カテゴリー: 本・雑誌等

中世都市鎌倉を歩く

山形大学教授である松尾剛次氏によって著された中世の鎌倉について紹介した一冊です。
従来の研究においては放置され歴史と土砂に埋れていた時期の鎌倉を文字通り掘り起こした内容です。

歴史好きな人は言うまでもありませんが、鎌倉のハイキングコースや切通しを歩いたことがある人にお勧めです。
「ああ、なるほどあそこはそういうところだったのか」と散策時の体験と知識がリンクする喜びを味わえると思います。
章立ては源氏、北条氏、足利氏、上杉氏という主の変遷で分けられており、
時代背景とその時代における"鎌倉"が解説されています。


・高時腹切りやぐら~八雲神社をつなぐ祇園山ハイキングコースがありますが、その祇園山の名前の由来

・和賀江島と極楽寺、光明寺の関係
・頼朝の墓と大倉御所(西御門)

・建長寺や巨福呂坂切通し周辺の成立

・源氏山公園(化粧坂)~高徳院(大仏)をつなぐ大仏ハイキングコース、極楽寺辺りの過去

・カヤックのボウルズや清川病院付近が鎌倉御所跡らしい

・六浦道~朝比奈切通し~金沢称名寺や鎌倉公方屋敷

・由比ガ浜の人骨
・鶴ヶ岡八幡宮の各時代での存在意義
・古河公方(鎌倉公方)/関東管領と戦国大名とのつながり

などなど、自分には列挙すればきりがないくらい興味深い要素満載の一冊でした。

東海道中膝栗毛

十返舎一九作の戯作本です。
内容は弥次郎兵衛と喜多八の江戸~伊勢~京都・大阪間の道中記です。

現代語訳ではないので多少ハードルは高いですが古典というほど難しくありません。
脚注等も多く二人のやり取りがメインなので慣れれば何とか読み進められると思います。
時間はかかるとは思いますが随所に現代にも残る表現や方言を見ることが出来るので、
現代語訳では味わえない知識のリンクによる喜びを得られると思います。


基本的な構成要素は弥次喜多のやり取り、狂言や笑い話をベースにした事件、
その事件を詠んだ川柳、各宿道中での名所名物の記述、出会った人々の方言や
衣装の記述といった感じです。


てっきり最後まで東海道を旅するのかと思って読み進めていくと、下巻に入って間もない
五編下から伊勢参宮道へ行ってしまいます。まあ二人の旅の目的は伊勢参りなので
それは当然なのですが、近江辺りの話も読んでみたかったのでちょっと残念です。
そういった点から言うと上巻は東海道旅、下巻は伊勢・京都・大阪編と言えます。


下巻を読み終えてから上巻の発端などを読んでいてふと思い出したのが、
喜多八は元は鼻之助という弥次郎兵衛の若衆だったはずなのに旅の途中では
特にそういったこともなく女を取り合ったりしていてなんか変だなということ。
まあ歳が長じてそういう関係ではなくなったのかと勝手に解釈して読み進めていましたが、
よくよく考えてみると発端は八編の後に出されたものなので後付け設定なのかもしれません。
現代で人気が出た漫画やドラマでよくある外伝とかスピンアウトみたいな感じで。


ちなみに初編での弥次郎兵衛は一人住みの能楽者(怠け者)、喜多八は食客(いそうろう)とありますが、
発端では

弥次郎兵衛
元は駿州府中(今の静岡市)の商人。遊郭や衆道にはまって身代を潰す。
若衆である鼻之助(喜多八)と夜逃げして神田八丁堀へ。
周りの勧めで御末奉公上がりの女・おふつと結婚していたが……

喜多八(鼻之助)
駿州江尻(今の静岡市清水区?)の人。
旅役者の花水多羅四郎(はなみづたらしろう)の弟子で陰間。
江戸に来て元服、喜多八と名乗る。奉公先の商人に気に入られ、
それなりに金に融通が利く状態になるものの……

というような感じになっています。大分受ける印象が異なります。
現代のモラル、思考をもって過去を、しかも戯作本の内容をはかるべきではありませんが、
発端の内容は結構酷いです(ノ∀`) おつぼもおふつも不憫でなりません。
もしも発端が最初に書かれていたのならば、旅の途中で触れられたりしたのでしょうが。


八編の最後で弥次喜多は河内屋四郎兵衛に路銀を用立ててもらい木曽路経由で"めでたく帰国したりける"とあり、東海道膝栗毛は終了します。
この後の二人の道中を描いた続膝栗毛があるようですが岩波文庫では出ておらず、
静岡出版で出されていたものも今は入手困難のようです。

いつか機会があったら続編を読んでみたいものです。

基礎からわかるTCP/IP Javaネットワークプログラミング / 小高 知宏

基礎からわかるTCP/IP Javaネットワークプログラミングを読んだ。
去年、twitter絡みのプログラミングを始めるよりも前に入手して読んでなかった本だ。
1998年の初版を105円で買ってきたんだったような。

今よりもはるかに知識もなく、"概念を受け入れる"ということも
知覚できてなかった頃だったので、ちょっと読んですぐ放置してた(ノ∀`)

具体的に扱われているのは
 Telnet/FTP
 SMTP/POP3
 簡単なネットワークゲームプログラミング
 チャットプログラム

結論から言うと読みやすく分り易い一冊だった。
内容はシンプルで特に煽りなどはないけれど
なんかネットワークプログラミングしたくなる不思議な本(・∀・)


出版年(1998年)からみてもわかる通り、内容は古いと言えば古い。
中でクライアントソフト作成に使われているGUIはAWTだし。

ただ個人的にはこの本から得られたものは結構あったような気がする

ネットワークの基礎的な知識はあり、HTTPをJavaから利用するプログラムは
書いたことはあったけれど、他のプロトコルを自分でプログラミングする方法を
知らなかったので、ちょっと新鮮だった(・∀・)
なんとなく無意味にプロトコルが作ってみたくなった(w

socketやthreadを利用してるので、Google App Engineにそのまま利用出来たりは
しないけれど、なんか色々とネットワークプログラミングをしたくなってきている。
まあそんな余裕もないけども_| ̄|○


ネットワークプログラミングの知識というか概念をスムーズに学べるので、
入門書としてはいいのではないかと思った(・∀・)

著者には申し訳ないけれど、第二版でも2002年なので、古本屋を巡ればありそうな気がする( ・´ω・`)

人格障害かもしれない / 磯辺潮

いそべクリニック院長であり医学博士、臨床心理士である磯辺潮氏による人格障害の光と影について書かれた一冊です。「人格の定義」、「境界性人格障害」「治療の現場」「実例を交えて人格障害の種類」「DSMの説明」「人格障害の光と影」などが主な内容です。全体的に人格障害の影の部分を限定的に捉え光の部分を繰り返し強調する感じの内容でした。


読んでいてなんとなく感じたのですが、この方はおそらくまともな普通の家庭に育った方のではないのかなぁと感じました。なんというか踏み込みが甘いというか、加藤諦三氏・岸田秀氏・小此木啓吾氏などの著作に見られる、狂気や苦悩や内観の末に得られた洞察がない感じがしました。特に「人格障害者の影の部分」に出てくる犯罪者たちに対する見解というか捉え方が非常に普通の人っぽいです。毒親家庭などの異常な家庭環境を想定出来ない育ちの良い人のような印象を受けました。


環境要因以外に資質というものは存在するとは思うのですが、著者の主張するようにそれが凶悪な殺人犯を産み出すのに必要な因子だとは考えにくいです。人としての一線を越すような快楽殺人者の多くが持つ小動物への虐待経験や共感能力の欠如、現実世界の秩序からの乖離は、幼少期の虐待、極度の支配、性的トラウマに起因するものであり、その事象は主に養育環境で発生するものと考えます。


自分も音楽・絵画・文学などの芸術、政治、発明その他の分野における天才たちの多くが人格障害者であったろうと考えているので、その辺の部分は大いに首肯できました。細かい用語の定義や治療現場の状況などを知ることができました。(初版は2003年なので色々と現在とは違うのかもしれませんが)
また人格障害の影響があろうとも凶悪犯罪を実行したのは本人の意志であり、その責任は本人に帰するべきであるという意見には同意できます。
人格障害そのものについて考察するというよりも手っ取りばやく人格障害というものについての理解を得るには良い本だと思います。