マイケル・ムーア in アホでマヌケな大統領選
人口の75%がモルモン教徒であり、共和党支持勢力が強いユタ州のオレム市にあるUtah Valley State College(UVSC)の学生会が民主党支持(正確には反共和党?)のマイケル・ムーアを講演会に招いたことから始まった大騒動を記録したドキュメンタリー。
UVSCは2008年にUtah Valley Universityになったらしい。単科大学から総合大学に昇格したんだろうか?
原題は「This Divided State」。直訳すると「この分断された州」?
なんでこんな邦題にしたんだろうか(´・ω・`)
モルモン教って言うと刺激物を摂ってはいけないとか斉藤由貴が入ってるとか街中でスーツっぽい服装の自転車に乗った二人組の外国人が勧誘してるというイメージしかないな。詳しいことはよくわからないのでぐぐる。
モルモン書を読むと色々と酷いw
入手および翻訳の経緯
1823年9月21日ジョセフ・スミス・ジュニアはモロナイと名乗る神の使者に黄金の板の聖なる文書の存在を告げられ4年後18歳になった時に掘るようにいわれた。
(略)
なお、箱の中にはほかにウリムとトンミムという道具が入っていた。
ジョセフ・スミス・ジュニアがウリムとトンミムを使ってこの文書を翻訳口述しオリバー・カウドリとマーティン・ハリスが英語で筆記した。原典である黄金の板は翻訳の後、天使へ返還したとされている。
公開された英文の内容
モルモン書全般にわたって記述されている内容は、大きく分けて歴史的な記録と神の教えである。
内容は紀元前600年頃(預言者エレミヤの時代)、エルサレムからアメリカ大陸へ渡ったリーハイとその家族から始まり、その地において、神に従順なニーファイ人の子孫と神に背くレーマン人の子孫が対立、抗争しながら大陸全土に増え、最終的には慢心したニーファイ人がレーマン人に滅ぼされるまでの「歴史」である。 またそれに加えて、バベルの塔の時代に同様にアメリカ大陸に移動してきた2つの民族の興亡の記述もある。
モルモン書の記述の中には、復活したイエス・キリストが古代アメリカ大陸に訪れたという記述が見られる。
方向性は違うが存在的にエホバに近いかな。
「スティールボールラン」ってこのモルモン書のネタを採用してるんだろうか?
現在ソルトレイクシティになっている、グレートベースンにまで旅をして、宗教的社会を築いた。イリノイ州ノーブー市における宗教的対立が激しくなり、モルモン教徒たちは不利となったため、当時のモルモン教徒の最高指導者ブリガム・ヤングが教徒達に西へ行くようにと指示した。
モルモン開拓者
というような流れでユタ州にモルモン教徒が住み着いて勢力を拡大し続けたらしい。
まあユタはそういう戒律の厳しい教徒達が沢山住む保守的なところらしい。
この映画は2004~2005年くらいのもので2008年時点ではモルモン教は58%らしい(ユタ州)
そんなに急減するもんなんだろうか?
もしかして75%てオレム市だけなのか、公称なのかな?
マイケル・ムーアは名前は知ってるが、詳しくは知らないw
マイケル・フランシス・ムーア(Michael Francis Moore[1], 1954年4月23日 - )は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、ドキュメンタリー映画監督、テレビプロデューサー、テレビディレクター、政治活動家。
ふーむ(´・ω・`)
映画内でも出てくるが
『華氏911』 - Fahrenheit 9/11 (2004年)
2004年アメリカ合衆国大統領選挙において、ブッシュの大統領の再選を阻止する目的で公開された。カンヌ国際映画祭での最高賞パルム・ドールを受賞し各国でヒットとなるものの、当初の目的は果たせなかった。題名はイギリスのSF映画『華氏451度』から引用している。
が有名らしいが観てないのでよくわからない(ノ∀`)
まあとにかく共和党が強い地盤のところに反共和党の人間を呼ぼうとしたから大反発が起きたわけか。
狂気的にも思える住民たちも不気味ではあるが、その地域に一生住み続けるかどうかもわからない学生たちがファッション的に、或いは後の就職活動に利用するためだけに活動している感じもまたなんだかなぁという感じに思える。
これは撮った監督は共和党寄りなのだろうか、ショーン・ハニティの軽妙なトークは観ていて面白く、マイケル・ムーアの講演はただただ共和党とブッシュを罵倒するだけのつまらないものに見えた。マイケル・ムーアの講演に賛成する、「クリミナル・マインド」のDr.リードみたいな助教授もみっともないだけだったし。
壇上に上げられたジェシーだかなんかは頑張ってたなw そりゃパニクるわw
映画内でも出てくるが、マイケル・ムーアは元々は緑の党を支持していたけれども、イラク戦争への抗議やブッシュ憎しで民主党支持に回ったらしくてあんまり正当性みたいなものを感じない。
言論の自由とか表現の自由とか散々言っていたけど、「自由」の定義がわからない。
人間という社会的存在である以上、理想論的な「自由」を振りかざし続けるのは愚かしい。現実的な「責務」を伴わないから言っていて楽で気持ちがいいというのはよくわかるけどw
アメリカ人の多くは「自由」という言葉に酔い痴れ過ぎだろう。
それが良いところでもあるがw
ドキュメンタリーであるということを知っていて観るならそれなりかな?