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イメージの〈ない〉世界に生きる アファンタジア / 髙橋純一, 杉村伸一郎, 行場次朗

「バナナ」を頭の中で描こうとしても暗闇が広がる――〈感覚イメージ〉が浮かばない特質,アファンタジアとは。当事者の語りを通して,アファンタジアの気づき,仲間の存在,補償の戦略,選択の分岐点など,彼らの日常生活がどのようなものであるのか,そして個人の主観的体験であるイメージ世界がいかに多様であるかに迫る。

amazon kindle版を2900円くらいで購入。
本当はアラン・ケンドルの『アファンタジア: イメージのない世界で生きる』を先に読みたかったが、電子版はなかったのでこちらを読んだ。

  1. アファンタジア研究の経緯と現状
  2. アファンタジアの人たちのエピソード
  3. アファンタジアとファンタジアの対話
  4. アファンタジアの人たちのライフストーリー

という四章立ての構成。

専門家でもないので誤謬を含む表現になってしまうのだけれども、端的に言うと、
ファンタジア=脳内で画像等を思い浮かべたり、動かせたりする人(敷衍して五感記憶の再現・それを活用した想像/創造活動ができる人)
アファンタジア=それができない人(現在、4%の出現率と推定されている。)
といったところであろうか?

敷衍してというのは、始まりは視覚イメージ関連で発見されたことではあるが、現在では視覚以外の感覚においても区別があることを踏まえてのこと。

正直なところ、アファンタジアそのもの、つまり何故そうなるのかというような明確な医学的乃至科学的な知見が得られる内容ではなく、ノーマルという表現は好ましくはないが、ファンタジアと定義されるであろう大多数の人達が読んでも、ふーん( ゜σ・゚)ホジホジくらいの感想が残るだけで、余りピンと来ないかもしれない。

アファンタジアという概念の提唱がされたのが2015年とほんの10年前のことであり、徐々に研究や周知が進んではいるものの、まだまだ明確と言えるほどの完全な定義も無く、一般的な概念とも言えない状況なので、この本は概念の周知と現段階の状況報告と将来への展望を書いた内容といった程度の受け止め方で終わってしまう可能性が高い。


が、しかし、アファンタジアの人が読めば、かなり面白いというか、色々と今までの人生の出来事や自分の思考や物事に対する試行に合点がいったり、様々な共感を覚えることは間違いない。

何故にそう断言出来るかと言えば、俺氏もおそらくアファンタジアに分類される人間だからである。

もっとも、完全に視覚イメージを創造できないアファンタジアではなく、そのグラデーションの中間に居るハイポファンタジアであろうと思われる。


ハイポファンタジアの定義はaphantasia.comのトピックでは、

Hypophantaisa is characterized by a low visual imagination.
Hypophantasia

とあり、"視覚想像力が低い"といった感じであろうか。

ただ、今現在の評価基準的なものに基づいた曖昧模糊な画像イメージしか出来ないタイプと若干異なっているのか、輪郭等ははっきりとしているが、それはコンマ何秒といったフラッシュ的表示であり、そのイメージを維持出来ない感じである。まあ、瞬間表示の為に細部までを見ることが出来ないので、これを曖昧模糊と表現しているのであれば、まあ普通の(?)ハイポファンタジアなのだと思うw

俺氏の実体験の話はこの本自体には関係ないので後回しにするが、ハイポファンジアについは、redditのトピックを読んだ方がわかりやすいかもしれない。
部分的なアファンタジアってあるのかな?
私ってアファンタジア?それともハイポファンタジア?それとも何?

一つ気になっているのは、アファンタジアの出現率4%というのはハイポファンタジアを含めてのことなんだろうか?
ハイポファンタジアってもっといそうな気がしないでもない。 ← ゾンビみたいに仲間を増やしたい勢(・∀・)


本の内容については上述した通りなので、その辺を踏まえた上で"アファンタジア"と言う聞き慣れぬ単語(概念)について興味を持った人が手に取れば良いと思う。

まあでも、小中高の教育関係者辺りに手に取って欲しいかな?
参加者の人達も言及していたけれど、俺氏もアファンタジアという概念を知り、過去を振り返って色々と答え合わせ(?)をした結果、最初に頭に浮かんだことは、「ある程度歳がいった人達は今さらジローなので放って置くにしても、これから育成される子供達に対しては何等かの検査によって特性を明らかにし、その特性に応じた対処と指導を行った方がベターなのではないのか(´・ω・`)?」ということ。

或いは知能や行動におかしなところはないけれど、何か違った感じがする子供を持つ親御さんが読んでみるのもいいかもしれない。


構成というか表現技法について、少しだけ不満があるとすれば、座談会の参加者の識別表記の点について。

各人に"アファンタジア"と"ファンタジア"という注釈をつけるのは、その両者が存在する章では非常に効果的で良いアイディアではあると思ったものの、"アファンタジア"しか出てこないところで、その注釈は必要なのだろうかということ。

表現的にも文字注釈ではなく、"アファンタジア"は現在のまま、"ファンタジア"は白塗り黒文字や白塗り斜線等に変えた方が一見して区別ができ、脳の解釈コストも減るのではないかなとも思った。印刷コストは変わらないだろうけどw

加えて言うと、"アファンタジア"という注釈よりも、各人の属性注釈(性別、年代、職業分類等)を入れてくれた方がより読みやすくなったのではなかろうかと。或いは最初に発言者の属性を一覧にしておくとか。

もちろん、発言内容を読めば、発言者の識別は可能なのだけれども、イメージというか存在を想起・維持しにくい人間からすると、その度にこの人は誰だっけ?となりがちだったw

まあ、俺氏の記憶力が低いのが問題なのかもしれないが(ノ∀`)

関係ないが、たまにSNSとかで登場人物推理小説や長編小説の紙本で登場人物紹介や地図等が載っているしおりがついていて高評価を受けてたりするが、あれは便利であるなと思うのと同時に、あの人達は単純に記憶するのが面倒な人達と記憶力系が低めな人達とアファンタジア乃至ハイポファンタジアの人達とに分けられるのかもしれないなとも思った。

あと、もう一つ気になったのが、途中で「抽象度を下げる」という表現があったけれど、抽象度を下げると具体度(?)が上がるから、「抽象度を上げる」の間違いなのかなと思ったけれど、
文脈を読み違えただけかもしれない。


↓ 以下は書評とはあんまり関係ない話(・∀・)

"脳内世界"に生きる我ら
俺氏の世界観というか世界そのものの認識は、「人は皆、共通の物理世界に存在し、それぞれの"脳内世界"に生きている」である。

物理世界は実際に存在していて、我々人間もまたその一部である。
しかしながらにして、その個体が見ている世界、聞いている世界、触ってる世界、嗅いでいる世界、味わってる世界は他の個体のそれと完全に一致することはないし、物理世界そのものと同一とも考え難い。

何故なら、人間は各個体の感覚器官というセンサーによって物理世界と接触し、それが各個体の神経によって信号伝達され、脳によって解釈されるからである。

その個体の感覚器官の感度や神経の信号伝達の性能差、記憶されている知識や経験や情動に大きく影響される脳による解釈の違いによる演算結果である個体独自の"脳内世界"は他の個体のそれと完全一致することがない。

そのために我々の個体間コミュニケーションでは多寡に関わらず、常にズレが発生し、それが積み重なったり、極度に大きい場合、個体間でのトラブルへと発展する。

と言ったところが以下の文の大前提(・∀・)


"障害"か"特性"か

本書では、極力、アファンタジアは"障害"ではなく、"特性"であるということを強調している。

これは中々難しいところだと思った。
"障害"という語の定義が辞書の「正常な進行や活動の妨げとなるもの」であるとした場合、これを人間の生命活動、それを維持する為に必要となってくる集団への参加、学習や労働などの社会的活動に適用した場合、社会的活動の妨げになるものということになる。

本書で登場したアファンタジアの人達の話を読めばわかるが、ファンタジアと同様の環境適応はしていないが、それぞれが自己で考えて方策を立てて環境適応し、社会的活動を問題なく遂行している。つまり"障害"ではないということになる。

← これがアファンタジアが十数年前まで学術的に発見されず、今日でも余り一般的な概念になっていない一因ではあるのだがw

ただ、これが他の要素と絡んで、方策を立てられず環境適応できない人や他の障害として分類されてしまって、そう思い込んでいる人も中には居るのかな?と思うと"障害"という分類もまた一概には否定できないのかもしれない。


教育界での啓蒙
繰り返しになってしまうが、本書内の座談会でも何度か言及されていたけれど、俺氏も「あれ、俺氏、アファンジア(´・ω・`)?」って気がついたあとに考えたのが、教育機関での早期発見(?)と対策の確立である。

俺氏は昔から絵が下手だった(´・ω・`)
特に遠足とかに行った時を思い出して描く絵とか何かを想像して描く絵とか。
だからずっと絵からは遠ざかっていたw

で、たまたま、おっさんになった頃に「誰でも30分で~」みたいな模写して絵を描くみたいな本を読みながら描いてみた。

そうしたら、決して上手いとは言えないが、人並みの下手さくらいの絵が描けた。
かつてフリーハンドで描いていたような、クリーチャーみたいな絵にはならなかった。

座談会のエピソードを読んで、これは脳内に視覚情報を反復して記憶ができていないことと安定したイメージを浮かべることができないことにより、脳内イメージの脳内模写ができないことに起因することなんだなということに気づいた。

俺氏はもうおじいさんに近づきつつある良い歳になってしまったので今更どうでもいいのだけれども、でもその頃はやっぱりそういう分野での劣等感は抱いていた気がする。

こういう余計な劣等感等を生み出さないためにも、特性のある子には脳内イメージを利用しなければならない課題の時には写真なりお手本の模写で済むような選択肢があってもいいのかなと。思い出の作文等に関しても何か考慮すべきかも。

今はダンス必修でみんなやらされているようだけれども、座談会でのエピソードを読む限りではこれも同様になんらかの選択肢が必要だと思った。

加えて言うならば、絵画、工作、ダンスは視覚アファンタジア(ハイポファンタジア)の問題であるけれど、音楽等においては聴覚アファンタジア、調理等では嗅覚アファンタジア、味覚アファンタジアが問題になってくるかもしれない。

ただ、どうやってそれを判定するのかが難しい。
視覚と聴覚は比較的判定が出しやすいが、その他の三感は判定しにくいだろう。

それ以前に、色覚検査ですら実施されなくなっている現状において、アファンタジア検査なんて夢のまた夢なのかもしれない。

取り敢えず、教育関係の人達にこういう概念・特性が存在があることを地道に啓蒙していくのが今出来ることか。

関係ないが、人が絵を描くには、手続き記憶的に身体に覚え込ませるのと、実物脳内に関わらず模写の2つということなんだろうか?


俺氏の特性

余り需要はないと思うが、いつかこのページに辿り着いたハイポファンタジアの人の為に記す。
知ったところでどうという話でもないけれどw
他にも似たような人がいるよということで。

取り敢えず、視覚については上述の通り、一瞬だけ表示されるようなタイプ。
人の顔をあんまり見て話さないこともあり、余り人の顔は覚えていないが、その人を眼の前にしたら認識はできるので、相貌失認ということではなさそうである。

尚、一瞬だけ表示されるイメージはリアルタイムで取得した画像データではないような気がする。
何か写真等で何度も見た画像を引っ張り出して来ているような気がする。
或いは写真のような平板なイメージ。

座談会の話でちょっと面白いと思ったのは、余り関わりがない人については歩き方や体型、服装、声、話し方で判別することが多いという点。俺氏も結構そういう風に判別してたような気がするw

だから髪型とか服装、遭遇した場所が異なると一瞬誰かわからなくなることがあるw

若い頃、街で可愛い子や美人を見た時、多少の朧気な輪郭レベルのイメージ記憶もあった気がするが、完全な記憶としては文字記録で「可愛い子(美人)を見た」という感じであった。

飲み会や旅行の記憶は、かなり印象的であったり楽しかった時は朧気ながらにイメージの記憶があるが、完全な記憶としてはやはり会話内容とか身体接触や配置といった別の感覚による記憶である。


小説の情景描写は確かに結構辛い。
『指輪物語』の最初の方の巻は読むのが凄く苦痛だったw
話の内容は凄く良かったけど。

人物の容姿の描写もかなり厳しいw

聴覚は特に問題なく人や音楽の再生はできる。
自分の声ではなく、その発声者の声で。

嗅覚味覚触覚痛覚についてはかなり限定的か皆無に近いかもしれない。


夢は普通に見る。色はついている。

  1. 寝入りばなに脳が興奮状態か何かだと頭の上(前頭葉?)辺りで赤い光が明滅する時がある。
  2. 全く意図していない、見た記憶がない人の姿や風景がフラッシュ表示されることがある。
  3. 風でそよぐ草原を見たことがある。

おそらくこれは半分意識が残ってる状態で夢を見ているのではないかと思うw
全く自分でイメージしようとしているわけではないのでw

脳のイメージで使う機構と夢を見る機構はきっと違うんだろうな…( ゜σ・゚)ホジホジ


雑感(・∀・)
アファンタジアという特性は実は意外と根深い問題なのではないかと思った。

他の要素の絡みはあると思うものの、実は"メシマズ"と呼ばれる料理下手な人の根底に嗅覚味覚特性が横たわっていたりするかもしれないし、多くはADHD由来であると思われる"汚部屋"の住人達も視覚特性が拍車をかけている可能性もある。

本書でも"薄情"といった他者からの評価などがあったが、概念・特性を知らぬままに生活を共にしていったが為に、P-APの親子関係や友人関係、教師生徒関係、上司部下/同僚関係での齟齬や諍いが起こり、その結果としての精神や思考への負の影響が発生し、関係の悪化や断絶、或いは人格障害への発展といったことも考えられる。

上述した"脳内世界"で言うと、脳の解釈段階で用いられる経験記憶を蓄積する段階で特性が大きく働くことを踏まえると、余り軽視はできに気がする。まあ"脳内世界"というのは俺氏のただの戯言なんどけもw

兎にも角にも現段階で言えることは、アファンタジア(ハイポファンタジア)の概念を一般社会に広めることが肝要なのかな?

考えるのに疲れたからもういいや( ・∀・)

適当にテレビ等で観た映画やらドラマなにやら(77)

チアガールvsテキサスコップ

殺人事件を目撃したチアガールたちを犯人から守るため共同生活をするハメになり、ジェネレーション・ギャップに頭を悩ませるカタブツ警官を描いたアクション・コメディ。
 堅物なテキサス・レンジャーのシャープはある日、組織犯罪の重要証人を何者かに殺されてしまう。そして、その殺人現場をチアガール5人組が目撃していた。そこでシャープは、彼女たちを守るため女子寮で共同生活をすることに。しかし、この厳格な中年男は、自由奔放な女子大生たちに戸惑い、反発され、翻弄されるばかり。それでも、両者の間には次第に信頼感が芽生えていく。だがそんな中、彼女たちをつけ狙う殺人犯の魔の手が徐々に忍びよっていた…。

2005年製作。GEOレンタルで観た。
日本劇場未公開作品?

よくある常識(堅物、古い)vs自由(新しい)みたいな対立要素が衝突を繰り返すうちに互いに影響しあって変化していくという、ちょっと在り来りな感じで盛り上がりに欠けてたような気がするけれど、それなりには楽しめた。

チアリーダー達のお話なので若干露出多めの服装だったりしてたけど、別段セクシーな感じでもなく。

まあトミー・リー・ジョーンズが好きなら観たらくらいかなぁ?

地球人のトミー・リー・ジョーンズ。
宇宙人のようなチアリーダーズ。

踊れトスカーナ!

イタリア、トスカーナ地方の田舎町で会計士として働いているレバンテ(レオナルド・ピエラッチョーニ)。素人画家の弟、リーベロ(マッシモ・チェッケリーニ)、レズビアンの妹、セルバジャ(バルバラ・エンリーキ)と父親と共に町外れの農場で暮らしている。ある日、スペインからやってきたフラメンコ・ダンサーの団体が道に迷ってレバンテの家へやってきた。マネージャーに懇願され、一家は彼女たちに一夜の宿を提供することに。

1999年日本公開。GEOレンタルで観た。
原題の"Ll Ciclone"が示すように、田舎町に住むレバンテに起きたサイクロンのような出来事についてのお話。
まあレバンテがやってきたフラメンコダンサーに惚れてなんやかんやってだけの話です(・∀・)

まあそれなりには楽しめたので、嫌いじゃないです。
カテリーナ役のロレーナ・フォルテーザは好みではないけれど、美人だったし、フラメンコの音楽も良かった。
あとリーベロもおかしい弟だったけど、セルバジャもおかしくて面白かったかなw

これって結構なヒット作でイタリアの歴代興収トップ10に入っていたことあるんか。

レバンテ役のレオナルド・ピエラッチョーニが原案・脚本・監督を兼任してた模様。
ロレーナ・フォルテーザはこの作品の後に体型変化して色々大変だったのかな?

心を鷲掴みされるようなことはなかったが、悪くない作品だった(・∀・)

みんなちょっとずつおかしいファミリーw
フラメンコシーン。太極拳ではない。

マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと

子育ての予行演習のつもりで、ラブラドール・レトリーバーの子犬を飼い始めた新婚夫妻のジョンとジェニー。マーリーと名付けたその犬のやんちゃな振る舞いに、さんざん手を焼く2人だったが、いつしか喜怒哀楽を共にするかけがえのない存在になっていく。

2009年日本公開。GEOレンタルで観た。
もっと面白くて、感動できるような作品なのかなという期待が大きすぎた為か、なんかうーん(´・ω・`)って感じになってしまった…

マーリーは最初の方はそれなりに話に関与してたけど、途中から存在感がなくなってしまうし、そもそも何を教わったんやろかというくらいの薄い関わりだったような気がしないでもない。

つーか、原題は"Marley & Me"だもんな…
また配給会社が余計なことしたんだな(´・ω・`)

まあそれでも、愛犬家や結婚して家庭と仕事を両立して子供を育ててる人なら、色々と共感したり、感じ入るポイントがそれなりにあるのかもしれない。俺氏には無縁だが(・∀・)

なんでこれ借りたんだろ…別に犬好きってわけでもないのに……

『ベルとセバスチャン』を借りた時についでに借りたんだったかな…?
ジェニファー・アニストンも出てるから観てみようと思った可能性が高いな…

途中で出てきた、ドッグシッターの女の子が可愛かった。
多分、デビーという役で、ヘイリー・ハドソンという人かな?

まあ、何はともあれ、そんなに合わんかったわ。

ノースリーブメガネっ娘(・∀・)
マーリーを演じた犬って22匹もいたんかい Σ(゚∀゚;)
チャトランどころじゃねぇヽ(`Д´)ノ

エージェント・ウルトラ

CIAが極秘裏に行っていたと言われるマインドコントロール・プログラム「MKウルトラ計画」を題材に、ダメ男が最強エージェントとして覚醒することから起こる騒動を描いた。日々をのらりくらりと過ごしてきたダメ男のマイクは、恋人フィービーに最高のプロポーズをしようと決心するが、なかなかうまくいかない。そんなある日、アルバイト先のコンビニで店番をしていたところ、謎の暗号を聞かされたマイクは、眠っていた能力が覚醒。スプーン1本で2人の暴漢を倒してしまう。実はマイクは、CIAが極秘計画でトレーニングされたエージェントだった。マイクは、計画の封印を目論むCIAに命を狙われることになるが……。

2016年日本公開。GEOレンタルで観た。
設定とかテンポとかヴィランのキャラとかがいまいちあんまり合わんかったわ(´・ω・`)

もう少し匂わせを微かにするとか隠蔽してくれないと展開がわかっちゃうよねとも思った。

マイク役のジェシー・アイゼンバーグは『ソーシャル・ネットワーク』でザッカーバーグ役をやっていたみたいだけど、あれも観てないな…

フィービー役のクリステン・スチュワートも知らんなぁと思ったけど、『パニックルーム』の娘役のサラ、『ザスーラ』のお姉ちゃん役のリサか。

焦点を話してる人だけに合わせるのは意図的なんかな。
特に何かに機能してるような気がしなかったけど。

アダムス・ファミリー

人里離れた山奥で結婚式を挙げたモンスターのゴメズとモーティシアは人間たちに故郷を追われ、丘の上の荒れ果てた屋敷にたどり着く。時は流れ、夫婦は長女ウエンズデーと長男パグズリー、執事ラーチとともに平穏な日々を過ごしていた。そんな中、パグズリーが一族にとって重要な儀式である「セイバー・マズルカ」を親戚たちの前で披露する日が近づいてきて……

2020年日本公開。GEOレンタルで観た。

実写版を借りたつもりが、アニメ版だったわ(ノ∀`)

キャラや造形等で最初はつまんないなあと思いながら観てたけど、まあウエンズデーが動き始めてからはそれほど退屈はしなかったかな。

最後はみんな丸く収まったのは良かったけれども、若干、安易な説教的な雰囲気はあまり受け付けなかった。

元は一コマ漫画だったということは始めて知ったわ。

うーん、まあ、特に感想らしい感想がない(ノ∀`)

無駄に縦長なキャラ達。

恋に落ちたシェイクスピア

16世紀末のロンドン。人気劇作家シェイクスピアはスランプに陥っていた。ある日、彼の新作のオーディションにトマスと名乗る若者がやって来る。実はトマスは、裕福な商人の娘ヴァイオラが女人禁制の舞台に立つために男装した姿だった。逃げるように去ったトマスの後を追って商人の屋敷に潜り込んだシェイクスピアは、そこでヴァイオラと出会い恋に落ちる。しかし彼女には既に、親によって定められた婚約者がいた。燃え上がる恋心に創作意欲を刺激され、新作「ロミオとジュリエット」を書き上げていくシェイクスピアだったが……

1999年日本公開。GEOレンタルで観た。
話の流れで『ロミオとジュリエット』が出来上がっていくところは面白かったかなぁくらい。

アカデミー賞ペロペロ作品なのか Σ(゚∀゚;)

恋愛映画が好きな人なら感動する感じなんやろか…
最後、エリザベス女王がデウス・エクス・マキナ的にハッピーエンドにしちゃうのかと思ったけど、さすがにそれはなかった(ノ∀`)

出てる人達、良う知らんなぁ…( ゜σ・゚)ホジホジ、グウィネス・パルトローは名前は知ってるけど、出演作は観たことないかなと思ったが、『アイアンマン』シリーズのペッパー・ポッツか(ノ∀`)

まあ、恋愛映画が好きだったら観たらくらいかなぁ。

男装好きだけど、髭はちょっと…(´・ω・`)

適当にテレビ等で観た映画やらドラマなにやら(76)

氷の微笑

サンフランシスコ。ナイトクラブを経営する元ロックスターの男が自宅の寝室で惨殺された。刑事ニックは被害者の恋人で事件当時のアリバイが不確かな作家キャサリンを尋問するが、ミステリアスな彼女に翻弄され、捜査は難航する。キャサリンの抗えない魅力と刑事としての使命との間で、深みにはまっていくニック。そんな中、さらなる殺人事件が起こる。

1992年公開。GEOレンタルで観た。

なんか濡れ場シーンは何回かあったような…
円形ぼかしが酷かったw

つまらなくはなかったけど、あんまりニックに思い入れもなかったから、ふーん( ゜σ・゚)ホジホジって感じで観終えてしまった。ニックってマイケル・ダグラスだったんだな。

シャロン・ストーンの顔は
まだラーニング出来ていない(´・ω・`)
こんな感じのいちゃいちゃシーンが何回かあった。

コイサンマン2

カラハリ砂漠。ニカウと共に食べ物の収穫に出かけた彼のふたりの子供、キサとキリは、象牙の密猟者のトラックを見つけそれに乗り込むが、その時車はふたりを乗せて走り出すのだった。慌ててニカウは、必死でそのトラックを追いかける。一方、ニューヨークから国際会議に出席するためにアフリカにやって来た弁護士のアン(レナ・ファルジア)は、ひょんなことから動物学者スティーヴン(ハンス・ストリドム)の運転するセスナ機に乗るが、途中嵐にあい、機が故障してしまう。そして修理が終ったものの、機はスティーヴを振り落とし、アンだけを乗せて飛びたつのだった。

1989年公開。GEOレンタルで観た。
借りたDVDでは『コイサンマン2』だったけど、公開時は『コイサンマン』だったとかどうとかで、なんだか面倒くさいw

原題は『The Gods Must Be Crazy Ⅱ』と前作のネーミングに従ってるのにw

今回も前作と同じ感じ。
白人の男女が砂漠から帰って来ようとして苦労する軸に、ニカウさんの子供達が行方不明になってそれから帰って来ようとして苦労する軸、内戦だかなんだかで対立する兵士、密猟者、ニカウさんがその辺に絡む展開。

前作よりも恋愛要素が薄く、発生するイベントも小ぶり、子供達のシーンが長い割に冗長ということもあり、若干、いまいちだったような気がする。個別レベルでは笑えるシーンもあったのだけれども。

アン役のレナ・ファルジア。
ニカウさんは最後にちょっと活躍するくらいだった。

バタリアン2

軍トラックがゾンビ・ガスを運送中、ドラムカン1つを落して走り去った。ジェシー(マイケル・ケンワーシー)ら3人の少年がそれを見つけた。ジェシーを除く2人はカンを叩き、もれたガスを吸い、やがて変身していく。ガスは墓場へ流れ出し、雨が降ってガスは地中へ。おかげで死人が甦えった。納骨堂に死体を盗みに来ていたエド(ジェームズ・カレン)、ジョーイ(トム・マシューズ)と彼の恋人ブレンダ(スザーン・スナイダー)は死人に追いかけられ、ジェシーの家へ逃げ込む。ジェシーの話を信じなかった姉のルーシー(マーシャ・ディートライン)、TV修理屋トム(ダナ・アシュブルック)も、死人の群れを見て、あわてて逃げ出す。

1987年公開。GEOレンタルで観た。

前作の路線とは全く異なり、少年が主人公の普通(?)の少年冒険譚みたいな感じの作りだった。

まあつまらなくはないけれど、前作のような勢いは感じられなかった。

一応今作ではバタリアンを倒す方法が出てきた。

ジェシーを演じたマイケル・ケンワーシーは元々CM子役で活躍していて、何本かの映画を出た後に進学に絡んでプロデューサーと険悪となって、仕事が来なくなった感じなのかな?

ルーシー役のマーシャ・ディートラインはコンスタントにテレビやテレビ映画、映画に出演していたみたいだけど、他の出演作品は観たことないな。

一応、GEOで3-5作があるみたいだけれども、まあ気が向いたら観てみようかな程度だなw

ジェシー役のマイケル・ケンワーシー。
サービスシーンはルーシーのレオタード姿くらいですかね。

ミセス・ダウト

声優のダニエル(ロビン・ウィリアムズ)は仕事中にボスともめ、クビになる。妻ミランダ(サリー・フィールド)は、長男クリス(マシュー・ローレンス)の12歳の誕生パーティで子供や動物たちとバカ騒ぎをしたダニエルに、離婚を宣言する。裁判の結果、養育権はミランダのものとなり、ダニエルは週に1度しか彼らに会えなくなった。ミランダは留守中に子供の世話をしてくれる家政婦を雇う新聞広告を出すが、それを知ったダニエルは、オカマで映画の特殊メイクアップ・マンの兄フランク(ハーヴェイ・ファイアスティン)の協力で、初老のイギリス夫人に変身。ミセス・ダウトと名乗ってミランダを訪れた彼はすっかり気に入られ、家政婦として雇われる。

1994年日本公開。GEOレンタルで観た。

それなりには面白かったんだけど、ダニエルのキャラがあんまり好きになれず、ちょっといまいちに思えた。

ミランダの新しい恋人(昔からの知り合い?)のスチュアートが凄く良い人だったのに、ダニエルは嫌がらせを繰り返し、最後も何のフォローもなかったのがなんだかなぁとも思ったw

Wikipediaの項目には最初の脚本ではこの手の話にありがちな裏表のある嫌なやつだったらしい。

吹き替えで観てしまったからロビン・ウィリアムズの声色の使い分けの凄さについてはわからない(ノ∀`)

特殊メイクは凄かった。

ジングル・オール・ザ・ウェイ2

気立ては良いがおっちょこちょいのラリーは、娘ノエルと過ごす時間を大切にしていた。しかし、元妻トリッシュが大富豪実業家ビクターと再婚したことで、ノエルとの時間がなくなる危機に・・・。クリスマス直前、ラリーは、ノエルが欲がるおもちゃを手に入れノエルと最高のクリスマスを過ごすことが出来るのか!?

前作と異なり、劇場未公開の作品なのかな?
direct-to-videoということなので。
2014年にリリースされた模様。

アーノルド・シュワルツェネッガーが主演した前作に比べると、かなりスケールの小さい感じの作品になっていた。

主人公のラリーは『ミセス・ダウト』のニックのようにあんまりよろしくない性格の男で、ライバルであるビクターも性格が悪くて、観てて地獄だなと思っていたのだけれども、最後は綺麗な感じでめでたしめでたしになったので、観後感は悪くなかった(・∀・)

まあクリスマスのお話だしね。

ワカサギ釣りをするラリーとノエル。

アバウト・ア・ボーイ

親の遺産で暮らす38歳無職の独身男ウィルの苦手なものは「責任」。が、情緒不安定の母親と2人暮らしのイジメられっ子、12歳のマーカスと出会い、人生観が変わっていく。

2002年公開。GEOレンタルで観た。

お前、こんな役ばっかだな(・∀・)
とヒュー・グラントに言ってやりたい気分になるくらい『Re:life』のキャラと似てる、女好きの駄目男主人公だったw

一応のめでたしめでたしな感じ終わったので、まあいいか(・∀・)といった感じ。

マーカス役のニコラス・ホルトは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のニュークス、『トールキン 旅のはじまり』のトールキン、『モンタナの目撃者』の殺し屋等々、今までに目にしているけれども、顔はよくわからない(ノ∀`)

ジェームズ・ガンの『スーパーマン』にも出ているようなので、そのうち観てみよう(・∀・)

すっかり寛いでるなw

適当にテレビ等で観た映画やらドラマなにやら(75)

アフリカン・カンフー・ナチス

第2次大戦後、アフリカのガーナに逃げ延びたヒトラーと東條英機は現地を制圧し、魔術的パワーを秘めた「血塗れの党旗」を用いて人々を洗脳。世界侵略のための新たな拠点を築いていた。ヒトラーたちによって地元のカンフー道場を潰され、恋人を奪われた青年アデーは復讐を誓い、最強のカンフーを習得するため過酷な修行に励むのだが……

2021年公開。プライムビデオで観た。
B級映画としてはそれなりに楽しめたw
色々酷いは酷かったけどw

監督兼ヒトラー役のセバスチャン・スタインは日本在住のドイツ人らしい。
東條英機を演じた秋元義人という人は監督の友人で便利屋をやってる一般人らしいw

取り敢えず、思ったよりもカンフーカンフーしてたというか、今の変にCGに頼りすぎたアクションではないところも多かったので、その辺は見応えはあったかも。

まあでもなんだ、カンフー映画なのに、
最後が肉弾戦じゃないんかい(・∀・)

続編は機会があったら、観るかなぁくらいでw

何を考えて、この映画を作ろうと思ったんだろうかw

温泉シャーク

市長の万巻が主導する複合型巨大観光施設の建設が進む、S県暑海(あつみ)市。多くの観光客が訪れる平穏な温泉地で、温泉客がこつ然と姿を消す失踪事件が連続して発生する。その被害者はいずれも海でサメに襲われた遺体として発見された。捜査に乗り出した警察署長と海洋生物学博士は、暑海市内各地の温泉に太古の昔からよみがえったどう猛なサメが行き来し、人びとを襲っているという信じがたい事実を突き止める。

2024年公開。GEOレンタルで観た。
ネット上で面白いという人もいたが、それ故に期待しすぎてしまって、なんかうーん(´・ω・`)という感じの観後感になってしまった…

正確に言うと、途中でなんか演技のトーンがバラバラというか、「学芸会…(´・ω・`)?」みたいな感じに思えてしまって、ながら観になってしまっていた。

面白いと思えるところが全くなかったわけではないけれど、まあ、合わなかったということで。

全然関係ないけど、松島トモ子のやつは面白いんだろうか…(´・ω・`)

マッチョは元海上自衛官だったのか

太秦ライムライト

かつて日本のハリウッドと呼ばれた京都・太秦。
香美山(福本清三)は、太秦の日映撮影所に所属する斬られ役一筋の大部屋俳優。
大御所の時代劇スター尾上(松方弘樹)の時代劇も打ち切られ、出番がない日々が続く中、
香美山は、駆け出しの女優・さつき(山本千尋)と出会う。

2014年公開。GEOレンタルで観た。
これは普通に良かったわ(・∀・)

福本先生は勿論、さつき役の山本千尋も良かった。
山本千尋は中国武術をやっていた人で、色々アクション系の役を演じてる模様。

峰蘭太郎も本田博太郎も良い役どころで満足した。
まあ博太郎に関してはもっと弾けたキャラでもよかったけど、まあ今回のように渋い役もいいかw

音楽による盛り上げやその逆の静寂という緩急もあり、没入感を加速していたように思える。

まあでもあいつ、なんで急にこっち側になったんや(´・ω・`)?
『雨に叫べば』のあいつらみたいになんか唐突な白化だったような…

何はともあれ、観て良かったし、また観る(・∀・)

今度、赤影に出るんか。
このシーンが一番好きかも(・∀・)

オースティン・パワーズ

1967年。英国諜報部員オースティン・パワーズ(マイク・マイヤーズ)は、ラスヴェガスの地下の秘密基地で世界征服を企む悪の帝王ドクター・イーヴル(マイヤーズ=二役)を追い詰めるが、イーヴルは自ら冷凍睡眠に入ってロケットで脱出。負けじと対抗してパワーズも冷凍睡眠。30年後。97年。復活したドクター・イーヴルは、片腕のナンバー・ツー(ロバート・ワグナー)ら手下を使い、核弾頭を奪取して地下から地球を破壊しようという、新たな世界征服のシナリオ、バルカン計画をすすめる。そうはさせじと蘇生されたパワーズだが、30年のカルチャー・ギャップはあまりに大きく、新たにコンビを組んだかつてのパートナーのミセス・ケンジントン(ミミ・ロジャース)の娘ヴァネッサ(エリザベス・ハーレー)を巻き込んで珍騒動。

1998年日本公開。GEOレンタルで観た。
007等のスパイ映画の基礎知識が乏しいせいか、あんまり面白くなかった(´・ω・`)
笑えるところが全くなかったわけではないが。

笑いどころとして過剰すぎるくらいデフォルメしてるのであろう要素に諧謔を感じることが出来なかったことが敗因だろうか…

3作くらい作られているから、向こうでは人気なんだろうが。
あと、オースティン側の山寺宏一の吹き替えがなんか過剰に思えてしまったのも、なんだか冷めてしまった一因かもしれないw

そう言えばDr.イーブルがマイク・マイヤーズの二役とは全く気づいてなかったわ。
まあ途中からながら観になっていたからということもあるけども。

ヴァネッサ役のエリザベス・ハーレイって『悪いことしましョ! 』のセクシー悪魔やんけ(・∀・)

続編はまあ機会があったら観るかもしれないくらいで。


ウィスキー

ウルグアイの町。ハコボ(アンドレス・パソス)は、父親から譲り受けた小さな靴下工場を細々と経営している。毎朝決まった時間に工場に行き、シャッターを開ける。その工場では、控えめだが忠実な中年女性マルタ(ミレージャ・パスクアル)が彼の片腕として働いている。ハコボの一日の大半は、彼女にこまごまとした用事を言いつけることで過ぎてゆく。二人は長年仕事をしていても、必要な会話を交わす以上の関係になることはなかった。1年前に亡くなった母親の墓石の建立式に、ハコボの弟エルマン(ホルヘ・ボラーニ)が来ることになる。ブラジルで同じく靴下工場を経営しているエルマンと、ハコボは長い間疎遠になっていた。ハコボは弟が滞在する間、マルタに夫婦の振りをして欲しいと頼むと、意外にも彼女はすんなりとその申し出を受け入れる。偽装夫婦の準備を始める二人。

2005年日本公開。GEOレンタルで観た。

んー、んー、んー、なんですかね、この映画(・∀・)?

決してつまらなかったわけでもないし、あー、そうなって、こうなって、そうなっちゃうんだぁということはわかるものの、一時間くらいでさくっと終わらせしまっても良かったんじゃないですか(´・ω・`)?というのが正直な感想だったりする。

おそらく高評価をつけている人達が感じた味わい深さを俺氏は薄味に感じてしまったのかもしれない。

元々単純明快な映画好きだから(ノ∀`)

監督のフアン・パブロ・レベージャは2006年に32歳の若さで自死してしまったらしい。
2004年に製作したこの映画は一定の評価を受けていたのに、なんでだろうね(´・ω・`)

まあ、エルマンはモテるよねw

君に読む物語

とある療養施設で暮らす年老いた女性。認知症である彼女は、若き日の思い出をすべて失ってしまっている。そんな彼女のもとにひとりの老人が通い、物語を少しずつ読み聞かせていく。1940年、アメリカ南部の小さな町。家族と夏を過ごすため都会からやって来た17歳の令嬢アリーは、材木工場で働く青年ノアと出会い、恋に落ちる。しかしアリーの両親は交際を認めず、夏の終わりとともに2人は離ればなれになってしまう。ノアはアリーに毎日手紙を送り続けるが返事がかえってくることはなく、やがて第2次世界大戦が始まる。

2005年日本公開。GEOレンタルで観た。

話自体は良かったけど、読み聞かせを始めた瞬間に「ああ、そういうことね(´・ω・`)」と話のギミックがわかってしまうのはどうなんだろうかと思ったw

『ニライカナイからの手紙』並にタイトルと合わせてネタバレが酷いw

途中までは「いやいや、まだ一捻りあるやろ、あいつと思わせて違う人で、そこでもう一捻りの切なさぶっこんでくるやろ…頼むで……(´・ω・`)」と念じながら観ていたが、やっぱり最初の予想通りのストレートな展開だった(ノ∀`)

ノア役のライアン・ゴズリングはいつ観ても、なぜか「なんか顔が長い」と思ってしまう。
ニコラス・ケイジとかデヴィッド・シュワイマーとかの方が長いような気がするんだけど、なぜかライアン・ゴズリングにだけに顔が長いと感じてしまうw

アリー役のレイチェル・マクアダムスは『パニック・フライト』やRDJの『シャーロック・ホームズ』に出てた人か。でも顔はあんまり覚えてないな…

最後の展開はご都合主義奇跡として捉え祝福すべきことなんだろうなぁ。中々願っても叶わないことだから。

何気に印象に残ってるのは、アリーの母のアンだったりするw
物語に深みを増す、大事なキャラであると思った。
演じてるジョアン・アレンは『フェイスオフ』のジョン・トラボルタ演じるショーンの妻をやってた人か。

まあ悪くはない話であったし、高齢夫婦やその子供達が観たら、また違った感想を抱きそうな映画だった。

読み聞かせボランティアの人と認知症の女性。
物語の主人公のノアとアリー。