カテゴリー: 感想

『蛾人間モスマン』を観た

蛾人間モスマン

ちょっと前にテレビでやっていたのを観た。

キャサリン(ジュエル・ステイト)とその友人たちはある湖に遊びに来た。その夜、彼らは誤ってその一人を溺死させてしまった。彼らは事故に見せかけてその場をしのいだ。 それから10年後、取材のために故郷に戻ったキャサリンは、友人と再会するが、一人、また一人と謎の死を遂げていった。 それは、その街に伝説として語り継がれている怪物モスマンの仕業だった。

期待しすぎてしまった所為か、凄く微妙に思えてしまった…_| ̄|○
凄く微妙というよりもはっきり言ってつまらなかったと言ってもいいかもw
だからというわけではないがエントリ化することを忘れていた(ノ∀`)

そもそも主人公たちがクズなので「頑張って生き延びろヽ(Д´)ノ」という思いよりも「モスマン、早くやっちまえヽ(Д´)ノ」という感じになるので観ていてハラハラしないことや設定に矛盾があるところがつまらなさを醸しだしていたのかなと思ったり。

モスマンの出現フラグというか復讐開始フラグがよくわからないし、終盤の流れもなんかおかしい。

関係ないが、光る物から出現するという設定だったので、「仮面ライダー龍騎」を連想してしまったw

特に書くことがないなぁと思ってimdbを見に行って気づいたが、これってテレビ映画かw

テレビ映画ならこのクォリティでもしょうがないかもしれないと思ったw


モスマンは映画の中だけの創作物だと思っていたが

モスマン (Mothman) は、1966年ごろアメリカ合衆国ウェストバージニア州ポイント・プレザント一帯を脅かした謎の未確認動物(UMA)。宇宙人のペットであるとの説(エイリアン・ペット説)もある。

モスマン

ということらしい。

この映画の他に「プロフェシー」というモスマンを扱った映画があるらしいがそっちは面白いのであろうか。まあ何にしてもこれは外れかなぁ(´・ω・`)

『名犬ラッシー 家路』を観た

名犬ラッシー

あらすじでは侯爵が怒ってるってことになってるけど、怒ってたっけ?

ヨークシャーのカラクルー家は貧困から、利口な飼い犬ラッシー(パル)を侯爵家に売ることになってしまった。ラッシーとは飼い主以上の関係だった少年ジョー(ロディ・マクドウォール)はひどく落胆するが、それを知ってかラッシーは度々侯爵の屋敷を抜け出してしまう。怒った侯爵はラッシーをスコットランドの別荘に連れていき調教させようとするが、やはりラッシーはそこも脱走。だが、今度ばかりはラッシーの道のりは遠く苛酷なものだった……。

名犬ラッシー 家路

序盤から中盤はラッシー役の犬・パルとの絡みの問題もあってか演技がいまいちだったり、展開も冗長だったりで「あー犬出しときゃ良い的な子供向け映画かぁ(´・ω・`)」と思って観ていた。

パルは賢くて良く訓練されている犬なのだけれども、結局は犬であって演技は出来ない。故にスコットランドからヨークシャーに向かうシーンも綺麗な風景をラッシーがただ行くだけで正直つまらない(´・ω・`)

ただそれを補うかのように猟銃を待った男、老夫婦、移動金物屋のキャラや演技が良く、徐々に引きこまれていった(・∀・)
まあ老夫婦は少しラッシーの心情をエスパーしすぎな気がしたけどw

この後のジョーの両親の翻意、侯爵と孫娘プリシラのコンビネーション、ハッピーエンドという流れが非常に心地良かった。こういうのがハートウォーミングストーリーと言うのか(・∀・)

まあでもハインズはどうなったんだろうか…一応スコットランドの方で相変わらず雇われてるのだろうか。

「Lassie」は、英語では、「お嬢さん・少女」の意味の愛称的な言葉で、当然ラッシーはメスのコリーである。

1945年には、パルは、『ラッシーの子(Son of Lassie)』において、ラッシーの息子のラッディー役を演じた。
パルは、血統証明書の記述が正しいなら、雄のコリーである。ラッシーは雌犬で、ラッディーは雄犬である(Laddieは、お嬢さんの意味の Lassie に対応する言葉で、坊ちゃんとか若者の意味である)。

雌だと思って観てたけど、実は雄だったのかw


ロディ・マクドウォールって知らんのぅと思ったが「猿の惑星」シリーズに出ていたらしい。「ポセイドン・アドベンチャー」にもエイカーズというボーイ役で出ていたらしい。何となくボーイが居たような気はするけど結構早めに退場するキャラだったかな?

侯爵の孫娘役ってエリザベス・テイラーだったのかΣ(゚∀゚;)
と驚きつつも名前しか知らない(ノ∀`)

この映画、1943年に撮られてるんだよなぁ。
これが国力の差か…_| ̄|○


話自体はシンプルで時間も短いので良い意味での"子供向け"映画かな(・∀・)

『ロック・スター』を観た

ロック・スター

あらすじは

クリス(マーク・ウォールバーグ)はロック界の大御所バンド「スティール・ドラゴン」のトリビュートバンド「ブラッド・ポリューション」のボーカルをしていた。「スティール・ドラゴン」に心酔する余り、バンドメンバーに一切のアドリブも完コピ以外の演奏を許さなかったクリスはある日バンドから追い出されてしまう。マネージャーであり恋人であるエミリー(ジェニファー・アニストン)に慰められながらも、失意から立ち直れないクリスのもとに突然「スティール・ドラゴン」からボーカルのオファーが…

みたいな感じ。

ジューダス・プリーストのボーカル交代事件が元ネタらしいが俺氏は洋楽の知識がなく、「ああ、バスタードで目にしたことのある単語や(・∀・)」としてしか認識してないので詳しくは調べていないw

話の展開は序盤がちょっと御都合主義的過ぎるような気がしないでもない。
ローディーのマッツ(ティモシー・スポール)との会話が肝かなぁ(・∀・)
あのシーン以降の流れが好きだわ。展開そのものは普通っちゃ普通だけど。

ザ・フー:アメイジング・ジャーニー」や「スティル・クレイジー」等を先に観ていたら、この映画はより一層楽しめるかもしれない。

ついでに「ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギター」や「ベルベット・ゴールドマイン」も併せて観ておくとロックスターの栄光と虚像の悲哀というものがより深く感じられていいかもしれない。

おっぱいはちょっとあったよ(*´・ω・)


クリス役のマーク・ウォールバーグって本物のクズじゃねぇかw

15歳の頃には、遠足中の黒人児童たちに投石して負傷させ、人種差別的な言葉を叫んだことがある。16歳の時には、コカインとアルコールで酩酊した状態でベトナム人男性を襲撃し、人種差別的な言葉で罵りながら木の棒で殴りつけて昏倒・失明させた。このためウォールバーグは殺人未遂の容疑で起訴され、暴行の罪を認めてボストンの感化院に収容されたが、わずか45日後に出所している。このほか、21歳の時には近所の住人に言いがかりをつけて暴力を振るい、顎の骨を砕く重傷を負わせたこともある。当時、ボストン警察には25回も世話になったという。やがて反省し、自身の行いを改める決心をした。

反省とかで許されるレベルじゃないw

「フレンズ」以外でのジェニファー・アニストンて初めて観た。
ロブ役のティモシー・オリファントって、あの「ドリームキャッチャー」に出てたのかw ピートってどんなキャラだったか覚えてないけど。

マッツ役のティモシー・スポールは「スティル・クレイジー」でドラマーのビーノ役だった人か。


上記にあげたような他のバンド系の映画等を先に観ていたら面白く
思えるんじゃないかなぁと思う(・∀・)

『復讐するは我にあり』を観た

復讐するは我にあり

昭和38年。当時の日本の人々はたった一人の男に恐怖していた。榎津巌(えのきづ いわお)。キリスト教カトリック信者で「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、78日間もの間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。映画ではこの稀代の犯罪者の犯行の軌跡と人間像に迫る。

実際にあった西口彰事件を元に佐木隆三が書いた小説が原作の映画。
内容が内容だけに重いが見応えはあった。

榎津巌役は緒形拳。巌の父・榎津鎮雄役は「飢餓海峡」の主役を演じた三國連太郎。
鬼気迫る殺人犯役をこなしてない俳優は二流や(・∀・)と偏った意見を言いたい所ではあるが、最近はこういう内容の映画は少ないもんな。つーかやれば良いってものでもないw
ミヤコ蝶々や菅井きん、フランキー堺等々の有名ドコロが脇を演じて雰囲気を引き締める。

そして何よりも倍賞美津子ヽ(`Д´)ノ
 
 
 
 
 
 
  
 
 
  
 
おっぱいでけぇぇぇぇぇ(*´・ω・)

というような話はおいておいても、とにかく見応えはあった。
つーか三國連太郎と倍賞美津子のパートって本当に必要だったんだろうかw?

浅野ひさ乃役の清川虹子は相変わらずの迫力があった。
そういえば火野正平も出てた(・∀・)

「あさの」の客:佐木隆三

あれ佐木隆三なのか(ノ∀`)


タイトルについては

ちなみに、「復讐するは我にあり」という言葉は『新約聖書』に登場する言葉だが、「悪に悪で報いる者は悪となんら変わりなくなってしまう。だから、悪に堪え忍べ。そうすれば神様御自身が必ず悪を裁き、私たちを悪から救って下さる」という教えのことであり、ここでの「我」とは「神」のことを指す。

西口彰連続強盗殺人事件

という意味があり、

タイトルの「復讐するは我にあり」は、新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる言葉で、こういう男がいたことを調査したとして、佐木自身は主人公を肯定も否定もしない気持ちを込めてタイトルに引用したという。

ということらしい。


上記の「無限回廊」のページと西口彰連続殺人事件を読んだけど、今ひとつ西口彰という人物が解りかねる。生い立ちの中で歪みを発するであろうポイントはあるにはあるが、これだけというのもちょっと弱い。

西口は戒律の厳しい全寮制の生活に耐えられず、ミッションスクールは3年の2学期に中途退学してしまった。
西口彰連続強盗殺人事件

家庭環境等でも何かあったのであろうか?
原作の小説等でより詳しく書かれているのかな。
機会があったら読んでみたい。

犯罪傾向の変化についてもちょっと興味深い。

西口は元々、窃盗、詐欺を繰り返した人物であり、それまで殺人を犯したことはなかった。詐欺師と殺人者、つまり知能型と暴力型は両立しないとされるが、この西口事件はそういう意味では犯罪史において貴重なケースとされる。
西口彰連続殺人事件

犯罪傾向の変化のきっかけは明確にはわからないが

西口彰は特異な犯罪者として注目された。それは従来、詐欺などの知能犯と殺人などの強力(ごうりき)犯は、別種の犯罪者と見られていたが、西口は、両方を軽々とやってのけたからだった。(略) 西口は取調室で「詐欺というのはしんどいね。やっぱり殺すのが一番面倒がなくていいよ」と本音をもらしている。
西口彰連続強盗殺人事件

という本音や何度も詐欺に失敗して捕まっていることからだろうか?

ただ、強盗殺人事件以降も詐欺を繰り返しているところを完全に切り替わって快楽殺人犯になっているわけではなさそうだ。うーむ(´・ω・`)


映画の方の榎津巌は父との確執があるように見受けられた。
軍に船か何かの供出を迫られた時に、巌の中で愛すべき、尊敬すべき、恐怖すべき父が失墜し、その変化に対応する為に心の歪みが生じた感じなのかな。
国への反発にしては少しおかしいしな。

何にしても観て良かったかな(・∀・)
まあ内容が内容だけに普通の人にはお勧め出来ない。