引き込まれる筆致であったように思えた。
つーか、これ"ふつうの小説"じゃなくて、いつものホラー小説に分類されそうな感じの内容ではなかろうかw

外側の、というかデイビッドが訪れた奇譚クラブの存在についての記述は蛇足なような気がしなくもない。必要だったのかなぁ?

『恐怖の四季』の他三作は映画化されているけれども、これだけ映画化されていない模様。
2012年に映画化の話は出てたようだけども。
スティーブン・キング「マンハッタンの奇譚クラブ」映画化へ

これはどちらかというか映画化するよりも連ドラにして、毎回クラブメンバーの誰かが不思議な話を語るって感じにした方が良さげ。 完全なレギュラーキャラはスティーブンズだけにして、クラブメンバーは時々入れ替えたり、一回こっきりのキャラにしたりして。


悪くはなかったけれども、インパクトは『ゴールデンボーイ』の2作品には劣る感じがした。

ICO-霧の城- / 宮部みゆき

僕が君を守ってあげる。だから手を離さないで。

霧の城が呼んでいる、時が来た、生贄を捧げよ、と。イコはトクサ村に何十年かに1人生まれる角の生えたニエの子。その角を持つ者は「生贄(ニエ)の刻(とき)」が来たら、霧の城へ行き、城の一部となり永遠の命を与えられるという。親友トトによって特別な御印(みしるし)を得たイコは「必ず戻ってくる」と誓い、村を出立するが――。

特に読む予定もなかったのだが、BOOKOFFで他の本を探してる時につい目に入ってしまったので(ノ∀`) 上下巻x110=220円で購入…だったかな?

歳を取ってからは映画原作とかでもない限り、小説の類はほぼほぼ読まなくなっていたので、この本が初めて読む宮部みゆき作品となった。

取り敢えず言えることは、
「よくあの雰囲気ゲーからここまで内容を構築したな(・∀・)」といった感じ。

内容的には問題ないというか、そこそこ楽しめたのだが、原作(?)と言えるゲームの『ICO』が、そこまで深くストーリーや設定が練られて作られたわけではないということを既に知っていて、「これって公認同人小説だよね(´・ω・`)」という若干距離をおいた気持ちで読み進んでしまった為、そして何より、
それほど『ICO』にはまっていたわけではないので、没入感は弱めの読書体験になってしまった(ノ∀`)

前半のトトとか中盤のオズマとヨルダの辺りは中々緊迫感とかあって良かったのだけれども…


"ニエ"の設定についてああいう風にしちゃったから、最後、
「え、このまま村に帰っても色々と問題あるよね(´・ω・`)? 村に凱旋してハッピーエンドってことはないよなぁ…都の連中が黙ってないだろうし……ヨルダと砂浜で西瓜を食べて二人で生きてくしかないよなぁ…でもトトにも継母にも会えないのはなぁ……」と思った。


なにはともあれ、
一番印象に残っているシーンは、玉座に座る女王が光の剣で貫かれ、その首が上方に飛んで行って最後爆発するところです(・∀・) ←こいつ、実はちゃんと読んでないんじゃねぇか疑惑( ・´ω・`)

吾輩は猫である / 夏目漱石 他

もっと溜まってからにするかと思ったが、そんなに最近小説を読んでいないし、中島敦とかの短編は読んだけど、内容を忘れてしまったので、これだけでエントリ化する。下書き状態で残ってるエントリは邪魔なのでw


吾輩は猫である 夏目漱石

言わずと知れた、明治の文豪である夏目漱石の著した猫視点の長編小説。

学生の頃から何度か手に取り、「お、こんな読みやすい文体で面白いのか(・∀・)」と第一章を読み終えた後、何故かそのまま放置して忘れてしまうということをその度ごとに繰り返していたが為に読了をなし得なかった作品を遂に読み終えた(`・ω・´)

結論から言うと、読みやすくて面白いのは第二章くらいまでなんじゃないかという身も蓋もない感想にw (更に言うと、一章は高浜虚子が添削しているということなので、純粋に夏目漱石の文章が読みやすかったというわけでもないのかもしれない(ノ∀`))

後の章は猫仲間達が全く出て来なくなって、猫視点というか、それを借りた夏目漱石の意見や、苦沙弥先生に対する金田とかの嫌がらせや落雲館の生徒とのいざこざやらの羅列になり、次第に飽きてしまった(ノ∀`)

まあ吾輩の餅騒動、鼠取り騒動、日頃の運動などの部分や迷亭や寒月とのやり取りは面白かったけどね。 "自覚心"の話とかも。

漱石はそれほどこの作品に力を入れていたわけではないようで、凄く適当に吾輩は溺死してしまう…(´・ω・`)ネタバレダケド


武蔵野 国木田独歩

うーん(´・ω・`)

正直よくわからないと言うべきか…
まあ、国木田独歩が愛する武蔵野を散策した日記だったり、外国人作家の作品を引用して、「似てる(・∀・)」とか「良いよね(・∀・)」とか言っているだけのように感じたw

土地鑑があったり、草木への造詣が深い人ならば、より良き楽しみ方も出来るんだろうなぁと思いました(・∀・)(小並感)


寒山拾得 芥川龍之介

これまたさっぱりわからない(・∀・)

まあ、エッセイなのかな?
取り敢えず、この頃、夏目漱石は『夢十夜』を書いていたんかなぁ程度の感想w

寒山拾得自体は

中国,唐の伝説上の2人の詩僧。天台山国清寺の豊干禅師の弟子。拾得は豊干に拾い養われたので拾得と称した。寒山は国清寺近くの寒山の洞窟に住み,そのため寒山と称したといい,樺皮を冠とし大きな木靴をはき,国清寺に往還して拾得と交わり,彼が食事係であったので残飯をもらい受けていた。ともに世俗を超越した奇行が多く,また多くの詩を作ったという。しかし,これらの事績はすべて,天台山の木石に書き散らした彼らの詩を集めたとされる『寒山詩集』に付せられた閭丘胤 (りょきゅういん) 名の序,および五代の杜光庭の『仙伝拾遺』に記された伝説に発するもので,寒山,拾得の実在そのものを含めて真偽のほどは確かめがたい。

という存在らしい。

なんか奇行とかの部分に注目すると、何らかの障害を持っていたり精神的な病に罹っていた人間が一番下の受け皿として機能していた寺に保護(?)されていただけのようにも思えたがどうだろうか?

森鴎外の『寒山拾得』も、いつか機会があったら読んでみるかな。


こういうのをもっと楽にできないのだろうか(´・ω・`)?jQueryを用いた埋め込みデータ表示とかでやりたかったことの一つはこんな感じ。

ルビ自体も消して情報表示の方で表示するようにしてもいいのかもしれない。
全然関係ないが、青空文庫のデータって<rb>とか<rp>が入ってるけど、<ruby>タグに対応してないブラウザってまだあるんだろうか?

disp
吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんていた風だと一概に冷罵れいばし去る手合てあいにちょっと申し聞けるが、そうう人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人ぶじこれきにんとかとなえて、懐手ふところでをして座布団ざぶとんから腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下やにさがって暮したのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へこもって当分霞を食くらえのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近ばんきんの病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気にかかり出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずそのみぎりは浮世の風中かざなかにふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年にけ合うと云ってもよろしい。吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いにかかわらず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分つかまつるところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜せいそうを同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬ごびゅうである。

青空文庫 吾輩は猫である