カテゴリー: 東海道五十三次

14.吉原宿~蒲原宿

14.吉原宿(2007.11初旬)
最寄駅はJR吉原駅、岳南鉄道・吉原本町駅とガイドブックにはある。
この日は曇りのち雨だった。

鯛屋旅館の人にカチカチと火打石を打ってもらい、日の出前に出立、
薄明かりの中を22号線を進む。ウォーキング、犬の散歩など、幾ばくか人の姿があった。
四軒橋を越え、道路を横切り脇の小道へ。
道祖神?、四軒橋?、川、道x3
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(さらに…)

13.原宿~吉原宿

13.原宿(2007.11初旬)

最寄駅はJR原駅。あんまり記憶がない。
この辺はひたすらに一直線だったような気がする。

浅間神社x2、看板
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放水路があるということは昔はよく氾濫でもしてたんだろうか。
しょんべん小僧がなぜか居た。
新田大橋、沼川第二放水路x2、しょんべん小僧?、三社宮、お寺?
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疲労と空腹が限界に達し、途中で見かけたカインズホームへ。
カインズホーム内にあったモスにて昼食。結構人が居て賑わっていた。
フードコートなんてもう何年も利用していなかったので、呼び出し用機械を
初めて見た。ちょっと感動してしまった(w

安コール、カインズホームx2
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どこまでも一直線(´・ω・`)
ダストボックスを思い出させるゴミ捨て場。
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途中で六王子神社というところがあった。
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八王子神社の変形かと思って説明をみるとどうも違うようだ。

400年位前、いけにえの淵で犠牲となる「おあじ」の身の上を悲しんで身を投げた6人の巫女を祀ってある。「おあじ」は鈴川の阿字神社に祀られている。

伝説「三股の伝説」
昔、沼川と和田川と潤井川とが合流し深い淵になっている所を「三股」と呼んでいました。この淵には龍が住んでいて、毎年お祭りをし、少女をいけにえとして捧げるしきたりがありました。今から四百年程前、関東の巫女七人が京都へ向かう途中、このいけにえのクジを引き、一番若い「おあじ」が引き当ててしまいました。仲間の六人は国元へ引き返す途中、柏原あたりにきたとき、悲しみのあまり世をはかなんで浮島沼へ身をなげてしまいました。村人が六人のなきがらを一ヵ所に弔ったのがこの六王子神社だといわれています。おあじは鈴川の阿字神社に祀られています。

いけにえ淵
(略) 
 修法のカで命が助かったおあじは六人のあとを追つて柏原までくると、六人はすでに死んでいることを知りました。おあじは悲しさのあまり柏原沼に身を投げてしまいました。のちに吉原宿のひとはおあじの霊をなぐさめるため、砂山の高台に阿字神社をたて、長く守護神として崇めました。(ふるさとのでんせつ(1)

ロミオとジュリエット的すれ違い。伝わってる話が微妙に違うのが面白い(w


でもなんか今ひとつ合点がいかない。なんで六「王子」なんだべ(´・ω・`)?

wikipedoa「王子神社」。

王子神社(おうじじんじゃ)は、東京都北区にある神社である。旧称王子権現。この一帯の「王子」という地名の由来である(王子神社というのは全国各地にあり、王子神社というだけでは東京の王子神社をさすわけではない)。
(略)
元亨2年(1322年)当地の領主豊島氏が社殿を再興し「若一王子宮」を改めて奉斎、王子神社となる
王子神社

wikipedoa「若一王子」

若一王子(にゃくいちおうじ)は、神仏習合の神である。若王子(にゃくおうじ)ともいう。
熊野三山に祀られる熊野十二所権現は三所権現・五所王子・四所明神に分けられ、若一王子は五所王子の第一位である。
若一王子

wikipedoa「王子」

日本には古来、本宮と呼ばれる神社の主神からその子供の神として分かれでた神格を祀ったり、巫女的な性格をもつ母神とその子神をあわせて祀る信仰があり、これを若宮(わかみや)あるいは御子神(みこがみ)と呼んでいた。のちに仏教と神道の習合が進むと、仏教の神格のひとつで、図像では仏に顧従する児童の姿で表現される「童子」が若宮と習合され、王子と呼ばれた。また、王子をまつる社(やしろ)も王子とよばれることがある。(王子信仰
ただし、王子の地名は「窪んだ土地」を意味する「おほち(おおち、島根県の邑智郡など)」あるいは「あふち(おうち、凹地)」に由来しているものもあるという説もある。それによれば窪地であるから「おおち」と呼ばれた、あるいは高いところから窪んで急に落ち込んだ坂のことを「おおちの坂」と呼んだことからついた地名である。(地名の王子)

而して御子神とは、その神名が示している如く「神々の神子」と云うことであって、古く巫女のことをミコと云うたのも、又此の意味に外ならぬのである。(日本巫女史/第二篇/第三章/第二節

巫女神は御子神に通じ、王子へと変わったんだろうか(´・ω・`)?


「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 」
って誰かの和歌があったなぁと思いつつ、結局、田子の浦を見ずに過ぎてしまった。

東田子の浦駅、立圓寺?
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道祖神、常夜燈、広沼橋・昭和放水路
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道標?、道祖神、地図
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昔、沼川から浮島の一帯は沼地で水害と飢饉が酷かったらしい。
天文堀という排水路を作ってその水害を防いだ高橋勇吉という人の碑らしい。
高橋勇吉の天文堀

高橋勇吉の碑、常夜燈
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全く知らなかったけど、富士市は豊富な地下水を利用した製紙業が盛んらしい。

煙突から煙がモクモク。日本製紙かな?
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鳥、大昭和紙工産業社宅横の公園、観音様?
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「シャディは一冊の百貨店~(・∀・)♪」が建物としてあった。
ただの通販会社じゃなかったのかΣ(゚∀゚;)

河合橋、沼川x2
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171号線から139号線に入り、1号線の高架の下辺り。
向こうに見えるバイクに乗った警察官x3

なんかどっかで見たことあるなぁ…などと思いつつ先を急ごうとする。
突如、前方で行く手を遮る3つの影Σ(゚∀゚;)

「ちょっとお話いいかな?(・∀・)∀・)∀・)」

工エエェェ(´д`)ェェエエ工
人生で初めて職務質問を受けた…orz

確かにどでかいリュックをかついで03esのGPSを覗きつつ歩く様は
怪しかったと思うが(w

まあフランクというかフレンドリーというか、一定のラインを
失わない程度の口調での質問で、別段もめることもなく終了。

たまーに密着警察24時とかで紹介される富士市のバイク警察官だな。


東海道で唯一左側に富士山が見える地点・左富士
この旅で富士山がまともに見れた記憶がない(´・ω・`)

こことか平家越えの碑の辺りだったかでしばし休む。
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吉原宿

吉原本町は韓国人が多いのか、やけに韓国料理屋とキムチハウスやらが多い。
韓国人向けの服屋もあったような。

なにやら怪しい建物(*´・ω・)、道x2、看板、吉原本町駅付近?x2
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足がムチャクチャ痛かったので、ガイドブックに載っていた鯛屋旅館に素泊まり。
今から考えてみると飛び込みで旅館に泊まろうとするのは無謀だったなぁ。

飛び込みで泊まった所為か、ちゃんとした部屋じゃなかった感じがした。
部屋の向い?に洗濯機置き場があり、洗濯や人の往来がすごい二号という
部屋だった。隣が一号、その隣が牡丹とあったから、普通は泊めない部屋なの
かもしれない。

階段下にあったサイン?寄せ書きから推測すると、日頃は運動系サークルが
合宿などで利用するところなのかもしれない。
洗濯と人の往来の激しさはそういうことだったのではないかと思う。

宿についてから一時間ほど寝てしまう。19:30ころ起きて、素泊まりなので外へ行く。
もしかしたら宿内の食堂で別料金で食べられたのかな?

が、この商店街にまともというか独り客がふらりと立ち寄るようなチェーン店はない。
韓国焼肉か串焼き、飲屋、キャバ、タクシーである。
店を求めて裏通りにいけば、「おにーさん、おにーさん」と店の中にいたおねーちゃんに
声をかけられる。

そのまま無視して通りを進み、なんとかあったのはセブンイレブン。
それもなにかと思い、もう一度戻るもとくになし。

結局反対側のバスターミナルにあったミスドで飲茶。
黒チャーハンと金胡麻坦々麺?前者はまぁまぁ食べられた。

部屋に戻り風呂。三人ならんで入る感じ。

鯛屋旅館
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寝たり起きたりして朝の5:30くらいに出立。
東海道の旅ということで旅館の人が火打石を打ってくれた。

約25km 53370歩?

382-25=357

品目 金額 備考
昼食 590
夕食 780
ジュース類 430
鯛屋旅館 3450
累積使用金額 27,109円 残り: 357km

12.沼津宿~原宿

12.沼津宿(2007.11初旬)
最寄駅はJR沼津駅。街道よりちょっと北にあるので寄らずに通過した。

かつては三枚橋城・沼津城の城内であったらしい川廓町を抜け、159-160-163号線へ。
今川以降に武田勝頼が沼津を治めていたとは知らなかったなあ(・∀・)

箱根の早川にも三枚橋という地名があったからなんか関係あるのかなと
思いぐぐったが、さしたるつながりも見つけられず(´・ω・`)
箱根の早川に関しては

小田原北条氏時代、早川の川幅は今よりずっと広く、中州が2つあって、三枚の橋が架かっていました。山に向かって地獄橋・極楽橋・三昧(さんまい)橋と呼ばれました。(橋は一つでも三枚橋

ということらしい。

さらに「枚橋 由来」でぐぐる。

かなわぬ恋のすえ、庄屋の息子と山守の娘が野川に身を投げ、その霊が大蛇に化けて幻の橋となって、人々を惑わした。これを哀れんだ庄屋が、大木を挽き割り、二枚並んだ立派な橋を造って、供養したといわれている。(1.二枚橋の坂

大根塚の町名の由来
昔はこの川には橋がかがっていながった。皆不便で仕方がねえがら、五軒の人達が一枚ずつ板を持ち寄って橋をかげだ。だあがら、この橋を「五枚橋」と呼んでなあ。(大根塚の町名の由来

六枚橋(ろくまいばし)
石の橋を横並びに6枚渡していたことが名の由来とされており、現在もバス停の名称にその名を残している。(岡山市立中央公民館ホームページ

という類似の地名やその由来から考えると川の近くにはありがちな
命名なんじゃなかろうかという気がしてきた(w

※ほとんどデッドリンクになってた。公共機関のWebサイトって一般人のサイトよりも永続性というか信頼性が低いなw


浅間神社、ジブリな幼稚園、間門八幡?
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街道沿いよりもうちょっと南に行けば千本松原があったようだけどもスルー。
道x2、銅像
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間門橋、新中川、間門って横浜の磯子区の辺りにもあったなぁ。
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厚見~という会社やら商店をよく見かけたので沼津市には厚見姓が多いのかと
日本の苗字7000傑で調べてみたが、

6823 厚見 約1,300 河内発祥、厚見連の裔。美濃、筑前にも存す

という結果だったので、あんまり沼津とは関係ないのかな?

途中で見かけた何処かの空手道場?の看板・孫悟空。
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道は東田子浦手前あたりまでひたすらにまっすぐで飽きた。
途中で家の前に腰掛けてたお婆ちゃんと言葉を二、三交わしたような…。
なぜか南側に自販機が少なかった記憶がある。

脚疲れ腹減れども飯屋はほとんど見当たらず。
「このままじゃ死んじゃう(´・ω・`)」と当時は思って歩いていたが、
今地図ソフトでルートを確認してみると、コンビニや
片浜駅近くの西友などの休憩ポイントは一応あったようだ。

脚を休ませたくてコンビニでの食事を避けたんだったかな?
北側の工場地帯と山裾を見てこの辺は何もないんだなと早合点してたのもある。

松長一里塚、道、白隠禅師誕生之地
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三島-沼津-原間はそれぞれ6km弱なのでお昼過ぎくらいには原宿に到達した。

11.三島宿~沼津宿

11.三島宿(2007.11初旬)

最寄駅はJR三島駅。実際にはちょっと南に歩くので
三島広小路駅が一番近いような気もするが、大した距離ではない。

雲が多かったが概ね晴れの一日だった。
七時過ぎにチェックアウトし、白滝公園内をちょっと観てから
通勤通学の人々を眺めつつ三嶋大社へ。
楽寿園の方も観ておけば良かった。

せせらぎロードに沢山居る鴨たちが可愛いかった(・∀・)
あきんどくん、からくり人形「めぐみの子」、白滝公園の鴨、鳥x3
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通勤通学の人達が多いので三嶋大社で時間を潰してから
出発することにする。21号沿いから入る。

21号沿いの鳥居、狛犬x2、三島七石の一つ・たたり石、境内x2
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考えてみると本殿を観なかったような。

昨日の終了地点から出発。22号線を進む。
水飲み場のつるべっ子のちょっと先に24時間営業のマックスバリュー。
トイレポイント。

三嶋大社南の道路、問屋場址、からくり人形「つるべっ子」x2、変な看板?
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三島広小路駅横の踏切を越し、145号線へ。
秋葉神社、千貫樋、一里塚などなど通り過ぎる。

秋葉神社、常夜燈、道、玉井寺一里塚x2
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白隠遺墨
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白隠って誰だべ(´・ω・`)? 

百年に一人の名僧とまで言われ「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」などと謳われた(白隠慧鶴

聞いたことあるような、ないような…一休さんみたいな人か。

この「には過ぎたるものが」というフレーズは他でも聞いたなと思ってぐぐったら、
「過ぎたる物が二つあり」なんてページがあった。
「三成に過ぎたるものが二つあり 嶋の左近に~」は漫画版の影武者・徳川家康で
目にしたような。


1号線を横断し、そのまま145号線を進む。
この頃はまだ体力に余裕があったのか、八幡神社など適当に
寄ったりした。

頼朝と義経が初めて対面した場所らしい。

郷社八幡神社
一の鳥居?、二の鳥居?、道祖神?
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対面石、奇石窓神くしいわまどのかみ豊石窓神とよいわまどのかみ
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八幡神社からちょっと先に進むと智方神社がある。
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智方さん
 智方神社は道祖神的な性格が強い。長沢智方神社の、祭神のうちに、予母都道守神菊理比神
(よもつみちもりのかみきくりひめのかみ)がある。予母都道守の神は、その名が示すように道を守る神である。即ち旅人の安全を守る神である。
(略)
智方神社は祭神から考えても、神域が駿豆国境の黄瀬川河畔にあることと相まって、道祖神的信仰から、「性の神的」信仰につながり、沼津方面の水商売の人達が多数参拝するようになり、多額の賽銭を奉納する人もあるようである。(智方神社

八幡神社とは何か違う雰囲気だったのは祭神の違いから来るのかな。


黄瀬川橋を渡り沼津市へ。やがて380号線へと合流。

黄瀬川、黄瀬川橋
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従是西 沼津領、西友、看板
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なんでこんな写真を撮ったのか悩んだが、よくよく見ると五重塔らしきものが
写ってる。香貫山の五重の戦没者慰霊塔なのかな?
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日本三大仇討ちの一つである「伊賀越道中双六」に関係してるらしい平作(へいさく)地蔵
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「曾我兄弟」以上に聞いたことがないな(´・ω・`)
Wikipediaによると

寛永7年(1630年)7月11日、岡山藩主池田忠雄が寵愛する小姓の渡辺源太夫に藩士河合又五郎が横恋慕して関係を迫るが、拒絶されたため又五郎は逆上して源太夫を殺害してしまった。(鍵屋の辻の決闘

衆道ネタかよ_| ̄|○

それはあんまりメジャーにはならないわな(´・ω・`)
※追記 「かたき討ち」という本を読んだらあるわあるわ、衆道かたき討ち話が(w


一里塚、川廓通り

沼津城ってあったのか
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