飢餓海峡
昭和22年に青函連絡船沈没事故と北海道岩内での大規模火災が同時に起きる。火災は質屋の店主を殺害し金品を奪った犯人による放火と判明。そして転覆した連絡船からは二人の身元不明死体が見つかった。それは質屋に押し入った三人組強盗のうちの二人であることが分かる。函館警察の弓坂刑事(伴淳三郎)は、事件の夜に姿を消した犬飼多吉(三國連太郎)という男を追って下北半島へ赴く。
飢餓海峡
聞いていた評判の割には…というのが正直な感想(´・ω・`)
前半~後半最初くらいまでは杉戸八重(左幸子)パートがほとんど。
樽見京一郎/犬飼多吉は最初と後半の途中からくらいからしか出てこない。
そんな感じで犬飼多吉の人間性はよくわからないままにサバ折り、告白、
どっぼんしてしまうので、なんだこの極悪人は(´・ω・`)と思ってしまったw
つまり最後まで犬飼の告白は全て嘘と認識していた(ノ∀`)
犬飼パートが少なすぎるのが駄目なんじゃないかなぁ。せめてもう少し
犬飼の人となりがわかるエピソードがあったり、幼少期の回想などが
あれば印象は変わったと思った。どうも犬飼は被差別部落出身設定で
幼少期の極貧生活シーンがあったらしいがそれはカットされているという
話も見かけたのだけれども、本当ならなんでカットしてしまったんだ(´・ω・`)
刑余者の更生事業資金に3000万円を寄贈したりしてるけれども、純粋な
罪滅ぼしというより罪悪感からの逃避に思えるし、匿名でないところに
虚栄心を感じる。その後の八重と書生のことや、取り調べでの否認、
最後のどっぼんといい、善人とは決して思えない。人間は弱いから、
誘惑に負けて犯罪に手を染めるということは往々にしてあるのだろうけれども
犬飼はただ単に最後の最後まで"保身"の犯罪を繰り返した悪人のように思える。
そんな感じだったので話そのものはあんまり(´・ω・`)
杉戸八重役の左幸子がちょっと怖いw
性を鬻ぐことでしか身を立てられなかった女の悲哀は取り敢えず措いておいて、
爪への執着というか犬飼への執着が怖いw
まあ明日への希望もなき日々を変えてくれた神仏とも思える存在への思慕だから
わからないこともないけどやっぱりちょっと怖かったw
その強い思慕と犬飼の保身本能に由来する強い猜疑心との温度差が新たなる
悲劇を生むわけだけれども…うーむやっぱり八重パートは長すぎだな。
ふと思ったけど、杉戸八重が三國連太郎における太地喜和子と
ちょっとだけ重なって見えたw
"飢餓海峡"という言葉が何を表すのかはよくわかってないけれども、
それを北海道と本州をわける津軽海峡を物理的に渡って来たことと、
清廉潔白たる人間の極貧と悪事に手を染めた悪人の裕福を分け隔てる
理性、人間の壁を掛けて居るのであれば、やはり犬飼の善人たる姿を
見せるべきであったと思う。
犬飼が善人であるという話なのであれば最後に海峡へとその身を投じたのは
今更、罪を犯してない頃の"善人"へ戻ることも出来ず、自分を信じ、慕って
くれた八重を手にかけてしまうも、自分には"悪人"として生き続けることが
出来ないことを悟り、その境界線であり、運命を決めた始まりの場所で
命を終わらせようとしたということなのかねぇ(´・ω・`)
弓坂吉太郎刑事役の伴淳三郎はコメディアン寄りの俳優さんらしい。
「アジャパー」という言葉を使った人なのかΣ(゚∀゚;)
劇中の弓坂刑事は良い役だけれども報われないなぁ。
なんだかんだ言って息子が旅費をくれるのは良かったけれども。
味村時雄刑事役として高倉健が出ていたけれども、正直どうでもいい役だった(ノ∀`)
「犬飼 被差別部落」でぐぐった時に三國連太郎が被差別部落出身であることを知った。
正確に言うと
母親は16歳で一家が離散し広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公に出され、ここで三國を身籠り追い出されて帰郷した[7]。たまたま静岡県沼津駅で知り合った父親となる人物の仕事先だった群馬県太田市で結婚し三國が生まれた。このため三國は私生児となる。この育ての父親は電気工事の渡り職人で、三國が生後7か月のとき、一家で父親の故郷・静岡県西伊豆に戻った[2]。
ということであり、養父となった人物が被差別部落出身であったらしい。
養父はその父からの職である棺桶作りを引き継いでいたけれども、
職業を変える為にロシア出征に志願したとか、学がない為に三國連太郎の
進学を喜んだが、中退してしまったことに怒り、それが原因で不仲に
なったとか色々と興味深い話を読んだ。三國連太郎が犬飼役を引き受けたのには
何か思う所があったのだろうか。
色々読んでいて思ったのだが棺桶職人って被差別部落の職業だったっけ?という疑問。
江戸時代の葬儀や棺桶を想起してみて思い当たったのが「東海道中膝栗毛」の最初や
時代劇に出てくる大きい桶みたいなやつ。座棺というものらしい。あれを土に埋める
土葬が主流だった筈。でもあれ自体は特殊なものではないので普通の桶職人達が
作れるよなぁ、地方だと違うのかなぁとぐぐる。
座棺から寝棺に変わった経緯等が書いてあって面白いが目的の答えはない。
関係ないけど寝棺を縦に土葬するのは酷いと思ったw
時代劇などを見ていると、昔の棺桶は丸い形みたいですが、今の棺桶は四角い形でし...
葬儀屋さんのエントリには
江戸時代も庶民のお棺は座棺であり、当時明確に「葬儀屋」という職業はなく、座棺を供給するのは桶屋の仕事でした。今でも一部の地域では葬儀屋さんのことを「オケヤ」と呼ぶところもありますし、お棺のことを「棺おけ」というのもお棺そのものが桶を転用したものだったからです。
寝棺と座棺 | フューネ三浦直樹の「感動葬儀。」
とあり、やっぱり棺桶専属の職人は居なかったように思える。
(第7話)江戸時代の棺桶
(第3話)棺桶(かんおけ)と「柩」(ひつぎ)の違い
を読んで「片棒ってそっから来てるのか」「柩ってそういう意味なのか」と関係ない豆知識が
増えるも元の疑問は解けず(ノ∀`)
(※2016/06/26追記 ドメイン切れかなんかで乗っ取られてた)
よくわからんなぁと思っていてふと知恵袋の方にあった明治元年の神仏分離令(1868)に
基づく座棺廃止と寝棺への切り替え強制を思い出す。もしかしてこれか( ・´ω・`)?
昔から寝棺は有ったといえどもその発注数は少なく、他の桶や樽の作成とは技術が
異なるし。
シベリア出兵が1918年から1922年、三國連太郎の生まれた年が1923年。
代々棺桶職人の家系であったが職業が変えられない→
職を変える為にシベリア出兵に志願→電気工事の渡り職人
という流れを踏まえると意外とあってそうな気もするけれども、
1868年から1922年だと54年間…居たとしても二代か。養父も入れたとして
三代で代々と言うだろうか…うーむ(´・ω・`)
関係ないけど、ぐぐってる途中で見つけた。興味深い内容。
これが本当なら東日本と西日本の差が納得出来る。
部落差別に詳しいけど何か質問ある?
映画の内容にはまらないと最後は全然関係ない話になるよね(ノ∀`)