カテゴリー: 映画

『ショーシャンクの空に』を観た

ショーシャンクの空に

長年ショーシャンク刑務所に入っている囚人レッド(フリーマン)と無実の罪で収監された元銀行副頭取アンディ(ロビンス)の友情を軸に、アンディが巻き起こす数々の奇跡が描かれる。

これはこれで好き(・∀・)

レッド役のモーガン・フリーマン以外の人、ほぼ全く知らない(ノ∀`)
アンディー役のティム・ロビンスも他の出演作を観たことないw
唯一、どんな役で出ていたかは覚えていないものの、昔観たことがあるような映画に出ていた人は、アンディーの尻穴を執拗に狙い続けたボッグス役のマーク・ロルストンくらいか。


以下はネタバレを含むヽ(`Д´)ノ</summary class="spoiler">

最初は『塀の中の懲りない面々』みたいな話なのかなーと思って観ていたけれども違った。
初めは馴染めなかったりホモに狙われ続けて苦労していたアンディーも刑務所内で不動の地位を確立し、このまま行くのかと思ったら、これまた違った。
トミーが入所して来て事態は動き始める。
屑所長ヽ(`Д´)ノ
所長の奥さんが刺繍した壁掛けにある文句「主の裁きは下る,いずれ間もなく」は「ヨハネの黙示録22章12節」の言葉らしいので、金庫の解錠番号がそれで、後半でアンディーが開けるのかしらと思っていたが、全然そういうことはなかった(ノ∀`) 壁掛けの後の金庫ってポスターの後の穴と対比されるべきものだったのかと書いていて思ったがどうだろうか。
『フィニアスとファーブ』の第107回「意識交換旅行」で長いナレーションがあったので、何となく元ネタがあるんだろうなぁと思って観てたけど、この作品のパロディだったとは知らなかったw そう言えば調達屋が出てきたなw

原作はスティーブン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』という作品らしい。映画化の際に勘違いした事務所からの女優の売り込みを避ける為にタイトルを『The Shawshank Redemption』(ショーシャンクの贖い)に変えたらしい。

redemptionの意味は

買い戻し、質受け、償還、身請け、救済、(キリストによる)(罪の)贖(あがな)い、救い、(約束・義務などの)履行、補償
redemption

ということらしい。

これはダブルミーニングと言うかミスリードの為につけたのだろうか?
ショーシャンクにおける服役という意味での"贖い"と見せかけて、ショーシャンクでの無罪収監または税務コンサルタントに対してのアンディーへの"償還"という意味で。アンディーとレッドの二人で考えたら"(約束・義務などの)履行"という意味もあるのかな?

洋画の日本公開時におけるタイトル改変は酷いことが多く、ブチ切れることが多いが、この作品のタイトル改変は良い方向に働いたような気がする。上手く騙されたわ(・∀・)

なんか感動の物語的な感想とかを目にしたけど、これって感動物なのΣ(゚∀゚;)?
俺氏は痛快というか爽快感は得たけれど、特に感動はなかったかな。
アンディーにしてやられたぜ感がとにかくあった(ノ∀`)

でもトミーの告白がなければ、アンディーは懲罰房に入れられず、ずっとショーシャンクに居続けたのかな。脱走用の穴はもう開いていたけれども。19年も服役して今更非合法に外に出ても知り合いがいないし、レッドをはじめとする仲間たちが居るショーシャンクに残っていたんじゃないかなぁ。

トミーのことがなければ所長の裏金を奪うこともなかったんじゃないかなぁ……それとも最初からRedemptionを狙っていたのだろうか…( ・´ω・`)?


原作は機会があったら、いずれ読んでみようかな(・∀・)

原作本を読んだ。
ゴールデンボーイ / スティーヴン・キング

『箱入り息子の恋』を観た

箱入り息子の恋

天雫健太郎(星野源)は市役所に勤務する35歳の男性。生真面目で内気な性格が災いし、これまで女性との恋愛経験が無くいまだに実家で両親と暮らしている。

健太郎の父・寿男(平泉成)と母・フミ(森山良子)は息子の将来を気遣い、親同士が子どもに代わって見合い相手を探す 「代理見合い」に出席。そこで今井奈穂子(夏帆)の両親と知り合う。

かなり微妙でした(´・ω・`)

星野源や夏帆が好きなら、まあ観てもそのファン心理故に楽しめるだろうけども……嫌いでもないけど、そんなに騒ぐほど好きじゃない人にはきついというか、観終わった後に「返してあたしの時間を返してヽ(`Д´)ノ」って気分になりかねない。

なんか序盤~中盤の流れで最後まで普通にやれば、面白くはないけれども可も不可もない感じの凡作で終えられたか、もう少し良い評価になったと思うが、なんでこんなストーリーにしたの?って真顔で脚本家を問い詰めたい(´・ω・`)

蛙は一応申し訳程度にはストーリーに絡んだけど、別に必須でもなかったような気がしたり、竹内都子演ずる隣のオバちゃんって要らなかったんじゃね(´・ω・`)?

中途半端な濡れ場も必要だったの? 要らなくね、あれ(´・ω・`)


星野源が演じる天雫健太郎のキャラがいまいち判らない。
外向けには大人しい従順なタイプだけど家族には強く出る内弁慶タイプ?

そんな人間なら、一目惚れした女性を目の前に挑発されたとはいえ、その父親の今井晃(大杉漣)に口答えするとも思えないんだよねぇ(´・ω・`)

人格に連続性がないというか、統一感がないというか。まあそんなキャラだったので、星野源の演技がどうこうって話ですらなかったw

夏帆が演じる今井奈穂子はこの映画の中では比較的納得の出来るキャラで、視覚障害者の演技も上手かったように思える。まあ実際の視覚障害者の知り合いは居ないので、あくまでも街で見かけたイメージを基にしての評価なんだけれども(´・ω・`) ツーカ,シリアイジタイソンナニオラン

大杉漣が演じていた今井晃もキャラが異常だった。
つーか全体的にキャラ設定が雑か典型的過ぎて不自然だったな(´・ω・`)
まあストーリー自体も不自然なので、或る意味では統一されていると言えなくもないかw

ちょっと不細工な、職場でヤリマンの噂を立てられているふなこしさんを演じていたのは石橋貴明の娘の穂のかか。まあ下手ではなかったが(少なからず大場くん役の栁俊太郎とその同僚よりはマシだったわ)、この役もそんなに必要ではなかった気がしないでもない。確かに、必死で好きな相手にぶつかっていく姿を見せることによって健太郎に影響を与えたりはしているが、どうもその辺のつながりとか描写がなぁ…(´・ω・`)


まあ時間を掛けて詳細に書くほどの内容の映画ではなかったので、もういいや(・∀・)

『ライフ・イズ・ビューティフル』を観た

ライフ・イズ・ビューティフル

収容所に送られたユダヤ人の父親が幼い息子を生きながらえさせるためにとった意外な作戦をぺーソスあふれるタッチで描いた感動作。

( ´・ω・)エ?

って観終わった時に思ったわw

観始めた時も「これ……巷では感動の名作って…言われてる映画だよね……(´・ω・`) アレ?」って首を傾げ、同名の違う映画を観ているのかなぁと思ってぐぐったけど、やっぱりこの映画が聞き及んでいた映画であることに間違いなかった。

結論から言うと合わなかった(・∀・)

もっと率直に言うと、
なんだこの出来の悪い映画は(・∀・)
と思ったw


まず吹き替えで観てしまったのが失敗だったのかもしれない。兎にも角にも
グイドが五月蝿い(´・ω・`)
ひたすらに五月蝿い。

加えてジョシュア(ジョズエ)の声も合ってないというか、なんか高すぎて耳障り…

という声優問題をおいておいても、色々と駄目だった(ノ∀`)

まずグイドの虚言癖的お調子者キャラを全く受け付けなかったw
なんか脳に障害があったり精神的な病を抱えている人なのかなと思った。

次に後半の比較的シリアスな展開との対比の為に前半をコメディータッチにしているようだったがこれが全然面白くない(´・ω・`)
なんか過去にあったような古いコメディー映画の上っ面だけをなぞっている感じがして観ていて辛かった。

多分、キャラ設定についても、キャラの振る舞いが全て上手く行き、基本的に周りから非難されないというのも、チャップリン等のかつての喜劇を踏襲と言うか真似したんだろうけれども、その喜劇としての質というか出来が悪いのが問題のような気がする。

そんな感じだったので、キャラに感情移入出来ないどころか、構築された世界自体が御都合主義過ぎに思えて全く話に入り込めなかった。

その為にドーラとの恋物語を観ていても特に盛り上がることもなく、その子・ジョシュアにも愛着が生まれなかったw

ドーラ役のニコレッタ・ブラスキがあんまり美人と思えなかったのも、ややマイナス点かな。
ニコレッタ・ブラスキはグイド役兼監督であるロベルト・ベニーニと1986年と1991年に共演、1991年に結婚している人なんだな。

話の盛り上がりとラストシーンの必要性からか、ドーラも移送させる展開だったけど、あれもどうかなぁ…(´・ω・`)
この物語においてドーラの扱いは悪いというか存在理由が非常に希薄だったな。


前半の時点で既に見放してしまっていたので、前半よりも雑な展開な後半部分ではまることもなく(ノ∀`)

ホロコーストに対しての知識はあんまりないけれども、さすがに強制収容所はあんなに自由な場所じゃないだろって突っ込みたくなったw

ジョシュアがあんな感じで隠れ続けることが出来るのかなという疑問も残る。
少なからず、誰にも咎められずにグイドが強制労働をさせられている場所まで来れるとは思い難い。監視兵に見つからないように隠れて来られるような注意力や頭脳を持っているのであれば、グイドの継ぎ接ぎだらけの嘘に上手く騙され続けたりもしないだろう。

加えてナチス(ドイツ人なのかオーストリア人なのかはたまた他の国の人間かわからないが)の子供たちに紛れ込めてしまうシーンもあんな風に何も問題なく行くわけないじゃんって思っちゃったねぇ(´・ω・`)

あと周りの人たちが大人しすぎる、というかグイドの嘘に全く反応しないところもおかしい。
グイドが偽通訳をしたシーンもアレで済むわけないし、ジョシュアに言っている嘘を訂正しようとする人間やジョシュアのことを密告する人間も居なければ可愛がる人間も居ないのはやはりおかしい。モブというよりか感情のない、都合よく動く背景でしかない。バルトロメオも何の為に登場させたのかって程度のキャラだったな。

この辺も多分かつての喜劇の模倣から来るんだろうな。
雑な設定、雑なストーリー展開は40~50年前くらいまでのもっと面白い喜劇、或いは違う形態である、初めから制限が厳しく虚構であると認識している舞台劇か読者の想像力に依存し、荒唐無稽でも何とかなる小説ならばまだ許せるけれども、この映画じゃなぁ…(´・ω・`)


グイドの死の原因ってドーラのこともあったけど、不用意に外に出たことだしなぁ。残った人達は生き残ってるわけだし。
全編を通じて不注意で不快な行動を繰り返してる人間にしか見えない(´・ω・`)

息子を絶望させない為に嘘を吐き続けたというけれど、これはただ単純にグイドという人間がそれ以外の方法を持っていなかっただけで、それを愛とかどうとかと過剰に評価出来ないなぁ。グイドが謹厳実直で生まれてこのかた嘘を吐いたこともない男なら、もう少し、その嘘の重さが変わって来ると思うけれど。

こんないい加減な感じで戦争物にするなら、不治の病の子供を看病して嘘を吐き続ける親とかそういう風な話の方がもっと自然だったんじゃないかな。なんかホロコーストネタを利用して高評価を引き出したようにも思えてしまった(ノ∀`) この物語の出来ならドーラは収容させずグイドも殺さずに、ジョシュアを抱えた状態で戦車を見て「ジョシュア、勝ったんだ! 僕達は勝ったんだよ!」と叫ばせた方が短編小説っぽくってまだ良かったような気がする。まあこれだと泣きポイントがなくなるから駄目なんだろうけれどもw

親の愛(嘘)が奇跡を呼んだ物語というよりは、ラストシーンを先に思いついて、その辻褄合わせで御都合主義のこんな変なストーリーになっちゃった物語?


何はともあれ、感動はしなかった(・∀・)

下りのシーンは一部合成?

『真夏の方程式』を観た

真夏の方程式

天才物理学者・湯川(福山雅治)は玻璃ヶ浦の海底鉱物資源開発の説明会に向かう車中で少年・恭平(山﨑光)と関わりを持ち、説明会では猛烈な開発反対派の川畑成実(杏)と意見を交わした。説明会後、予約していた旅館・緑岩荘で湯川は恭平と成実と再び顔を合わせる。恭平は夏休みの間、玻璃ヶ浦に逗留しに来た成実のいとこで、成実は緑岩荘の一人娘であった。湯川を"博士"と呼び、懐く恭平を疎ましげに過ごしていた或る日、同じ旅館に泊まっていた客の塚原正次(塩見三省)がその夜中に姿を消し、翌朝海辺で変死体となって発見された。

適当にあらすじをいじった(´・ω・`)

まあ映画自体の出来はボチボチっちゃあ、ボチボチ。
話自体はあんまりひねりがなく、ほとんど一直線に進むのでちょっと物足りないかも。
前作『容疑者Xの献身』の時ほどのインパクトはなかったかな。

前作でも本筋よりも石神(堤真一)と湯川の友情に泣いた俺氏は、今作も本筋の川畑一家の話はどうでも良くて湯川と恭平の不思議な関係の方が気に入った模様(・∀・)

つーか
恭平が可哀想(´・ω・`)

あと他のレビューでもよく言われるけど、風吹ジュン演じる
川端節子が元凶(・∀・)

まあ前田吟演じる川端重治もどーよ感たっぷりではあるが(´・ω・`)
麺紀行こと西田尚美が演じる三宅伸子は良いクズっぷりであったw
まだまだ元気そうな頃のベン・アフレックこと塩見三省も出てた。でもあっという間に退場しちゃったけど(ノ∀`)

資源開発会社の中川雅人(神保悟志)辺りが事件に絡んで来るのかと思ったら、全く関係なかったw なんというミスリードw

吉高由里子と北村一輝のパートってほぼ完全に不要だよね(´・ω・`)
『容疑者Xの献身』の内海(柴咲コウ)は見せ場があったのに…


以下はネタバレを含むヽ(`Д´)ノ</summary class="spoiler">

初っ端からなんか不自然な映像だと思ったら、合成だった(´・ω・`)

映画制作プロセスの実態調査「Ⅱ.インタビュー 映画製作の実態調査」にカメラマンの話として、

『真夏の方程式』では電車が海沿いを走るシーンがあるのですが、設定通りの場所が見つからず、背景はグリーンバックでCG 処理しました。

とあった。また映像のトーンを統一して夏っぽさを出したと言っているけれども、あんまり夏っぽさは感じなかったかなぁと思った。ちょっとなんか薄いというか。

全然関係ないが、フィルムからデジタルに移行した際に生じた変化等々が中々面白かった(・∀・) ゲームや映画がなんかつまらなくなっていった理由が判った。

唯一のサービスシーン(・∀・) 腋の下全開∩(・ω・)∩ ばんざーい

もう少し話に出てくるのかと思ったのに(´・ω・`)

湯川と少年の想い出(´・ω・`)

考えてみると、今作も前作と話の作りは似てるかなぁ(´・ω・`)
前作は犯人(石神)が愛する者(花岡親子)を守る為に誰か(ホームレス)を利用して真実の隠蔽を図ろうとした感じだったし。
今作はそれを多少組み替えただけか。


何はともあれ、まぁまぁな内容かな。福山雅治演ずる湯川が好きなら観てもいいんではないかと(・∀・)