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白い春 6-8話

6話
後半戦に入ったからか初っ端から長いダイジェストが。
その分予告が短くなるかと思ったが、そうでもなかった(w
皆の大好きなハロワから始まったヽ( ・∀・)ノ
俺も行かないと(´・ω・`)
春男による父親としての面接、パン屋による堅気な職場としての面接(w
逆上がりの練習に付き合いつつも、「汚れた手」を意識して鞄で補助する春男(´・ω・`)
パン屋は黄緑色のシャツや黄緑色のスーツ着てるけど、黄緑好きとかいう設定でもあるんだろうか。


7話
栞が黒化してワラタ(w
「不信のとき」の杉田かおるのようなポジションかと思ったが、擬似父親への思慕に負けたか。
佳奈子のデレじゃないけど本音を話すところはいささか脈絡がないような…。
姉妹ゆえにという説明ですますか。
Wiiスポーツが普通に劇中に出てきてワラタ(w
しかもそんなに不自然なアイテムに思えないところが面白かった。
サチとの束の間の幸せを楽しんだ春男を待っていたのは、
サチの自分ではない「おとうさん」への誕生日祝いだった…(´・ω・`)
今にして思うと、サチが調子が悪くなったのは病気の予兆だったのか。


8話
サチの言葉によりパン屋の手伝いに戻る春男。
林檎の皮むき勝負ワラタ(w
周りも見てないで次の工程をやればいいものを。
今回は春男とパン屋がある種分かりあった回だったなぁ。
ツダカンの演技がなんか安っぽいというか軽かった(w
まあ阿部寛の演技もここ数回たまに顔芸っぽくオーバーになってるからいいか。
作り笑顔が相変わらず不自然だけど大橋のぞみも初回から比べるとかなりうまくなったなあ(・∀・)


毎回、予告が長いのはともかく、この引っ掛けっぽい予告の作りはうまくてずるい(w


春男という実の父
 パン屋という義理の父
    佳奈子という叔母の乳
ンニンのチに囲まれて育つサチ(・∀・)
幸せに育って欲しいものであるってなんだよ来週から欝展開かよヽ(`Д´)ノ
真理子の病気ってなんだったんだろう。臓器移植とかじゃなければ春男の死亡フラグとかなさそうだけども…。
結局800万は真理子が受け取っていて子供の為に残したのかな?
それとも支払われてないのか? デビのこと、ずっと疑っていた(w
誰も死なないラストがいいけれど…やっぱり春男の居場所がないよなぁ。
栞たちとアフリカにわっふるわっふる売りの旅に出るという流れは無理があるか(´・ω・`)
サチをおんぶするパン屋と栞をおんぶする春男の対比や、パン屋の存在は認めるけれど居場所はないよみたいな最後通告からすると日常世界からドロップアウトした同士で生きていくのもありだとは思うが。


とよくよく考えてみるとこのドラマのプロットはETとかフォーエバー・ヤングみたいな異界者来訪譚か。
①異界の者が客人(まれびと)として訪れ、日常世界(それを構成する住人達)に衝撃や刺激を与える。
異界の者=異形の者、本来は存在してはならない者(居場所なき者)、咎人、呪われた者など
②この異界者は外見が醜かったり表面的な態度は嫌な奴だったりするが、中身は優しい愛されるべき者であり、発生した問題の処理を通じて、対立していた日常世界と異界者は相互に影響変化適応していく。
③-a
異界者の持つ、為すべきこと・帰るべき場所への到達のために、かつては敵対・忌み嫌っていた・敬遠していた日常世界の人々が自らの危険を顧みずに支援する。
異界者は帰るべき場所への帰還・浄化/成仏で日常世界から去るか、為すべきことを果たして日常世界の住人へと変わり留まる。
ETやフォーエバー・ヤングはこの類かな。大体、敵は政府系組織(w
③-b
日常世界で発生した致命的問題・異界由来の致命的問題を異界者が活躍して解決する。たいていはその身を犠牲にして解決する。
タイガー&ドラゴンやセーラー服と機関銃(これは逆パターンか)などのヤクザ物で多い展開かな?でもタイガー&ドラゴンは最終的には③-a的日常世界の支援があって帰還を果たしたか
③-c
その他・派生系。異界者と日常世界が対立をはらんだままながらも漸進的前進しつつ、それがまた新たなる日常世界の形になるパターンや居るけど居ない(旅に出てるとか生きてるのは確かだけど行方不明)パターンなどなど。
異界者来訪譚は不安定な日常世界(それは何かを抑圧した不幸な世界)に異界の者が訪れて化学反応を起こし、安定した日常世界(幸福な安定した世界・大団円)へと変化する。その化学反応の過程において日常世界、或いは異界者の中で抑圧されていた何かが解放され、異界者の能力や象徴、場合によってはその命が失われる。


②の点でいうとなんとなくサチに対しての遠慮がある義父パン屋とそれをなじる実父春男、実生活において寄る辺なき身の春男を諭す堅実なパン屋の軸、更に栞と金髪のもう一軸が絡んでる感じか。
最後は③-cがいいなぁ(・∀・)
まあでも物語の透明度というか完成度でいうとやっぱり③-bっぽくなるのか(´・ω・`)


今週の視聴者プレゼントは撮影で余ってしまった林檎だとおもたらなかた(´・ω・`)
いろはすってなんか怪しい会社の新製品か?と思ってたらコカコーラ製品だった(ノ∀`)
吉高はサントリーのお茶か。ワンピース編ワラタ(w ハーバルクリア CMギャラリー
白石美帆の役名をぐぐったら白石美帆のブログがあったので、ちょっと見てみた。春男の家(w

白い春

白い春 第5話を観た(・∀・)
今期、真面目に観てるのこれだけ。


さちが自分の子であることを知った春男は、栞(吉高)の「その時までにおじさんがまともな人間になってないとねぇ…」「それはおじさん次第でしょ(・∀・)」という言葉に刺激を受ける。アルバイト中に見かけた赤ちゃんを連れた若夫婦に、あり得たかもしれない自分と真理子とその子供との幸せな生活を重ね合わせる。アルバイト先の清掃会社の正社員に応募し、食い逃げをした食堂に金を置いていく。"まともな人間"になろうとする春男。
そんな春男の変化に対する世間の風は冷たい。まあでも現実に殺人犯の元ヤクザって考えたら、こうなるわな(´・ω・`)
関係ないけど春男のビル管理室入退出時のねーちゃんの眼鏡直しの挙動が変だった(w
このドラマは春男の気持ちもわかるし、パン屋の気持ちもわかる。
どうすれば皆笑顔でハッピーエンドになるんだろうか…(´・ω・`)
さちが春男が実の父であるということを知った時をどのように描くのか気になる。基本的に春男視点だから、さらっと流してもいいような気もするし、心の葛藤や混乱という難しい部分を大橋のぞみにやらせるのはちょっと無理そうだし。
栞はさちにかつての自分を重ね、春男にそうであって欲しかった父の姿を求めてるんだろうか。
前回のお墓参りのシーンと今回の屋上でのさちとのシーンはなんだか泣けた。゚(゚´Д`゚)゚。
もしかしたらありえただろう春男の親子三人の幸せな生活の妄想は銭ゲバの最終回を彷彿とさせ、なんともせつない(´・ω・`)
長い予告で来週の展開はわかっているが早く続きが観たい(・∀・)
他に意識的に観てるのって魔女裁判とアタシんちの男子と湯けむりスナイパーくらいか。白い春で吉高、婚カツで小日向なのに、なんで「あしたの、喜多善男」の再放送やんないんだよ、ばーや、ばーやヽ(`Д´)ノ


アタシんちの男子は今回は結構良かった(・∀・)
でもやっぱり今までのエピソードが薄い話だったのであんまり感動がないな。来週辺りから更に千里争奪戦的展開が加速するんだろうか。これは漫画だったら、もっといい感じにハジけられて面白くなったかも。
棒読みの六男は相変わらずだったが、いっそのこと、子役の台詞はアフレコにしちゃうのもアリなのかもなあ。棒読みや下手な偽方言は作品世界を損なうから。


実写作品の難しさは実写であるがゆえに視聴者が他の形態の作品よりも違和感や疑問を覚えやすいことだろう。漫画アニメのように初めから虚構世界として認識出来るもの、小説のように自己の想像力を使用して補完・解釈するがゆえに自己世界(脳内世界)と親和性が強いもの、舞台や映画館という特殊な状況下で視聴するものなどは違和感や疑問などのノイズは発生しにくい。(あまりにも酷い内容の場合はその限りではない(w )
そういったノイズを視聴者側に発生させない良い実写作品は、
①リアリティを出来るだけ追求し現実世界に擦り寄る
②小説漫画アニメのように虚構世界を構築する
のどちらかを脚本で決定し、かつそれを演じきることの出来る演者と支えるスタッフが協力して初めて完成するんだと思う。両方を目指したり、そのどちらにもなれなかった中途半端な作品はやっぱり話に入り込めないことが多い気がする。
まあ全ての作品がそういうゴールを目指さなくてもいいと思う。ある視聴者にとってノイズを上回る良さを感じられる内容ならば、その視聴者にとってそのドラマは良い作品であり、好きな作品であるだろうから。


魔女裁判もちょっと話が動き出して少しだけ面白くなってきた。とはいえ、この手のドラマは最後の最後でがっかりすることが多いので油断出来ない( ;・´ω・`)
湯けむりスナイパーは原作を知らないと、あの空気に( ゚Д゚)ポカーンとするだろうが、知っている人にはたまらない(w
まあ単純におっぱお鑑賞ドラマとして観てる人やパン屋好きで観てる人もいるんだろうな。


婚カツはなんだかんだ言って二話以降観てない。臨場は再放送で観た。相棒とかと一緒でたまに観ればいいやくらい。アイシテルも再放送で観たが、なんかいまひとつ浅いような。単純な視点でヒューマンドラマ仕立てにしそうな感じがしたのでパス。夜光の階段は藤木だしなぁ…。イケメン蕎麦屋探偵は生瀬・古田・堀内目当てで一応観てるけど。
BOSSは内容もあれだが、カメラワークが酷いので観るのやめた。あれは酷すぎる(´・ω・`)
スマイル・QUIZ SHOWも観るに堪えず。名探偵の掟、ぼくの妹は木村裕一や千原ジュニアが出てるので観る気にもならず。ハンチョウも第一話しか観なかったなぁ。
「世界を変える100人の日本人! 」---->「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」という視聴習慣が出来てから、必殺仕事人は観てないな。


テレビを観なくなってJavaやPHPの勉強がはかどるようになった(・∀・)
どーでもいい感想を時間をかけて書かなくなったからという部分もある(w

快楽殺人の心理 / ロバート・K. レスラージョン

ちょっと前に買って、ちょこちょこと読んでいた「快楽殺人の心理」をやっと読み終えた(・∀・)
著者は、FBIの特別捜査官であったロバート・K・レスラー及びジョン・E・ダグラス、「犯罪と医療の関わり、幼児虐待」等を主なテーマとする研究者 アン・W・バージェスの三人。

快楽殺人者36人のインタビューなど、各種の研究結果をまとめあげた「忌まわしい犯罪のパターンと動機をより深く理解することを願って」著された本である。

紹介されている内容は、アメリカの、しかも1940年代~50年代に子供時代を送った犯人たちの話であり、その個別の事件を単純に捉えても日本にとって参考になるものではない。

しかしその根底にある快楽殺人者が育つ環境、彼らが持つその異常な”世界”(正確にいうならば所属する社会において規格内ではない"世界")、その行動はおそらく地球上のどの国においても共通するだろう。

内容にレイプ殺人や死体の解体などの詳細があり、この手のモノに耐性がない人や子供・女性にはお薦めしない(´・ω・`)


この本において強調されている殺人者たちの"空想"癖は非常に興味深い。

研究対象とした三十六人の快楽(性的)殺人者に、どういうきっかけで最初の殺人を犯したのかという根本的な疑問をぶつけてみると、次のような共通点が明らかになった。まず彼らは、長いあいだ、きわめて頻繁に空想にふける習慣を持っており、しかもそのことを自覚していた。第二になかでも暴力的かつ性的な空想や思考に固執していた。(2 殺人にとりつかれた人々 P.90)

たとえば、保護者に虐待されてきた子供は、大人が近づいてくるたびに殴られるものと思うようになり、人を殴るという行為をたえず頭の片隅に置いておくようになるだろう。やがてそうした子供は、誰かが自分を助けて、大人を殴り返せるようにしてくれることを空想しはじめる。この思考パターンは、その子供に救いをもたらしてくれる。空想のなかでは、いつも誰かが彼を守ってくれるからだ
 さらに、子供は虐待を受けているうちに、自己を苦痛から心理的に切り離す方法を身につける。彼は、虐待されているときでも、自分をコントロールできていることに誇りを抱くようになり、たとえば殴られているあいだでも恐怖を感じず、まばたきひとつしないようになる。この思考パターンは支配の感覚を教え、結果的に心理的緊張から解放してくれる。子供は空想を通して、意識のさまざまなレベルで、恐怖を増大させたり軽減させたりできるようになる
 とはいえ、このタイプの思考パターンを発達させていくことが、そのまま、成長してから他人を虐待する側に回ることを意味するわけではない。(同 P.95)

この"空想"の始まりは、銭ゲバ 最終回(2)で触れた「認知や解釈の歪み」や「自己愛性人格障害における空想」と同様に、過酷な現実から自己愛、精神を守る為の類ではないかと考える。

普通の人がする空想と過酷な現実からの逃避のために継続的に繰り返し行われる空想は根本的に異なるだろう。この空想は彼らにとって過酷な現実下で精神的に壊れないために必要なものであり、本来ならば現実の中で、人と触れ合うことによって取得しなければならない心の糧を産み出すものである。彼らは”狂わないために狂った”のであろう。
この空想の固着や解釈の歪みが人格障害を産んだりするんだろうけれど、それについて言及しようとするとうまくまとまらない。人間という生き物そのものに対して言及しないといけないからか。
難しいから取り敢えずやめた(・∀・)


まあ何はともあれ「5 なぜ快楽殺人は起きるのか-殺人者ウォーレンの場合」の冒頭に記されている「動機付けモデル」や各殺人者の中に見え隠れする人格障害など、いろいろと興味深い一冊であった。

かたき討ち: 復讐の作法 / 氏家 幹人

"かたき討ち"を読み終えた(・∀・)
江戸時代の敵討ちの作法と法制に関する事例、その裏側について書かれた本だった。

三島宿~沼津宿の平作地蔵の時に出てきた「伊賀越道中双六」が載ってないかと
たまたま目にしたこの本を手に取った。

「伊賀越道中双六」の元の話への言及は数箇所あっただけだったが、
今まで思い描いていたステレオタイプの「敵討ち」像を打ち崩す一冊だった。

敵を討つ側の討手と、かたきとしてつけ狙われている「敵持」、事の仔細にこだわらず敵持ちや駆け込んで来た者を「囲者」として全力で庇護する大名や旗本、清から来た朱佩章に清国でのかたき討ちについて詳しく質問する将軍・吉宗、目下の者のかたき討ちの禁止、なんやかんやでしち面倒くさいかたき討ちの届け、寝取られ夫がその妻と間男を斬る「女敵討ち」と内容豊富だった。

その他にも、


「後妻打ち/相当打ち」(うわなりうち・そうどううち)

(1)前妻が後妻をねたんで打つこと。
「あさましや、六条の御息所(みやすどころ)ほどのおん身にて、―の御ふるまひ/謡曲・葵上」
(2)室町末頃から近世初期にかけての習俗。離縁された先妻が親しい女たちなどに頼んで、予告して後妻の家を襲い、家財などを荒らさせたこと。相当打ち。騒動打ち。(後妻打ち

先妻側が日時・持参する得物(竹刀など)を相手方に予告して襲撃し、家財やら食器などを壊したのちに仲裁を受けて終わる、ルールに則って行われた「屈辱と嫉妬を鎮めるための習俗」だった。

一応、「妻が離婚して五日または一ヶ月以内に新しい妻を迎えたとき」に行われたようだが、なんでまた旦那の方に怒りが向かずに新妻の方に向かうんだろうか。女心はよくわからんちんちん(´・ω・`)

女心云々の部分以外にも対外的な体裁もあったのかな。
まあでもルールに則って行われ、流血沙汰になるようなことはなかったというから、
これはこれで有りだったのかもしれない。
現代なら確実に刺殺か放火されるからね((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
海外でも後妻打ちはあったんだろうか。
結婚制度とか根底の文化が違うからなかったのかな?


「指腹/差腹(さしばら)」
怨む相手を指名して自ら切腹し、相手にも切腹させる復讐法。切腹した者の主張が正しいと証明されれば指名された者は切腹を余儀なくされた。会津藩では侍同士の喧嘩が両家を巻き込んで大規模な争いに発展する前に最小限の犠牲で済ませる為の解決策として奨励したらしい。保科正之の指示なんだろうか。


「衆道敵討」
衆道ネタかΣ(゚∀゚;)
作者がわざわざ衆道ネタを発掘してきてこの章を書き上げたのかと思いきや、この章に限らず、衆道由来のかたき討ちの例が多数紹介されており、武士社会は本当に男色が盛んだったんだなと改めて実感する…orz
うほっ(・∀・)


などなどと話の種になりそうな話が色々と載っていて面白い一冊だった(・∀・)