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『男はつらいよ 私の寅さん』を観た

男はつらいよ 私の寅さん

夢アチャラカはよくわからない話w
悪徳商人が菜種油や米を買い占めて葛飾村は窮乏の一途を辿っている。
寅次郎が謀反人と言うことでその妹のさくらが悪徳商人達に叩かれてるところに
銃を取った寅次郎が現れ、悪徳商人を撃ち殺す。「同志は立ち上がった」とか
何とか言って∩( ・ω・)∩ ばんざーい的な感じに終わる。共産主義革命(´・ω・`)?

OPのサイレントは子供と虫を獲っていてカップルの女の人の頭に止まった虫を
獲ろうと虫取り網を女の人の頭にかぶせてしまうオチ。


序盤はとらやの面々が九州旅行に行こうとする前日に寅次郎が帰って来てしまう展開。
久々に帰って来た寅次郎に明日から九州旅行に出かけることを言えずにいつもの
微妙な空気になるお茶の間。誰もが告げられずに居る中、餞別を渡しに訪れた午前様により
その役目は果たされた(ノ∀`) 御前様が帰った後、荒れる寅次郎、気まずいお茶の間、
泣くおばちゃん…(´・ω・`) さくらの嘆きにも似た反論とおいちゃんの取り成しの果てに
二階へと上る寅次郎。その後の画面外の説得により寅次郎が留守居をすることに。

この作品は第12作と古いせいか、おいちゃんが妙に寅次郎に優しい。
そして寅次郎も妙にタコ社長に優しいw タコ社長が涙ぐんでたw

寂しさが募って旅行先のとらやの面々に遠距離電話で絡む寅次郎。ついには電話越しに
おいちゃんといつもの口喧嘩をして、とらやを出ていこうとしてふと気づく。
振り返観ればタコ一人(´・ω・`) すごすごと二階へと上がる寅次郎(ノ∀`)

この振り返ったシーンのタコ社長の顔が秀逸だったw
そしてこの後の皆を出迎える為の準備に勤しむ寅次郎、それに付き合ってあげる源公と
タコ社長のシーンと照れくささ故か風呂場の方に引っ込んだ寅次郎ととらやの面々が
会話するシーンが凄く良い(・∀・) スゴクスキ

正直、この作品はマドンナとの話は微妙なんだけれども、序盤からこのシーンまでで
十分映画として元が取れてると思ったw


この後、なんやかんやで同級生だったデベソ(柳文彦:前田武彦)と再会し意気投合して
彼の家に向かう寅次郎。画家であるデベソの妹・柳りつ子(岸恵子)の絵を汚してしまい
一悶着。怒り心頭のままとらやへと帰る。

アドリブなのかわからないが、前田武彦とのやり取りのテンポが早くて面白かった。
内容的に荒削りな感じで、"寅さん映画"の雰囲気とはちょっと逸脱してたけどw
岸恵子は「風花」の時より綺麗に見えた。なぜだろうw

翌日、りつ子が謝りに来て、寅次郎は一瞬のうちに恋に落ちたみたいだけれども、
あんまり納得が行かない。あと"寅"を執拗なまでに"熊"と間違え続けるのがどうも。
あそこまで間違え続けるのは脳に障害があるか精神的におかしくなってる人だと思う。

一条(津川雅彦)とりつ子が居るところを見て早合点して旅立とうとする寅次郎。
誤解が解けた瞬間に満面の笑みで逗留続行w
一条が津川雅彦とは全く気づかなかった(ノ∀`)

今回のお茶の間トークは人間の証とお金というか生きていくことについてかな?

この後、りつ子の云々と寅次郎の云々があってそれなりには面白かったけど、
そんなに特筆すべき感じでもないかなぁ。寅次郎を見舞いに来たりつ子さんに
失言を聞かれたタコ社長が怒った寅次郎から逃げ回るところは笑ったけどw

結局のところ、りつ子からはっきりと「友達で居たい」旨を告げられて
寅次郎はまた旅に出るのだけれども、それにしても寅次郎はいつも縁側からの
存在なんだなぁと思ったり。存在的にマドンナ達の人生にふらっと立ち寄って
何かを与えて去って行く縁側の男。玄関から来て順序を踏んで正式な存在に
なることはないような。

源公のおめかし姿がなんだかおかしかった。
この作品は珍しく最後の救い的出会いがなかったな。


マドンナの話はおいておいて前半の話が良かったので結構好き(・∀・)

ぼくんち

ぼくんち

舞台となる水平島は、西原が幼少時に過ごした高知県高知市沿岸部の浦戸地区をモデルにしており、西原作品にはしばしば登場する。母子家庭の兄弟である一太と二太と、姉のかの子の生活を描く。母・今日子はなかなか帰って来ない。それでも、三人姉弟は笑顔で過ごすのであった。

「まあじゃんほうろうき」「ちくろ幼稚園」「ゆんぼくん」辺りは好きだったので読んでみた。

全体的な感想はまぁまぁ良かったかなぁくらいで。
多分これはこういちくんが好きになれなかったのが原因かなw
笑美ちゃんの話の最後だけは良かったが、基本的に好きではなかったので、こういちくんが幸せになって、一太二太かの子がああいう形で物語を終えるのはどうもねぇ…(´・ω・`) 二太は一太のようにはならないだろうというのが救いかな。

改めてちょっと読み直して思ったが、かの子はとっても辛くてしんどい選択をしたからタイムカプセルを掘りに行ったんだねぇ、きっと(´・ω・`)

実写化されたが

2003年4月公開。主なロケ地は舞鶴。後に原作者の西原本人が興行成績が振るわなかったことを自虐ネタとして描いている。

ということらしいw。
かの子が観月ありさじゃ観る気はせんわな。というよりも、この話は西原理恵子の漫画だからいいのであって実写化したら生々しくて酷いだろうし、それを抑える為に改変し過ぎても意味ないだろうし。

関係ないけど「ちくろ幼稚園」がやっていた頃のヤングサンデーは面白かったなぁ…
「まあじゃんほうろうき」がやっていた頃の麻雀漫画の記憶はあんまりないな。
「ナルミ」とか入江紀子の漫画くらいしか思い出せない。「まあじゃんほうろうき」は博報堂とか頭の大きい編集長?とかが出ていたくらいの記憶しかない。


切なかったりほろ苦かったり、たまにほっこりするようなサイバラワールド好きなら
読んでもいいんじゃないかなぁ程度で(・∀・)

最後の忠臣蔵

最後の忠臣蔵を読んだ(・∀・)

『最後の忠臣蔵』(さいごのちゅうしんぐら)は、池宮彰一郎の連作小説集およびその表題作、またこれを原作としたテレビドラマである。
元禄赤穂事件の生き残りである赤穂浪士・寺坂吉右衛門にスポットを当てた作品である。

映画の「最後の忠臣蔵」と異なり、主役は寺坂吉右衛門だった。
映画版は瀬尾孫左衛門だったので吉右よりも孫左の方が辛い人生のように思えたが、
原作を読むとやはり死ぬことを許されぬ吉右の方が辛いのかなぁと思ったり思わなかったり。

映画版に人形浄瑠璃シーンが追加されたのは孫左の出てくる短編「最後の忠臣蔵」が
短いのと、孫左と可音の意識上に浮かび上がらせてはならぬ、言葉にしてはならぬ
或いは言葉に出来ぬ恋愛とも親子の愛とも異なる、強い歪な関係にスポットライトを
当てたかったからか。

映画を観た時は全然気にしてなかったので知らなかったが寺坂信行(寺坂吉右衛門)と
瀬尾孫左衛門という実在の人物をモデルにしてたのかΣ(゚∀゚;)


時代小説なので固い文体でしばしばわからぬ言葉をぐぐらねばならなかったが
スッキリとした読み応えがあったので読んでいて心地良かった(・∀・)

「仕舞始」は討ち入り後から迷っていた吉右が改めて決意するまでのお話。

「火蛾の火」は麦屋佐平とその妹・篠の苦境を助けるお話。微妙な色恋沙汰がある?

「命なりけり」は吉右の話としては最大の盛り上がりを見せる話…かな?
ご無沙汰過ぎてセカンド童貞と言っては過言ではない俺氏は「吉右もげろヽ(`Д´)ノ」と
思ったり「バカバカ、戸山局のバカァヽ(Д´)ノ」と思ったり忙しかった。
話本編も47士の子達への遠島猶予赦免を得る為に一命を賭したりと色々と良かった(・∀・)

「最後の忠臣蔵」は当たり前だけど映画よりも淡々としていた。
ラストはちょっと違った。今までの流れで吉右に感情移入をして読んでいたから、
映画よりも残された吉右の気持ちが気になった(´・ω・`)

映画を観た時は嫁入り行列の辺りが冗長に思えたけど、原作の吉右の奮闘や
元藩士の窮状やそれを救った内蔵助の深謀遠慮を踏まえると、また違った
感じに見えてくるだろうなと思った。


てっきり「最後の忠臣蔵」だけが映像化されたのかと思って、
「吉右の話も映画化してヽ(`Д´)ノ」と思ったが、既に10年前にテレビドラマ化されてた。

2004年11月5日から2004年12月10日までNHKの「金曜時代劇」で放送された。初回に討ち入りが描かれた。

キャストを抜粋すると

寺坂吉右衛門 - 上川隆也
瀬尾孫左衛門 - 香川照之
篠(瀬尾孫左衛門の妹) - 和久井映見
徳川家宣 - 榎木孝明
可音(内蔵助の娘) - 水橋貴己
進藤源四郎 - 江守徹
大石内蔵助 - 北大路欣也

黒乳首が吉右Σ(゚∀゚;)
ということは「仕舞始」の鎌倉で黒乳首を披露したのか( ・´ω・`)

香川照之が孫左衛門…枯れてなさそうでちょっと嫌だw
最後、岩崎弥太郎の顔みたいになってたらどうしよう(´・ω・`)

篠が和久井映見というのはいいんだけれども瀬尾孫左衛門の妹?
設定が変わってるのかな。可音役の水橋貴己って誰やと思ったら
もう引退して歯科衛生士さんかなんかみたいだねぇ。
時代劇によく出ていたみたいだけど。どうでもいいが、どういう
情報ソースから近況を得たのだろうかとちょっと気になったw
たかみちゃん応援掲示板

進藤源四郎長保はシュッとした細面を想像していたが江守徹か…
若い頃はシュッとしていたのだろうけども…

ちょっと観てみたい気はする(・∀・)


まあ何にしても映画は映画の良さがあり、原作は原作の良さがあったな(・∀・)

『悪人』を観た

悪人

保険外交員女性・石橋佳乃(満島ひかり)が土木作業員・清水祐一(妻夫木聡)に殺された。清水は別の女性・馬込光代(深津絵里)を連れ、逃避行をする。
なぜ、事件が起きたのか?事件当初、容疑者は裕福な大学生・増尾圭吾(岡田将生)だったが、拘束された増尾の供述と新たな証言者から、容疑の焦点は清水に絞られる事になる。

映画版を観た限りでは「で(´・ω・`)?」っていう作品。原作はもっと内容が深いのかな?

キャッチコピーは「なぜ、殺したのか。なぜ、愛したのか。」「ひとつの殺人事件。引き裂かれた家族。誰が本当の“悪人”なのか?」。

ということだが、観了後の感想としては
「なぜ、こんな浅い内容に大仰なキャッチコピーをつけたのか( ・´ω・`)?」である。


この内容だと「悪人」というより「愚者」の方がタイトルとして相応しい気がした。
物語を展開させる転機が全て「善悪」云々よりも「愚かさ」に由来してるから。
人を利用し面罵し脅迫しても尚自分が無事で居られるという自己の安全を盲信する佳乃の
「愚かさ」に冷静に対応出来ずに物理的制止を図る祐一の「愚かさ」、介護疲れ故か
催眠商法の偽りの優しさに騙される清水房枝(樹木希林)の「愚かさ」、出会い系で
会っただけの男と簡単に肉体関係になり、何故かそのまま惚れ込んで一緒に逃げる
光代の「愚かさ」。佳乃の父・石橋佳男(柄本明)の行為もまた「愚か」と言えるかもしれない。

佳乃の祐一への一連の口撃は、増尾によって損なわれた自分の"価値"を少しでも多く
取り戻すための悪意または"価値"搾取の為の行為とも言えるが、その増尾の行為を
引き起こしたのもやはり佳乃の増上慢から来る勘違いに起因することを考えれば、
やはり佳乃の「愚かさ」が全ての原因と言える。増尾のキャラは非常に卑怯な
クズではあるが、増尾からは佳乃への接近は図っていないし。

徐々に祐一が母親・清水依子(余貴美子)に育児放棄され祖母・清水房枝(樹木希林)に
育てられた等の擁護的な描写が入れられて、その歪みが明らかになり、佳乃が
その自意識を根幹から揺さぶるようなキーワードを口撃のうちに放ったがゆえに
最終的に犯行に及んだようにも思えるが、やはりその根底には己の歪みに気づかず、
佳乃のような女に執着し続けた「愚かさ」が存在している。

物語だからしょうがないけど、都合の良い「愚かさ」を重ねて展開していくので
観ていてなんだかなぁ(・∀・)(K・A)という気分になった。シリアス物じゃなくて
コミカル物ならその有り得なさ自体が可笑しさへ積み重なって相乗効果を
生み出すんだけどねぇ。


一見、良い人側ポジションに居るように見える、佳乃の父親である石橋佳男(柄本明)も
なんだかなぁと言った感じの人物。人間の性格は必ずしも家庭環境のみで定まるわけでは
ないが、あそこまで歪んだ性格の佳乃が育った家庭環境にはやっぱり何かあるような。
佳乃とも上手くいっている感じではないし、怒った時の振る舞いなどを踏まえると
余り良い人間とは思えない。増尾に向けた怒りは一見すると愛する娘を奪われた怒りの
ように思えるが、その実、娘を所有物として考える支配的な親にありがちな自己の世界の
"価値"を損なわれたことに対する怒りのように思える。それは増尾によって"価値"を
損なわれた佳乃による祐一への口撃行動と大差ない。親子故の類似行動パターンか。

増尾への怒りの内に本人は自覚していないだろうが、娘が出会い系サイトを利用して
売春行為をし、挙句の果てに殺されるという自らの"価値"を大きく損なう事象を
引き起こした佳乃自体への識閾下の怒りも含まれているようにも思えた。

おそらく作品のテーマ若しくは軸の一つであると思われることを指し示す
「あんた、大切な人はおるね?」という言葉を佳男は言うのだけれど佳男は佳乃から
大切な人と思われていたのだろうか?大切な人が存在するのは良いのだが、
その相手からはそのように思われていない、独り善がりな愛情という名の
支配によって佳乃をあんな人間に育て上げてしまったのではなかろうか?
佳男は本当に純然たる被害者側の人間なのであろうか(´・ω・`)?

清水房枝の家庭もこの事件で崩壊したような感じの描かれ方だったけれども、清水依子が
祐一を棄てている段階で既に崩壊しているし、そう言った行為に走る依子の生育過程は
どうだったんだろうかと考えるとやっぱり何らかの問題のあった家庭環境であったので
はなかろうか?

バスの運転手と鶴田公紀(永山絢斗)辺りくらいか比較的まともなのは。


馬込光代役の深津絵里と増尾圭吾役の岡田将生と石橋佳乃役の満島ひかり辺りが
演技的には良かったかな(・∀・) まあ馬込光代のキャラ設定がなんか変なので、
その部分は他の二人に比べると首を傾げざるを得ないけれど。

あと中途半端な濡れ場は要らなかったw
灯台のシーンや「もっと早く会っていれば」とかもなんだかなぁ(・∀・)(K・A)

灯台のシーン辺りからダれていい加減に観てしまったので勘違いしている可能性も
あるが、最後の祐一の行動は光代を救う為の行動であり、自分とのつながりを
完全に断つ為の、つまりは光代の祐一への好意的な感情すらも断ち切る為の行動
だったのかな?祐一が警察から逃げて来た光代を追って来た警察が灯台に近づいて
来たのを察知して咄嗟にああいう行動を取った…ように思ったけど、自信がないw

何故に光代はああも簡単に惚れ、出頭を止めて逃避行までしたのかが謎であるが、
それ以上に最後にタクシー運転手に尋ねるのはなんでじゃろと思った。
祐一の行動の真意に気付かずに自らの気持ちの混乱の果てに聞いたのか、
「悪人」って何だろうかという作者等のテーマ提示を代弁させられたのか。

樹木希林は「歩いても 歩いても」の時のような鬼気迫る鬼気希林ではなかったので
微妙な感じだったなぁ。


まあ深津絵里、満島ひかり、岡田将生・妻夫木聡辺りが好きなら観たら?程度。