カテゴリー: 映画

『メゾン・ド・ヒミコ』を観た

メゾン・ド・ヒミコ

卑弥呼(田中泯)は、かつてゲイバーのママだった男。彼はゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を作り、自らも他のゲイたちと共にそこで暮らしている。しかし彼は癌の末期であり、死期が迫っていた。
卑弥呼には沙織(柴咲コウ)という娘がいる。彼女は、母親と自分を捨ててゲイとして生きることを選んだ父親を許せないでいた。卑弥呼の恋人である春彦(オダギリジョー)はそんな二人の関係を修復しようと、老人ホームでの高額なバイトを沙織に持ちかける。

うーん、つまらなくもないけど合わなかったな(´・ω・`)


まず第一にゲイとオカマとホモ等の違いがわからない。
ぐぐってみた結果、

皆、性愛の対象が男性で、

ゲイ=心身ともに男性。(日本では男性の同性愛者のみを指すことが多いらしい)
オカマ=心は女性で身体は男性。
ニューハーフ=心は女性で身体は工事をして女性体に近づけている。
 
ホモはホモセクシュアルの略で同性愛を指し、ヘテロじゃない、
男女を問わぬ同性愛者を指すらしい。但し、ホモと呼ばれることを嫌った同性愛者達が
自分達を指すゲイという新しい呼称を使い始めた。経緯は不明だが、ゲイは日本では
男性の同性愛者のみを指すようになった。

みたいな感じらしいが本当のところはわからない(・∀・)

まあ何にしても、ゲイだけの老人ホームの"ゲイ"は広義の同性愛者の呼称か。
ルビイ(歌澤寅右衛門)と山崎(青山吉良)はオカマっぽい気がした。


序盤は吉田沙織を演じる柴咲コウの、不機嫌そうな演技が良くてだらだら観る。
すっぴんぽいというかえらく肌が荒れてたような感じだったな。わざとそうしてた
みたいだけども。

ディスコ?クラブ?の事件の途中まではまぁまぁ面白く観られた。特に山崎が
皆が出てこないのに痺れを切らしたか熱気が冷めて哀しくなったのか、ホームに
戻ろうとした時に、卑弥呼の命令でドレスアップして来た面々が出て来た瞬間は
ちょっとカコイイと思ってしまった(ノ∀`) クヤシイ

一悶着あって沙織が猛烈に抗議をするところ、そしてそれを春彦(オダギリジョー)が
眺めて好意的になるところまでは良かったけど、それ以降がなぁ。
その前の半田(高橋昌也)とのことや細川専務(西島秀俊)との絡みを踏まえると、
春彦ってゲイ云々以前になんらかの心の歪みを抱えた人格障害者のような気がしてくる。
見境なく手を出すような。ある意味、細川と似通ってる。
淳也(田辺季正)が目覚めてしまったのは春彦の所為ではないだろうけどもw

春彦と沙織の関係や別れの日の台詞は、卑弥呼と沙織の関係とあの一言とかぶる。
沙織と彼らを阻む壁と言うか嗜好を軸にして抽象化すると同じと言えそう。

考えてみると沙織って凄く可哀想な気がしてきた、父親に捨てられ、母親に騙され、
あんな一言だけで報われたとするのはあまりにも不公平な気がするw
結果的にメゾン・ド・ヒミコの面々とのつながりは出来たけれども、それでも
今までの飢餓的状況であった人生を満たせるほどの物ではないような。

関係ないけど、最後に沙織がキスしてもいいと言ったのは政木(柳澤愼一)だったような
記憶があるけど、それって、卑弥呼、ルビィ以外で唯一女性との性体験がある人だった
からなんだろうか。


この映画、話自体は悪くないけど、"ゲイ"に関しても"老人ホーム"に関しても
なんか浅い想像の上で作られているような気がする。何と言っていいのかわからないが、
それほど綿密に取材をしたわけじゃなくて、"ゲイ"と"老人ホーム居住者"という題材を
"ノンケ"で"老人ホーム非居住者"が話を作るためだけに利用してるような。

主役が"ノンケ"であり、忌み嫌っていた"ゲイ"の世界に嫌々ながら触れていくわけだから
なんかもっと"ゲイ"の深い苦悩というか現実に触れて、理解を深めていく感じにならないと
いけないような気がするんだけど、随分とライトで表層的な展開やステレオタイプな事象に
よってそれが為されてるような気がした。

その所為なのかわからないが、卑弥呼やルビィの家族に対する態度や春彦の沙織に対する
振る舞いが「だってゲイだからしょうがないじゃん、諦めてよ。」的開き直りに見えてしまい、
「なんだかなー(´・ω・`)」と俺の中の阿藤快がため息混じりにつぶやいた。


この映画で言う老人ホームって何なんだろうか。老人ホームには有料老人ホームと
老人福祉施設に大別されるようだが、老人福祉施設ではないようだ。

第五条の三  この法律において、「老人福祉施設」とは、老人デイサービスセンター、老人短期入所施設、養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム、老人福祉センター及び老人介護支援センターをいう。
老人福祉法

そうすると有料老人ホームなのかというと

(届出等)
第二十九条  有料老人ホーム(老人を入居させ、入浴、排せつ若しくは食事の介護、食事の提供又はその他の日常生活上必要な便宜であつて厚生労働省令で定めるもの(以下「介護等」という。)の供与(他に委託して供与をする場合及び将来において供与をすることを約する場合を含む。)をする事業を行う施設であつて、老人福祉施設、認知症対応型老人共同生活援助事業を行う住居その他厚生労働省令で定める施設でないものをいう。以下同じ。)を設置しようとする者は、あらかじめ、その施設を設置しようとする地の都道府県知事に、次の各号に掲げる事項を届け出なければならない。

ということだけど、どうみても届け出をしているようには見えない。
ただ単に高齢者のゲイが集団で住んでる自称老人ホームなのかな?


実際のゲイやオカマの人のことを知らないから、卑弥呼(田中泯)や
ルビィの演技がうまいんだかそうでないのかさっぱりわからなかった。
少なからずルビィは凄くステレオタイプのありがちなオカマキャラみたいな感じだったけど。
田中泯は前に何処かでその名を目にしたなと思ってぐぐったら「八日目の蝉」の最後の
写真館の人か。

オダギリジョーはクウガの時よりは良くなってた感じはするけど、
ちょっと痩せすぎで気持ち悪かった。

西島秀俊ってこんな顔だったっけ?と思った。
なんかもっと良い男のイメージだったんだけど微妙だったような。

細川塗装興業内でのOL達の愛人競争的部分や「ようしこうなったらピキピキピッキー」の
小ネタはちょっと笑った。ダンスシーンは楽しげであったが、あんなに長尺にする必要は
あったんだろうかw


まあ柴咲コウが良かったので、柴咲コウ好きなら観てもいいんじゃない(・∀・)
オダギリジョーもかなり出てるからオダギリジョー好きも。

『濡れ髪三度笠』を観た

濡れ髪三度笠

ちょいと端折って改変したあらすじ

幼少より岡崎藩にあずけられ、居候的な生活を送っていた、家斉の若君長之助(本郷功次郎)は、甲州鷹取藩の城主に封ぜられることになった。老中堀尾備前守は自分の娘が生んだ家斉の若君を鷹取藩主にするため、長之助殺害を企む。かつて、岡崎で長之助を救ったことのある旅鴉濡れ髪の半次郎(市川雷蔵)は、お蔦(淡路恵子)との道中で、江戸に向う長之助主従と再会し、長之助の警護を頼まれる。半次郎は同じ宿で、年貢の金の為に身売り先へ旅するおさき(中村玉緒)と知りあった。

非常にベタというか王道的展開の娯楽映画だったけど面白かった(・∀・)
半次郎が長之助を叱り飛ばすシーン(何度かあるw)、関所のシーン、
家斉の前での長之助辺りが特に良かったw

市川雷蔵より本郷功次郎の方が美形のように思えた。
でも役柄的に半次郎の方が圧倒的にかっこ良かった(*´・ω・)

淡路恵子と言えば、こないだ亡くなったドラクエおばあちゃんか。
亡くなってしまって何だかちょっぴり寂しい(´・ω・`)

本郷功次郎をぐぐったらデヴィ夫人との不倫がどうたらという検索結果が
あったが、デヴィ夫人て淡路恵子の葬式で一悶着を起こしてたなw
まあ何にせよ、この年代の頃のつながりなのかな。

おさきは中村玉緒かΣ(゚∀゚;)
何か似てると思ったらw

多分飴売りをやっていたのが楠トシエと言う人なんだろうけど、
この人、黄桜のCMで歌ってる人か(・∀・) カッパッパ- ノンジャッタ♪
なぜか神津カンナだと思っていたのは内緒。

弥次喜多をやっていたのは中田ダイマル・ラケット。
中田カウス・ボタンが孫弟子に当たるのか。
物語が岡崎から江戸へ向かう旅程だったからか
大阪から江戸へと向かっていたな。大阪出身って言ってた?


シリーズ物らしいので他の作品も観てみたい(・∀・)
単純明快痛快な娯楽作品こそが正義だな。

『風速40米』を観た

風速40米

いつもの石原裕次郎映画でした。おわり(・∀・)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
というだけの感想で十分なような気がしないでもないがもう少し書くか(´・ω・`)
 


後の裕次郎はともかくも、この頃は本当に下手だなw
後世の人達が今のキムタクや船越英一郎のドラマを観て
同じような感覚に襲われるのだろうか。

その辺はともかく、あらすじというか冒頭は

北アルプスの山小屋で、滝今日子(北原三枝)は滝颯夫(石原裕次郎)と知り合った。不良学生に襲われたのを、彼が救ってくれたのだ。颯夫は工科の大学生で、父は羽根田工務店の技師長だった。彼は父の会社に就職したかったが、父は何故か敵会社の和泉建設をすすめた。羽根田工務店の士門技師が墜落死した。父が結婚し、相手の連れ子が今日子だった。

という感じ。山岳映画かと思ったら関係無かったw 凄いセットだったw
そういえば上半身下着シーンがあったよ(*´・ω・)

この当時も登山ブームとかあったのかなと思ってぐぐったら、

1950年代、ヒマラヤで、1950年(昭和25年)のアンナプルナ、1953年(昭和28年)のエベレスト、1956年(昭和31年)のマナスルの初登頂など、8000メートル峰(14座ある)の初登頂ラッシュ[21]が続き、これを受け再び登山ブームが起きた。このブームの特徴は、大学や高校の山岳部に代わって、社会人山岳会の活動が活発になったことである。

登山-日本

公開年の1958年は昭和33年だから二年後か。
そんなに長くブームが続くものなのかと思ったが、他に娯楽が少なかった所為か、
はたまた社会人山岳会が頑張って色んな山の登頂に成功したからか、少なくとも
昭和35年くらいまではブームが続いていたみたい。見方によって昭和40年以降まで
続いていたようだが、それはもうブームというよりかは趣味の一つとして確立された
と言う感じか。まあ何にしても流行りネタを冒頭に組み込んだんだのかねぇ?

会社員の娯楽シーンとしてハイキングを組み込んでいた小津安二郎の「早春」は
1956年1月29日公開でマナスル初登頂が同年5月初旬ということなので、もしも
「早春」の製作開始時期が6月以降だったら、ハイキングの代わりに低山登山に
なっていたりしたんだろうか。あのシーンは江ノ島から茅ヶ崎方面だったから
山に行くと言ってもせいぜい代替となるのは鎌倉の衣張山か大磯の高麗山辺り
くらいだろうけれども。


宇野重吉演じる、颯夫の父・滝敬次郎のキャラクターが珍しく感じた。
大体主人公の父親って真面目で誠実な感じか、頑固で支配的な感じが多いけれど、
この敬次郎は真面目で誠実そうな感じに見えて、会社の自分に対する評価に
不満を抱き、ライバル会社の和泉建設と通じているという小物っぷりw
ある種リアルなんだろうけどもw

颯夫の友達・根津四郎役の川地民夫ってどっかで名前を観たなと思ったら、
映画版の「必殺仕掛人」の孫八という悪役をやっていた人じゃないか(・∀・)

大学在学中、逗子の家の隣に石原裕次郎が住んでいたのが縁で、日活に入社する。

そんなんでいいのかw

四郎の姉・根津踏絵役の渡辺美佐子って知らんなぁと思ってぐぐったら、
現在81歳で去年もドラマとかに出てたΣ(゚∀゚;) ゲンキダナ

和泉建設の社長・早田勇造を演じているのは金子信雄。
相変わらずの悪役っぷり(・∀・) 渡り鳥シリーズでもそうだっけ?

インターネットTVガイドかなんかの番組表で出演者として
"北原三枝 石原まき子"ってあって「( ´・ω・)エ? 別人なの?」と思って
ぐぐってみたら同一人物…ほわい?


なんやかんやでラストはビル建設を邪魔する為に悪い連中が台風の中、
乗り込んで来て、裕次郎の腕っぷしで勝つという、なんともわかりやすい終わりw

『男はつらいよ 寅次郎と殿様』を観た

男はつらいよ 寅次郎と殿様

あれれ…今作はあんまり合わなかったな(´・ω・`) ビミョウダッタ

OPの夢お芝居は鞍馬天狗のパロディ。鞍寅天狗と言うべきか(・∀・)
藤堂宗清(殿様)役の嵐寛寿郎が鞍馬天狗をやっていたからかな?
タコ社長の偽按摩と源公の掛け声にワラタw

今回のヒロインの名前がマリコだからじゃないが、夢お芝居内の倍賞千恵子を観て
やっぱりテレ東の大江麻理子アナは"さくら"に似てるんだなと思った。
倍賞千恵子似ではなくて"さくら"に似てる。まあどうでもいいんだけどw

OPコントはカメラマンネタ。ヤバイと気づいて逃げる寅さんの様子が面白かったけど、
前回の映画ネタと似てたような。


今回は冒頭からすぐ帰って来てこいのぼりで一悶着。ちょっと前にあった
ミニピアノネタと同じく満男への気遣いがまた仇となったか(ノ∀`)
必死でこいのぼりを下ろそうとする博とそれを気づかせまいとする
とらやの面々の努力虚しくバレてしまうのだけれども、すぐには旅に出ず。

何とかこのままとらやで話が展開するかと思いきや、犬の"トラ"の件で
また一悶着。この件に関しては寅さんは悪くはないと思うのだけれども、
売り言葉に買い言葉でおいちゃんの口から酷い罵詈雑言が放たれて、
あえなく寅さんはまた旅に(´・ω・`) ソレヲイッチャーオシメーヨ

旅先の宿でマドンナである堤鞠子(真野響子)とほんのちょっと関わる。
でも別段恋に落ちたからという風ではなくて、親切心とカッコつけからの行動だったな。

その後、殿様と出会って、執事の吉田六郎太(三木のり平)が出て来たり、
"マリコ"探しで右往左往したり、御前様(笠智衆)も結構出て来たりで場面場面の
面白さはあったので、その辺は良かったのだけれども、メインのストーリーが
どうもいまいちだったような。


子供の結婚に反対して駆け落ちされた感じで喧嘩別れし、その後子供が死亡して
その伴侶に会いたくなるという展開は映画でも漫画でもよくあるので、まあいい。
今まで興信所を利用せずに、突然、寅さんに頼んだというのも、車寅次郎という
人物を見込んだ、東京の人間だ、ということでこれもいい。

でもどんなに殿様が浮世離れしていたとしても人探しを依頼する際に下の名前だけで
探させようとすることはさすがに有り得ない気がするw 暗愚にも程があるw
後々の手紙や訪問時の服装、やりとり等を踏まえれば一定以上の知能があることは
わかるので、その部分の不整合は今ひとつ納得がいかない。殿様だからというより、
加齢により痴呆が進んでいるというのであれば多少は納得出来ないこともないが
それだと殿様設定は要らなくなってしまうので、おそらくそれはないだろう。

これだけだったら、これは後の"マリコ"探しをよりドタバタにするようにする為の
多少の無理筋かなと思えたけど、その後に都合が良すぎる感じで鞠子がとらやに
来たところで、あまりにも雑なご都合主義的な話だなぁと思ってしまった。
鞠子が旅先のお礼に来るということ自体はなくもないけど、ほとんど寅さんと
関わったわけでもないのでちょっと不自然な気がする。今までのマドンナ達の
ように談笑したり心の交流があったのであれば、まだ説明はつくけれども。

無理筋が一つ~一つ半ならまだ流せるけど二つ以上あると、お話としては
雑なご都合主義な物に成り下がってしまって観る気が失せてくる (ヽ'ω`)

殿様と鞠子の和解が描きたかっただけで、そのために雑な話になったんだろうか。

殿様との交流も悪くはなかったけど、その路線なら「寅次郎夕焼け小焼け」の
池ノ内青観との方が良かったので、どうしても見劣りしてしまう。
マドンナとのことも取ってつけたおまけのようでいまいち合わなかった。

"民主主義"云々もなんか的外れのようだったけれども、あれは意味もわからずに
「革命だ革命だ」と騒いだ阿Qを模したのかとも思ったけれども、博もなんか
言ってたしな。なんか変な使い方だった。


まあ、たまには合わない話もあるよね(・∀・)