カテゴリー: 感想

『善魔』を観た

善魔

新聞社の編集部長・中沼(森雅之)は、かつて想いを寄せていた政治家の妻・伊都子(淡島千景)の失踪事件を追うよう、部下の三國(三國連太郎)に命じた。三國は記事にしないことを約束に、親友の家に隠れていた伊都子の取材に成功し、同時に彼女の妹・三香子(桂木洋子)と恋に落ちるのだが……。
岸田國士の同名小説を原作に、人は善を貫くために時に魔の心を必要とすることの是非を問いかける野心作。

監督が木下恵介ということで面白いことを期待して観たけど微妙(´・ω・`)

木下恵介というと「お嬢さん乾杯!」「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳
喜びも悲しみも幾歳月」と今まで観た作品は軒並み俺氏の中では比較的
高い評価の作品が多かったので期待しすぎてしまったのかな。


何処にも善というものを感じないというか理性なき独善の暴走、
より正確に言うならば感情の暴発を正当化するための正論の悪用と
しか思えない三國の行動とその上司の過去の色恋沙汰の残滓が
メインの物語のように思えた。

劇中内で"善魔"についての定義を中沼が語るのだけれども、
それ自体が納得いかなかったので、映画そのものを好意的に
受け入れられなかったのも当たり前と言えば当たり前かw
そもそも絶対的な善もないし、善の定義なしでいきなり
"善魔"とか言われても、俺氏の中の阿藤快が「なんだかなぁ」
ってぼやいちゃうよ(´・ω・`)

話の展開もなんか雑な感じがしたw
わざわざ東京に戻らずに電報で呼び出すべきだろと思ったり。


三國連太郎はこの映画がデビュー作で、役名をそのまんま芸名にしたらしい。
中々色男フェイスだった。「飢餓海峡」の時に調べて知ったその過去を
考えると何とも複雑な気分になるw 

この劇中では三國連太郎が"純粋な良い人"として評価されているが
(観てる方からするとそうとも思えなかったが)、それに糾弾される
中沼役の森雅之が「白痴」で"純粋な良い人"を演じていることを
考えるとちょっと面白いと思った(・∀・) まあこの映画と
「白痴」とでは"純粋な良い人"というものは別物なんだけれども。
この映画が1951年2月17日公開、「白痴」が同5月23日公開と
同年に公開されているのもなんだか面白い感じがするw

関係ないけど森雅之って有島武郎の息子だったんかΣ(゚∀゚;)

笠智衆が演じていた鳥羽了遠もなんか変な感じだったな、そう言えば。

桂木洋子が演じる鳥羽三香子を観ていて、そう言えば「醜聞」でも蛭田の娘が
死んでいたなと思っていたら、その蛭田正子役を演じていたのが桂木洋子だった(ノ∀`)
田中圭みたいな死に俳優だったんだろうか(・∀・)


まあ話はともかく三國連太郎のデビュー作なので、そういう意味では
観る価値は多少はあるかもしれない(・∀・)

『おはん』を観た

おはん

幸吉は町の芸者・おかよと知り合い、親しい関係となる。妻のおはんはそのことを知り、実家へ身を退ける。7年後、街で偶然おはんと出会い自分に子供が居ることを知った幸吉はおはんとやり直すことを決めたのだが…。

ストーリー映画で特に感情移入出来る要素もなかったので
感想はいつものなんだかなぁー(・∀・)(k.a風)

劇中内での時間経過がわかりにくかったな。登場人物の外見もあんまり変わらなかった
ような気がする。何歳になってもひたすらまぐあおうとするだけだったのでw
まあ悟(長谷川歩)が結構大きかったから年代ジャンプしたのはわかるにはわかったが。
もしかして年月日表示を見逃しただけかな?

何はともあれ幸吉(石坂浩二)がクズ過ぎてワラタw
なるほど、こういういい加減な男がもてるんだな φ(・ω・` )メモメモ…

新しい家近くの何とか淵で「落ちたら助からんなぁ」みたいな話が出た瞬間に
誰か死ぬんだなと思った観てたら案の定、悟が落ちて死んだ(ノ∀`)

かつての時代ではおはん(吉永小百合)みたいな女性は多かったり、妻の鑑とかだったりした
のかもしれないが、現代的な価値観で見てしまうとただの都合の良い女でしかないなw

おかよ(大原麗子)は結構良かったけど、肝心のおはんがなぁ…(´・ω・`)
ミヤコ蝶々のおばはんもそうだったけど、何か全体的に軽すぎるな。
映像は落ち着いた感じで良かったけども。

お仙(香川三千)絡みでもう一波乱あるかと思ったけど、
そこまでドタバタする話ではなかったw
もっと何かありそうな思わせぶりな感じだったのに。
香川三千という人はあばれはっちゃくとかにも出てた子役上がりの人で
今はもう引退しているみたい。

他のところの解説で

生活力の乏しい中年男が、一度別れた妻と芸者との間で揺れ動くさまを親子の情愛を絡めて描いた、市川崑監督、吉永小百合主演による大人の愛の物語。

映画 おはん - allcinema

ってあったけど、ただひたすらにあっち行きこっち行き、目の前に居る女に盛って
まぐあう男とそんな男に見切りをつけられない女二人と死んだ子供一人の物語だろ(・∀・)

原作本ならもう少し感情移入出来る感じに仕上がっているのだろうか。

『飢餓海峡』を観た

飢餓海峡

昭和22年に青函連絡船沈没事故と北海道岩内での大規模火災が同時に起きる。火災は質屋の店主を殺害し金品を奪った犯人による放火と判明。そして転覆した連絡船からは二人の身元不明死体が見つかった。それは質屋に押し入った三人組強盗のうちの二人であることが分かる。函館警察の弓坂刑事(伴淳三郎)は、事件の夜に姿を消した犬飼多吉(三國連太郎)という男を追って下北半島へ赴く。
飢餓海峡

聞いていた評判の割には…というのが正直な感想(´・ω・`)

前半~後半最初くらいまでは杉戸八重(左幸子)パートがほとんど。
樽見京一郎/犬飼多吉は最初と後半の途中からくらいからしか出てこない。
そんな感じで犬飼多吉の人間性はよくわからないままにサバ折り、告白、
どっぼんしてしまうので、なんだこの極悪人は(´・ω・`)と思ってしまったw
つまり最後まで犬飼の告白は全て嘘と認識していた(ノ∀`)

犬飼パートが少なすぎるのが駄目なんじゃないかなぁ。せめてもう少し
犬飼の人となりがわかるエピソードがあったり、幼少期の回想などが
あれば印象は変わったと思った。どうも犬飼は被差別部落出身設定で
幼少期の極貧生活シーンがあったらしいがそれはカットされているという
話も見かけたのだけれども、本当ならなんでカットしてしまったんだ(´・ω・`)

刑余者の更生事業資金に3000万円を寄贈したりしてるけれども、純粋な
罪滅ぼしというより罪悪感からの逃避に思えるし、匿名でないところに
虚栄心を感じる。その後の八重と書生のことや、取り調べでの否認、
最後のどっぼんといい、善人とは決して思えない。人間は弱いから、
誘惑に負けて犯罪に手を染めるということは往々にしてあるのだろうけれども
犬飼はただ単に最後の最後まで"保身"の犯罪を繰り返した悪人のように思える。

そんな感じだったので話そのものはあんまり(´・ω・`)


杉戸八重役の左幸子がちょっと怖いw
性を鬻ぐことでしか身を立てられなかった女の悲哀は取り敢えず措いておいて、
爪への執着というか犬飼への執着が怖いw
まあ明日への希望もなき日々を変えてくれた神仏とも思える存在への思慕だから
わからないこともないけどやっぱりちょっと怖かったw

その強い思慕と犬飼の保身本能に由来する強い猜疑心との温度差が新たなる
悲劇を生むわけだけれども…うーむやっぱり八重パートは長すぎだな。

ふと思ったけど、杉戸八重が三國連太郎における太地喜和子と
ちょっとだけ重なって見えたw

"飢餓海峡"という言葉が何を表すのかはよくわかってないけれども、
それを北海道と本州をわける津軽海峡を物理的に渡って来たことと、
清廉潔白たる人間の極貧と悪事に手を染めた悪人の裕福を分け隔てる
理性、人間の壁を掛けて居るのであれば、やはり犬飼の善人たる姿を
見せるべきであったと思う。

犬飼が善人であるという話なのであれば最後に海峡へとその身を投じたのは
今更、罪を犯してない頃の"善人"へ戻ることも出来ず、自分を信じ、慕って
くれた八重を手にかけてしまうも、自分には"悪人"として生き続けることが
出来ないことを悟り、その境界線であり、運命を決めた始まりの場所で
命を終わらせようとしたということなのかねぇ(´・ω・`)

弓坂吉太郎刑事役の伴淳三郎はコメディアン寄りの俳優さんらしい。
「アジャパー」という言葉を使った人なのかΣ(゚∀゚;)
劇中の弓坂刑事は良い役だけれども報われないなぁ。
なんだかんだ言って息子が旅費をくれるのは良かったけれども。

味村時雄刑事役として高倉健が出ていたけれども、正直どうでもいい役だった(ノ∀`)


「犬飼 被差別部落」でぐぐった時に三國連太郎が被差別部落出身であることを知った。
正確に言うと

母親は16歳で一家が離散し広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公に出され、ここで三國を身籠り追い出されて帰郷した[7]。たまたま静岡県沼津駅で知り合った父親となる人物の仕事先だった群馬県太田市で結婚し三國が生まれた。このため三國は私生児となる。この育ての父親は電気工事の渡り職人で、三國が生後7か月のとき、一家で父親の故郷・静岡県西伊豆に戻った[2]。

ということであり、養父となった人物が被差別部落出身であったらしい。
養父はその父からの職である棺桶作りを引き継いでいたけれども、
職業を変える為にロシア出征に志願したとか、学がない為に三國連太郎の
進学を喜んだが、中退してしまったことに怒り、それが原因で不仲に
なったとか色々と興味深い話を読んだ。三國連太郎が犬飼役を引き受けたのには
何か思う所があったのだろうか。


色々読んでいて思ったのだが棺桶職人って被差別部落の職業だったっけ?という疑問。
江戸時代の葬儀や棺桶を想起してみて思い当たったのが「東海道中膝栗毛」の最初や
時代劇に出てくる大きい桶みたいなやつ。座棺というものらしい。あれを土に埋める
土葬が主流だった筈。でもあれ自体は特殊なものではないので普通の桶職人達が
作れるよなぁ、地方だと違うのかなぁとぐぐる。

座棺から寝棺に変わった経緯等が書いてあって面白いが目的の答えはない。
関係ないけど寝棺を縦に土葬するのは酷いと思ったw
時代劇などを見ていると、昔の棺桶は丸い形みたいですが、今の棺桶は四角い形でし...

葬儀屋さんのエントリには

江戸時代も庶民のお棺は座棺であり、当時明確に「葬儀屋」という職業はなく、座棺を供給するのは桶屋の仕事でした。今でも一部の地域では葬儀屋さんのことを「オケヤ」と呼ぶところもありますし、お棺のことを「棺おけ」というのもお棺そのものが桶を転用したものだったからです。
寝棺と座棺 | フューネ三浦直樹の「感動葬儀。」

とあり、やっぱり棺桶専属の職人は居なかったように思える。

(第7話)江戸時代の棺桶
(第3話)棺桶(かんおけ)と「柩」(ひつぎ)の違い
を読んで「片棒ってそっから来てるのか」「柩ってそういう意味なのか」と関係ない豆知識が
増えるも元の疑問は解けず(ノ∀`)
(※2016/06/26追記 ドメイン切れかなんかで乗っ取られてた)

よくわからんなぁと思っていてふと知恵袋の方にあった明治元年の神仏分離令(1868)に
基づく座棺廃止と寝棺への切り替え強制を思い出す。もしかしてこれか( ・´ω・`)?
昔から寝棺は有ったといえどもその発注数は少なく、他の桶や樽の作成とは技術が
異なるし。

シベリア出兵が1918年から1922年、三國連太郎の生まれた年が1923年。
代々棺桶職人の家系であったが職業が変えられない→
職を変える為にシベリア出兵に志願→電気工事の渡り職人
という流れを踏まえると意外とあってそうな気もするけれども、
1868年から1922年だと54年間…居たとしても二代か。養父も入れたとして
三代で代々と言うだろうか…うーむ(´・ω・`)

関係ないけど、ぐぐってる途中で見つけた。興味深い内容。
これが本当なら東日本と西日本の差が納得出来る。
部落差別に詳しいけど何か質問ある?


映画の内容にはまらないと最後は全然関係ない話になるよね(ノ∀`)

『潮騒』を観た

潮騒

どんなにこの身に危険が迫ろうとも言わねばならないことがある。

(∩´・ω・)∩ < 若い頃の吉永小百合の顔は爆弾岩ー

なんか顔がゴツゴツしてる気がするw


「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」みたいな台詞は知っていたが、
内容については全く知らなかったので観てよかったと言えば観てよかった(・∀・)

話の中のイベントは70~90年代のドラマや漫画でよくあるような感じなので
今観ると古臭くありきたりな物に見えてしまうかもしれない。

久保新治役の浜田光夫は別にハンサムでもないし、なんで起用されたんだろうと思ったが、

従来のアクション路線がマンネリ化していた日活にとって、浜田・吉永コンビの純愛路線は多くのファンの支持を集め爆発的人気となった。特に10代、20代の若者層の支持は高く、日本大学芸術学部に入学後も主演作を次々と発表した。浜田の目は、その美しさから“バンビの目”と称された。

ということらしいw 人気はあったんだねぇ。

観ていて、吉永小百合にも浜田光夫にも特に何も思わなかったが、新治の母 久保とみ役の
清川虹子にはちょっと引き込まれた感はある。年取った後の姿しか知らなかったが、この
作品や「女の度胸」などを考えてみると上手い女優さんだったのかなぁと思った(・∀・)


つまらないという程つまらなくもないが、面白いかと言われると微妙。
話のネタや教養を増やすつもりで観ればいいのではなかろうか( ・´ω・`)

※20200806追記
山口百恵の『潮騒』を最近観たが、この吉永小百合バージョンを観たことはかんっぺきに忘れていた(ノ∀`)