カテゴリー: 感想

白い春

白い春 第一話を観た(・∀・)
初回視聴時はアタシんちの男子の後であんまり気にならなかったけれど、改めて録画したものを視聴してみると大橋のぞみの演技がどうも…(´・ω・`)
この子がアタシんちの男子に出ていたら多分「まぁまぁうまいじゃん(・∀・)」って思っただろうけど、このドラマの水準だとちょっと。デビもいまいちな感じがする。白石美帆はなんとなくイントネーションが違うのかありふれた奇跡っぽくなってる(w なまり?

主要キャストが少なかったり画面がやけに昭和風に感じるのは、トライアングルで金を使いすぎたのが原因なんだろうか。まあそのおかげで余計なノイズ的出演者達やエフェクトが少なくて話に没頭できていいけども。そういえばトライアングルの殺された子の名前は「さち」だったなぁ。関テレは「さち」好きだなぁ。
吉高と金髪のサブパートはどんな感じで絡んでくるのかな(・∀・)
吉高は相変わらずの変なキャラを配役されているな(w
このドラマでもネカフェが出てきたな。
とりあえずドラマ内の気になる謎は800万の行方くらいかなぁ。
①組とデビがグルで、そもそも春男にヒットマンをやらせる為の罠だった。
②デビがおいしくいただいて、スナックの資金の足しにしました。
③真理子がさちの為に手術せずに貯金して残した。
くらいしか考えられないな(´・ω・`)
あと姉妹間の確執もあるか。タイトルの「白い春」の白いはなんだろう。明日のジョーみたいに白くなるのか。天使の羽のくだりもよくわからなかったなぁ。
正直、特筆すべきことはあんまりないのだけれど、普通に面白かった(w
単純に来週もまた観たいと思った(・∀・)

アタシんちの男子

アタシんちの男子 第一話を観た(・∀・)
その主演・共演者のチョイスからイケメンパラダイスやメイちゃんの執事の系譜かと思っていたが、どうも違うようだ。ヒミツの花園は観てないので断言できないが、ランチの女王+(危険なアネキとか太陽と海の教室)とかのタイプっぽい(父親の死・借金をこさえて逃げる人・男兄弟の中に来る女性・説教などなど)


ある世界に異界のまろうどが来て、トラブルという名の化学反応を起こし世界の構成要素である人々が分離したり、結合したり、変化して最後に世界は幸福という名の安定状態に到り物語が終わるのが多いパターンだが、これもその類のようだ。
全体的に演技がどうもいまいちだったが、子役が特に酷かった(´・ω・`)
初回だから演者自身もこなれてないんだろうけど。草刈・岡田・高島辺りは良かったけど、おでこさんは変なキャラを演じ切れてないような。まあシリアスなドラマじゃないから記号として受け入れればいいや。
説教シーンが的外れすぎて「西遊記」とか「太陽と海の教室」みたいにgdgdになりそうな危険がありそう。フジの「説教」ありきのドラマで面白かった記憶がない。
喫茶店や居酒屋などが多い出演者水増しパートはネットカフェと今風だけど人数多すぎる。ちゃんと活かせるんだろうか。
毎回、発明品を前面に押し出すけども、実際は千里のトンチと説教でトラブル解決をして6人兄弟を変化させていく展開なんだろうか。
てっきりコールドスリープは完成していて、
①実は千里の母が死んでいなくて父の借金の一億円はコールドスリープの費用だった。
②最終回近くに現代の医学では治せない難病で倒れた千里を救う為に6人が力を合わせてコールドスリープを実用化し、未来で眼を覚ました千里がよぼよぼの老人となった6人に囲まれて再会を喜んだり、或いは残されたビデオレターに涙する。
みたいな変な展開を妄想してみたが、あっけなくコールドスリープの話は終わったなぁ(w
まあなんやかんやいってまだ初回で全員集合してないので次回以降に期待(・∀・)
サービスシーンも多かったし(*´・ω・)
考えてみると高島礼子は結婚できない男、白い春の紺野まひるはイケメンパラダイスに出演していたな。昼の再放送で「結婚できない男」「イケパラ」とやっていたが、この配役にもなんか関係あんのか( ・´ω・`)?石垣佑磨が暴行事件を起こして4ヶ月くらいの中途半端な短い謹慎で終わったのも「アタシんちの男子」の為の「イケパラ」再放送と関係あんのかな?

やめたくてもやめられない脳 / 廣中直行

"やめたくてもやめられない脳"を読み終えた。

薬物依存と脳の関係について、
「その答えを探す糸口になる話題を選んで紹介した」本だった。

前半部分は薬物がどのように脳に作用するか、
神経系はどういったものかという説明で面白かった。

特に「恒常性維持の機構」(ホメオスタシス)の為に薬物が残ってる状態では
受容体の感度が落ちるなどは非常に面白い仕組みだ。

心やその中にある"世界"は結局のところ肉体の産物だから、
このホメオスタシスというものの制約、仕組みの上に成り立っているのかもしれない。

防衛機制、空想や妄想によって自己愛、自分の中の"世界"の安定を図る仕組み、
"幸せ"というトータルでの安定した状態を求める心理は精神的ホメオスタシスである
という捉え方も出来るのではないかと思った(・∀・)

後半部分は話があちらこちらへと迷走して
何について語りたいのかよくわからなかった(´・ω・`)

まえがきで「糸口となる話題の紹介」をするよとあったので
それは仕方がないのかもしれないが専門家ではないので、
ただの羅列のように思えてしまった。部分部分で面白い箇所はあったけれど。

銭ゲバ 最終回(2)

蛇足的な考察というか、ちょっとドラマ本編とは関係ないことを。
今ひとつ、自分の中でまとまってないというか、まとまってないがゆえに書き連ねる。
※専門家じゃないので用語とか色々と間違いを含んでると思う(・∀・)


・人間という生き物の心や思考などの精神の本体は
自己愛(自己評価・自己像)と呼ばれるものである。
人間にとってこれが傷つけられることは生命の危機と
等しいかそれ以上の危機である。それ故に心理的安定と
深い関係を持つ。
・自己愛は人類が集団的社会的生活や過去の非常事態に
おいて種の滅亡を回避する過程で発達したものではないか?
またそれ故に他者を必要とするものではないか?
・人間は精神内部において最低ラインの一貫した論理、
思考ルーチンを持ち、この崩壊もまた人間が忌避する危機である。
・幸せの定義は難しいが、あえてするならば自己愛が健全かつ
ほどよく喜びが供給され、心理的に安定している状態とする。
自己の価値・存在意義を肯定的に承認し、友好的な他者に
囲まれ良好な関係を保っている状態。
以下の文章は上記の仮定を前提としている。
*************************************
このドラマは銭というか金がテーマだが、観ていていつも考えていたのは
風太郎の持つ現実に対する認知や解釈の歪みについてである。(※1)

ここでいう認知や解釈の歪みとは、過酷な現実(※2)から自己愛を守る為に
反応した防衛機制群(合理化など)が固定化したもののことである。
それはいわば直視し続ければ心理不安を引き起こすような現実に
適応する為に作り上げた歪んだレンズのはまった眼鏡といえる。(※3
第八話で風太郎がミドリに(幼少時に負った傷がゆえに)
「世界が歪んで見えるんですよ(´・ωメ`)」とつぶやくシーンがある。
これは額面通りだけの言葉ではなく、無意識に気づいている内面に
おける認知・解釈の歪みを表現しているように思う。


認知や解釈の歪みは過酷な現実から自己愛を守るが、
次のような流れで精神内部に論理矛盾を発生させると考える。

①ある事象Aを解釈iによって内部に取り込んだ場合がA’だとする。
②ある事象Bを解釈iによって内部に取り込んだ場合がB’だとする。
③しかしB’だと自己愛を傷つけたり、心理不安を引き起こす場合、
 a.ある事象B
 b.解釈i
 のどちらかを変えてB’ではない結果にしなければならない。
④しかし、ある事象Bは現実で起きたことであり確定してしまっていて
変えることは出来ない。結果的に解釈iを変えざるを得ない。
⑤ある事象Bを歪んだ解釈diによって内部に取り込んでCとする。
⑥結果がCになることによって自己愛は守られたが、今度は
 解釈iと歪んだ解釈diとの間に論理矛盾が発生する。


 今度はこの論理矛盾という思考的危機を解消するために
差分・論拠が必要となる。diの正当性を示すもの、
或いはiとdiが同時に成立しうる条件などである。
 この差分・論拠は実在するものでもいいし、本人にとって矛盾しない
ものであれば、それは架空の物、妄想の類でも構わない。
証明不可能でも荒唐無稽なものでも構わない。(※4) 
 人間の精神は自己愛を守り、黙殺・抑圧できない程度の
内部的矛盾を追い出しさえすれば崩壊しないからである。


この差分・論拠による思考矛盾の解消には二つのパターンが
あると考える。
I.その都度、差分・論拠を選択・創造するパターン。
差分・論拠は増加の一途を辿りつつ、その歪んだ認知・解釈を
より拡大させ強固なものとする。嘘で嘘を固めてる状況である。
何処かで嘘を認めると全てが崩壊する為に増加させ続けるしかない。
これが進みすぎると現実との乖離が進んだり、差分・論拠の
矛盾が抑えられなくなり、被害妄想や思考の崩壊を起こし、
発狂に至ると考える。
II.ある拠り所にのみへ執着し、全てをそこに帰結するパターン。
関係あろうがなかろうが、全てを解決する魔法の言葉のように
「~があるから/ないから、~である」という思考に陥り、その拠り所
だけに執着する。
その執着する拠り所は外見、仕事の能力、社会的地位、才能など
人によってそれぞれであるが風太郎においてそれは金であった。
この拠り所は他にも善良、親切、良い人、優しい人、強い人、
頭の良い、面白いといった性格的なものの場合もあるだろう。
(´・ωメ`) オカネハオッカネーズラ デモナイトシアワセニナレナイズラ
*************************************
「~であるから/ないから~である」という、拠り所への執着と
結びついた思考は内部で繰り返される内に、いつしか
「~でなければならない」という非合理的信念に発展する。(※5
非合理的信念は本人を突き動かし思考・行動させる。
非合理的信念は時にその行動の結果として人に成功をもたらし、
「信念」という本来の好意的な名称で呼ばれることもあるが、
大抵は本人を無意味に酷使し弱体化させるだけである。
これは行動が結果に結びつかず、自己愛が傷ついたり、
徒労感や焦りにより精神が疲弊するからである。
精神が疲弊すると思考がまとまらなくなったり、
悪い方へ悪い方へと悲観的な思考に陥る。
理性や統合的な思考が不可能になり断片的な思考や
短絡的思考・悲観的な思考が優位になる。
この時「死にたい(´・ω・`)」と自分に対して責めを向ける人と
「なんで俺だけがヽ(`Д´)ノ」という他者に対して責めを向ける人に分かれる。
方向の向きはともかくもどちらも感情の爆弾になっている。
そして自己愛憤怒などの更なるきっかけが発生した時に
自殺や大量殺人などの反社会的行動を起こすのではなかろうか。


風太郎の場合は偶発的に、行動や疲弊をすっとばして
反社会的行動を起こしてしまったが、あのまま成長していた
としてもまともな人間になれたとは思いがたい。ヒロシに引き取られ、
その歪んだ解釈の矯正が行われればその限りではないと思うが。

「金がないから幸せになれない」
「金があれば幸せになれる」
「金持ちになって幸せになってやる」
(´;ωメ`) カネガセイギダ シンジツダ ココロナンテイミネエ
 ↓
三国家乗っ取り成功
(`・ωメ´) 
オカネイッパイ デモナンカ ココロガミタサレナイ…
オギノトカイズヤトカミドリトカトイルトナンカシンリテキニフアンニナル
 ↓
荻野・伊豆屋・父に金の力でねじ伏せる
(`・ωメ´)
ヤッタネ アレ…デモ、ナンカ…
 ↓
ドカーン(´・ωメ`)

間違った拠り所に執着した人間は満ち足りることはない。
本当に求めている心の平安ではなく執着しているものを得て
一時的に自分を騙しているだけだからである。
そしてその騙し、代替的平安には酒や麻薬のように耐性ができ、
より上の成功、より大きい成功を追い求めざるを得なくなる。
一生自分を騙し続けるために疲弊しながらも頑張り続けるか、
何処かで壊れるしかない。
風太郎も結局、そのことに気づけずに壊れて破滅した。
風太郎は何処かで立ち止まって戻れる転換点はあったはずである。
その歪んだ眼鏡を外せるきっかけが。それはヒロシであったり
伊豆屋の面々であったり、三国家であったり、友達?であったり…
この解釈の歪みという呪われた眼鏡の存在に気づいてそれを外し、
またその歪みはいつ、なにゆえに発生したかを自分の中で
探り当てない限り、「幸せ」になることは難しいだろう(´・ω・`)
ありふれた奇跡の四郎はこの眼鏡を外せたんだと思う。


ドラマの話と絡めるために無理な論理展開をして
しまったけれど、現段階でのj認知・解釈の歪みに対する考察である。
毒親家庭など→認知・解釈の歪み・現実との乖離→強迫観念→
人格障害→大量殺人、快楽殺人、理由なき殺人など反社会的行動
についてはいずれより深く考察したい。
秋葉原の加藤や元厚生官僚の小泉、バラバラ殺人の星島などの
犯行及びその生育過程もこの視点からみると非常に興味深い。
社会の闇だの心の闇だの理解不能だとワイドショーなどで言ってる
けれど、その根本原因は一緒ではないかと思う。
平塚五遺体事件やネヴァダ事件、突き落とし事件、祖父殺害事件、
一家心中、自殺などなど、結果的に発生してる事件自体の内容は
異なるものの、その根本にあるのは認知・解釈の歪み・自己愛の
歪みとそれにより生まれた人格障害だろう。
今、読み途中の『快楽殺人の心理』もこの手の考察には参考になりそう。
読んでて時々喉がつまるような不快感を催す時があるけれど。
でもその前に人間の精神の本体部分ともいえる自己愛や
自己評価を先に考察・定義すべきか(´・ω・`)
( ´_ゝ`)ソンナコトヨリ シゴトミツケロヨ


以下は今回の考察の参考・影響を受けた主な本。
この他に加藤諦三、小此木啓吾などの影響を多大に受けた(・∀・)

特に『人格障害の時代』は一読の価値はあると思う。ある種の人格障害の
危険性とその予防策について2004年の段階で触れている。
自己愛や人格障害絡みの本を読み、自己愛-人格障害-凶悪犯罪の
関連性に気づき、この研究は推し進めるべきだヽ(`Д´)ノって一人で興奮してたけど、
この本を見つけて、「4年も前にちゃんとした学者さんが研究してたか…orz」
と少し凹んだ(w

『満たされない自己愛』も非常に面白い。この本を読んで自己愛がミドルウェア的なもの、
精神として見た場合の本体ではないかと思うようになった。『ものぐさ精神分析』に出てくる
「本能我」「幻想我」も自殺や自己愛憤怒を考える助けになると思った。

『自己評価の心理学』はフランスの心理学者が書いた本である。人格障害の判定は
各国の文化によって大きな違いが出るという話だが、自己評価などの個人レベルに
おいてはおフランスの人も日本の人も変わらないんだなあと思った(・∀・)

『毒になる親』と加藤諦三氏はちょっと毛色が違うのだけれども、毒親・神経症的人間が
人格障害の連鎖を生み出すという点において非常に興味深い。


何日かかけて書いてたらなんかよくわかんなくなった(w
<a>タグのtitleに注釈文をぶちこんでしまうという書き方はどうなんだろうか。
やっぱり汚いHTMLと怒られてしまうのだろうか(´・ω・`)