カテゴリー: 東海道五十三次

20.丸子宿(2)

20.丸子宿の続き(2007.11中旬)

最寄り駅はJR静岡駅で、あとはバスで。

晴れ 7:00起床 ホテルの一階にてパン2枚(4か6枚切くらい)にマーガリンをつけ、
コーヒー一杯で平らげる。他のお客さんたちも結構居た。


リュックの代わりが欲しいので、そーいうのが売ってる店をフロントに聞いたが、
ちょっと離れたところにイトーヨーカドーがあるとのこと。
調べてみたら結構離れていたので先を急ぐことに。

8:30くらいに出立したので店はほとんど開いてない。静岡駅のバス乗り場6番へ。

静岡駅前
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新丸子橋までバスで340円。

丁字屋でとろろ汁を食べるか悩んだが、腹が減ってないのでやめる。

丸子宿の高札場? デプリカ…( ・´ω・`)?
レプリカの間違いか…。
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内容を読んでみると、人身売買や毒薬偽薬、贋金の禁止などについても言及されている。
いつの時代でも横行する犯罪は大して変わらないようだ。


真っ直ぐな道の向こうに見えるは宇津ノ谷峠?。
途中にラブホが何軒かあった。モーテルみたいなのもあった。
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208号を1kmほど行くと1号に合流。
蛙死んでた(´・ω・`)
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えらく天気が良い。写真の空がちょっと不自然に見える(w
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一号から左の細い道に
なんか怪しい工事現場のようなものが道の傍らに。砕石場か。
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1号合流後、歩道橋を渡り右の細い道へ。ん?
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なんぞこの黄金観音Σ(゚∀゚;)
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怪しい宗教施設でもあるのかとおもたらただの工芸企業だったようだ。


丸子川沿いをつかず離れず歩いていって再び一号へ。
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歩道橋を渡って道の駅宇津ノ谷峠でちょっと休憩。
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とろろ汁売ってたけど、食べず。
なんか里のミニチュアがあった。東海道ルネサンスの顔出し看板。
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宇津ノ谷の里は立派な日本家屋が立ち並んでいた。
十団子というものが名物らしいが食べなかった。

宇津の谷の北にあった梅林院の住職が難病にかかり、小僧に膿血を吸わせるうち、
その小僧は人肉の味を覚えてしまい、ついに人喰い鬼となり、峠に棲みついてしまう。
旅人は鬼を恐れ、峠に人気の絶えた860年頃、東国下向途中それを知った藤原業平が、
野州素麺谷の地蔵尊に鬼神降伏を祈願したところ、忽ち地蔵尊は遊歴の僧となり、この地に出現。
鬼神との問答の末、極小の形となり掌に乗ってみせよと言うと、鬼は忽ち小さな玉となって僧の掌に乗ったので、すかさず僧が杖で打つと、十粒にくだけ、僧は一口に呑み込んで化度してしまった。
これ以後菩薩はこの地に留まって峠を守り、十団子を道中安全だけでなくすべての厄除けとした。(宇津ノ谷の十団子

実際の食べ物としての十団子とお守りとしての十団子があるのかな? 
春秋戦国時代の呉起みたい。なんかミックスしてお話が一本出来そうな感じだな。
日本の戦国時代に舞台を移して。

この日は日曜ということもあり、中年夫婦、団体客が結構居た。
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石畳の坂を上っていくと普通の山道へと変わる。
峠はそこそこきつく、舗装されていないため、雨天時は行くのはやめたほうがいいかも。
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十団子の話に出てくる観音菩薩かな?それはお寺の方にあるのかな。
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しばらく山道を進むと途中で休憩できる場所についた。
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峠の途中から見下ろした宇津ノ谷の集落
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昔とは道がちょっと違うらしい。
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甘く見ていたが結構長いので汗だく息切れでかなりきつかった。
地蔵堂の石垣跡
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谷川岳Σ(゚∀゚;)?
とおもたら谷川峠だった。マップルには載ってないが、
西又峠の東、野田沢峠の北辺りの小瀬戸谷川の辺り?
谷川集落が廃村になったから載ってないのかな?(兵藤庄左衛門
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髭題目碑やらなにやらあった。
東海道中膝栗毛の時代では蔦の細道の方を通っているようだ。
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結局ナイロンバッグで峠を突破してしまった。
場違い極まりない(w

なんやかんやいいつつ宇津ノ谷峠もそこそこきつかったかな。
まあ平坦な、どストレートの街道をひたすら歩き続けるよりは
ぜーぜー言いながら峠を越すのが楽しいんだけれども(w

坂下地蔵堂を過ぎ、しばらくすると一号に合流。
反対側にも道の駅があった。
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歩道橋を渡って右の細い道へ。
岡部川沿いを付かず離れず、やがて208号に合流。
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なんでこんな写真を撮ったのだろうと考えた。
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「カリモク家具販売株式会社 静岡営業所」
カリモク…カリモクカリモク…( ・´ω・`)カリモクケントウモツカナイ

( ゚Д゚)ハッ
「ツルモク独身寮」のモデルになった会社だ(・∀・)
本社は愛知県にあるのか


この辺りから岡部宿側らしい。

20.丸子宿(1)

20.丸子宿(2007.11初旬)

最寄り駅はJR静岡駅で、あとはバスで。

清水市のちびまるこちゃんと関係あるのかと思いきや、Marikoと読む。
永井真理子の「わたしはまりこ~(・∀・)♪」なんて歌を思い出しながら先へ進む。

安倍川橋を渡ると、千手の里・手越という看板が。
鎌倉時代の白拍子に千手という人が居たらしい。
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白拍子ってなんだべ(´・ω・`)?

白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。男装の遊女が今様や朗詠を歌いながら舞ったもの。素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。(中略)


白拍子は、男女問わずに舞われたものであったが、主として女性・子供が舞う事が多かった。

古く遡ると巫女による巫女舞が原点にあったとも言われている。神事において古くから男女の巫が舞を舞う事によって神を憑依させた際に、場合によっては一時的な異性への「変身」作用があると信じられていた。日本武尊が熊襲征伐において女装を行い、神功皇后が三韓征伐の際に男装を行ったという説話も彼らが巫として神を憑依させた事の象徴であったという。

このうち、巫女が布教の行脚中において舞を披露していく中で、次第に芸能を主としていく遊女へと転化していき、そのうちに遊女が巫以来の伝統の影響を受けて男装し、男舞に長けた者を一般に白拍子とも言うようになった。(白拍子

昔の宝塚か…( ;・´ω・`) って全然違うな(w
静御前も白拍子だったような。


208号沿いを進み、一号と合流。佐渡の信号で再び208号へ
道x4、道標x2、地蔵堂?
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道は途中で大きく右に曲がる。町の中心部らしき辺りを通過すると途端に寂しくなる。
これはスーパーマンなのか…( ;・´ω・`)ゴクリッ
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この辺から再びお腹の調子が…:(;゙゚'ω゚')
無神論者であってもこの時ばかりは神に祈る…

これはかなりピンチ…小学校があるけど…この御時世に無職が
怪しい格好で小学校にトイレを借りるために進入するなど危険な行為はできん…

だがしかし限界…:(;゜ω。)

その時視界に現れたのが和菓子屋さん「徳栄堂」
恥を忍んでトイレを借りる。懐かしのぽっとん便所でした(・∀・)

二つほど和菓子を買ってお礼を言って再び東海道へ。


これは水神社かな。丸子川の氾濫で作られたみたいだ。
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由比にもあったお七里役所だ。
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看板x4
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「千寿白拍子」という清酒を造ってる醸造元の看板には
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千寿の前
戦乱の世、源平時代には数々の美しくも悲しい物語が、残されています。
私達の郷土にも「千寿の前」の物語が伝えられています。
千寿は静岡市手越の長者の娘として生まれ「白拍子」と呼ばれる舞姫でした。
 白拍子は麗しい美人が多かったようですが中でも千寿は源頼朝が天下の美女、十二人を集めた時、その第一に千寿をあげている程でした。(現在のミス日本ということでしょうか)
 千寿と平重衡との恋物語は「平家物語」近くは山本富士子、松本幸四郎共演の歌舞伎にて広くしられたわけですが、悲嘆やるかたなき千寿は尼となり「熊野(ゆや)御前」を訪ねて遠江に移り、重衡の菩提を弔い磐田に住んだと伝えられています。(後略)

とあった。昔の悲恋物は後追いか尼になるのがパターンだったのか。
千手と千寿、どっちが正しい名前なんだろ。
まああの時代の漢字なんていい加減だったろうから、どっちでもいいのか。


丁子屋。おなかは減ってたけど、調子も良くなかったのでとろろ汁はパスした。
疲労と時間、この先は峠であることを考慮して、この日はここまでとした。
そのまま帰るのもなんとなく悔しいので無意味に写真を撮りまくった。
芭蕉の碑やら何やらあった。
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丁子屋かどうかわからないが、東海道中膝栗毛二編下では、
弥二北の注文したとろろ汁を作ろうとした主人と妻・おなべが喧嘩を初め、
隣のおかみさんと三人まとめてとろろ塗れの大騒ぎとなり、結局二人は
とろろ汁を食べることもなく、この地を離れる(w
(弥次郎兵衛なのに文中だと"弥二"表記なんだなぁ。北"八"との兼ね合いかな?)

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帰りはバスに乗ろうと1号線へと向かった。

アイスターってなんか怪しい政党のとこか((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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バスは待てども待てども来ない
むっきーヽ(`Д´)ノと歩き出して10分後くらいに抜かれるわびしさよ(´・ω・`)

カウゾー(・∀・)
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結局手越原辺りまで戻ってバスに乗る。


静岡駅に着く頃にはもう真っ暗に。ZERO3の遅い通信にイライラしながらビジホを探す。
アーバント静岡というところを目指す。風が出てきて寒くなってきた。

えっちらおっちら歩いてつくとなんだか変…。暗い…というか電気がついてない…
まだ営業してないのかΣ(゚∀゚;)

これは困ったと再びZERO3で検索。暗くて寒くてなんだか嫌になってくる…(´・ω・`)

よくよく調べてみるとこのホテルの系列のアーバントイン静岡というのが300mほど離れたところにあるようだ。
そこへ向かう。朝食付シングル6000円ということなのでここを今日の宿とする。
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折角の静岡なのでちょっと街を見て回ろうと外出。
エコバックみたいなのを7-11で買ってリュック他の要らない荷物を送り返す。
無駄に荷物が多すぎた。


小さいリュックで安いのでも売ってないかと109へ向かう。

20:00くらいで109が閉店してるΣ(゚∀゚;)

なんか開いてそうなところを求めてさ迷う。
109から静岡駅の方に向かい、一号線を東に。
駅前になんかあったが今ひとつ決まらず…
354号を北に…って泊まってるホテルの前を通過した…

静岡鉄道にぶち当たって左折…
結局新静岡駅の近くのテンジンヤで惣菜を買いホテルに戻る。

徳栄堂さんの月餅と「まりこ」(・∀・)
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朝飯何食べたんだろ…徳栄堂さんのお菓子いくらだろ…バス代…
全部合わせて1000としておこう(´・ω・`)

約19km あれ、あんまり歩いてないな。途中の寄り道とか含めても20km強か(´・ω・`)

326-19=307

品目 金額 備考
牛丼大盛葱玉 620
宅急便 1060
(カバー) 200
ナイロンバッグ 504
ヤングアニマル増刊 370
ぶり大根 140
シュウマイ 100
23品美談 290
静岡茶濃い目 104
アーバントイン静岡 6000
その他 1000
累積使用金額 46,155円 残り: 307km

19.府中宿

19.府中宿(2007.11初旬)

最寄駅はJR静岡駅。ガイドブック上の端っこから歩くなら
県総合運動場駅になるのかな?

あずまはしを渡って道なりに。
草薙運動場で右折。
県総合運動場駅付近のすき屋に。葱玉丼とかいうのを食べたような。

その隣にあるJAに貼ってあったポスター。まるで俺のようだ(´・ω・`)
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静岡鉄道沿いに行くと石碑
どうやらJRの線路で途切れているらしい。
地下道があったのでそこを通る
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地下道を出て、折り返した後、
やまtJR線沿いを200mほど行ってから右折。後久橋を渡る。
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川に鳥が居たので撮影をしようと試みたが、逃げられて変な感じの写真に(´・ω・`)
ごみ袋が飛んでるの撮ったみたいになった。
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この時は何故か、草薙→日本武尊→白鳥という連想が働いて、
白い鳥を取ることに何故か執着していたような(w

古庄と書いてふるしょうと読むのか。こしょうじゃないのか。1号にちょっとだけ合流
この74号と1号が交差する長沼の信号のところでGPSログが奇妙な動きをしている。
何故か静岡鉄道の方に行って戻ってきている。横断歩道がなかったのかな?
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74号を横断後、右の細い道へ。久應院?
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長沼駅付近でバンダイがΣ(゚∀゚;)
バンダイホビーセンターとかいうらしい。見学も申し込めばできるみたいだ
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静岡鉄道
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だらだら道なり。一号と合流?
柚木駅のところで左の道へ。

ここも葵区なのかΣ(゚∀゚;)
葵区って滅茶苦茶広くないか
大井川鉄道の終点の井川とかその奥も葵区だったような…
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JR線の下を通って黄金橋あたりで右折?
この辺は立体交差だったのでよく覚えてない。
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曲金辺りで再びJR線の下を通って1号線を横断
下横田町 伝馬町通りを歩いていく
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静岡の中心部辺りにようやく到着。お腹痛くて109へ。
その後、中途半端な時間だったのでビジホを探すか先に進むか考えるために
休憩を兼ねてスタバか何かに入る。
疲れきっていたのでなんかヘロヘロな状態で注文する。
大きな荷物を背負い汗だくだったので、店員からみたらかなり怪しい人だったろう。

結局、行けるとこまで行って最悪静岡に戻ろうという、
いつも通りの行き当たりばったり路線に落ち着く。
今にして思えば早めに宿を取って駿府公園でも見学するべきだったか。

確かこの日は土曜で人通りも多くてなんだか場違い極まりなかった記憶がある(w


江川町の信号から呉服町通りへ向かい、呉服町通りを伊勢丹方面へ。
伊勢丹のところで左折して362号を横断、二本目を左折。

札の辻跡、道x2
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そこから二本目を左折、その先は新町通りをひたすら直進する。
この辺で人通りも車も少なくなった。

ガイドブックをみると、一本向こうの通りに一里塚跡があったようだ。
208号(84号)を横断するとなにやら公園らしきところが。
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弥勒緑地というらしい。
なんか機動隊のバスみたいなのがあったり、安倍川架橋の碑、トイレ、由井正雪の墓、
冠木門(かぶきもん)、安倍川の義夫の碑などがあった。

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弥勒町
江戸時代の地誌「駿河志料」には、現在の弥勒町一帯は、古くは安倍川の河原で『正保年間に開かれ、江戸時代のはじめ慶長年間に、弥勒院という山伏が還俗して安倍川の河原で餅を売るようになった。この餅を〝安倍川餅〟という。これが「弥勒町」の名の由来となった』と記されています。(後略)

安倍川の義夫の碑
この碑は、正直な川越人夫の顕彰碑である。
元文三年(一七三八)初秋の頃、紀州の漁夫が仲間と貯めた金百五十両の大金を持って、安倍川を渡ろうと川越人夫を頼んだが、渡し賃が高いため、自分で川を渡った。しかし、着物を脱ぐ際に、大切な財布を落としてしまったのである。たまたま、その近くにいた人夫の一人(川原町彦右衛門の息子の喜兵衛)が財布を拾い旅人のあとを追い、宇津の谷峠で引き返してくる旅人に出会って財布を渡した。旅人は喜んで礼金を払おうとしたが、「拾ったものを落し主に返すのは当り前の事だ」といって、喜兵衛はどうしても受け取らないので、駿府町奉行所に礼金を届けた。そこで、町奉行が喜兵衛を呼び出し、礼金を渡そうとしたが受け取らないので、その金を旅人に返し、代わりに奉行所からほうびの金を喜兵衛に渡したのである。
 昭和四年(一九二九)、和歌山県と静岡県の学童や有志の人々の募金によって、安倍川橋の近くのこの地に碑が建てられたのである。
碑文
 難に臨まずんば忠臣の志を知らず。
 財に臨まずんば義士の心を知らず。
(たから)

昭和六十年一月
    静岡市

ゆすりたかりの酷かったらしい川越人夫の中にもまともな人が居たんだなぁ(・∀・)

そういや安倍川餅も食べなかったな(´・ω・`)
なんか複数軒あったような。抹茶をまぶしたやつはちょっと気になる。

安倍川もち(あべかわもち)は、和菓子の一種。静岡市の名物。本来は搗きたての餅にきな粉をまぶしたものに、白砂糖をかけた物である。 現在では小豆餡をまぶしたもの、最近では抹茶をまぶしたものも出てきている。(安倍川もち


安倍川はあんまり水が無いように見えたが、増水時は凄いんだろうか。
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安倍川を渡ると丸子宿側となる。

18.江尻宿

18.江尻宿(2007.11初旬)
最寄駅はJR清水駅。

何故かこの日の明確な記録が残ってない。
pwiファイルに手書きでちょこっとしか書かれていない。
いささか怪しいが写真を見ながら記憶を辿るしかない

8:30くらいに出立 だらだらと行く。

清水銀座のくじらやらトトロやら看板やら道
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今、清水銀座は清水銀座(巴流:パル商店街)という名前らしい。


清水銀座から左に曲がって…
って、なんぞこのショタコン橋Σ(゚∀゚;)
とよく観たら河童か。でも橋の名前が稚児だしなぁ…。

なんかすごい格好の河童たちの銅像 巴川にかかる稚児橋
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稚児橋の由来
慶長12年(西暦1607年) 徳川家康の命により、東海道五十三次沿いの巴川に橋が架けられ、江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなり、渡り初めの日とはなった。 さて儀式に先がけて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、川の中から一人の童子が現れたとみるやするすると橋脚を登り忽然と入江方面へ消えさった。渡り初めに集まっていた人たちは、あまりに突然のこととてあっけにとられたが、このことから橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名づけたといわれている。 なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。
いちろんさんのでっころぼう人形の中に河童がいるのは、この伝説による。

なんでまた老夫婦を渡らせようとしたんかとぐぐってみると

橋供養が終わって、橋の渡り初めの儀式が行われるなかで、一家三代
に渡って健在する夫婦による渡り初めがいつ頃から行われていたか? 
詳らかではありませんが、江戸時代の絵や書物などにも少なからず確認
できます。一家で3代の夫婦が健在するということは、大変珍しいこと
で、またお目出度いことであった(である)と思います。これに、あや
かりたいという意味があるのではないでしょうか。(三代夫婦の渡り初め リンク切れになってた(´・ω・`))

とある。「三代に渡って健在する夫婦」=老夫婦ということか。


いちろんさんのでっころぼう人形ってなんだべ(´・ω・`)?

古い時代は、親の願いにそむいて若くして死ぬ者を役立たずの「泥像の坊(でくのぼう)」といったらしいが、ちょうど市郎右衛門さんの為朝の似肖像(あやかりく)も土細工の泥像であったことなどもかさなり、江尻近郷の庶民のあいだからは、「市郎右衛門さんとこのでくのぼう」と呼ばれるようになり、郷土なまりも加わって『いちろんさんのデッコロボー』の愛称で親しまれていった。(いちろんさんのデッコロボー

■いちろんさん■
「いちろんさん」は店の名前、屋号です。静岡市の隣町、清水市にある有名な店です。
「いちろんさん」の屋号は、初代堀尾市郎右衛門の名からとったもので、現在もその名を継いで、7代目人形師・堀尾市郎右衛門となっていますが、実際は5代目に当たるとのことです。
【民芸館】......全国郷土玩具の旅 静岡県篇(1)ー2

なるほどこんなものが。でもちょっと怖い((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
なんでこんなもん作ったんだろう…他にもあるのかぐぐってみる

阿波首人形
首人形はすべて阿波人形芝居に登場する人物の首です。本物は木偶(でこ)、木製ですが、玩具の方は、粘土で手捻りにより作られています。(中略) 阿波人形芝居の最盛期は江戸末期で、この頃、この地方には農村舞台が200棟余も数えられ、職業とした座だけでも70余、その他に素人の座もかなりありました。
 そんな座にいた一人が、芝居に使う木偶に似せて粘土で首を作り、子供達に与えたのが始まりといわれ、子供達はそれで人形芝居のまねごとをして遊びました。(徳島県篇(2)

ということは元は人形劇のものなのか。
他にも各地に色々とあるようだ。(→首人形 特集


微妙に小雨というか霧雨がぱらついてきた。
久能山に向かう追分道標?この近くにあった追分羊羹が名物らしいが買わなかった。
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追分羊羹の製法は明の僧が教えてくれたものらしい。
そういや羊羹って元々は羊の羹(あつもの)だもんな。
なんで小豆羹とか豆羹にならなかったんだろうか。

もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)であった。これは羊の肉を煮たスープの類だが、冷めることで肉のゼラチンによって固まり、自然に煮凝りの状態となる。「羹」の通常の音(漢音)は「こう(かう)」で、「かん」は近世中国語に由来する唐音であり、現代中国語音「コン (geng1)」に近い。
鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律(五戒)により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされる。別の説によると、羊の肝臓の形をした菓子である「羊肝こう」が、中国から日本に伝えられた際、「肝」と「羹」が混同され、「羊羹」と呼ばれるようになった(『嬉遊笑覧』)ともされる。(羊羹

語源は二説あるみたいだ。


清水次郎長ってあんまりよく知らない。森の石松の名前は知ってはいるけども侠客か
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大澤川にかかる金谷橋
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道なりに線路越えたり曲がったり進んで行くと結構立派な学校があった。
清水有度一小か。地図で観ると静岡鉄道の御門台駅の真ん前にあるようだ。
地蔵堂が近くにあった。
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狸の金玉
( ・∀・)っ< U ) ひっぱれ~ひっぱれ~き~んたま~ひっぱれ~♪
その横に一里塚。庚申塔は何処で撮ったか覚えていない。

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この辺で散髪した記憶が。もっと後だったかな?
足の疲れも多少とれた。
この時ポイントカード要りますかと言われたが断った。
だって静岡に散髪になんて中々来ないし。そもそも髪の毛少ないし(´・ω・`)


草薙神社が近いと誤解して行こうとするが、中々つかないので断念。
GPSデータをみてみるとあと1.5kmくらい先にあったようだ。止めて正解だった。
なぜか草薙神社の大鳥居?を撮り逃している…まあいいや(・∀・)

龍勢花火なるものがあるらしい
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龍勢花火は、火薬を詰めた筒を長い竹の先につけて打ち上げる花火です。現行では、草薙が市内唯一の伝承地です。草薙における龍勢花火の起源は明らかになっていませんが、元禄年間(1688~1704)には草薙神社の祭礼で龍勢の打ち上げがおこなわれたと伝えられています。(草薙神社龍勢花火

龍勢(りゅうせい)とは筒に黒色火薬を詰め、竹竿を結んだ花火である。上空で傘が開き、様々な仕掛けが作動する。
日本国内で最も有名な埼玉県秩父市吉田久長には龍勢会館があり、各地の龍勢が展示されている。
国内では、
埼玉県秩父市下吉田[旧吉田町、現在秩父市と合併](龍勢祭り)
静岡県静岡市清水区草薙(草薙大龍勢)
静岡県藤枝市岡部町朝比奈(朝比奈大龍勢。二年に一度開催)
滋賀県米原市(米原流星)
滋賀県甲賀市甲南町竜法師瀬古(瀬古の流星)
で伝承されている。 主に地域の神社の祭礼などに関連して行われる。
龍勢

日本各地に受け継がれているようだ。


草薙駅を過ぎた辺りで407号から左の細い道へ。

なんぞこれΣ(゚∀゚;)
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現在、私たちが普段見かける赤くて丸い『だるま』に代表されるように、ダルマ像は、座禅をしている姿をあらわした座像が一般的です。東光寺にこのたび建立された『葦葉達磨大師像』は、ダルマ像としては大変めずらしい立像です。(中略)
足元は、ダルマ様が中国の揚子江を葦の葉っぱに乗って横切った、という言い伝えをもとに、葦の葉と揚子江の波が表現されています。(東光寺坐禅会)

ろよう    あしば
芦葉達磨、(葦葉達磨、渡江達磨)と呼ばれるものらしい。(だるま
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この先の東名高速道路を越えた辺りから府中宿側らしい。