カテゴリー: 東海道五十三次

35.御油宿

35.御油宿 (2007.11中旬)
最寄り駅は『新版・完全 「東海道五十三次」 ガイド』によれば
名鉄名古屋本線・国府駅。国府津と一緒で"こう"と呼ぶのか。
wikiで国府を見てみると、"こくふ"と呼ぶ地名もかなりあるみたいだ。


速須佐之男神社
本当にスサノオ絡みの神社は多いなぁ(・∀・)
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豊川市に突入ばんじゃーい∩(・∀・)∩
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放し飼いの鶏に遭遇。
庭には四羽の鶏が…あれ(・∀・)?
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白川に架かる五六橋を渡る。
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む( ・´ω・`)!! 何か居る!!
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逃げられた(ノ∀`)白鳥ではないけれど、この近くの地名が白鳥だったので
なんだか白鳥を撮り逃した気分(w

  何かしら とり逃したる あの鳥は 口調が なぜか女言葉に
東海道中膝栗毛を読んでるとつまらなくてもいいから言葉遊びしたくなる(・∀・)フシギ


五六橋の南の方にも裏五六橋という橋もあり、面白そうなのでぐぐってみたが、
地名の由来はヒットしなかった。豊川市の地誌とかを当たらないと駄目なのだろう。
岐阜の五六川橋の名は五六川に架かっているからであり、その五六川の名の由来は

河川名は中山道で川を渡ったところに美江寺宿があり、日本橋から56番目の宿場であることが由来となっている。

ということらしい。

三重県松阪市の五六橋は

この大日如来の霊験に感謝し、斎藤五六兄弟が架けたという五六橋が門前に(忘れ井の里を旅する
平維盛の子六代は日川に隠れ住んでいました。六代が病にかかり家来の斎藤五、六兄弟は、清流寺(現在の西方寺)に祈願をしました。その後六代の病は完治し、五六橋と名付けられ、西方寺に残る欄干は、五六橋の欄干であると伝えられています。
西方寺の五六橋

ということらしい。六代……逗子に墓がある六代御前絡みかΣ(゚∀゚;)

愛知県豊田市の東海自然歩道にも五六橋はあるらしいが由来は不明。
寧比曽岳(1121m)~富士見峠~五六橋~段戸原生林~段戸裏谷

兵庫県芦屋にあるゴロゴロ橋は

「ゴロゴロ(五六五六)橋」であろう。
 なお、付近には「ゴロゴロ岳」といった山があり、標高が565.6mであるから語呂合わせでこのような名称になったらしい。(1240 ゴロゴロ橋(ごろごろばし) ※なんか色々あったみたいで、ページ閲覧が出来なくなっていた(´・ω・`)

とある。これは非常に新しい地名のようだ。

案外、

ご‐ろく【五六】

1 双六(すごろく)やさいころばくちなどで、2個のさいの目が五と六と出ること。
2 5寸角、6寸角のような、太くしっかりした材木。
3 縦が六幅(むの)、横が五幅(いつの)の、三畳間につる蚊帳。

材料由来や流されないように願掛けとしての2.かも。
或いは3.みたいな感じで長さと幅由来もあり得るか。
まあ寄り道はこれくらいにして(・∀・)


この辺は特に何もなし。工業地帯なのかな?
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GPSの軌跡を見ると31号線はそのまま渡れずに一度、
1号線の方に行ってから渡ったようだ。

あきば書店(´・ω・`)?
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白鳥5丁目西のところで1号線に合流。名古屋まで62…kmだと…( ;・´ω・`)ゴクリッ
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白鳥5丁目を通過、国府町藪下で374号に。
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半僧坊大権現、秋葉山常夜燈
半僧坊って鎌倉にもあったな。えらい高いところにあって息があがった(´・ω・`)
そのまま天園ハイキングコースに行った記憶がある。
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道やら観音様?やら
良く見ると右のお坊さんらしき人は独鈷杵(三鈷杵?)みたいなのを持ってるな
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八平次……誰だろうか(´・ω・`)?

豊川市国府町では「はっぺい様」と呼ばれていた方の記念館です。(八平次記念館八の蔵

ふーむ、なんかそういう人がいたんだな。


大社神社、一里塚跡、常夜灯
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姫街道(ひめかいどう)とは、江戸時代以前の徒歩時代における、主要街道の別ルートの一部に対する呼び名。(姫街道

姫街道ってここだけの名前じゃないんだ。へー(・∀・)


368号を横断し、音羽川に架かる御油橋を渡る。
ちょっといい感じの場所だった。
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そういえば途中の川原や松並木のとこで女の人が歩くシーンを撮影していたが、
あれはなんだったんだろうか(´・ω・`)?
AVではなさそうだが、カラオケの意味不明映像だろうか?
撮影スタッフの中に業界人ぽいセーターの羽織り方をしている人が居てわらた(w
あれは目の前で見ると凄くダサイ
やっぱり何ごとも※ただしイケメンにかぎる だな(´・ω・`)
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道は狭かったけれど、それほど車は走っていなかった。
まあ時間帯の問題かもしれないけれど。
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ベルツ花夫人ゆかりの地
ベルツ花夫人は、東京の神田で一八六四年に荒井熊吉とそでとの間に生まれ、江戸・明治・昭和の時代を生きた、御油とはゆかりの深い女性です。
 明治新政府がドイツから招いた日本近代医学の祖と言われるベルツ博士と結婚し、日本とドイツで暮らしました。
 一九〇五年に任期を終えた博士とドイツに渡りましたが、博士が亡くなったため一九二二年に帰国し、一九三六年七四歳で亡くなりました。父親の熊吉の生家が御油宿で戸田屋という旅篭を営んでいたのがこの場所です。

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旅先でちょっと見した時は唐人お吉のような悲しいお話かと思ったけれど、
普通に幸せに一生を送ったみたいだ。

ベルツ花(ベルツはな)とは
エルヴィン・フォン・ベルツ


問屋場跡やら本陣跡
いがやの中に弥次喜多人形らしきものが見える
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御油の松並木。中々立派な感じだった。
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御油児童遊園でしばし休憩した。
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東海道中膝栗毛での御油赤坂のくだりを書いた看板、
赤坂宿側から撮った御油の松並木
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この松並木を抜けると赤坂宿らしい。

34.吉田宿

34.吉田宿 (2007.11中旬)
ガイドブックによると最寄り駅はJR豊橋駅東口から市電に乗り、
二つめの停留所「札木」とある。

一里塚跡を華麗にスルーしてしまった模様。
1号沿いを道なりに北上。正確には北西方面か。

東八町交差点にて市電に遭遇。なんか新鮮(・∀・)
まあよくよく考えてみると江ノ電も街中を走ってるから、
それほど珍しい光景ではないのだけれども、
なんだかこちらのほうが周りが広々としてて見てて気持ちがいい。
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東惣門跡
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交差点から左折右折左折を繰り返し、鍛冶町から曲尺手町へ
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左折右折で札木町
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問屋場跡、本陣跡
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ここは江戸時代、清須屋東隣に江戸屋の二軒の本陣がありました。本陣とは各宿駅に置かれ、街道を往来する大名・幕府役人・宮家・公卿など身分の高かった人達が宿泊したところです。享和二年(一八〇二年)の書上によると東海道吉田宿には、本陣二軒・脇本陣一軒・旅篭六十五軒があり、ここ札木町あたりは宿の中心部として最もにぎわったところでした。


なんじゃわれぇ(#Φ∀Φ) って顔してた。
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札木通りをそのまま西進。松葉公園にてしばし休憩
トイレもあったような気がする。子供を遊ばせる奥様方やら高齢者が日向ぼっこしてた。
いつの間にか東海道ルネッサンスの絵が呑気そうな家康になってた。
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松葉公園から道を北上。湊町で左折。
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496号を右折して、神明社を過ぎる。
神明社は湊町公園とつながってるのか。
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豊川にかかる豊橋を渡る。
豊橋市の地名の由来となった豊橋ということらしいが、これも豊川に架かっているから
豊橋なのであろうことを考えると全ての始まりはこの川なのか。
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豊橋を渡ってすぐ左折して387号を進む。
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豊川稲荷遥拝所…あ、豊川って豊川稲荷の豊川か( ゚Д゚)ハッ
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稲荷神社としては京都の伏見稲荷大社を総本山としているが、豊川稲荷は神社ではなく寺であり、上述したように、信仰対象は稲荷である部分もあるものの、伏見稲荷とは同一ではなく、別格本山である。(豊川稲荷

なんか面白そうな話がありそうだなぁ(・∀・)
遥拝所で検索してもヒットしない。遥拝の意味が

遥拝 (名)スル
遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと。
「畝傍山右手に見ゆ車上ながらも―し奉りて/千山万水(乙羽)」

ということなので、そういう為に設けられていた場所ということか。


いつの間にかに387号から496号に。
途中、道をちょっと離れたところに水神社があったようだ。
やっぱり水害が多かったんだろうなぁ。
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江川に架かる鹿管橋を渡る。
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懐かしのテレホンカードの看板、祠、なんかの碑?
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豊橋魚市場
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豊川放水路に架かる高橋を渡り、小坂井町へ。
この橋の辺りは道が狭いわりに車が多く、凄く危険ヽ(`Д´)ノ
まあ、こんなところ徒歩で歩くな、ばーやばーやヽ(`Д´)ノってことなんだけども
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ここは兎にも角にも道が狭いイメージだけが残った。
箱根宿、二川宿と並ぶ歩行が大変なところだった。
思い切り1号線と平行してるからか。
常夜灯やら祠やら観音様やら?
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伊奈村の立場、迦具土神社、伊奈一里塚跡

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迦具土神社って前にも見かけたような、見かけてないような…("・ω・゙)

火之迦具土神(ひのかぐつち)
迦具(かぐ)は、「かか」と同様「輝く」の意であり「かぐや姫」などにその用法が残っている。また、現代語の「(においを)かぐ」や「かぐわしい」に通じる言葉であり、ここでは「ものが燃えているにおいがする」といった意味とする説もある。土(つち)は、「つ」と「ち」に分けられる。「つ」は現代語で「私の本」と言う時の「の」に相当する古語である。また、「ち」は、神などの超自然的なものをあらわす言葉である。
まとめると、火之迦具土神とは、「輝く火の神」一部の可能性として「ものが燃えているにおいのする火の神」といった意味がある。
信仰
火の神、鍛冶の神として信仰されており、秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市)を始めとする全国の秋葉神社、愛宕神社、野々宮神社(京都市右京区、東京都港区、大阪府堺市ほか全国)などで祀られている。また島根県安来市の意多伎神社(おだきじんじゃ)もこの神との関連の指摘がある。
カグツチ

秋葉神社も愛宕神社も一緒なのか。
なんか調べれば調べるほど面白いな、地名や宗教は(・∀・)
Webでは限界があるけれども。


この辺りから御油宿らしい。

33.二川宿

33.二川宿 (2007.11中旬)
最寄駅はJR二川駅。

7:30頃起床。適当にワイドショー見て8:30くらいにチェックアウトした。
駅に向かう途中にあった看板を見て豊橋はちくわが名産らしいことを知るが、
歯が痛くてどうでもいい感じ(´・ω・`)

第一ホテル、豊橋駅
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二川駅まで190円払って戻る。さっそく旅の続きを再開しようとするも
GPSの調子がおかしくて何回もデータが飛んだヽ(`Д´)ノ
駅前にあった看板

東海道二川宿
古来より交通の要衝であった二川は、慶長六年(一六〇一)、徳川家康による街道整備にともなって宿駅として設置されました。開設当時は二川村と大岩村の二か村で一宿分の業務をおこなっていましたが、正保元年(一六四四)に両村は現在地に移転して、二川村と加宿大岩村となり、東海道五十三次中三十三番目の宿駅として業務をおこなうこととなりました。
 天保十四年(一八四三)には、本陣・脇本陣がそれぞれ一軒、旅籠屋が三十八軒、人口は一,四六八人で、家数は三二八軒でした。
 現在も、、本陣をはじめとして、江戸時代の宿場町としての景観を残しています。

                                  豊橋市二川宿本陣資料館

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駅を出て西へ向かうと「伊良胡阿志両神社道」「右 東海道 豊橋一里半」と
刻まれた道標があった。
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当然のことながら、その時は右の道を行ったわけだが、左の方へ行くと
どこに着くのだろうかと「伊良胡阿志両神社道」でぐぐってみた
( ´・ω・)エ?
ヒットするのはどれも東海道ネタのこの道標のみ。神社自体について書いた記事がない…
「伊良胡阿志」でぐぐってみても同様の結果か、万葉集内の「伊良」がヒットするくらい。
これはなんだろうか?


正直、凄くどうでも良かったのだが、久しぶりに東海道ネタを書くので、もう少し調べて
みようと思い、近くに該当する神社がないかと地図を見た。
一瞬「伊良胡阿志両」神社かと思ったが、おそらくは両方の両だろうと考え直す。
両神社ということは多分二つの神社の名前を合わせて「伊良胡阿志」なのだから
二つに分けることが出来るはずだ。「伊」・「志」の様に1:4、4:1の可能性は低いから
「伊良胡」「阿志」か「伊良」「胡阿志」である。該当するような名前の神社がないか
道標の西側周辺の神社を見てみたが、そんな表記の神社はない。
音ではどうだろうかと考える。万葉仮名なら「イ・ラ・ゴ(コ)・ア・シ」か。
八幡社や神明社はどう考えても違うであろうから除外する。
残るは進雄神社、天伯山神社、天伯神社、高師神社、高師原神社辺り…

どれも該当しないか…待てよ( ・´ω・`)!!
高師(タカシ、コウシ)ならば「胡阿志(ゴアシ、コアシ)」が訛りなどから転じた
可能性もあるかも(`・ω・´)!!!

でも「伊良」に該当しそうな神社がない…_| ̄|○
岩屋観音の「イワヤ」は流石にイラから転ずることはないだろうし…
伊良神社でヒットするのは福井県だし…
近くに火打坂というのがあるので、何か火打ち石やら何やらの絡みでは
とぐぐってみても特にヒットするものもなく。
或いは古墳があったらしいから古語とかで何かあるかとぐぐるも特になし。
火打坂の信号
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いろいろぐぐって行き当たったページで

たしかに二川の山の上から見れば、高くなっているように見えなくもないですが、 まあ、天伯・高師原台地のあたりをさしているのだろうと思います。

 白須賀にも高師山というのがありますね。 お話しのなかで、二川の先の山とおっしゃっていたのと符合します。 高師小学校の高師は、古くは高葦(たかあし)だった、という説もあります。
むかし、昔の「東海道」 - 東海道・鎌倉街道・東海道 -

とあった。
阿志=葦かも(`・ω・´)!!と「阿志」でぐぐる。……あった。
成るほど正確には「伊良・阿志」両神社道か…_| ̄|○
「伊良胡」でぐぐって注意深くみれば、この結論にたどり着けたようだ…
検索文字列は色々試さないと駄目だよね(´・ω・`)

田原の祭りの"ごせんだらまつり"
阿志神社

ちなみに距離はこのくらい離れてる。大山山道とか大井川辺りにあった道標も目的地は
これくらい離れていたな、そういや。 
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火打坂自体は特に大したことなく、ただ、歯痛に悩まされながら進む(´・ω・`)
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火打坂の途中、ガーデンガーデンの所を左折、道なりに。
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この辺は歯痛の所為か余り記憶がないので、また関係ないことを調べてみる。
火打坂の名の由来について

 先ほどお回しした富嶽三十六景の画に、「吉田ほくち」と描かれています。 ほくちというのは、火をつけるための道具のひとつなんですが、 吉田は、そのほくちで有名だったようです。 そのあたりからきているのかもしれません。

 建築では、柱や梁などの隅の部分に斜め45度にいれるすじかいのようなものを、 火打梁といいます。 ちょうど山越えの道に対して、ショートカットする、 斜めにとおっている道だから、火打で、火打坂となった、 という話しを聞いたことがあります。

 あのあたりで、火打ち石になるチャートが採れたから、という説もあります。むかし、昔の「東海道」 - 東海道・鎌倉街道・東海道 -

と上記のページにはあった。
なんとなく後者の方が合点がいくが、実際のところ、どうなのだろうか。
建築用語の「火打ち」や「火打・燧(ひうち)」が着く地名をぐぐってみる。


山だと

燧岳(ひうちだけ) 2356m 福島県
爼(まないだぐら)の東北面に鍛冶鋏みの形の残雪が現れる説、火を吹く山だったことから火打と名付けられ燧の字が当てられた説などがある。
火打山(ひうちさん) 2462m 新潟県
火打ち石が産出されたことによる説があり、燧岳とともに火山に関係すると言われるが不明。
日本百名山 山名の由来

などがあり、火打石、火山、形に関係しているという説があるようだ。


谷だと
京都府南丹市園部町新町火打谷
石川県羽咋郡志賀町火打谷
などがあった。石川県の方は

火打谷から通っていた高校の同級生は「火打石」が採れると言っていました。
火打谷菊桜

という記事がヒットしたのでもしかしたら京都の方も火打石由来かもしれない。

そのうちオバガ谷の奥に「燧谷」があり、そこに「燧岩」という巨岩がある。およそ幅6m×高さ6m×奥行き5mの大きさで、薄い褐色をしている。「燧岩」と呼ばれるのは、これが所謂チャートという石英質の堅い石で、文字通り火打ち石として使われたからである(最近でも、2005年岡山国体の炬火(聖火)の採火にも使われた。)。また、割れるときにはガラスのように鋭い破片になるため、鏃などにも使われた。今も、岩の周囲には細片が散らばっている。
コラム217.金剛童子と燧岩(その2)-岡山市 

などという記事を読むと尚更にそう思えてくる。


火打崎というところでは

 「ひうち」について大言海は二つの定義を示し、まず「(一)火打石ト火打金トヲ打合ハセテ、火ヲ取リ、…」です。このところは柳田著『火の昔』の「火を作る法」の章が適切です。柳田は火打石を稜(かど)石と書いています。カド石は今は方言かもしれませんが、石英の一種で、角を火打金と打ち合わせるわけです。

 次に「(二)三角形ノモノ。(火打袋ノ三角ナルヲ云ウ)」です。古事記の日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征にもあるのですが、昔は火打道具を袋に入れて携帯しました。その袋が三角なので三角形のものを火打というようになったのでしょう。火打崎は「山が平野に突き出した三角形の先端」となります。火打崎(ひうちざき・鶴岡市菱津)-山形県

火打石産出由来と形由来の両方が考えられるようだ。


建築用語では、

2,火打ちは、床組、小屋組などの隅角部に入れる水平補強材で、水平力を軸組に伝えるとともに水平面の変形を防ぐ。図(2)「火打金」というのがある。「三角形の鋼材で、火打石と打ち合わせて発火させるもの」らしい。 火打ちばり、によってコーナーに出来る三角形が火打金の形に似ているから、火打ちということになったのだろう。
(中略)衣服の脇の下にいれる三角布も火打ちというそうである。
役に立たない建築用語辞典

水平の捻れを防ぐ火打ち梁。最近は金物の火打ちも多く使われています。火打ちの語源は火打ち道具(着火具)が三角の形をしており、江戸時代の頃、三角形を火打ちと呼ぶことが多かった。頂上部が三角に尖がった山を火打岳と命名されるのもその所以から。木造家屋の構造

とあり火打道具の三角形の形由来ということのようだ。


建築用語とはちょっと異なるが

「火打」の名称の正確な由来は定かではないが、恐らくは櫓の窓に火打窓(花頭窓:炎のような形状の窓)が用いられたからだろう。

というページがあったので奥が深いなぁと「火打窓」でぐぐったら
「火打窓」ではほとんどヒットしない(´・ω・`)
「火灯窓・花頭窓(かとうまど)」が正しい?これは判断保留


とりあえずこの二つはおそらく関係ない。

上・下火打町(かみ・しもひうちちょう)
町名は、町の山手に火打権現の社があることによる。
大津百町(滋賀県大津市?)

一、当村之中多田院より伊丹・大坂ヘ往来道筋ニ而御座
候、右道筋南山際ニ火打石と申大石有之古跡ニ御座
候、右謂を以火打村と名付申由申伝侯
(原文まま)

続いて、この火打という由来ですが、多田院より伊丹、大阪へ行く街道に火打石という大きな古い石があったのでこの村を火打村と呼ぶようになった・・・と記されています。
街を歩く・・川西市火打(兵庫県)

両者共に他の物に由来した名前と考えられるから。火打権現は愛宕山関係?


ここはストレートに火打石由来らしい。

燧灘(ひうちなだ)は、瀬戸内海中央部、香川県の荘内半島と愛媛県高縄半島の間を占める海域で、四国側を指す。北は備後灘に接する。東西約60 km、南北約40 kmの海域で、一帯はタイ、サワラなどの好漁場として知られる。沿岸地域から火打石が産出したことからこの名がついた。
燧灘


今まで見てきたものはおおまかに言って火打石産出と火打道具の形の
二系統の由来に収められそうだが、ここからはちょっと面白い感じがする由来である。
もう一つの由来系統を連想させる。

飛騨南部の下呂町から東濃北部の白川町、東白川村付近には、焼畑に由来する地名が多く残っています。下呂町に「夏焼」「火打」という集落もあります。
焼畑に由来・捨薙山(岐阜県恵那郡白川町)

火打とは、火打石の山地ではなく吉野川を利用して商売が始まり、その相場とか争いについての様子を火を振って各方面に知らせた。その意味で「火ぶり」から火打野となる。その「のろし」を上げた地点は現在も「火の辻」と云われる地名がある。
火打町 旧跡と伝承(和歌山県)

どちらも煙があがるイメージ。火打=燧であることを考えると

とぶ‐ひ【飛ぶ火/×烽/×
古代、外敵襲来などの異変を知らせるために、火を燃やし、煙を立てた施設
デジタル大辞泉の解説

》sui
(1) 火打ち石:
[~石]同前.
(2) のろしexcite中日辞書

とある。あくまでも想像の範囲を越さないけれども「狼煙・煙火」という第三の由来系統が
「ひうち」にはあるのかもしれない。火山の噴煙、火打櫓、ここにはあげなかった燧ケ城
岐阜の火打坂(火打峠?)もこの第三の系統に入れると合点がいきそうな感じがするけれど
どうだろうか(・∀・)?

まあ、『東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1)』の注釈に

東海道名所記、
三「燧坂、此坂の内に、火うち石あり」

とあるので、ここは火打石由来だろうけれども(w


最後にこれはさすがに関係ないと思うのだけれども、

中世には岩屋村の全体か一部か(一区画の土地をいうのか、西国街道上の立場茶屋で賑わったことによるのか)が「火打町」と呼ばれていた。火打ち石を産出するところではないかとする推説もあるが、記録はない[2]。川西市の火打、多紀郡火打岩村(現・篠山市)の様に地名に「火打」が付くにもかかわらず火打ち石が出たという記録のない例はここだけではない。
岩屋 (神戸市)

岩屋で火打かぁ…(・∀・)


途中にあった「旧東海道のクロマツ跡」
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その後、道なりに進み、中央分離帯で東海道を分断する31号線を越えて吉田宿側へ。
関係ないことに注力しすぎて疲れた…_| ̄|○ 
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31.新居宿

31.新居宿(2007.11中旬)

最寄駅はJR新居駅。

腹痛に耐えつつなんとか頑張って新居町駅に。
舞阪駅と違ってトイレは外にない模様(´・ω・`)
地図を見ると新居関跡近くにトイレがあるようだ。そこまでがんばることにする。
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洲崎川にかかる浜名橋を渡る。昔は荒井という字だったのか。
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新居関跡までついたが入館料Σ(゚∀゚;) と思ったら手前のとこにトイレがあった(・∀・)
お金ないから入らずに外から撮影…_| ̄|○ミジメナリ…
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紀伊国屋資料館を過ぎて突き当たりを左折。
この辺のデータが残っていない…GPSログはあるかもしれないが
変換するのが面倒だ。
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寄馬跡やら一里塚跡、
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道なりにすすんで行きY字路を右に。棒鼻跡
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そのまま道なりに進み、一号線に合流。
立派な楼門のある教恩寺のところで右の細い道に
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後はひたすら道なりに。
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立場跡、道、祠
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火鎮神社なるものがあったけど、秋葉神社じゃないのか
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いきなり白須賀宿マップが出てきたのでなんでかなと思ったけれど、
ガイドブックによれば、昔はこの辺に白須賀宿があったということらしい。
それが大津波の発生で壊滅かなんかして潮見坂の上の高台にうつったようだ。
吉原宿あたりにもそんな話があったような。
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なんか変なものが見える( ・´ω・`)
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浜名湖カントリークラブ風力発電所というゴルフ場に設置された風力発電のプロペラらしい。


また、ただ、ただ、道、道
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内宮神明神社を過ぎ、42号線に合流する前の道を右折。
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潮見坂を登りきれば白須賀宿か。


32.白須賀宿(2007.11中旬)
最寄駅はJR新居町かJR豊橋駅。バスに乗らないと駄目。

潮見坂。 ( ゚Д゚)エ? この十数km歩いてきた足でこの坂?
まぁ登りますけどね(´・ω・`)

なかなかいい坂ですね(・∀・) 
眺めというか坂から見える海が。
坂をのぼった先にある中学校の屋上とかも眺めがいいのかしらん?
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おんやど白須賀(白須賀宿歴史拠点施設) 無料休憩所だったのか。まあどっちにしても開いてない時間だったけど。
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キャベツ畑やら県営圃場整備の碑 潮見坂公園跡?夕陽
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何語?スペイン語とポルトガル語辺り?ブラジルとかからの移民が多いのかな?
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90度に曲がる曲尺手を越えて、本陣跡。
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173号線に合流。村社笠子神社、三日月?、お地蔵さん。
最早辺りは暗く、撮った写真もぶれぶれ
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境川を渡り愛知県キタ━━━━━━ヽ( ゚∀゚)ノヽ(゚∀゚ )ノ━━━━━━ !!!!! 
だらだら進んでいくと1号線と合流。一里塚もあったが暗くてよくわからなかった。
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4kmほど1号を進むと二川宿へ。


33.二川宿(2007.11中旬)

最寄駅はJR二川駅。

すったもんだで二川宿に。なんか車の交通量が凄い。時間帯的にしょうがないんだろうけど、
なんか通りづらい。後で本を見たら、ここは道路の拡幅をしてないらしい。なんとなく納得。

本陣跡やらなにやら
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なんとか二川駅に着く。なんか立派な感じの駅舎だな(´・ω・`)
JRだからスイカで大丈夫かとつっこんだがブブーヽ(`Д´)ノ 
なんかこの辺はトイカとかいうやつらしい(´・ω・`) 

なんとか残っていた500円玉で切符を買い豊橋へ。

なんか車両の雰囲気も違い、旅してる感じ(・∀・) 
電車内の広告、木曽街道63次?とかいうのが気になる。中山道?

豊橋駅到着。色々調べて第一ホテルへ。喫煙室だったが5000円で(・∀・)
うぉしゅれっとねーヽ(`Д´)ノ 沸すポットじゃなくてサーモスの保温ポット。
新館のお湯サーバーに行けと。どうやっていくかも説明地図がねぇ(´・ω・`)
風呂に入って7-11.

部屋に戻り一人バースデー・゚・(つД`)・゚・
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約31km
228-31=197km

品目 金額 備考
前回までの累積使用金額 79,795
クーポン68セット(ビックマック+カフェオレ) 350
リュックサック+お茶 1155
夕食+お酒+つまみ+ケーキ 1686
第一ホテル シングル 5000
電車賃 190
累積使用金額 88,176円 残り: 197km