カテゴリー: 感想

『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』を観た

あれ(´・ω・`)?

これもなんか前に観たことがあるな…あれ?
最初はなんかの特別番組等でダイジェストで観たことがあるだけかと思いつつ
眺めていたが、ラストシーンまで観て「やっぱこれ観たことがあるΣ(゚∀゚;)」と
確信に至った。ただ非常にところどころの記憶がないので、前年の一挙放送の時に
テレビをつけていたが、ながら観だったか、寝ぼけ眼で観ていたのではないかと
思われる。


夢アチャラカは昔話ベースの時代劇?
この話のベースである、生贄の要求→旅の者が入れ替わって倒すという流れは
昔話にはよくあるパターンだが、いつから"その要求をするモノが実は怪物
ではなくて悪い人間"という改変が生まれたのだろうか。もしかすると、
そもそもが"悪い人間、蛮族等"の人身御供の要求というような伝説や史実から、
怪物の生贄の要求という形に変わって流布し、それが先祖返りしただけなのかな?

OPコントはよそ見をしていて見逃した(ノ∀`)


博・さくら夫妻が家を買ってるΣ(゚∀゚;)

国勢調査用紙の回収のごたごたに紛らせて寅の帰還。
いつもより凄くあっさりしてるw 
こんなにも簡単に寅の帰還をおいちゃんが受容したことってあったっけ?

思いの外に家の購入に肯定的な寅。ところどころ、ケチをつけようと思えば
いくらでもつけられる家であり、いつもの寅ならやっかみ半分で噛みつき
まくりそうな家なのに、その全てを褒めてるのが何だか不思議な感じだった。
二人きりの兄妹故に心底喜んだのか。

用意されていた寅の為の部屋。・゚・(ノД`)・゚・。
その気持ちに報いるが為に大枚を祝い袋に入れる寅。
但し、源公から借りた?金。つーか源公金持ちヽ(`Д´)ノ

非常に良い雰囲気だったが、この後必ず来るであろう喧嘩を予期していたので
非常に心苦しい気持ちで観ていた(´・ω・`)


お決まりの喧嘩の後に寅の出立。旅先でテキヤ仲間の死を知り、墓参りへと奥尻島へ。
テキヤ仲間の娘にして今回のマドンナである水島すみれ(伊藤蘭)とご対面。
なんやかんやで東京で働いて学校に行きたいというすみれを連れて柴又へ。
米倉斉加年演じる警官と一悶着。 どう見ても寅を見て描いたような似顔絵w

今作のメインは定時制高校の部分らしく、そのシーンは多い。
どこかで聞いたことのある声だと思ったら、先生役に二代目のおいちゃん(・∀・)
すみれの入学試験での寅が買収しようとするところはワラタw

すみれのおかーちゃんの話があったり、定時制高校に勝手に馴染む寅の話などが
あった後にすみれの元カレが登場し、すみれは結婚することに。

帰って来ないすみれを心配していた寅はそれを聞いて激怒。すぐさま旅支度をして
出立する。泣いて謝るすみれを許すけど、出立は取り止めない。

あれ(´・ω・`)?

今回って恋の話なし? すみれに抱いていたのは恋心というより親心?


「男はつらいよ」は真のマドンナはさくらであり、その代替を求めての
恋の話が展開されるというような説を提唱したりする人も居て、それは
それで一理あるのかなと思っているが、今回の話などを観ると、さらに
一歩進んで、恋愛要素のみではなく、親や兄として庇護すべき対象である
さくらの代替をも寅は希求しているかのように思えてしょうがない。

冒頭の持ち家の購入はさくらの完全な安定、庇護を必要としない完全な存在への
進化を意味し、それが今回のマドンナへの親・兄代わりとしての寅の奮闘へと
繋がり、マドンナが結婚という寅よりもステージが上の存在になり、寅の庇護を
必要としなくなった時にその関係が終わるのは、いつもの恋愛パターンを
庇護パターンへ翻訳したもののように思える。
(この場合の"完全"、"ステージが上"というのはフーテンの寅から見たもの)

すみれのことでさくらと言い合いになった時に「相手の男をみて確かめれば
いいじゃない」みたいなことを言われたら「オレが会ったら、何するかわからない」
みたいなことを答えていたのが印象的で、これがいつもの恋心ならこんな言葉は
出て来ないんじゃないかなぁと思った。いつもの恋の話でライバルの存在に
気づいたら、寅は張り合うようなことをせず、すっと身を引くはず。
庇護していた対象を見ず知らずの男(実際にはあっちの方が縁が深いがw)に
持っていかれる立場(娘を嫁にやる父や兄)の心境ゆえの言葉ではなかろうか。

後半はこういうパターンが増えるのだろうか?
噂では満男の話が多くなるらしいけど。


つまらんヽ(`Д´)ノというほど怒る感じでもなく、すみれ酷いヽ(`Д´)ノとも思わず、
「ふーん」と言った感じ。後の「学校」へと発展したと言われる定時制高校シーンは
悪くはなかったけれども、寅さんである必要はあんまりなかったし。

なんだかんだでお百度参りしてあげるおばちゃんは優しい(・∀・)
密かに定時制に入学しようとしていた寅は物哀しい(´・ω・`)
 
 
 
 
 
そして2万円が返って来ない源公はきっともっと悲しい(・∀・)

『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』を観た

夢アチャラカはねずみ小僧・寅吉w
寅小僧じゃないんだなw
渥美清の時代劇も観てみたいけど、あるのかな?

関係ないが、この日のチャンネルトウェルビでやっていた「泣いてたまるか」でも
屋根の上に登っていたようなw

タイトルバックは長椅子ひっくり返り。実際の長椅子であんなことは起きるのだろうか?


今回も「寅次郎わが道をゆく」のSKD映像と同様に沖縄の映像を結構長く流し続ける。
まあ貴重な昔の沖縄映像というばそうなんだけどもお話的にはちょっと不要か。

そのせいと言うわけでもないのだけれども、この辺りの作品の話の構成でよくあった
寅さんの柱とサブキャラの柱の二本構成ではなく、寅さんとマドンナの話だけで尺が
埋められている。沖縄の方で話が展開するということもあってかとらやシーンも
比較的少なかった感じ。

物語は、男はつらいよの真のマドンナと目されるリリーと博の再会に始まり、花見に
絡んだすったもんだで早々に寅の出立気分を高めて、そこに病気になったリリーからの
速達を投入する形で、ノルマを果たした寅を沖縄へと向かわせる。

花見に絡むやり取りはちょっと無理筋な感じがしないでもなかった。
沖縄への経路や飛行機に乗ることへの抵抗とその解決の流れはワラタw


「ハイサイおじさん」は元ネタを知ってから、聞く度に凄く微妙な気分になる(´・ω・`)
今回寅からの手紙が寅ナレで流れて珍しい気がしたけど、今までにもあったっけか?

到着直後は甲斐甲斐しくも、日が経つ毎にいつもの酷い言行に戻る寅。
偶然知り合った水族館のイルカ調教師・かおり(新垣すずこ)にちょっかいを出し始める。
リリーが居るのにこれはいけませんねぇ(´・ω・`) 今までも寅が酷かったことは何度も
あるけど今回の寅は今までにない酷さかもw 

今までの寅は常に一途であり、同時に二人の女性を相手にするようなことはなかった筈。
リリーはもう釣った魚ということだったんだろうか。

寅と所帯を持ちたいリリーとそれを知ってか知らずかかわす寅、金と愛想が尽き果てて
リリーは単身本土へ帰り、寅は慌てて追いかける。

これは寅がかおりにうつつを抜かしたりせず、所帯を持つことに前向きだったらリリーは
寅に養われることも厭いはしなかったわけだから、やっぱり夢から醒めるきっかけは
嫉妬だったのかな。このシーンで邪推して高志へと喧嘩を吹っかける寅も最悪やで。

遠くから帰って来る時は行き倒れるのはパターンなのかw
まあ昔は遠距離移動が大変だったということもあるけども。

関係ないけど、かおり役の新垣すずこって他に何に出てるのかと思ってぐぐってみたら
"78年度のミス那覇に選ばれ現在は旅行社に勤務。"みたいなチラシの記述があった。
へー(・∀・)

富子(金城富美江)やかおりの同僚(比嘉美也子)も現地の人らしい。
病院シーンで出て来た知念医師はタイトルバックのコントとかに出てる津嘉山正種
という人なのかΣ(゚∀゚;) 何故か布施明かと思って観ていた(ノ∀`)

高志役の江藤潤は南極物語戦国自衛隊に出ていたようだがあんまり覚えていない。


現実であるとらやで語られるリリーの台詞の通りだなと思った。
遠く離れた沖縄でリリーと寅が共に見た束の間の真夏の夢。
これがこの作品の全てと言えなくもない。
思わず口を出た寅のプロポーズも冗談として打ち消される。
寅次郎相合い傘のパターンの逆か。

沖縄からリリーが去った後の時点で「時間も余ってるし、これどういう風にオチを
つけるんだろう(´・ω・`)?」と思い、このとらやの後にもやっぱり同様のことを
重ねて思ったのだけれども、最後まで観て納得した。
 
  
 
  
 
 
 
これは男はつらいよの最終回だわ(・∀・)


まあ実際にはこの後もシリーズは続き、48作目でまたリリーと再会するみたいだけど、
いや、これは最終回だ、間違いない(・∀・) イロンハミトメルワケニハイカナイ

所帯を持つことも出来ず、互いに自分を変えられないのであれば、
この形が正しいのだろう。現実的には暗い末路が待つとしても、
夢の世界であるならば、そのことを気にしてはいけいない。

映画にしても漫画にしても、完結できるかどうかわからないシリーズ物は、
こういった形での一区切りというか、有り得た最終回を用意すべきだなと思った。

このエントリを書く際にぐぐったが、この作品の特別編というものがあることを
知った。リリー四部作のうちの前二本の一部とこの作品をくっつけて、それを
満男の回想シーンとして展開するものらしい。ということを考えるとやっぱり
これは男はつらいよの有り得た最終回の一つとして考えても良さそうな気がする。


何はともあれこれは観て良かったかな(・∀・)
途中はいまいちなところが多かったけど

『男はつらいよ 寅次郎春の夢』を観た

男はつらいよ 寅次郎春の夢

エントリを検索してもヒットしなかったので、ここから観てないやつかと思って
観たけれど、これ前に観たことあったな(ノ∀`)

今回の夢アチャラカはよくわからなかったw
なんでFBIに追われていたのかもよくわからず、さくらと再会して博に連れられて
日本に帰国という展開。時代背景も今ひとつわからなかった。
源公とタコ社長が哀れだったw

OPコントで太もも(*´Д`)ハァハァ
36年前の作品だから、この子達は今は50歳以上か…(ヽ'ω`)


何となく観たことがあるという記憶が邪魔してあんまり真面目に観なかったので
あやふやな感想になるけれども、まあ外国人バージョンの寅さんが出て来て
本家と絡むというか、本家では有り得ない、あってはならないさくらとの恋の話を
代替的に繰り広げる感じかな。そのせいか、またも寅さんは脇役状態w

外国人晩寅さんことマイケルを演じてるハーブ・エデルマンって他に何に出てるのかと
思ってぐぐったが、「ザ・ヤクザ」のオリバーじゃねぇかw <- ハリーが日本の拠点にした、
武器が一杯ある家の持ち主

他にもスパルタンXにも出てたのか。1996年に亡くなってるらしい。


今回の冒頭はメロン騒動ならぬ、ぶどう騒動w
前にもなんか似たようなことがあったような気がするw
機嫌良く二階へ上って行った寅が不機嫌そうに下りて来てぶどうの皮を吹く
辺りの気まずい雰囲気がたまらないw

いつもならタコ社長が担うダメ押しを今回は博が演じて、寅がタコ社長を
案じるという珍しいパターン。まあ本気で案じるというよりもモラハラ的
行為の為に攻撃対象以外を持ち上げてるだけだけどw

この不機嫌はここで終わりかと思ったら、夕飯時まで尾を引いて、英語話の末に
タコ社長の軽口で大爆発。帰って来たその日にまた旅立ったw
マイケルで話を展開させる為に寅が邪魔だから、さっさと旅立たせたのかな。


マイケルが御前様経由でとらやに来て、なんやかんやで住み着いた。
マドンナではない男の下宿人が帰って来た寅さんと一悶着を起こすはいつものパターンか。

寅の語る嫌米観は山田洋次のものなんだろうかw

源公を巻き込んで対決姿勢の寅だったが、マドンナである圭子(香川京子)で
すべてが有耶無耶になるいつものパターン。こそっとマドンナに探りを入れるのは
前にもあったな。こういう時だけは知恵が回るなw

梅干しって外人さんには駄目なんだろうか。美味しいのに(´・ω・`)
まあ日本人でも嫌いな人とか居るからなぁ…

寅の恋の話は申し訳程度だったな。まあこの辺りの作品はほとんどそんな
パターンだったような気がする。


直接対決はなくなったものの、仲良くなったわけでもなく、ふとしたきっかけで
乱闘騒ぎ->誤解が解けてマイケル落ち込んで出ていこうとする->寅と飲みに行って
仲良くなる

その後はマイケルが関西に出張って寅の恋が展開する感じ。でも映画的に話題は
マイケルのことばかりだな、しょうがないけどw

いつもなら寅と遭遇する一座が今回はマイケルと遭遇(・∀・)
演目「蝶々夫人」を観ているうちにいつしか妄想に入り込むw


今回の茶の間のテーマは日米間の文化というか愛情表現の違いか。
今回、圭子の娘・めぐみ(林寛子)がタコ社長のところの職工とくっつきそうな感じで
終わるのはマイケルの恋の代理成就といったところなんだろうか。圭子の方は
いつものマドンナのパターンだけれども。

売り込みに失敗して帰って来たマイケルは母からの手紙を読んで帰国することに。
勢いに任せて愛の告白をするも、当然のことながら玉砕(ノ∀`)

その流れというわけでもないがついでといった感じで寅も玉砕の展開w

その後はマイケルを見送り自分も旅立つ寅というちょっと変わったパターン。
アメリカに帰ったマイケルと旅先で相方を再び得たテキヤ仲間をやっかむ寅という
感じでおしまい。「寅次郎わが道をゆく」の時の武田鉄矢の時と同じ感じか。

まあまあ面白かったかな(・∀・)

東京震災記 / 田山花袋

1923年9月1日に起きた関東大震災について、自身の体験や被災者から聞いた話を
まとめた作品。田山花袋と言えば、変態私小説「蒲団」のイメージしかなかったが、
この作品はとても興味深い内容であった。

こんなことを言うと田山花袋が墓から跳び出てきて思いっ切りぶん殴られそうだが、
随所に入る文学的表現や自作品からの引用等は読むのがちょっと煩わしかったw
その辺を考慮しつつ読むのであれば良い被災体験記であったと思う。


東京の下町方面や皇居周辺の地理は余り詳しくないので、今ひとつピンと来なかったが、
基本的にほぼ全部が焼失したのだけはわかった。持ち出した家財道具に執着したが為、
火災の広がりを甘く見たが為に命を失ってしまった人も大勢いたようだ。家財道具を
載せた大八車や多数の人間が橋などに集中し、身動きが出来ない状態になったまま
火の手に囲まれたらしい。火を避ける為に川に飛び込むも火勢の激しさや体力の消耗で
命を落とした人もかなりの数居たようだ。

序盤で田山花袋は代々木の自宅にほとんど被害がなく自分の家族が全員無事なのに
頻りに被害の大きかった地域を見に行こうと試みるのが不思議でたまらなかったが、
読み進んで行ったら、「ああ、なるほどw」と合点がいったw 気持ちがわからないことも
ないが相変わらずだなと思った。

不逞鮮人云々の話や自警団の過激化、自警団を装う追い剥ぎ連中、甘粕事件への言及も
あり、これもまた当時の状況を窺い知ることが出来て良かった。発展前の渋谷や東中野に
関する記述も、今読むと面白い。


当時の神奈川県の被災状況はよく知らなかったので、地震発生時に横浜沖に居た
船頭のUの話や箱根・熱海方面から避暑客達が歩いて東京都を目指した話は非常に
興味深かった。都内を目指して汽車のレール上を歩いて行く人々は救恤品として
"パンの一片や握り飯の一つや二つ"を入手することが出来たり、真鶴で動物を
採取していた外国人がそういった対応にえらく感激していたという話があり、
「昔から日本人はこういうところがあったんだなぁ(・∀・)」と妙な感慨を覚えた。

大磯の停車場や馬入川の鉄橋崩壊や横浜の被害状況、信濃坂については見知っている
場所だけにこれも興味深い記述だった。横浜の辺りも全滅に近い状況だったようで、
「そう言えば三渓園の原三渓が私財を投げ打って復興に尽力したんだっけか」と
ふと思い出した。


東海道線と異なり、東北方面の線路は被害がなく避難民が殺到したらしい。
震災当日とその翌日は制しても屋根の上にまで人が乗るような有り様で
それ以降は上野から大宮辺りまでは無蓋貨車で人を運んだようだ。

弘前在住の予備役中佐だった花袋の弟が召集され、上京/帰郷した際に見聞きした話では
上京時の列車内では不審人物のチェックがあり、帰郷時は混雑の為に難儀したとあった。
いずれの時も福島辺りまでは酷い混雑だったようだ。

花袋の兄・實が地震学の関谷博士に依頼され、「大日本地震資料」を編纂した絡みで
聞き知っていた、関谷博士の跡を継いだ大森房吉の話や活動写真好きのK翁の話も
読み応えがあった。


花袋をはじめ、当時の人々の中には江戸・明治時代から部分的に更新されて来た"東京"が
国際都市としては不十分と考えていた人も居たようで、この震災を機に新しい日本の首都と
して復興することを望んでいたが、"そこには歴史もあり由緒もあり伝統もあり利害も
あるに相違なかった。焼出されたものでも、出来るならば、元のところに帰って住みたいに
相違なかった。人の心の落附いて行くにつれて、次第に消極的の議論が出るように"なり、
"今では復興ということより復旧ということに重きを置かれるようになった”ようだ。

こんなにも新”東京”へ期待する花袋に対し、「でもどっちにしろ、東京大空襲で東京は
また焼け野原になっちゃうんだぜ(´・ω・`)?」と思いつつ読んでいたが、後の方の章で
花袋自らが『飛行機でもやって来る段にもなると、とてもこの地震の比ではないそうだね?
この東京などは、一度で滅茶々々になってしまうってね?』と話していて、そのことを
予見していたかのように思えて驚いた。まあこれは全てが確定した事象を知っている
人間が現在から見るから予見していたかのように思えるだけだけども。


田山花袋は百年近く前の時代の人だけれども、現在生きる人々と考えてることや
感じることに大きな違いがなく、その事は人間という生き物の限界とも不変性とも
言えるような物悲しいモノを想起させると同時に奇妙な親近感を抱かせてくれた。
そういう不思議な読後感も含めて、兎にも角にもこの本は興味深い、interestingな
面白さがある作品だった。

もっと色々と書こうと思っていたことがあったが忘れた(ノ∀`)
というか疲れたからもういいや。