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『箱入り息子の恋』を観た

箱入り息子の恋

天雫健太郎(星野源)は市役所に勤務する35歳の男性。生真面目で内気な性格が災いし、これまで女性との恋愛経験が無くいまだに実家で両親と暮らしている。

健太郎の父・寿男(平泉成)と母・フミ(森山良子)は息子の将来を気遣い、親同士が子どもに代わって見合い相手を探す 「代理見合い」に出席。そこで今井奈穂子(夏帆)の両親と知り合う。

かなり微妙でした(´・ω・`)

星野源や夏帆が好きなら、まあ観てもそのファン心理故に楽しめるだろうけども……嫌いでもないけど、そんなに騒ぐほど好きじゃない人にはきついというか、観終わった後に「返してあたしの時間を返してヽ(`Д´)ノ」って気分になりかねない。

なんか序盤~中盤の流れで最後まで普通にやれば、面白くはないけれども可も不可もない感じの凡作で終えられたか、もう少し良い評価になったと思うが、なんでこんなストーリーにしたの?って真顔で脚本家を問い詰めたい(´・ω・`)

蛙は一応申し訳程度にはストーリーに絡んだけど、別に必須でもなかったような気がしたり、竹内都子演ずる隣のオバちゃんって要らなかったんじゃね(´・ω・`)?

中途半端な濡れ場も必要だったの? 要らなくね、あれ(´・ω・`)


星野源が演じる天雫健太郎のキャラがいまいち判らない。
外向けには大人しい従順なタイプだけど家族には強く出る内弁慶タイプ?

そんな人間なら、一目惚れした女性を目の前に挑発されたとはいえ、その父親の今井晃(大杉漣)に口答えするとも思えないんだよねぇ(´・ω・`)

人格に連続性がないというか、統一感がないというか。まあそんなキャラだったので、星野源の演技がどうこうって話ですらなかったw

夏帆が演じる今井奈穂子はこの映画の中では比較的納得の出来るキャラで、視覚障害者の演技も上手かったように思える。まあ実際の視覚障害者の知り合いは居ないので、あくまでも街で見かけたイメージを基にしての評価なんだけれども(´・ω・`) ツーカ,シリアイジタイソンナニオラン

大杉漣が演じていた今井晃もキャラが異常だった。
つーか全体的にキャラ設定が雑か典型的過ぎて不自然だったな(´・ω・`)
まあストーリー自体も不自然なので、或る意味では統一されていると言えなくもないかw

ちょっと不細工な、職場でヤリマンの噂を立てられているふなこしさんを演じていたのは石橋貴明の娘の穂のかか。まあ下手ではなかったが(少なからず大場くん役の栁俊太郎とその同僚よりはマシだったわ)、この役もそんなに必要ではなかった気がしないでもない。確かに、必死で好きな相手にぶつかっていく姿を見せることによって健太郎に影響を与えたりはしているが、どうもその辺のつながりとか描写がなぁ…(´・ω・`)


まあ時間を掛けて詳細に書くほどの内容の映画ではなかったので、もういいや(・∀・)

『ライフ・イズ・ビューティフル』を観た

ライフ・イズ・ビューティフル

収容所に送られたユダヤ人の父親が幼い息子を生きながらえさせるためにとった意外な作戦をぺーソスあふれるタッチで描いた感動作。

( ´・ω・)エ?

って観終わった時に思ったわw

観始めた時も「これ……巷では感動の名作って…言われてる映画だよね……(´・ω・`) アレ?」って首を傾げ、同名の違う映画を観ているのかなぁと思ってぐぐったけど、やっぱりこの映画が聞き及んでいた映画であることに間違いなかった。

結論から言うと合わなかった(・∀・)

もっと率直に言うと、
なんだこの出来の悪い映画は(・∀・)
と思ったw


まず吹き替えで観てしまったのが失敗だったのかもしれない。兎にも角にも
グイドが五月蝿い(´・ω・`)
ひたすらに五月蝿い。

加えてジョシュア(ジョズエ)の声も合ってないというか、なんか高すぎて耳障り…

という声優問題をおいておいても、色々と駄目だった(ノ∀`)

まずグイドの虚言癖的お調子者キャラを全く受け付けなかったw
なんか脳に障害があったり精神的な病を抱えている人なのかなと思った。

次に後半の比較的シリアスな展開との対比の為に前半をコメディータッチにしているようだったがこれが全然面白くない(´・ω・`)
なんか過去にあったような古いコメディー映画の上っ面だけをなぞっている感じがして観ていて辛かった。

多分、キャラ設定についても、キャラの振る舞いが全て上手く行き、基本的に周りから非難されないというのも、チャップリン等のかつての喜劇を踏襲と言うか真似したんだろうけれども、その喜劇としての質というか出来が悪いのが問題のような気がする。

そんな感じだったので、キャラに感情移入出来ないどころか、構築された世界自体が御都合主義過ぎに思えて全く話に入り込めなかった。

その為にドーラとの恋物語を観ていても特に盛り上がることもなく、その子・ジョシュアにも愛着が生まれなかったw

ドーラ役のニコレッタ・ブラスキがあんまり美人と思えなかったのも、ややマイナス点かな。
ニコレッタ・ブラスキはグイド役兼監督であるロベルト・ベニーニと1986年と1991年に共演、1991年に結婚している人なんだな。

話の盛り上がりとラストシーンの必要性からか、ドーラも移送させる展開だったけど、あれもどうかなぁ…(´・ω・`)
この物語においてドーラの扱いは悪いというか存在理由が非常に希薄だったな。


前半の時点で既に見放してしまっていたので、前半よりも雑な展開な後半部分ではまることもなく(ノ∀`)

ホロコーストに対しての知識はあんまりないけれども、さすがに強制収容所はあんなに自由な場所じゃないだろって突っ込みたくなったw

ジョシュアがあんな感じで隠れ続けることが出来るのかなという疑問も残る。
少なからず、誰にも咎められずにグイドが強制労働をさせられている場所まで来れるとは思い難い。監視兵に見つからないように隠れて来られるような注意力やぞ頭脳を持っているのであれば、グイドの継ぎ接ぎだらけの嘘に上手く騙され続けたりもしないだろう。

加えてナチス(ドイツ人なのかオーストリア人なのかはたまた他の国の人間かわからないが)の子供たちに紛れ込めてしまうシーンもあんな風に何も問題なく行くわけないじゃんって思っちゃったねぇ(´・ω・`)

あと周りの人たちが大人しすぎる、というかグイドの嘘に全く反応しないところもおかしい。
グイドが偽通訳をしたシーンもアレで済むわけないし、ジョシュアに言っている嘘を訂正しようとする人間やジョシュアのことを密告する人間も居なければ可愛がる人間も居ないのはやはりおかしい。モブというよりか感情のない、都合よく動く背景でしかない。バルトロメオも何の為に登場させたのかって程度のキャラだったな。

この辺も多分かつての喜劇の模倣から来るんだろうな。
雑な設定、雑なストーリー展開は40~50年前くらいまでのもっと面白い喜劇、或いは違う形態である、初めから制限が厳しく虚構であると認識している舞台劇か読者の想像力に依存し、荒唐無稽でも何とかなる小説ならばまだ許せるけれども、この映画じゃなぁ…(´・ω・`)


グイドの死の原因ってドーラのこともあったけど、不用意に外に出たことだしなぁ。残った人達は生き残ってるわけだし。
全編を通じて不注意で不快な行動を繰り返してる人間にしか見えない(´・ω・`)

息子を絶望させない為に嘘を吐き続けたというけれど、これはただ単純にグイドという人間がそれ以外の方法を持っていなかっただけで、それを愛とかどうとかと過剰に評価出来ないなぁ。グイドが謹厳実直で生まれてこのかた嘘を吐いたこともない男なら、もう少し、その嘘の重さが変わって来ると思うけれど。

こんないい加減な感じで戦争物にするなら、不治の病の子供を看病して嘘を吐き続ける親とかそういう風な話の方がもっと自然だったんじゃないかな。なんかホロコーストネタを利用して高評価を引き出したようにも思えてしまった(ノ∀`) この物語の出来ならドーラは収容させずグイドも殺さずに、ジョシュアを抱えた状態で戦車を見て「ジョシュア、勝ったんだ! 僕達は勝ったんだよ!」と叫ばせた方が短編小説っぽくってまだ良かったような気がする。まあこれだと泣きポイントがなくなるから駄目なんだろうけれどもw

親の愛(嘘)が奇跡を呼んだ物語というよりは、ラストシーンを先に思いついて、その辻褄合わせで御都合主義のこんな変なストーリーになっちゃった物語?


何はともあれ、感動はしなかった(・∀・)

下りのシーンは一部合成?

『真夏の方程式』を観た

真夏の方程式

天才物理学者・湯川(福山雅治)は玻璃ヶ浦の海底鉱物資源開発の説明会に向かう車中で少年・恭平(山﨑光)と関わりを持ち、説明会では猛烈な開発反対派の川畑成実(杏)と意見を交わした。説明会後、予約していた旅館・緑岩荘で湯川は恭平と成実と再び顔を合わせる。恭平は夏休みの間、玻璃ヶ浦に逗留しに来た成実のいとこで、成実は緑岩荘の一人娘であった。湯川を"博士"と呼び、懐く恭平を疎ましげに過ごしていた或る日、同じ旅館に泊まっていた客の塚原正次(塩見三省)がその夜中に姿を消し、翌朝海辺で変死体となって発見された。

適当にあらすじをいじった(´・ω・`)

まあ映画自体の出来はボチボチっちゃあ、ボチボチ。
話自体はあんまりひねりがなく、ほとんど一直線に進むのでちょっと物足りないかも。
前作『容疑者Xの献身』の時ほどのインパクトはなかったかな。

前作でも本筋よりも石神(堤真一)と湯川の友情に泣いた俺氏は、今作も本筋の川畑一家の話はどうでも良くて湯川と恭平の不思議な関係の方が気に入った模様(・∀・)

つーか
恭平が可哀想(´・ω・`)

あと他のレビューでもよく言われるけど、風吹ジュン演じる
川端節子が元凶(・∀・)

まあ前田吟演じる川端重治もどーよ感たっぷりではあるが(´・ω・`)
麺紀行こと西田尚美が演じる三宅伸子は良いクズっぷりであったw
まだまだ元気そうな頃のベン・アフレックこと塩見三省も出てた。でもあっという間に退場しちゃったけど(ノ∀`)

資源開発会社の中川雅人(神保悟志)辺りが事件に絡んで来るのかと思ったら、全く関係なかったw なんというミスリードw

吉高由里子と北村一輝のパートってほぼ完全に不要だよね(´・ω・`)
『容疑者Xの献身』の内海(柴咲コウ)は見せ場があったのに…


以下はネタバレを含むヽ(`Д´)ノ</summary class="spoiler">

初っ端からなんか不自然な映像だと思ったら、合成だった(´・ω・`)

映画制作プロセスの実態調査「Ⅱ.インタビュー 映画製作の実態調査」にカメラマンの話として、

『真夏の方程式』では電車が海沿いを走るシーンがあるのですが、設定通りの場所が見つからず、背景はグリーンバックでCG 処理しました。

とあった。また映像のトーンを統一して夏っぽさを出したと言っているけれども、あんまり夏っぽさは感じなかったかなぁと思った。ちょっとなんか薄いというか。

全然関係ないが、フィルムからデジタルに移行した際に生じた変化等々が中々面白かった(・∀・) ゲームや映画がなんかつまらなくなっていった理由が判った。

唯一のサービスシーン(・∀・) 腋の下全開∩(・ω・)∩ ばんざーい

もう少し話に出てくるのかと思ったのに(´・ω・`)

湯川と少年の想い出(´・ω・`)

考えてみると、今作も前作と話の作りは似てるかなぁ(´・ω・`)
前作は犯人(石神)が愛する者(花岡親子)を守る為に誰か(ホームレス)を利用して真実の隠蔽を図ろうとした感じだったし。
今作はそれを多少組み替えただけか。


何はともあれ、まぁまぁな内容かな。福山雅治演ずる湯川が好きなら観てもいいんではないかと(・∀・)

『フォレスト・ガンプ』を観た

フォレスト・ガンプ

アメリカ南部の母子家庭に生まれた知能指数75のフォレストは気丈な母の努力で普通の小学校に入学し、不幸な家庭の少女ジェニーと友達になる。成長したフォレストはひたすら走ることができるというだけでフットボールの奨学金を得て大学に進学、卒業後は軍隊に入って功績を挙げる。しかし大好きなジェニーはフォレストに好意を見せるのに放浪生活を選んで彼から遠ざかる。平均以下の知能の男が富と名声をつかみ、その上周囲の人間をも幸福にしていく過程をアメリカ現代史と重ね、CGを駆使して描いた現代のおとぎ話。

色々突っ込みどころはあるものの、まあトータルでは観て良かったかなぁ。
でもなんかちょっと特殊で必要以上に作為的というか人為的に作られた物語という印象を受ける作品だった(・∀・)

そう感じた原因は、映画の大半がフォレストによる自分の過去の一人語りで進行し、エピソード毎に区切りが入るような形式であったこと。

この為にダイジェストとは言わないけれども、視聴者が受け取る話の連続性が通常の映画とは大きく異なり、そのことと各エピソードへの淡々としたフォレストの感想の教訓染みた感じが相俟って、なんとなく寓話的な話をつなげた映画に思えた。まあそれはそれでいいのだけれども。

ただこの印象は、観ている途中で「この映画って何に分類されるの(´・ω・`)?」という疑問をより複雑にしたw 単純なストーリー物と考えるには現実とかけ離れた御都合主義が常に存在し、ではおとぎ話であるというにはコミカルというかシニカルなシーンが多すぎる。コメディというには哀しすぎるシーンが多すぎる(´・ω・`)

チャップリンの"Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot."みたいなやつなのかというとちょっと違うし……

と上の格言?をぐぐった時にTragicomedyという言葉がヒットした。
トラジコメディってやつなのかな(´・ω・`)?


あと普通の物語よりも人為的というか作為的に感じた部分はジェニーの人生。
フォレストと違ってどんどん堕ちて行く(´・ω・`)
どうもこれはロバート・ゼメキスがフォレストの対比としてそう意図していたらしいのだけれども、この辺もちょっと不自然な感じがしたなぁ…

でも堕ちて行くジェニーと対比されるべきはフォレストじゃなくてダン中尉なんじゃね(´・ω・`)?とも思ったり。運命というよりかは試練という意味合いでだけど。

フォレストがほぼ常に成功するのも不自然だったが、まあロバート・ゼメキスの意図していたことだから致し方ないのかな?
原作では結構失敗したりもしてるらしいのだが。

よくフォレストの純粋さ?を持ち上げている人が居るけど、心の歪んでいる俺氏は知能が足りないが故の純粋さってあんまり評価出来ないと思ったり(´・ω・`)

なんで副題が一期一会なんだろうな(´・ω・`)
全く合ってないような気がする。「人生万事塞翁が馬」とか「禍福は糾える縄の如し」の方がまだ近いかなぁ? ロバート・ゼメキスの意図するところとは全く異なるとは思うけどw
ベタだけれども、ジェニーが裸で歌っていたボブ・ディランの『Blowin' in the Wind』の邦題「風に吹かれて」でも良かったんじゃね? 歌の内容とは全然違ってしまうかもしれないが。

何はともあれ、トム・ハンクスの泣き顔とダン中尉が良かったです(・∀・) (小並感) ←色々と思いついたことを上手くまとめられず面倒くさくなってきたので適当にごまかすことに


トム・ハンクスは最近観た『ウォルト・ディズニーの約束』のウォルトをやってたな。

ダン中尉役のゲイリー・シニーズは中々良い男だなと思って観ていたが、『CSI:ニューヨーク』のマック・テイラーかΣ(゚∀゚;)
と言ってもCSIは真面目に観てないので名前しか知らないけどw

ジェニー役のロビン・ライトは知らんのぅ…と思っていたが『マネーボール』で主人公ビリーの元妻役だったのか……(´・ω・`)ゼンゼンオボエテナイ

バッバ役のミケルティ・ウィリアムソンも知らんのぅ…と思っていたが『フリー・ウィリー』のドワイト役……………ああ、最初の方で子供のいたずらを止める人か(・∀・)

リトル・フォレスト役のハーレイ・ジョエル・オスメントって『シックス・センス』とか『ペイ・フォワード』の子なのかΣ(゚∀゚;)
子供の頃は可愛かったけど、今はイケてないな(´・ω・`) オレシノヨウダ
最新出演作は『コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団』らしい。ちょっと観たいw

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ジェニーって最後、原因不明のウィルスに感染して命を落とすけど、あれは何のウィルスだろうか? 最初、時代的に「エイズ(´・ω・`)?」と思ったし、他のレビューサイトでもAIDSとして話を進めているのだが、どうなんだろうか?

そもそも突然ジェニーが帰って来たのは何故かというところから考えると色々と謎が残る。

  1. AIDS感染したので帰って来た->だから結婚出来ない->めもりあるせっくる->リトル・フォレスト出産 ← つまりフォレストに感染していないのか、リトル・フォレストもどうなのか?パターン
  2. 帰って来たのは話の都合上->結婚出来ないのは純粋なフォレストと汚れた自分では釣り合わない->めもりあるせっくる->リトル・フォレスト出産後、感染したパターン
  3. AIDSに感染してるが気付いていない。帰って来たのは話の都合上->結婚出来ないのは純粋なフォレストと汚れた自分では釣り合わない->めもりあるせっくる->リトル・フォレスト出産 ← 1と同じパターン

2のパターン以外だと、感染はどうなのって話だし、2のパターンだとジェニーが相変わらずのビッチ状態だったって感じだし……まあ必ずしも性交渉でのみでしか感染しないわけではないが。
どうなんだろうか。

このシーンは吹いたw

CGだとは思ってたけど、この車椅子に登るシーンではっきりとわかる。見えない脚を脳が感知した。
このシーンの後、入水自殺したのかと思ってしまった(ノ∀`) 背泳ぎなら両脚の先がなくてもいけるのか。
お母ちゃん、毒親なのかしらと思ったけど、そういうわけでもなかったか。でも冒頭の校長?とのことを考えると、あの家は純粋な宿だったのかどうか、ちょっと気になる(´・ω・`)
これは映画だったから上手く行ったけれど、現実世界でああいう無理をすると周りの子供達に迷惑がかかって歪んでいったりするんだろうな。
結構好きなシーン(´・ω・`)
原作ではジェニーへの親の虐待とかはないらしい。

原作はフォレストは失敗したり、映画ほど純粋でなかったり、宇宙飛行士になったりするというので、いつか読んでみたい(・∀・)

読んだ → フォレスト・ガンプ / ウィンストン・グルーム