ほぼほぼ芥川龍之介の短編のみ。
大して感想らしい感想でもない(ノ∀`)
鴨猟 芥川龍之介
大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短い随筆。初出は「桂月」[1926(大正15)年]。単行本未収録であり、「芥川龍之介全集」第13巻に収録された。大町桂月と最後に会った、鴨猟の時の話。芥川にとって大町は少年時代の愛読作家の一人であり、その文章を高く評価している。
よくわからん(´・ω・`)
ただのエッセイ?
というか日記か?
運 芥川龍之介
うーん(´・ω・`)
願掛けも考えもの…って、これもなんだろうなぁw
出典は『今昔物語』巻十六「貧女清水観音値盗人夫語第三十三」である。目先の変わった物語であるが、原作の筋をほぼそのまま踏襲している。芥川は、物質的な幸福だけを真の幸福と考える若侍と、精神の内部における幸福を最大視する翁と、この相対する二つの型の人間の会話を最後において、種類の異なった幸福感を示し、原作に多少の綾を付与した。
ふーむ、そういうことかぁ…
煙草と悪魔 芥川龍之介
若干、『運』と似たような読後感のある作品。
大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「新思潮」[1916(大正5)年]初出時の表題は「煙草 西川英次郎氏に献ず」。短編集「煙草と悪魔」[新潮社、1917(大正6)年]に収録。フランシス・ザヴィエルについてきた悪魔は、布教が進まず切支丹の信者のいない日本ですることがなく「伊留満」に化けて、煙草畑の園芸をして暇を潰す。結果、日本で煙草が普及する。
冒頭は、
煙草は、本来、日本になかつた植物である。では、何時いつ頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。
煙草と悪魔
であり、"きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者"って何かなと思ったら、
「きかぬもの~」の落書ですが、
効果の無い物は、タバコ禁止令、撰銭令(質の悪いお金は使っちゃ駄目)、天皇の言葉、威張って嫌な感じの医者(のする治療)
という感じの意味です。
磔(くるす)ってどういう意味ですか?
とあった。
でも"げんたく"の意味がわからない(´・ω・`)
この落首は文禄年間(1593~96年)の物らしいので、1590年に生誕した江戸時代初期の医師、儒学者である野間玄琢は関係ないのかな?
後にタバコの研究書『蔫録』の編者である大槻玄沢は蘭学者であり医者でもあったようだが、1757年の生誕なのでこれまた関係なさそう。
つーか、そもそも年号的に言うと、
年号(元号)一覧表 | ||
---|---|---|
天文 | てんぶん | 1532~1555 |
文禄 | ぶんろく | 1592~1596 |
慶長 | けいちょう | 1596~1615 |
の順なので、なんか記述がおかしいような…
"慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。"
この書き方だと慶長十年(1605)頃に栽培が広く行われ、文禄年間(1593~96年)に喫煙が一般的になったと取れ、時系列的におかしい。喫煙が一般的になるためには先に栽培が広く行われ、庶民でも安価で入手できるようになっていないとおかしいから。
JTのページには、
しかし、幕府による度重なる禁令にも関わらず、「たばこ」を楽しむ人々は増え続け、徳川3代将軍・家光の代となる寛永年間(1624〜1645年)に入ると、「たばこ」に課税して収入を得る藩も現れ、「たばこ」の耕作は日本各地へ広まっていきます。やがて、禁令は形骸化し、徳川綱吉が5代将軍を務めた元禄年間(1688〜1703年)頃を境に、新たなお触れは出されなくなりました。
とある。
もしかしてこれ文禄じゃなくて元禄の間違いなのか…( ・´ω・`)?
原稿から活字にする時に誤植が発生したりしたとか?
この辺、芥川龍之介研究者の人に尋ねてみたいわ…
つーか、ぐぐっても全然引っかからないから、そもそもこの落首、芥川龍之介の創作なんじゃね(・∀・)?って疑ったが
同志社大学学術リポジトリから落としたpdf『近世におけるタバコ作の展開』(岡光夫)の14ページ目に
"正徳四年(一七一四)成立の『嬉遊笑覧』に次のような落首が記されている。
きかぬものたばこの法度銭はつと
玉のみこえにげんたくのいしゃ
同書では、これを秀吉の頃の落首とし、八十二歳になる鎮目正順なる人物を登場して、彼が語っているように書いているがそれはあやしい。本書の執筆当時は厳しい出版統制があり、公然と幕府を諷刺すると弾圧されるので、秀吉の頃としたのであろう。"
とあり、落首自体はあるらしい。同時に文禄年間にした理由にも首肯出来たわ(・∀・)
誤植でなかったら、芥川龍之介がその辺の裏事情を考えずにそのまま、秀吉の頃=文禄年間にしてしまったのかな?
嬉遊笑覧は国会図書館デジタルコレクションにあるようだけど、何処に記載されているかわからんので、これくらいにしとこう(ノ∀`) もしも更に掘るとしても岩波の注解書を当たった方が早そうだしね。
何にしても"げんたく"の謎が解けなかった…_| ̄|○
風月玄度の玄度のように久しく会っていない医者ってのは無理があるし、大槻玄沢なら蘭方医不信かと思えなくもないが『嬉遊笑覧』の成立後40年くらいして生まれた人だし…
知恵袋で回答した人のデータソースはなんだろう…
芥川龍之介の創作なら漢語とかに由来してそうだけど、江戸時代の人の言葉だからな…失われた単語なのか方言なのか?
何はともあれ、これは芥川龍之介の切支丹物の嚆矢だったとかどうとか。
十円札 芥川龍之介
大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の後期の小説。初出は「改造」[1924(大正13)年]。単行本未収録であり、後に「芥川龍之介全集」第11巻に収録された。いわゆる〈保吉もの〉のひとつ。海軍学校の英語教師と小説家を兼業している「堀川保吉」が困窮し、週末東京に出るために十円札を借りる話。
なんかこう親近感が湧いてしまうクズ主人公だったw
欲やらプライドやら色々と絡みあった葛藤が面白かったかなw
「ヤスケニシヨウカ」ってなんじゃらほいと思ったが、「寿司にしようか」ってことか。
弥助鮨の名は、竹田出雲の歌舞伎狂言『義経千本桜』に由来する。
平維盛が吉野のすし屋「弥助」で雇人となるが、弥助は維盛の父重盛の世話になった人物でもあったため、敵を欺くために「弥助」の名を維盛に譲り、自身は「弥左衛門」と称した。
このすし屋ガ釣瓶鮨を作っていたことから、「釣瓶鮨」は「弥助鮨」と呼ばれるようになった。
花柳界などで「すし」を「弥助」と呼ぶのも、このすし屋の名からである。
現在の奈良県下市町にある鮎鮨の老舗「つるべすし 弥助」は、『義経千本桜』の舞台となった店として知られる。
電話にて、① 「やすけずし」、② 「すけろくずし」の意味・由来を知りたい。
これに限らないが、amazonで無料の文学小説に星5と内容がそぐわない英語コメントをつけているボットらしき連中はなんだろうか? テストとして利用したのかな?
妙な話 芥川龍之介
大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「現代」[大日本雄弁会、1921(大正10)年]。「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]に収録された。「私」が旧友の「村上」から、村上の妹の「千枝子」にまつわる怪談じみた妙な話を聞かせられる話。兄妹のやりとりと手紙との比較から、「千枝子」という女の強かさも見出せる作品。
大正時代に読んでいたら面白かったかもしれないが、現代に生きる人間としてはまあそれほど目新しさを感じることは出来なかったわ(ノ∀`)
ラストの落ちはまあ面白いっちゃ面白いけれども、あんまり俺氏が芥川龍之介に求めてる話ではないかなと思った。そんなに痛快というわけでもないし…
二銭銅貨 黒島伝治
作者は、プロレタリア文学作家の黒島伝治です。
とある貧しい家の兄弟のお話です。
弟の藤二は兄の健吉が使っていた独楽を見つけて、
母親に独楽を回すための緒をねだります。
使い古しの緒も見当たらなかったので、
藤二は結局、独楽の緒を買ってもらえたのですが...
第94回~二銭銅貨/黒島伝治~
なんじゃこりゃあ感が酷い短編w
あープロレタリア文学ってこういうのなのか…
最初、なんで能登麻美子のブログみたいなのがヒットしたんだろうかと思ったら、昔文化放送で朗読番組みたいなのをやっていたのか。
しかしまあなんつーか、後味が悪いというか救いがないというか…
そんなお話(´・ω・`)