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イメージの〈ない〉世界に生きる アファンタジア / 髙橋純一, 杉村伸一郎, 行場次朗

「バナナ」を頭の中で描こうとしても暗闇が広がる――〈感覚イメージ〉が浮かばない特質,アファンタジアとは。当事者の語りを通して,アファンタジアの気づき,仲間の存在,補償の戦略,選択の分岐点など,彼らの日常生活がどのようなものであるのか,そして個人の主観的体験であるイメージ世界がいかに多様であるかに迫る。

amazon kindle版を2900円くらいで購入。
本当はアラン・ケンドルの『アファンタジア: イメージのない世界で生きる』を先に読みたかったが、電子版はなかったのでこちらを読んだ。

  1. アファンタジア研究の経緯と現状
  2. アファンタジアの人たちのエピソード
  3. アファンタジアとファンタジアの対話
  4. アファンタジアの人たちのライフストーリー

という四章立ての構成。

専門家でもないので誤謬を含む表現になってしまうのだけれども、端的に言うと、
ファンタジア=脳内で画像等を思い浮かべたり、動かせたりする人(敷衍して五感記憶の再現・それを活用した想像/創造活動ができる人)
アファンタジア=それができない人(現在、4%の出現率と推定されている。)
といったところであろうか?

敷衍してというのは、始まりは視覚イメージ関連で発見されたことではあるが、現在では視覚以外の感覚においても区別があることを踏まえてのこと。

正直なところ、アファンタジアそのもの、つまり何故そうなるのかというような明確な医学的乃至科学的な知見が得られる内容ではなく、ノーマルという表現は好ましくはないが、ファンタジアと定義されるであろう大多数の人達が読んでも、ふーん( ゜σ・゚)ホジホジくらいの感想が残るだけで、余りピンと来ないかもしれない。

アファンタジアという概念の提唱がされたのが2015年とほんの10年前のことであり、徐々に研究や周知が進んではいるものの、まだまだ明確と言えるほどの完全な定義も無く、一般的な概念とも言えない状況なので、この本は概念の周知と現段階の状況報告と将来への展望を書いた内容といった程度の受け止め方で終わってしまう可能性が高い。


が、しかし、アファンタジアの人が読めば、かなり面白いというか、色々と今までの人生の出来事や自分の思考や物事に対する試行に合点がいったり、様々な共感を覚えることは間違いない。

何故にそう断言出来るかと言えば、俺氏もおそらくアファンタジアに分類される人間だからである。

もっとも、完全に視覚イメージを創造できないアファンタジアではなく、そのグラデーションの中間に居るハイポファンタジアであろうと思われる。


ハイポファンタジアの定義はaphantasia.comのトピックでは、

Hypophantaisa is characterized by a low visual imagination.
Hypophantasia

とあり、"視覚想像力が低い"といった感じであろうか。

ただ、今現在の評価基準的なものに基づいた曖昧模糊な画像イメージしか出来ないタイプと若干異なっているのか、輪郭等ははっきりとしているが、それはコンマ何秒といったフラッシュ的表示であり、そのイメージを維持出来ない感じである。まあ、瞬間表示の為に細部までを見ることが出来ないので、これを曖昧模糊と表現しているのであれば、まあ普通の(?)ハイポファンタジアなのだと思うw

俺氏の実体験の話はこの本自体には関係ないので後回しにするが、ハイポファンジアについは、redditのトピックを読んだ方がわかりやすいかもしれない。
部分的なアファンタジアってあるのかな?
私ってアファンタジア?それともハイポファンタジア?それとも何?

一つ気になっているのは、アファンタジアの出現率4%というのはハイポファンタジアを含めてのことなんだろうか?
ハイポファンタジアってもっといそうな気がしないでもない。 ← ゾンビみたいに仲間を増やしたい勢(・∀・)


本の内容については上述した通りなので、その辺を踏まえた上で"アファンタジア"と言う聞き慣れぬ単語(概念)について興味を持った人が手に取れば良いと思う。

まあでも、小中高の教育関係者辺りに手に取って欲しいかな?
参加者の人達も言及していたけれど、俺氏もアファンタジアという概念を知り、過去を振り返って色々と答え合わせ(?)をした結果、最初に頭に浮かんだことは、「ある程度歳がいった人達は今さらジローなので放って置くにしても、これから育成される子供達に対しては何等かの検査によって特性を明らかにし、その特性に応じた対処と指導を行った方がベターなのではないのか(´・ω・`)?」ということ。

或いは知能や行動におかしなところはないけれど、何か違った感じがする子供を持つ親御さんが読んでみるのもいいかもしれない。


構成というか表現技法について、少しだけ不満があるとすれば、座談会の参加者の識別表記の点について。

各人に"アファンタジア"と"ファンタジア"という注釈をつけるのは、その両者が存在する章では非常に効果的で良いアイディアではあると思ったものの、"アファンタジア"しか出てこないところで、その注釈は必要なのだろうかということ。

表現的にも文字注釈ではなく、"アファンタジア"は現在のまま、"ファンタジア"は白塗り黒文字や白塗り斜線等に変えた方が一見して区別ができ、脳の解釈コストも減るのではないかなとも思った。印刷コストは変わらないだろうけどw

加えて言うと、"アファンタジア"という注釈よりも、各人の属性注釈(性別、年代、職業分類等)を入れてくれた方がより読みやすくなったのではなかろうかと。或いは最初に発言者の属性を一覧にしておくとか。

もちろん、発言内容を読めば、発言者の識別は可能なのだけれども、イメージというか存在を想起・維持しにくい人間からすると、その度にこの人は誰だっけ?となりがちだったw

まあ、俺氏の記憶力が低いのが問題なのかもしれないが(ノ∀`)

関係ないが、たまにSNSとかで登場人物推理小説や長編小説の紙本で登場人物紹介や地図等が載っているしおりがついていて高評価を受けてたりするが、あれは便利であるなと思うのと同時に、あの人達は単純に記憶するのが面倒な人達と記憶力系が低めな人達とアファンタジア乃至ハイポファンタジアの人達とに分けられるのかもしれないなとも思った。

あと、もう一つ気になったのが、途中で「抽象度を下げる」という表現があったけれど、抽象度を下げると具体度(?)が上がるから、「抽象度を上げる」の間違いなのかなと思ったけれど、
文脈を読み違えただけかもしれない。


↓ 以下は書評とはあんまり関係ない話(・∀・)

"脳内世界"に生きる我ら
俺氏の世界観というか世界そのものの認識は、「人は皆、共通の物理世界に存在し、それぞれの"脳内世界"に生きている」である。

物理世界は実際に存在していて、我々人間もまたその一部である。
しかしながらにして、その個体が見ている世界、聞いている世界、触ってる世界、嗅いでいる世界、味わってる世界は他の個体のそれと完全に一致することはないし、物理世界そのものと同一とも考え難い。

何故なら、人間は各個体の感覚器官というセンサーによって物理世界と接触し、それが各個体の神経によって信号伝達され、脳によって解釈されるからである。

その個体の感覚器官の感度や神経の信号伝達の性能差、記憶されている知識や経験や情動に大きく影響される脳による解釈の違いによる演算結果である個体独自の"脳内世界"は他の個体のそれと完全一致することがない。

そのために我々の個体間コミュニケーションでは多寡に関わらず、常にズレが発生し、それが積み重なったり、極度に大きい場合、個体間でのトラブルへと発展する。

と言ったところが以下の文の大前提(・∀・)


"障害"か"特性"か

本書では、極力、アファンタジアは"障害"ではなく、"特性"であるということを強調している。

これは中々難しいところだと思った。
"障害"という語の定義が辞書の「正常な進行や活動の妨げとなるもの」であるとした場合、これを人間の生命活動、それを維持する為に必要となってくる集団への参加、学習や労働などの社会的活動に適用した場合、社会的活動の妨げになるものということになる。

本書で登場したアファンタジアの人達の話を読めばわかるが、ファンタジアと同様の環境適応はしていないが、それぞれが自己で考えて方策を立てて環境適応し、社会的活動を問題なく遂行している。つまり"障害"ではないということになる。

← これがアファンタジアが十数年前まで学術的に発見されず、今日でも余り一般的な概念になっていない一因ではあるのだがw

ただ、これが他の要素と絡んで、方策を立てられず環境適応できない人や他の障害として分類されてしまって、そう思い込んでいる人も中には居るのかな?と思うと"障害"という分類もまた一概には否定できないのかもしれない。


教育界での啓蒙
繰り返しになってしまうが、本書内の座談会でも何度か言及されていたけれど、俺氏も「あれ、俺氏、アファンジア(´・ω・`)?」って気がついたあとに考えたのが、教育機関での早期発見(?)と対策の確立である。

俺氏は昔から絵が下手だった(´・ω・`)
特に遠足とかに行った時を思い出して描く絵とか何かを想像して描く絵とか。
だからずっと絵からは遠ざかっていたw

で、たまたま、おっさんになった頃に「誰でも30分で~」みたいな模写して絵を描くみたいな本を読みながら描いてみた。

そうしたら、決して上手いとは言えないが、人並みの下手さくらいの絵が描けた。
かつてフリーハンドで描いていたような、クリーチャーみたいな絵にはならなかった。

座談会のエピソードを読んで、これは脳内に視覚情報を反復して記憶ができていないことと安定したイメージを浮かべることができないことにより、脳内イメージの脳内模写ができないことに起因することなんだなということに気づいた。

俺氏はもうおじいさんに近づきつつある良い歳になってしまったので今更どうでもいいのだけれども、でもその頃はやっぱりそういう分野での劣等感は抱いていた気がする。

こういう余計な劣等感等を生み出さないためにも、特性のある子には脳内イメージを利用しなければならない課題の時には写真なりお手本の模写で済むような選択肢があってもいいのかなと。思い出の作文等に関しても何か考慮すべきかも。

今はダンス必修でみんなやらされているようだけれども、座談会でのエピソードを読む限りではこれも同様になんらかの選択肢が必要だと思った。

加えて言うならば、絵画、工作、ダンスは視覚アファンタジア(ハイポファンタジア)の問題であるけれど、音楽等においては聴覚アファンタジア、調理等では嗅覚アファンタジア、味覚アファンタジアが問題になってくるかもしれない。

ただ、どうやってそれを判定するのかが難しい。
視覚と聴覚は比較的判定が出しやすいが、その他の三感は判定しにくいだろう。

それ以前に、色覚検査ですら実施されなくなっている現状において、アファンタジア検査なんて夢のまた夢なのかもしれない。

取り敢えず、教育関係の人達にこういう概念・特性が存在があることを地道に啓蒙していくのが今出来ることか。

関係ないが、人が絵を描くには、手続き記憶的に身体に覚え込ませるのと、実物脳内に関わらず模写の2つということなんだろうか?


俺氏の特性

余り需要はないと思うが、いつかこのページに辿り着いたハイポファンタジアの人の為に記す。
知ったところでどうという話でもないけれどw
他にも似たような人がいるよということで。

取り敢えず、視覚については上述の通り、一瞬だけ表示されるようなタイプ。
人の顔をあんまり見て話さないこともあり、余り人の顔は覚えていないが、その人を眼の前にしたら認識はできるので、相貌失認ということではなさそうである。

尚、一瞬だけ表示されるイメージはリアルタイムで取得した画像データではないような気がする。
何か写真等で何度も見た画像を引っ張り出して来ているような気がする。
或いは写真のような平板なイメージ。

座談会の話でちょっと面白いと思ったのは、余り関わりがない人については歩き方や体型、服装、声、話し方で判別することが多いという点。俺氏も結構そういう風に判別してたような気がするw

だから髪型とか服装、遭遇した場所が異なると一瞬誰かわからなくなることがあるw

若い頃、街で可愛い子や美人を見た時、多少の朧気な輪郭レベルのイメージ記憶もあった気がするが、完全な記憶としては文字記録で「可愛い子(美人)を見た」という感じであった。

飲み会や旅行の記憶は、かなり印象的であったり楽しかった時は朧気ながらにイメージの記憶があるが、完全な記憶としてはやはり会話内容とか身体接触や配置といった別の感覚による記憶である。


小説の情景描写は確かに結構辛い。
『指輪物語』の最初の方の巻は読むのが凄く苦痛だったw
話の内容は凄く良かったけど。

人物の容姿の描写もかなり厳しいw

聴覚は特に問題なく人や音楽の再生はできる。
自分の声ではなく、その発声者の声で。

嗅覚味覚触覚痛覚についてはかなり限定的か皆無に近いかもしれない。


夢は普通に見る。色はついている。

  1. 寝入りばなに脳が興奮状態か何かだと頭の上(前頭葉?)辺りで赤い光が明滅する時がある。
  2. 全く意図していない、見た記憶がない人の姿や風景がフラッシュ表示されることがある。
  3. 風でそよぐ草原を見たことがある。

おそらくこれは半分意識が残ってる状態で夢を見ているのではないかと思うw
全く自分でイメージしようとしているわけではないのでw

脳のイメージで使う機構と夢を見る機構はきっと違うんだろうな…( ゜σ・゚)ホジホジ


雑感(・∀・)
アファンタジアという特性は実は意外と根深い問題なのではないかと思った。

他の要素の絡みはあると思うものの、実は"メシマズ"と呼ばれる料理下手な人の根底に嗅覚味覚特性が横たわっていたりするかもしれないし、多くはADHD由来であると思われる"汚部屋"の住人達も視覚特性が拍車をかけている可能性もある。

本書でも"薄情"といった他者からの評価などがあったが、概念・特性を知らぬままに生活を共にしていったが為に、P-APの親子関係や友人関係、教師生徒関係、上司部下/同僚関係での齟齬や諍いが起こり、その結果としての精神や思考への負の影響が発生し、関係の悪化や断絶、或いは人格障害への発展といったことも考えられる。

上述した"脳内世界"で言うと、脳の解釈段階で用いられる経験記憶を蓄積する段階で特性が大きく働くことを踏まえると、余り軽視はできに気がする。まあ"脳内世界"というのは俺氏のただの戯言なんどけもw

兎にも角にも現段階で言えることは、アファンタジア(ハイポファンタジア)の概念を一般社会に広めることが肝要なのかな?

考えるのに疲れたからもういいや( ・∀・)

無料配信漫画等々をいろいろ読んだ(・∀・)-121

あさりよしとお短編集 毒入り<カプセル篇> あさりよしとお

2010年2月に待望の「アステロイド・マイナーズ」1巻が発売されたあさりよしとお先生の未収録短篇や未刊行エッセイマンガを集めた短編集。

人間に取り憑き変質させる謎の生命体の一体・ヒルンに寄生された、魔法少女に憧れる、ちょっと頭のイかれてる女子高生・胞衣えなと奴らが狙う秘宝を守る為に戦い続ける一族の少女のお話 『メッチェンファウスト』を4話収録。こう書くと『寄生獣』みたいなお話のように思えてくるが、ヒルン自体は乗っ取りに失敗しているので、どちらかというと『デビルマン』みたいに能力だけが胞衣に残った感じ。特に明確な終わりもなく終わってるので打切りとか雑誌休刊とかだったのかな?

その他に「フランダースの犬」「狼と七匹の子山羊」「ちびくろさんぼ」「赤毛のアン」を毒入り(?)で描いた『世界冥作劇場』、戦車による「イニシャルD」と言える『プロジェクトT』、山上たつひこ風味の鬼畜系人体模型の『それゆけ内田くん』2話を収録。

「電車でD」という同人漫画は知っていたが、あさりよしとおもこんなの描いてたんだね

内田洋行に怒られないのか(´・ω・`)?

ドリル園児 おおひなたごう

園児は小粒でピリリと辛い!! 幼稚園GAG!
マメピンの通う幼稚園は園児も先生もどっか変!! 今日もゆゆしき問題勃発!?

スイーツ幼稚園に通うマメピンこと豆田一太郎ピンたろうがミントちゃん、ナベブタ、風車くん達がこの世のゆゆしき問題を解いていくギャグ漫画…として始まったが、いつの間にかにその辺の設定はなくなった。正直、最初の方は小ネタはともかく、あんまり面白いとは思えず、途中で読むのをやめようか悩んだ。ただ12話目からはいつものおおひなたごうのギャグ漫画の路線になり、十分楽しめた(・∀・)

途中のコラムで2006年に子供が産まれたとあったから、今年高校3年生くらいなのか。
最終回で根本尚の名前が出てきて、なんだろうと思ったけど、どっちも週刊少年チャンピオンに連載していたから、知己だったんかな?

全然関係ないがワラタ(・∀・)
面識がないのに岡本倫先生からおおひなたごう先生にマトリョーシカが贈られる→10年越しに真相が判明しショック「これを機に縁を繋いでみては」


砂の金字塔 佐藤まさあき 全6巻

年の暮れ、場末の酒場の男の視線の先には、毎年恒例の歌謡界の音楽賞の発表会を映すテレビ。ちょうど今年のグランプリが岬あゆかに決まったところだった。岬あゆか…それはこの男、瀬尾俊太郎が3年前までマネージャーを務め全身全霊を込めて育てていた歌手だった――。3年前のある事件を契機に、マネージャーとしての立場も何もかもを失った瀬尾は、いまではごみ溜をうろつくハイエナのような暮らしにおちぶれていた。だが、この時にはまだ、自分に新たなる闘いの日々が訪れることなど瀬尾には知る由もなかった…。ドロップアウトした元敏腕マネージャー、落ち目の元人気作曲家、そして芸能界に命を懸けた少女の決死の成り上がり計画の行方は!? 芸能界の暗黒面を活写した傑作長編ドラマ!

「なんじゃこりゃ(´・ω・`)」って思えるくらい、なんかいまいちな内容だったわw

若い貴族たち』はそれなり引き込まれる感じの読ませる要素があったけど、これはそういうのが全くなかったw

これなら柳沢きみおの『悪の華』の方が面白かったわ。
あれもマネージャーが一回刑務所に行って、そこから這い上がろうとする物語だったけど、意外とこの漫画の影響とかあるんかな。芸能界物ってなんか似ちゃうということだけなのだろうか?

まあ、瀬尾の場合は騙されたんじゃなくて、自業自得だったけどw

まんが極道/まんが家総進撃 唐沢なをき 全7巻/全4巻

生きていく上で必要なことを、すべて漫画から学んだ者たちと、生きていく上で全然必要でないことまで、すべて漫画から学んだ者たち。漫画に生き、漫画に死ぬ人々の悲劇、喜劇、その他もろもろを描いて描いて描きまくった漫画業界志望者、必読の書!!

タイトルは違うけれど、地続きの同じ内容の作品。『まんが家総進撃』1巻の最後の話「タイトル変更」でメタ的(?)に変わるw
内容は相変わらずのエログロというか色々と酷いw

面白いことは面白かったが、11冊連続で読んだので、途中からちょっと飽きてしまった(ノ∀`)
『まんが家総進撃』の第10話「死ぬ」に出てくる痒痒カイカイ先生って日野日出志なんじゃないかと勝手に思ってるけど、どうなんだろうw 話の〆方もなんか日野日出志風味を感じた。

漫画内に出てきた漫画は唐沢なをきの漫画なのか、アシスタント達の手によるものなのか、或いは両方か?

まあなんにしても、色々とクスッとくる作品ではあるが、やっぱり色々と酷い回ばっかりであったw

夢脳ララァは最後まで幸せな時がなかった…いや、彼女は彼女で幸せだったのか…? まんがカルマを背負った存在なのか…

松苗あけみの少女まんが道(2) 結 松苗あけみ

自身の半生をつづった前作『松苗あけみの少女まんが道』の続編が登場!
前作では描き切れなかった主に30~40代の出来事を中心に、包み隠さず描いた今作。
バブル期に購入した約1億5千万円の自宅のローン返済や、専属契約を辞め締め切りに追われつづけたフリー時代、数々の美しいイラストの作画テクニック、そして現在まで、自身の漫画家人生を大公開!
さらには美麗なカラーイラストも解説付きで多数収録。
デビュー時の未公開イラストもあり、読み応えたっぷりの永久保存版です!

紹介文にある通り、赤裸々にローン返済とか仕事量や単価、発行部数の減少、自分の作品について等々描いてあって、中々興味深い内容であった。
他の漫画家達も、マイまんが道というか自伝やこういう内容の漫画を残していって欲しいねぇ(・∀・)

作中で触れられていたけれど、そういえば吉野朔実は亡くなってるんだよなぁ…(´・ω・`)
なんだかしんみりしちゃったわ…

ローン返済に関しては夫の協力を断ったって凄いねぇ…

ラフ

 おじいさんの時代から商売敵という家に生まれた二人、大和圭介と二ノ宮亜美。偶然同じ高校の水泳部に所属しますが、圭介は初対面の亜美からいきなり、「人殺し」という言葉を投げつけられます…
 ラフ[rough]とは、おおざっぱ・粗雑・未完成…つまり下描きのようなもの。そんな下描き時代の圭介たちがおりなす、甘くて切ない青春ストーリー。

昔読んだ時も思ったが、あだち充漫画の中だとこれか『虹色とうがらし』が一番好きかも(・∀・)
まあ打切りかなんかで終わりの方はあれだったけども。『KATSU』もこんな感じの話のまとめ方だったな…

緒方とか関という脇役達のキャラが立っていたのと、最初は反発していた圭介と亜美の距離が徐々に近づいていくのが良かったかな。やはり最初からラブラブだと盛り上がりにちょっと欠けるなと乙女心を持つおっさんは思う(`・ω・´)

海はどうしてできたのか 壮大なスケールの地球進化史 / 藤岡換太郎

「水の惑星」46億年の事件史! 宇宙で唯一知られる「液体の水」をもつ海は、さながら「地獄絵図」の原始地球でいくつもの「幸運」の末に産声をあげました。しかし、それはわたしたちにとっては、猛毒物質に満ちたおそるべき海だったのです。原始海洋が想像を絶する数々の大事件を経て「母なる海」へと変容するまでの過程から46億年の地球進化史を読み解き、将来、海が消えるシナリオにまで迫ります。(ブルーバックス・2013年2月刊)

山はどうしてできるのか―ダイナミックな地球科学入門』を読み終えたので第二弾を読んだ。

前作も十分に興味深い面白い本ではあったが、おそらくこちらのほうがより良い内容だと思う。
地球の成り立ちから始まり、プルームテクトニクス、生命と海との相互作用等々、より幅広い興味を湧かせてくれた(・∀・)

若干の難しさはあるかもしれないが小中高生に読ませたい一冊だと思った。
まあ中高年でも高齢者でもいいんだけどもw

しかしまあ、人類を含め生命の存在は累卵の上の儚きものだとも思ったわ…(ヽ'ω`)


次は『川』か…

山はどうしてできるのか ダイナミックな地球科学入門 / 藤岡換太郎

あたりまえのように「そこにある」山は、いつ、どのようにしてできたのか──。あなたはこの問いに正しく答えられますか? 実は「山ができる理由」は古来から、地質学者たちの大きな論争のテーマでした。山の成因には、地球科学のエッセンスがぎっしりと詰まっているのです。本書を読めば、なにげなく踏んでいる大地の見え方が変わってくることでしょう。(ブルーバックス・2012年1月刊)

プレートテクトニクスまでは知っていたけれど、その駆動の元となるプルームによって説明されるプルームテクトニクスという説については全く知らなかったので、非常に勉強になりました(・∀・)(小並感)

正直なところ、細かい部分については正確に理解はできていないとは思うものの、大まかな地球に対する認識を改められた気がした。

今後地図を眺める時に島弧やら火山フロントなども注目してしまうかもしれないな。

昔、海洋の深層循環は2000年程を要すると聞き、ずいぶんと気の長い話と思っていたが、プレートの移動や循環の長さに比べたら、一瞬に等しいのだな…


なんやかんやで面白かったので、勢いで一緒に買った『海』と『川』の方も頑張って読むとしよう(・∀・)